(6)

「ごめんごめん! ちょっと歩くの遅くなっちゃったー。えへへ~」

「大丈夫だよ、楓ちゃん。そんな急がなくても」


 たちはさきに真ん中の大きな桜につながる道に着いた後、後ろから秋宮君たちが来るのを待っていた。


「悪いな、月島。立たせて待たせちゃって」


 隣にいた秋宮君もそんなことを口にした。


「全然大丈夫。ちょうどいい休憩にもなった」

「それ待たせてんじゃん……」

「遅れたやつがいちゃもんつけんな?」

「ごめんなさい」 

「ほらっ。みんな集まったことだし最後のあれ、見に行くかー」

「うん、そうしよそうしよう!」


 そう言って再び歩き出したものの……その桜はみるみるうちに視界から消えていき、ついには真上を見ないとその全貌を掴めない程にまでくる。

 私はふっと上の方まで見上げる。

 ほんっとーに大きい桜……所々枝分けれしてそこからまた桜が咲いていて枝垂桜どころじゃない。


「いてて」


 上を見過ぎて首が疲れちゃった。

 そうして固まった首をもんでいると、ふと視線が幹らへんへと自然にいく。

 うわー、上しか見てなくて気が付かなかったけどすごい人がいる。

 家族連れ、カップル、夫婦、学生、小学生……これがいわゆる老若男女というやつか。

 さてここから楓ちゃんどんな風に、抜け出していくんだろう? 

 が、そんな思いも束の間。

 楓ちゃんも首が痛くなったのか上を見るのを止めて視線を戻すと、私が見ていることに気付き、視線が合った。

 横を――おそらく光を――横目でちらっと楓ちゃんは確認する。

 当の本人はまだ「すげー……」と枝垂桜を眺めている。

 視線を元に戻すと微笑みながら口をメガホンのようにしてこちらになにやら口パクをしている。


 私はよーくその口の動きを確認して読み解くと……


 ――がんばってね


 そう、確かに動かしながら私がなにを言っているのかを理解したか確認すると、右手で小さくグーポーズをしてきた。

 そして。


「あ、あれー……ちょっと……」

「ん? どうしたんだ?」


 いきなりの楓ちゃんの声に思わず光が首を下げて反応する。


「これ……浴衣がちょっと着崩れちゃってさー」

「そう、なのか? 俺あんま詳しくないからあんまり分かんないけど……」

「中の着物がね……」

 今だっ。


「それはちょっと着心地悪いね……手間かもだけど、楓ちゃん直してきたら?」


 ここでアドリブ。


「それじゃあ秋宮君、楓ちゃんに付き添ってあげてよ。ほら、今まあまあ夜だし、女の子を一人にしたら危ないし」

「お、俺?……ま、まあ確かにそうだからいいけどさ。でもそうしたらそっちは?」

「あ、こっちは全然大丈夫だよ。ここら辺うろうろしてるからさ。ね、光?」


 やや強引かも知れないが上手く秋宮君を楓に付き添わるよう仕向け、言いなだめるようにして小首をかしげる。


「……ああ、大丈夫だよこっちも。それに急がなくていいぞ秋宮。それに楓も。人も多いんだから気をつけろ」

「ありがとう月島君。じゃあ、ちょっとついてきてくれる薪君?」

「ああじゃあな月島。葉月もまた後で」

「うん、気を付けて」


 秋宮君も私の真意に気付いてくれた。


 本当にありがとう、二人とも。


 その二人の背中が、どんどん小さくなっていくのを並んで見送る。


「……じゃあ私たちもいこ。ほら、あの幹下とかさ。いっぱい人いるみたいだし」

「そうしますかー」


 お互いに顔をはにかませて、私たちは肩を並べて歩き始めた。



 ※



 幹下は見た目以上にかなり多くの人で賑わっていた。

 優雅にライトアップされた桜と共に、写真を撮る人。ただひたすらに鑑賞にふける家族と思われる人たち。そばにいる子供はなんだか少しつまらなさそうにしているのも気持ちが分からなくもなく、くすっと笑えてしまう。

 手をつなぎながら、顔を見つめ合って楽しそうに雑談するカップルもチラホラ……それぞれがそれぞれの時間を、まるで桜がひらひらと舞うように、ゆっくりと重ねていた。

 そんな中、私たちは。


「へー……日本の桜をアメリカに広めたのって杉原千畝って人なんだ……」


 ここの周りにいっぱい立てられていた「桜の歴史」という看板を順々に見て回っていた。

 光はこの中でもアメリカにおける桜の歴史について興味を持ったらしい。さっきから独り言が止まらない。


「いやいや、こんなにも壮大な眺めがあるのだからもっと楽しみなさい!」などと注意したいところでもあるが……光はこんな風になにかに熱中すると止まられなくなることが多々あるので無駄なお節介はかかないでおく。


「へー、杉原千畝ってあの『命のピザ』で有名な? 桜の寄付までやってたの?」

「そうらしいなー。すごいなーこの人」


 そう話を切ろうとするも、光はこの幾つかの立て看板にもはや釘付けである。


 彼のその熱心な目。


 考えるとき、集中するとき、よくさらっと顎に手を触れる仕草。


 新しいことが知れて嬉しいのか、少しばかり口角が吊り上がっている表情。


 そのすべてに――特に意味はないのに――私は自然とその姿を隣でじっと見つめていた。

 ふと光は「……あっ」と声を漏らしたかと思うと私の方へと振り返って、


「ご、ごめん。ちょっと熱中しすぎちゃった……せっかくこんな桜のど真ん中に来たんだもんね。ちゃんと実物を楽しまないと桜の神に怒られちゃうなー」


 両手を合わせて、申し訳なさそうに謝ってきた。


「全然、問題ないよー。それになによ、桜の神って」


 いきなり出てきた、聞いたことも見たこともないような(それは当たり前)神の名前をおかしく思って、っふふと笑ってしまう。


「それはもちろんゴッド・オブ・スプリングのことさ」

「グーグル翻訳みたいに英訳しただけじゃん」


 そこで二人でまた、笑い合う。


 ――好きだ。


 こうやって何気ない会話で私を笑顔にしてくれる。


 ――好きだ。


 こうやって私のことを気遣ってくれる。


 ――好きだ。


 でも多分、光のことを好きになった理由はもっと深い所にある……気がする。

 ああ、やっぱり……


 ――大好きだ。


 でもじゃあなんで私は光のことが好きになったのかな?

 きっとなにかきっかけがあったはず……

 でなきゃこんなにもこのは、、時にならなかったはずだ。


 私はこの物語に決着をつける前に、一人遠い昔の――記憶の中じゃほんの少し前の――ことを頭に思い浮かべた。

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