第4話 謎のスーツケース
〝かいりゅう〟は浮上してからニューヘブン民主国の領海に侵入した。政府の許可は取ってあるが、サンゴ礁に取り囲まれた島国は、潜水したまま入るには浅すぎる。
艦が波を分ける海は、虹を海上に広げたような世界だった。さざ波が作り出すプリズムが海面を虹色に煌めかせている。
「これは芸術ですね」
艦橋上、四方を見渡して伊東が言った。
「ええ、美しい……」
吾妻勇気は同意し、言葉をのんだ。虹色の海の先には真っ白なビーチが見える。砂浜の右端に防波堤が突出していて、小さな灯台があった。その先が首都の港だ。目に留まる建物はどれも2階建てだった。
〝かいりゅう〟は波のない海面をすべるように入港すると派手な衣装のブラスバンドとチアリーダーたちに迎えられた。大東亜共栄商事の福田が用意した地元高校の歓迎セレモニーの集団だ。彼はブラスバンド以外に大統領や議員たちを港の特設席に招待して、その時を待っていた。
透き通る空と虹色の海。そして華やかな音楽と生気に満ちたチアリーディング……。もし甲板に真っ白な制服の水兵が整列していなければ、真っ黒な潜水艦は異物に映っただろう。
政府やマスコミが主催するイベントに参加することが多い勇気だったが、音楽に向かえられて艦を下りるのは初めてだった。照れくさく、どんな表情をつくって良いのかわからない。真顔でもなく、笑顔でもなく、曖昧な表情のまま
並んだ大統領や政府要人、チアリーダーたちと握手を交わし、福田と言葉を交わした。
「盛大な歓迎、痛み入ります」
「ご迷惑ではありませんでしたか? 洋上艦ならともかく、潜水艦では航海も
「大東亜共栄商事さんに洩れる程度の航海です。気になさらないでください」
答えながら、どういったルートで航海計画が漏れたのか考えた。
特設席に掛けて大統領夫妻と雑談をしている時、勇気は視界の片隅にスーツ姿の水島をみつけて自分の顔がこわばるのを感じた。南国の島での休息に、スーツは不釣り合いだ。
その時、大統領夫人に好きな食べ物を教えてほしいと尋ねられ、慌てて微笑みをつくった。
「南国のパッションフルーツやパイナップルは、とても美味しいと思います」
そんな風に応じながらも、気持は港の隅でスーツ姿の西洋人と言葉を交わす水島に向かっていた。
「記念撮影をお願いします。それを常務に送らないと首になります」
福田がやってきて、冗談めかして笑った。
「え、ええ、……わかりました」
勇気は、大統領と共に席を立った。
マスコミに取り上げられることが多い勇気は、作り笑いに慣れ始めていた。歓迎セレモニーの一団と並び、カメラのフラッシュを浴びた。南国の陽射しの下でも、それは濃い影を消すのに有効らしい。
撮影後、港の隅に眼をやったが、そこに水島の姿はなかった。
〝かいりゅう〟の乗組員たちは、日光浴やショッピングなどで、二日間の短い休暇を楽しんだ。
勇気はニューヘブンで一番の高級ホテルに泊まったが、くつろぐ暇がなかった。福田の準備した公式行事が多いからだ。大東亜共栄商事東京支社からやって来たポール・スミスという営業マンに同行し、現地の議員たちとの懇談会にも出席した。そこで勇気は世界の軍事バランスを語り、ポールが防衛システムを売り込んだ。
「……AIを核にした我が社の防衛システムは、大統領ひとりの操作で一個大隊の爆撃機と上陸部隊を撃退する能力を持っているのです。国民の命を犠牲にせず、国を守る素晴らしいシステムだと思いませんか?」
ポールはそうアピールして迎撃ミサイルや無人攻撃機の写真が載ったパンフレットを並べた。
「わが社なら、ニューヘブンに対する防衛援助資金を日本政府から調達するお手伝いも出来ます」
ポールの言葉に、議員たちは一様に困惑の表情を浮かべた。
「こちらの国は、戦争と無縁の空気がありますね」
勇気が議員たちに助け舟を出すと、今度はポールが顔を曇らせる。
「その空気に侵略者はつけこんでくるのですよ」
ポールの切り返しはなかなかのものだ。その言葉に1人の議員が口を開いた。
「わが国には、侵略者がここまでやってくる費用にみあう資源も金品もありません。あなたの言う侵略者たちは、ニューヘブンを占領してリゾートホテルでも建設するのでしょうか?」
議員の質問にポールは言葉を失い、勇気は心の中で笑った。
懇談会が終わってから、ポールに睨まれた。
「あなたは日本の自衛官でしょう。装備庁の仕事を邪魔するのですか?」
その話で、航海計画が防衛相の装備庁の官僚から大東亜共栄商事に伝えられたと理解した。装備庁は輸出を増やすことで武器の製造単価の引き下げを図っているのだろう。
§
〝かいりゅう〟の滞在期間は短かった。それがニューヘブンの港を出ていく姿を、福田は桟橋から見送った。そこにポールの姿はなかった。どうやら彼は、兵器の売り込みに失敗したようだ。
自宅に戻ると千恵美がスーツケースに荷物を積めていた。
「山形の実家に行ってくるわ」
「急に、どうしたんだ?」
まだクリスマス前、正月にも早い。孫に会いたいのもわかるが、突然すぎると思った。
「父の銃砲店に泥棒が入って、ライフルや銃弾を盗まれたらしいの」
「それは災難だったな。それにしても、今日、明日に帰省するほどのことではないだろう。もうすぐクリスマスだ」
クリスマスは、知り合いを招待し合ってパーティーを開くのが恒例だった。ホストが自分ひとりでは何かと
「ライフルが盗まれたのに泥棒の痕跡がなくて、父が密売したのではないかと警察に疑われているらしいのよ。毎日、警察に呼び出されて落ち込んでいるらしいわ」
「お義父さんは、もうすぐ90歳だろう?」
「87歳よ。そんな年寄りが密売したと疑うなんて、警察もひどいわよね」
千恵美がスーツケースの鍵をかける。議論はおしまいだ、と宣言しているようだった。
「パスポートは持ったし……、ちょうどよかった。空港まで送ってちょうだい」
その言葉に、否と応じる
§
吾妻勇気は休暇で精気を取り戻した乗組員の表情に満足し、日本への航海を命じた。〝かいりゅう〟は海中に潜ると速力を上げる。
ニューヘブンでは福田とポールに連れまわされて、スーツ姿の水島に不審なものを感じたことをすっかり忘れていた。が、海に潜るとそのことが気になりだした。
「休暇はいかがでした?」
夕食時、勇気はいつものように水島の隣に座った。
「ホテルで、のんびりさせてもらいました」
「水島さんでものんびりすることがあるのですか?」
そう言う勇気を見る水島の視線は険しかった。
「失礼。水島さんは、寝ても覚めても部下と訓練のことを考えてばかりいるものと思いましたから」
「自分は、そんな風に見えますか?」
水島の瞳から厳しさが消えた。
「島には、お知り合いでもいたのですか?」
勇気は水島と会っていたスーツ姿の男性を思い出す。その姿はありきたりのビジネスマンで、これと言った特徴がなかった。
「いいえ。人付き合いは苦手なので、友人も多くはありません」
会話はそれで終わった。その後も勇気は、水島が会った人物のことを聞き出すことができなかった。
呉港に入り、最初に特殊部隊員の3名が船を下りた。水島を先頭に列をつくり、大きな灰色のスーツケースを引いている。それは自衛隊の装備品ではなく、市販されている旅行用のものだ。
「彼らの荷物は、あんなに多かった?」
艦橋から3人の姿を見送っていた勇気は、隣の伊東に声をかけた。
「さあ、乗り込む時の記憶に自信がありません。……おおかたニューヘブンで土産物でも買ってきたのでしょう」
「男性は、土産物を入れるのに、おそろいのスーツケースを用意するものですか?」
勇気は、水島たちが引いている同じ型のスーツケースを見つめた。伊東が言うようにニューヘブンで持ち込んだものには違いないが、どんな土産があるというのだろう?……水島を引き留めて荷物を調べる権限はあるが、同じ自衛官だという遠慮があった。結局、疑惑を明らかにしないまま、その航海を終えた。
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