第2話 会社員 ⅱ

 同じように見えても、海の表情は日々違っている。太陽光線と流れる風と雲が、そして時に海上を漂う船が海の景色を微妙に変えるのだ。もちろん、見る側の気持ちも反映している。


 ビーチパラソルの下には肌の白いビジネスマンが南国のどかな本社暮らしを謳歌おうかしている。楽園の太陽を楽しまないのは日本人ぐらいのものだ。


「竜一、今度、映画を見に行きませんか? 面白いSF映画が来ているんですよ」


 上司への配慮か、忖度そんたくか、フランクが話題を変えた。


「ラスト・ウオーね。私も行くわ」


 ジャニスが手を挙げた。


 最後の戦争か。……福田は躊躇ちゅうちょした。戦闘シーンが派手なだけの戦争映画は好みじゃない。勝利の喜びは、敗者の悲劇を忘れているからだ。早々に退任した社長が勝者なら、ここに残った自分は敗者に違いない。


 表情のかげりを、フランクは察したようだ。


「第五次世界大戦を想定した、ただの娯楽映画ですよ。難しく考えないでください」


 彼が微笑んだ。


「そうはいかないよ。ニューヘブンには暗い歴史がある」


 福田の口もとがひきつった。


「確かにニューヘブンは第二次世界大戦時、大日本帝国の支配下にありました。そのころはマリシアス悪意のあるヘブンといっていたそうです。祖父が笑っていました。老人たちにとっては、辛い時代も懐かしい思い出なのですよ」


 フランクは老人たちの言葉を鵜呑うのみにしているのだろうか?……福田は首を傾げた。懐かしい思い出は、時に甘露かんろで、時に苦いものだ。


「大戦後も、中東、アフリカ、ロシア、中国など、紛争が絶えない」


「そうでした。中国の分裂には驚きましたね」


 ジャニスが意味ありげに言った。


 福田は事務所に並ぶ社員たちの表情を追った。みな現地採用の優秀な人間で、東京の5分の1の給料で雇える。そういう意味では、ここはまだマリシアスヘブンなのだ。経営者の多くは、社員の給料を減らしたいが、自分の報酬は増やしたいと考えている。それがニューヘブンを使えばできてしまう。その矛盾は漫画のようだ。


 少数の成功者がたくさんの貧者の上に立つ。そうした発想は国家の間でも同じだ。だから発展途上国は、国内の格差が広がるとわかっていても、世界企業の誘致を急ぐ。経済成長し、成功国の側に回りたいからだ。そうして世界は格差に鈍感になり、国家の発展と文明の進歩は、経済的豊かさと同時に社会矛盾を増大させる。


 格差は発展のプロセスだとあきらめる者が多いが、福田はニューヘブンへの本社移転にやましさを覚えるばかりで諦められない。自分の不運と重なって見えるからかもしれない。


「私には映画も現実と重ねてしまうくせがあってね。未来の戦争も、明日の戦争だと感じてしまうんだ。そうすると切なくなるだけで楽しめない」


 福田は建前を言った。


「竜一は間違っていないわ。私だって現実と重ねて観ているし、そこから何かを学び取ろうと思っている。製作者はそうあってほしいと望んでいるのではないかしら?」


「ほう……」


 福田はジャニスに眼をやった。浅黒い顔の中で二つの瞳が光を放っているのをまぶしく感じた。


「戦争はいけないことです。だからこそ、みんな戦争を描き続ける」


「俺は戦争映画を楽しんでいたな」


 トニーが頭を掻くとジャニスが笑った。


「トニーが戦争を笑っても、〝寛容な神〟は許してくれるわよ」


 〝寛容な神〟は、古くから信仰されているニューヘブンの神の1人だ。


「ジャニスがそう言うなら、一緒に観に行こうか。私が泣いても笑わないでくれよ」


 福田は妥協した。これこそ日本人が大切にする協調性というやつだ。


「ニューヘブンの〝寛容な神〟は、泣き虫も許してくれるわ」


 ジャニスが魅惑的な笑みを作った。


 福田は彼女に〝女〟を感じて窓の外に目を向けた。彼女と一緒なら、このままここで人生の終わりを迎えてもいいのではないか、とさえ思った。ここなら最後の戦争ラスト・ウオーに直面するようなこともなさそうだ。


 そうして日本を忘れられそうになったときに限って、無遠慮な電話が過去に引き戻すものだ。


『福田君……』


 受話器から聞こえたのはアジア地区を担当する石原いしはら常務の声だった。


『今、そちらに〝かいりゅう〟が向かっている』


 福田には彼の言うことがわからなかった。


「海竜?……古代の恐竜のような生き物ですか?」


『違うよ。キミ!』


 石原の言葉に怒気があった。バカにされたと感じているのだ。


『自衛隊の最新鋭潜水艦だよ。我が社が新型魚雷とミサイルを納入している。レーダーに連動して武器を制御するAIも我が社の製品だ。君はまだ60前だろう。南国の陽気でボケたのじゃないかね』


 石原が笑った。怒りをさげすみに変えて優越感を味わっているようだ。


「はぁ……」


 自分をボケさせたのは役員会じゃないか、と福田は憤った。


 ――ブーン――


 ハリナシバチが目の前を横切る。それを手で追い払う。しかし虫は諦めなかった。福田の頭の上を、ブンブンいいながら飛び回った。


『来週、ニューヘブンに寄港するそうだ。出迎えを頼むよ。いいかね。これはチャンスなのだ。わが社だけではなく、君にとってもね』


「どういうことでしょう?」


『切れ者と言われた福田君もびついてしまったようだな。ニューヘブンに防衛システムを売るのだよ』


「ニューヘブンは、軍隊を持たない国ですが……」


 ニューヘブン民主国は漁業と観光以外にろくな産業のない小さな島国だ。だからこそタックス・ヘイヴンで世界企業を集めている。法人税ではなく、経済活動そのもので国をうるおし、集めた企業の影響力を利用して他国の干渉や侵略行為を排除しようとしているのだ。そんな国に、軍隊が必要だろうか?


 ――ブーン――


『そんなことは言われるまでもない。君はビジネスマンの常識さえ忘れてしまったようだな。靴を履く習慣のない未開人を見つけたら、君は靴を売るのを諦めるのか? それとも、靴を履く習慣を教えて靴を売るのか?』


「そういうことですか……」


 あんたは江戸幕府を開国させたペリーにでもなったつもりか、と胸の内で毒づいた。タックス・ヘイヴンに対する恩をあだで返そうという、自社の発想にはあわれみさえ覚える。


 いや、それこそが企業だ。……当然のことだと、自分を落ち着かせた。

 

 ――ブーン――


 福田は頭の上で手を振り回した。


『小さな国だからこそ、わが社のシステム化された防衛システムが役に立つと思わないかね?』


 石原が言うのは、AIとミサイル、無人戦闘機がユニットになったシステムだ。オプションを使えばイージス艦さえも一元管理することができる。人間が前線に立つ従来型の軍隊に対してなら100分の1の人員で対抗できるのだ。


 しかし、同等の装備の軍隊が相手なら、ニューヘブンはひとたまりもなく敗北するだろう。結局、物量と人口が勝敗を分けることになる。


「軍拡は平和をもたらさないと思いますが?」


『何を寝ぼけているんだ。そんなことは政治家が考えることだ。我々の興味は政治にも軍事にもない。純粋にビジネスだよ。世界を豊かにするのがビジネスだ』


「それで私に売り込みをやれと?」


『営業担当は別に派遣する。君にもその国での立場があるだろう。君がやるべきことは、寄港する潜水艦の広報活動だ。の存在を大々的に知らしめるのだ』


 石原は言いたいことを言うと、慰労の言葉もなしに電話を切った。


「竜一、どうしたのです? 顔色が悪い」


 福田に声をかけたのは情報管理課長のジョン・レノンだった。歴史に残る偉大なアーティストと同じ名前を持つ彼は、福田が最も信頼している男だった。背は高く精悍せいかんな顔つきで、どちらかと言えば体育会系の肉体と精神を持っている。音楽と言えば下手な口笛を吹くだけだが、両親がアーティストと同じ名前を付けてくれたことにジョンは感謝していた。


 ――ブーン――


 ジョンが虫を追い払う。


「石原常務からの電話だ。3日後に日本の潜水艦が入港するそうだ。その際に派手なイベントを開いて防衛システム販売の足掛かりをつくれということだ。おそらくわが社だけではなく、政府の意向でもあるのだろう」


「武器って、ニューヘブンを武装させろということですか?」


 ジョンは一瞬だけ驚きの表情を見せたが、すぐに平静な顔に戻った。


「平和な国に武器を売れという。申し訳ない」


 福田は目を伏せた。


「竜一が謝る必要はありませんよ。わが社が企業である以上、持っているものを金に換えるのは当然です。それがたまたま武器だったということでしょう」


「本当にそう思うのかい?」


「企業人としての私はそうです。しかし、ニューヘブンの国民としては、そうではありません。この国に武器は必要ないし、そんな財政的余力もない。武器をそろえることより、教育や社会福祉、インフラ整備など、優先させるべき課題が沢山あります」


 ジョンは硬い表情で答えた。


 福田は自分を笑った。慰労の言葉など期待する自分が間違っているのだ。


「武器の売買では大きな金が動き、我が社の売り上げは増える。しかし、それは一時のことだ。継続的に業績を上げようと思えば、軍拡が必要になる」


「若しくは、戦争で消費させることです」


 ジョンが言った。


「戦争は望まないが、国際緊張を望む人種がいる」


「政治家や軍人、武器商人ですね」


「ああ、我々も同じ種類の人間だ。国際緊張で、我々は利益を得られるし、政治家は国内の引き締めが図れる。軍人は自分らの存在意義を主張することができる」


「私は、武器商人でしょうか?」


「社の売り上げの40%は武器と装備品関連だ。そういう意味では、ジョンの給料の40%、ビジネスマンとしての人格の40%は武器商人ということだろう」


 ――ブーン――


「竜一は蜂にまで慕われていますね」


 ジョンが薄く笑った。


「蜂に友達はいないが……」


 ジョンが追い払うハリナシバチを見上げた。


「蜂もそうです。彼らの社会は女王蜂を頂点にした、軍隊のような組織です。一匹一匹に役割が決まっていて、友情で行動を変えることはありません」


「ジョンは、蜂にまで詳しいのだね」


「学生の頃、そんな本を読みました。日本人が書いたものだと思うのですが……。蜂は日本人と同じだ、と感想を覚えたものです」


「そうか、日本人は蜂と同じか……」


 つまらない人間だと言われたようで悔しかった。反論できないのが情けない。


 ――ウォー――


 歓声はスピーカーからのものだけではなかった。フランクが拳を振り上げ、トニーとジャニスがハグしていた。ジョンがテレビに眼をやった。


 チャンピオンが神の左手で挑戦者をマットにねじ伏せたところだった。


「やはり、殴りあわないわけにはいかないのでしょうか?」


 テンカウントでオフィスの従業員の半分が歓喜の声を上げ、半分がため息をこぼした。


 石原の関心事は、社員でも軍隊でもなく利益だけだ。金になるのなら、売るのは防衛システムでも靴でも同じだ。……福田は、気分が悪くなるのを覚えて、外に目を向けた。海が太陽を七色に分解していた。

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