第17話 ずっと前から

「多分、魔力酔いね」


 なんてことない風にそう言って、私はアデラールの額に濡れタオルを置く。


(突然倒れたときは何事かと思ったけれど、魔力酔いのようでよかったわ)


 そう思いつつ、私はアデラールの仄かに火照った頬を、別の濡れタオルで拭いた。


 魔力酔い。それは、名前の通り魔力に酔ってしまうことだ。まぁ、簡潔にいえば馬車酔いみたいなもの。


 多大なる魔力に、身体が反応してしまうというべきなのだろうか。


「ただ、ちょっと熱が高いから、少しは安静にしておきなさい」

「……うん」


 体温計が示す体温は、三十八度。……世にいう高熱の部類に足を踏み入れたところだ。


(疲れも、原因かしらねぇ)


 精神的疲労と、身体的な疲労。そこに慣れない魔力が重なって――倒れたという見立てで間違いなさそうだ。


(そもそも、今まで酔わなかったのが不思議なくらいだもの)


 この『魔の森』はそれほどまでに特殊で強力な魔力を放っている。常人ならば、踏み入れて一時間もすれば気分が悪くなってしまうほどに。……でも、アデラールは今の今まで魔力に酔った素振りはなかった。


 それは、この森の魔力とまだ相性がいいのか。はたまた――魔力そのものに、強いのか。


「なんて、そこは定かじゃないわね」


 簡素な寝台の隣に椅子を置いて、私は自身の膝の上にノートを広げる。


「フルール」

「なぁに?」

「なに、してるの……?」


 私が手早くノートに文字を綴るのを見て、アデラールがぼんやりとした目のまま、そう問いかけてくる。


 だから、私は何でもない風に「メモ」と言っておいた。


「メモ……?」

「そうよ。この『魔の森』はまだあんまり解明されていないことが多くてね。……ひっそりと、研究しているんだけれど」


 淡々と言葉を続けながら、私は手を動かす。……こういう風に、魔力酔いが時間差で起こるのは多分レアケース。


 師匠の研究ノートにも、書いていなかったし。


「アデラールみたいに、時間差で魔力に酔う人が珍しいって、話よ」


 これに関しては利用しているに等しいので、正直に吐いておこう。


 心の中でそう思って言葉を口に出せば、アデラールがほんの少し口元を緩めたのがわかった。


「……俺、フルールの役に立ててる?」

「え」


 彼が、嬉しそうにそう言う。……何とも言えない感情が、私の胸の中に渦巻いた。


「アデラール?」

「俺は、フルールの役に立ててる?」


 もう一度、彼がそう繰り返す。……思わず、口をパクパクと動かした。


 どうして、彼はこんなことを言うのだろうか? 役に立ててるか、なんて――。


(もう、ずっと役に立てているじゃない)


 まるで、今はじめて役に立てたみたいに。そんな風に、言わないでほしい。


 そう思って、私は彼の目をまっすぐに見つめた。……揺れている。目の奥が、寂しそうに。


「……役に、立てているわよ」


 その目を見ていると、口は自然とそんな言葉を紡いだ。


「そっか。……よかった」


 アデラールが、心底安心したような声を出す。


「俺、フルールの邪魔になってばかりじゃ、ないんだ……」


 弱々しい声音だった。


「少しでもフルールの役に立てたなら、嬉しいんだ。……居候だからさ」

「ねぇ、アデラール」


 ――こんなことで、役に立ったなんて言わないでほしい。


 心がそう叫ぶ。無意識のうちに、彼の頬に手を伸ばす。その頬は熱を持っていて、なんだかとても熱く感じた。


「あのね、アデラール」

「……うん」

「あなたは、もうずっと役に立っているのよ」


 ほかに何か言葉がかけられただろうに。口下手な私は、そんな言葉をかけることしか出来なくて。


 かみしめるように、そういうことしか出来なかった。


「……フルール」

「だから、そんな寂しいこと、言わないで……」


 自分でも驚くほどに、私の声は震えていた。


 多分、私も楽しいのだ。アデラールとこういう風に生活することが。師匠以外の人と暮らすのは初めてだった。


 初めは上手く共同生活できるか不安だった。


 でも、今はきっと――。


(アデラールは、私にとってかけがえのない同居人に、なっているんだわ……)


 そこに恋愛感情はない。ただ、健気な彼のことを、弟のように思っているのだ。


 だけど、いつまでも一緒にはいられない。だって、彼は辺境伯に。伯爵さまに戻らなければならないから。


 私がやらなくちゃならないのは――この健気な男を、突き放すことなのだ。


(……私も、嫌なんだけれどね)


 目を瞑ったアデラールの顔を見ていると、いろいろな感情が芽生えてくる。


 身分が違うとか、私のほうが年上だからとか。いろいろと突き放す言葉は、脳内に浮かんでくる。


 浮かんでくるのに――それを口に出すのが、嫌だと思ってしまった。


 無意識のうちに、私の頬に涙が伝っていた。


(……私は)


 私は、どうしたいのだろうか?


 心が、頭が。そう問いかけてくる。……私は一体――。


「アデラールと、どうなりたいの……?」


 なりたいとか、なりたくないとか。そういう理屈じゃないことは――わかっているのにね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

年の差六の旦那様~捨てられた伯爵様と魔女の奇妙な共同生活~ 華宮ルキ/扇レンナ @kagari-tudumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ