(4)
楓が帰ってより一層静けさが増した教室で、俺はさっきまでの明るい雰囲気の余韻に浸っていた。
まだ微かに楓の暖かい笑顔がここには残っているような気がした。
さっきの「用がある」っていうのは言ってしまえば嘘。単にあの流れ的に、もし「俺も帰ろうかな」と言ったら一緒に帰る雰囲気だったので、それは流石に避けたかった。考えすぎかもしれないが……まあなんだ? 念には念を、ってやつだ。
そうして今日の自分自身を振り返るなり、俺は改めて一つの思いがこみ上げてくる
――本当の自分は一体、なにがしたいのだろうか。
楓と一緒にこれからも悩み部の活動をしていきたいのか?
なんだかんだ今日みたいにホームページ作成に巻き込まれながらも心の何処かでは「やれやれ」と楓と一緒にいられる幸福感に浸り、自分に、そしてそばにいる好きだった楓に満足している。
一方でそんな「好き」が分からないにしろ、ふられた女子と一日経っただけで馴れ馴れしく接している俺自身に、どうしようもなく腹が立ってきている。
――それほど好きではないが、嫌い…なわけでもない。
でももう、ここで引き返すわけにはいかない。
やるからにはちゃんとやらないと、流石に楓に申し訳ない。
――楓はいつか絶対この悩みを解決する。
その時になれば……俺の心も、もしかしたら少しでも変わっているかも知れない。
もっと楓のことが好きになっているのかも。
逆にもう楓は恋愛対象としてでは無く「友達」になっているのかも。
そんな不確かな未来に、希望的観測に、俺は想像をはせていた。
報われないかも知れないのに。
「まあそんなこと気にしても意味ないか……どうせ今のままじゃ分かんないし」
俺はいろいろと深く考えるのを止めて帰る準備をする。
さ、これくらい経てば、楓はもう俺の見えない所まで行っているだろう。
半端な気持ちを静かな教室にぽつりと残して後にした。
今度は、歪に絡み合った匂いがあたりに溶け込んでいた。
校舎から出ると辺りはすっかり日が落ちて、もうすぐ陽が入りそうになっていた。
そんな夕焼けの光景は俺に昨日の出来事を確かに想起させる。
昨日俺は屋上で告白したんだよなー……
そんなどうにも表現できない感情が、俺の心をゆらゆらとメトロノームみたく揺さぶる。
昨日と変わらない、時刻の風景。
昨日と変わらない、胸の高まり。
――でも
昨日よりもどこか眩しげに、橙色に、この大地を、俺を、俺の心を照らしている。
嵐が過ぎ去った後のように、それこそ、夜明けの後のように。
あたりはふんわりと、優しい静寂に包まれている。
そして、俺はやはり今の複雑な気持ちを少しでも優しくほどきたくて。
昨日までに起こったことを脳に反芻してみせる。
※
俺が通っている高校は都内、武蔵野市にある都立国川高校、通称「川高」。
東京都教育委員会から「進学指導重点校」というものに指定されている、いわゆる進学校という部類に属していると同時に、創立百二十年という伝統校でもある。
川高の敷地は都立高校の中でもトップ3に入るほどの広さで、広々とした校庭、体育館、それに玄関の前には大きな木が何本か植えられており、まあ良くも悪くいい学校だ。
去年、そんな川高に晴れて入学した俺なのだが、入学したての俺は淡い希望を胸いっぱいにこれでもかと詰め込んでいた。
誰でも一回は想像しないか⁉
「クラスのカーストトップの女子から対人スキルを教えてもらい――」
「負けヒロインと身近で出会って――」
「超絶リア充で可愛いヒロインたちに囲まれて――」
などというシチュエーション……あれもしかしてまたしても創造の間違いですか?
で、自分で言うのもなんだが、俺はそこまでブサイクでもなければ、身長は百七十五センチくらいで低くもない。その上、スポーツも下手ではないし、むしろ体を動かすのは好きなので太っているわけでもない。
あれ? こんなん一昔前の根暗ラノベ主人公みたいじゃん。髪はそこそこ長いけど、染めてるわけでもないし?
あ、でもすごいひねくれてると自分でも思う。あれ、一気にマイナスになったな。
だがしかし。
皆さん、お気づきの通りそんなものは存在しない。少なくとも俺には無い。なんで⁈ さっき自分でラノベの主人公みたいって言ったのに⁉ 一昔前でも良いだろ!
体育祭マジック? ナニソレ、オイシイノ?
文化祭マジック? ナニソレ、エイタンゴ?
現実を甘く見過ぎていた俺はあっという間に、気が付けば二学期に突入していた。
周りを見渡せば、それこそ休み時間に廊下で楽しそうに話していて、いかにも日常を青春してそうな人達ばかり。対して俺はクラスの窓際の席でひっそり本を読んでばかり。
ひどく哀れすぎる。つまり、いとあわれなり。あれ? これじゃあ意味変わっちゃうよ?
要するに、俺はon your mark setに失敗したそこらへんのモブ。クラスの背景ってことだ。
しかしながら、そんな俺にも転機が訪れた。
それが楓。
俺と彼女の馴れ初めは昼休み。俺が自分の席で退屈そうに本を読んでいる時だった。
「ねーねー秋宮君! それ、なんて本?」
「……えっ」
突然の声が、思いもよらない方向からして言葉が詰まる。
「ごめんごめん! 急すぎたね。つい気になっちゃって。良かったら教えてよ!」
「うんまあ、良いけど……」
とは言ったものの、生憎、今俺が読んでるのはラノベ。一般人受けしない読み物ランキング上位に食い込む特級呪物だ。こんなものに興味があるとは思わないが。
「これは今一番アツいラノベなんだけど……もしかして知ってる?」
ええい! きっと知らないのは分かってるが聞いてしまえ。
「ああ! それ!」
「ふぁっ⁉」
急な大声止めて? 心臓止まっちゃう。ピーピーピー。ほら見ろ。救急車来ちゃった。税金の無駄遣い。
「それ知ってるー! ツイッターで流れてきた!」
「ツイッターで? ってことはまさか清水さんラノベとか見る系の人⁉」
おっといけない。オタク特有の早口になってしまった。
「まあ流石にラノベまでとはいかないけど、普通の小説とかは結構読むよ? 東野圭吾とか恩田陸とか?」
ほえー。そりゃまた意外な一面が。
「でも」と彼女は続ける。
「最近、そういう本も一回読んでみたいと思うんだよね」
「なんで?」
「だって、ラノベって恋愛もの多いでしょ! 私そういうの沢山読んでみたいの!」
「だったら読めばいいじゃん」
「でも一人で本屋のそういうコーナー行くの、結構勇気いるし、周りにそんなラノベを持ってる人もいないし……」
確かにね。あそこはちょっと入っちゃいけないような空気あるよな。まさに聖域。
「だったら、今度俺が持ってるので良ければ貸そうか? 気に入るかどうかは分からないけど」
ふと思ったことを提案した。「そういう感情」は一切ないまま。
「えっ! 良いの?」
えっ? すごい食いつくじゃん。スッポンかな?
「あ、ああ。それにご要望があれば、本屋にだって付いて行く」
「やったー!」
両手を大きく広げて顔をくしゃりと笑わせる楓。この人、顔に感情出やすいなあ。
「じゃあじゃあ! 今度早速一緒に行こうよ! 駅の近くに行きつけの本屋あるから!」
「仰せのままに」
「よーし! 本のこと気になって秋宮君に話しかけて良かったー」
「ほんと、偶然だな」
「うんうん! まさに、これが『棚から出たわらび餅』ってやつか……」
「餅の種類そんな限定されてたっけ? 急においしくなったね」
「私、わらび餅キライ」
「いや知るか」
思わず俺が突っ込むと、楓が口元を緩めて、ちょろっと舌を出す。
「「ふっ、ふふっ。ふっ、はははっ」」
なんだか俺たちはこの会話がおかしくて、顔を見合わせて笑う。
「連絡先だけ交換しとこ。その方が便利でしょ?」
「そうだな」
自然な流れのまま、俺たちはそうして昼休みを終えた。
今考えても本当に「運命」としか言いようがない。ジャジャジャジャーン! ジャジャジャジャーン! いや、これは曲の方の運命だよ。
それからは……いろいろあった。
約束通り、俺は清水に何冊かラノベを貸したし、学校帰りに本屋にも付いて行った。初めてラノベコーナーを訪れた楓のリアクションはなかなかに面白いものだった。笑いすぎて、後日ちょっと拗ねられてしまったけど、なんだか怒られてる気がしなくて余計に面白かった。
そして、どういうわけか俺たちの交流は意外にもこの時だけに留まらない。
体育祭では神様のいたずらなのか、二人三脚の男女ペアとして本番に出ることになったのだ。故に、ほとんど毎日二人で練習を重ねた。
意外にも、あの完全無欠な清水でさえどうやら運動は苦手ならしく、相当俺たちのペアは苦戦した。結果は……言うまでもない。
でも、本番走り終わった後の確かな達成感と
「秋宮君、練習からありがとね! 足ひっぱっちゃったけど……えへへ~」
清水からの労いの言葉が、とにかくじんわりと胸に染みた。今まで体育祭なんぞ、ひと時も楽しくなかったが、今回ばかりは悪い気はしなかった。
俺たちの距離は一気に近くなった。まるで互いに糸をつないでいるかのように。その糸をたぐりよせるような感覚。
試験前、二人で勉強した。
流石、頭脳明晰な清水。俺の分からない問題をすらすらと教えてくれて、そのおかげでテストの点数も大幅に伸びた。
文化祭、クラスで劇をした。
清水はヒロイン役を務めるも、流石に俺はこの舞台に出る気は無かったので裏方に回ったのだが、度々彼女の練習に付き合った。
休み時間、図書室、本屋、下校、クラスの係。
気が付けば、彼女と出会って半年が経っていた。
気が付けば、俺は彼女の横顔を見るのが当たり前になっていた。
クラスの連中からは毎回清水といると、訝しむような目で見られるが……ごめんなさいね⁉ 冴えない俺が彼女といて! お願いだからいじめだけは止めてくださいまし?
そして、当然。
こんなにも彼女と時間を過ごしてしまったら、俺はある感情を心に芽生えさせた。
気が付いてしまったのだ。
その新芽に「恋」と名付けるまでに、そう時間はかからなかった。
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