(7)

「なかなかいい勝負だなあ……」


 前半四十五分間を両者一歩も譲らず、試合は0対0のまま後半戦へ。今はその後半の半分が過ぎた頃であった。


「うん。こんな接戦なんて……しかも後半になって川高のみんなの動きがちょっと鈍ってきてる気がするよ!」


 試合を見ている限り、実力はほとんど同じ。前半からちょくちょくこっちにチャンスは訪れるものの、決定力に欠けて、まさしく「泥」仕合になっている。


「光……」


 傘をぎゅっと握りしめて葉月が見つめる先には、ボールがラインアウトしてスローイン待ちをしている月島の姿。両手を膝について、肩で激しく息をしている。

 そりゃあいくらなんでもこんな天候じゃ足が囚われて疲れるに決まっている。俺だったら、開始五分で水たまりで滑って負傷交代するだろう。


「月島も相当疲れてるみたいだし、ボールの支配率が相手チームの方が高くなってきてるから厳しい戦いだな」

「そんなあ」

「でもでも! まだ勝負は終わったわけじゃないからね葉月ちゃん! まだチャンスはあるよ。月島君が入れたら勝っちゃうかもよ!」

「……そう、だよね!」

「そうですそうです!」


 つくづく楓は葉月の扱いに慣れてきたらしい。今も俯きがちになっていた葉月の顔を、グッとのぞき込んで微笑んでいる。

 月島、お前は罪な男だよ。こんな、たったの練習試合で一人の女の子を不安にさせるなんて、どこの国の王子様だよ。早くこんな天気を一掃するような白馬を連れてきて欲しいものだ。


 ――と、その時。


 月島が一瞬泥に足を取られて、ライン際でボールを奪われてしまった。しかも同時に足をひねったらしく、付け根部分を抑えて痛そうにかがんでいる。


「ひ、光⁉」


 思わぬアクシデントに葉月は思わず声を漏らす。ただ今はここで見守るしか方法は無い。

 奪われたボールはと言えば、あっという間に敵チームのコートからこちら側のコートに運ばれている。

 ボンッ! 

 ボランチが開いていた左サイドウイングに大きくパスをする。綺麗な曲線を描いたそれを華麗にトラップ処理した相手はそのままボールをドリブルでコーナーまで運んでいく。

 バシャン! 

 慌ててこちらのディフェンスがドリブルを止めようとスライディング。砂、ではなく泥の水しぶきが一滴一滴、鮮明に宙に舞う。しかし、相手も一筋縄でもいかず、ボールを上手く浮かせてシュッと乗り越えていく。

 そしてコーナー付近まで行ったところでバンッとマイナス方向へのクロス。しかも中にはなんと敵が十枚も。キーパー以外全員いる。

 このクロスで勝負を決めに来ている。

 対するこちらは八枚。少ない! 圧倒的不利な位置取りのせめぎ合いをしつつ、なんとか全員が一斉にボール目掛けて飛ぶ。

 空中戦! ボッとボールは勿論人数の多い相手チームの後頭に当たってしまう――が、幸いにも後頭でも変な所に当たったのか、むしろボールはそれで勢いをつけて、逆サイドのラインを割っていった。相手側のミス!

 危ない危ない。月島のミスからここまで一気に攻められてしまうとは。

 と、俺が内心安堵してると


「おいっ! 今だ! こっちだこっち! パスしろ!」


 いつのまにか、倒れ込んでいたはずの月島が逆サイドまで来て、味方に急いでスローインを促していた。良く見ると足は引きずっている。無理やり動いてるのか、あいつ。


「あ、ああ!」  


 ライン際にいた味方は急いでボールを取って、月島のいるハーフライン方向へ大きくスローイング――でもそれって……


「ねーね薪君! あれってオフサイドじゃないの⁉」

「そうだよ、私もそれくらいは知ってる」


 そう――相手プレーヤーは全員さっきのクロスで攻めてきていた。つまり誰も相手コートにはいない。月島を除いては。これは小学生が見ても明らかなオフサイド……なのだが、


「……」


 審判はなにもフラッグを上げない。何故だ? どうしてなんだ…………

 あっ!


「楓、葉月、そうだ! あれはオフサイドじゃない!」

「「なんで⁉」」


「スローインにオフサイドは無いんだ! 月島はそれを上手く利用してるんだ!」


 つまりこれは月島のトリックプレー。ボールを取られ危ない場面にしてしまった彼の、咄嗟のチームを救う一手。


「そ、そうなんだ。じゃ、じゃあこれって……!」

「ああ。あとは月島が誰もいないコートを走ってゴールを決めるだけだ」


 この月島の素早い判断には相手チームも面を喰らって、急いでコーナーでせめぎ合ったゴール付近から自コートに戻ろうとする。

 が、時すでに遅し。

 既にスローインされたボールは月島の足の中で転がされている。

 そして――


「光~! 行けぇ~!」


 普段からは想像できない程の声量で――雨でかき消されないよう――葉月が片手をメガホンのようにして叫ぶ。

 それからの月島は……早かった。さっきまでの足の負傷が嘘だったみたいに、まるで葉月の応援に押されているように、颯爽とボールをゴールまで運んでいく。

 でも明らかにその表情は苦しそうだ。痛いのを我慢して、仲間の勝利のために――もしかしたら見ている俺たちも含まれているかも知れない――ただひたすらにドリブルする。

 その姿は……まるで無邪気な少年、泥臭いスポーツマン。汚れた、白馬の王子様。


「「「入れろー‼」」」


 今度は俺たち三人で、声を合わせる。いける! キーパーと一対一! 行け!


 ――バシュン!


「よっしゃー!」


 水も滴るいい男、というのはまさしくこういう姿を言うのかも知れない。




 ※


 ――かっこいい


 今日は透明な傘を持ってきて良かった。

 本当は、もっと可愛い柄のある傘を差す私を見て欲しいけど。

 透明なら、傘をどかさずに、あなたの頑張る姿を直接見られるから。

 少年だったあなたが、いつのまにか大人になっていく。

 きっと、この想いも。私も。


 ※




「それでは! 光の練習試合勝利を祝して~……乾杯!」

「「「乾杯!」」」


 あの試合の次の日。俺たち四人は学校の近くのファミレスに足を運んでいた。

 試合の結果はあの月島のトリックプレーによる得点が決め手となり、見事、川高が勝利を収めた。今日はそのお祝いとしてみんなで集まっている。


「それにしても光、ほんとにすごかったよ! あんなことを瞬時に考えられるなんて」

「いやいや、そんなことないよ。現に足超痛かったし、無理して動いたから今もちょっと痛んでる」


 そう言って月島は包帯で軽く固定された足首を見せてくる。


「なんだ、全部演技じゃなかったのか」

「おい秋宮、俺のこと詐欺師かなんかだと思ってないか?」

「生憎、『川高のネイマール』とでも名付けて、学校の裏掲示板に乗っけてやろうかと」

「ガチのいじめじゃん……」


 ネイマールに関わらず、俺は基本的にサッカー選手はみんな演技してると思ってるからネ。ひねくれててごめんね? 

 まあ、それも一つの戦術ではあるのだが、なんとも歯がゆいんだよなあ。

「月島君お疲れ! 久しぶりに熱いスポーツの試合を見た気がする!」


 楓はちゅうちゅうとカフェオレみたいなのを意気揚々と飲みながら、労いの言葉をかける。


「そうか、なら良かったよ! 葉月もありがとな、わざわざ来てくれて」

「ううん、私も楽しかったよ」

「ちゃーんと応援聞こえて来たしな」

「……ッ。う、うん。それなら良かった」


 二カっと顔を綻ばせて笑う月島に、葉月は少し視線を逸らしてもじもじする。

 まあ、あんだけ叫んでたしな……普段大人しいからこっちもびっくりしちゃったよ。


「秋宮も、なんだかんだサンキューな」

「ああ」

「うーん。秋宮く~ん、なんか素っ気なくな~い?」

「やめろ。ねちょねちょ触ってくんな気持ち悪い」


 お前は軟体生物か。もしかして吸盤とか持ってる?


「またまた~。こういうところがお前の良い所なんだぞ。一見めんどくさそうにしてるのに、結局ちゃんと応援してくれるし」

「……勝手に言っとけ言っとけ」


 妙に的を射られたような気がして、言い返せなくなる。確かに俺も試合の行方に思わず熱くなってたけど。


「よーし! 今日は俺のおごりだー! みんなたくさん食べていいぞー!」

「えっ、ほんとにいいの月島君⁉」

「だ、大丈夫なの? そんなこと言って」


 気分が良いのか、月島が居酒屋の気前の良い大将みたいなことを言う。


「勿論だ。ただし俺は今日、金をそんなに持って来てないから、仕方なく! ここは秋宮に代わりに払ってもらうゾ!」

「は?」

「大丈夫大丈夫! あとで返すからさ~」

「それで返す奴を一度も見たこと無いです。高利子付けるよ?」


 すぐさま突っ込む俺の姿を見て、三人が顔を緩ませる。

 まるで本当に海底にいるかのように、太陽の光が――みんなの笑顔が泡を通してきれいに映る。


「光、次の試合も頑張ってね」

「ああ! 見とけよ、次はもっとすごいプレーをしてみせるっ」

「うん!」


 二人の笑顔が胸いっぱいに弾ける。

 甘い……甘すぎる。


「なんだか………ああいうの見てると、ほんとに二人は幼なじみなんだね」


 そんな様子を見て、隣にいた楓がそっと耳打ちしてくる。


「ああ。二年になってから話してないって聞いた時は、少し心配だったが……案外普通に喋れてるしな」


 ほら、あるだろ?

 一時期すごい話してたけど、急に話さなくなって、お互い距離を置いちゃうこと。本来なら、すごい気まずいのだが、「幼なじみ」の二人にとって、この心配は杞憂だったらしい。


「上手くいって欲しいね」

「そのための俺たちだろ?」

「……うん。そうだよねっ」


 ――ここはとても暖かくて、居心地がいい。


 少し前じゃ信じられない状況に俺は今いる。

 背景だった俺が立派に高校生しているのだ。

 こんな疑わしい現実が、今目の前に広がっているのを感じて、なんだか嬉しくなった俺は、今日だけは悩み相談のことを忘れて、素直にこの瞬間を楽しもうと思う。

 この雰囲気なら、四人なら、二人なら、幼なじみなら――きっと、うん。

 そんな想いでそっと呟く。


「月島、お疲れさん」

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