(3)

「始める前にちょっといいか?」

「ん? どうしたの?」


 楓はなにか黒板に書こうとしていたのだが、俺の声を聞くなり、ふわあっと、こちらを優しく振り返る。


「今一度、この部活について聞いておきたいんだが……」

「えー⁉ あんなに説明したのにもう忘れちゃったの?」

「いやまあそのなんというか……本当に自分の中で今なんで俺がここにいるのか、上手く気持ちの整理が出来なくてな……」


 これは半分本当で半分嘘。そこまでこの「悩み部」について知らないのも事実だし、そもそもこんな思いの中、本当に俺はここに居ていいのだろうか、という自分自身への疑問を抱いている節もある。


「まあ……そうだよね。ほとんど私のお願いに付き合ってもらってる感じだし」


 俺が内心悩んでいるのを見て、間が悪くなったのか楓は少し肩を落とした。その姿に少々居たたまれなくなって、手を振りながら慌てて訂正する。


「あ、いやあ。迷惑だとは思ってないぞ。寧ろ……まだ俺とこうやってこれまで通りに話してもらって、少しほっとしてる」

「そ、それは私も感謝してるよ‼ だって薪君とはこうやって話がしたいしさ。でもやっぱり……個人的な事情で薪君をふっちゃったのは申し訳ないな……」


 おっとっと。


「それはダメだ、楓。お前がそれ言ったら余計俺がふられた理由が分からなくなる」

「あっ、ご、ごめんね……そう、だよね。今更すぎたね」

「いいんだ。今は何事も前向きに考えよう。俺だってあんま昨日のことは思い出したくはない」

「……うん」


 別に「あれ」はどっちが悪いとかは無いからな。


 ――パンッ! 


 少々暗い雰囲気になってしまったが、別に俺はこんな風にしようとこの部活について聞いたわけでは殊更ない。


「気を取り直して。なにすんだ? この『悩み部』って。詳しい説明してくれよ」

「あ、ああ、うん! じゃあ改めて説明するよっ」

「昨日もすごい考えたんだよね。『好き』を知るためにはどうすれば良いかって。これは前からも考えていたんだけど……なかなか良い方法が思いつかないんだよねー」


 楓は口にそっと手を当てる。


「初めに思いついたのは『私自身が人を好きになってみる努力をする』っていう案。でも、そもそも好きが分からないのに、いつも以上に馴れ馴れしく男子と接するのは気が引けるから止めたの」


 そりゃそうだ。そんなことされたら、いよいよふられた俺のメンタルは崩壊して膝から崩れ落ちてしまう。そして全国の陰キャ男子は勘違いして滅びのバーストストリーム。秒で大災害を引き起こすであろう。

 俺もその災害の被害者になりかねないし……ね~?


「でね。検討に検討を重ねた結果、『他人の恋を応援・協力する』っていうのに行き着いたの。色んな人の『恋』とか『好き』を見ればちょっとずつかもだけど、なにか見えてくるものがあるかも知れないでしょ!」

「うん……まあそうだな」


 確かに、友達とかが恋しているのを協力すれば「これが恋なのか……」と楓がどんなに「好き」が分からなくても分かるようになるであろう。

 良くある話だ。

 他人が恋しているのを見ると、なんだか自分もすごい恋をしたくなってきて、居てもたってもいられなくなる……そんな経験をおそらく誰でも一回はしたことがあるはず……だよね?


「いいんじゃないか、その案。結構、現実味を帯びてるし」

「だよね! 私なりに結構考えたからそう言ってもらえて嬉しいよ!」


 ぱあっと顔に淡い花を咲かせる。

 純粋だな。


「でも、これは一つ問題点があって……」

「問題?」

「うん。この案を採用するとなると、そもそも恋してる人を探さないといけないんだよねー」


 案そのもの自体は本当にいいとは思う。

 が、そもそもこれは「恋してる人を見つける・見つかる」を大前提にしているため、これはなかなかにきつい。

 恋してる人を探すって……尾行でもしない限り無理じゃないか?

 「それに」と楓は人差し指をピンッと立てる。


「女子っていくら友達でも自分が好きな人を隠すでしょ? それが大変なの!」

「……え、それ俺に聞いてます?」

「もちろん」

「知るわけ無くない? そもそも、女子のこと俺が詳しく知ってると思うか?」

「えーそんなー……私の周りの友達、誰一人教えてくれなかったんだよねー」

「それは多分あなたが原因……」


 おっと、思わず本音が。


「毎回誰かに聞くと笑いながら『楓ちゃん、誰かに言っちゃいそー』って言われちゃうし」

「やっぱりかぁ」

「な、なんでよ~⁉」


 楓は頭を抱えながら、顔をくしゃりとして悲しそうにする。

 まあそれもそうだろう。感情が出やすい楓にそんなこと言ったら即終了。俺だったら、不安で昼寝も出来やしない。

 しかも楓はド天然。さあ、これでは夜も眠れないだろ?


「ってか、クラスの人気者のお前でさえ、恋してる人を探せないのならもうそれ詰んでないか?」

「人気者かは知らないけど……そうなんだよねー」

「いやいや君、十分人気者だよ? 自覚した方が良いよ? もうそれ僕に失礼」


 察しがついているかもだが、楓はそのルックスの良さや高いコミュニケーション能力によりクラスでは常に一目置かれている。男女問わず、分け隔てなく自分から話しに行くため基本一人で居る時は無い。

 その上、この天然度合い・愛くるしさ。

 そんな自分自身のポテンシャルの高さに気が付いていない(自覚してない、というのも人気の一つ。だから嫉妬がそもそも生まれない)彼女は、もう話を先に進める。


「だからね! 誰か他にいないかなーって探してたらね……いたんだよ! すぐ近くに!」

「いるんかいっ。誰だ、そいつ? もうそいつで良いじゃん」


 いるならまた話は別だ。手間が省ける。

 俺は単に興味が湧いて、彼女の方を見て回答を待っていたのだが……なんだ? なんで俺の方をジーッと見てくるんだ?

 ん? 俺の顔になんか付いているのか。今日の昼は焼きそばだったから歯に海苔でもくっついているのか? あー、なるほどね、完全に理解したわ。そうなれば簡単。俺はさっさとティッシュを取り出して……これで良し。

 と思ってもう一度楓の方を見るも、やはり彼女の童眼は俺の目を捉えている。

 これって……


「お、おい……まさかだとは思うが、それって俺のことか?」

「ピンポンピンポン! 正解~!」

「っふぁ?」


 あ、やべ。ネット民なのバレる。


「やっぱり、薪君こそが私の悩みを解決する選ばれし人間だったんだよ!」

「……はあ」

「ってことで、薪君。もちろん、オッケーしてくr――」

「断る」

「な、なんで⁉ っていうか返答早すぎない⁉ まだ言い切ってn――」

「否」

「二回も⁉」


 俺の思わぬ二度の即答にショックだったのか、彼女はずこぉっと教卓にうなだれている。


「な~ん~で~⁉」

「当たり前だ。言っとくが俺は、一応昨日楓にふられたんだぞ? そんなにすぐに新しく恋を見つけられると思うなよ」

「そ、そんな~!」

「そ・れ・に。昨日のは、結構心にきてるんだ。あ、別にまた責めているわけじゃないからな」


 一応の断りをつけておく。


「多分だが……楓の友達だけじゃあそんな都合良く好きな人を教えてくれる人、ましてや『告白しようとしてる人』なんかは絶対見つからないな」

「うーん、先輩とか後輩にも範囲を広げるっていうのは?」

「悪くは無いが、残念ながら俺にはそんなあてはない。同学年ですら怪しいというのだぞ!」

「それドヤ顔で言うことじゃないよ薪君……っていうか私が居なきゃ、俗にいうボッチだよ?」

「ボッチでなにが悪い⁉」

「ひ、開き直った‼……」


 なるほどこやつは俺と戦争がしたいらしい。レディー、ファイト!


「いいか? 細かいことは面倒だから言わないが、世の中のボッチには二つの部類があるんだ」

「ほ、ほほう……って、なんか始まった⁉」


 心底、感情表現が豊かな奴だ。会話しててこっちもなんだか楽しくなってくる。


「一つは本当に人と関わるのが苦手、もしくは嫌いな人。こういうタイプは基本一人で居たいと思っているから、ボッチでもなんら問題は無い」

「なるほど……言われてみればそういう人結構いるかも!」


 うんうんと楓は頷く。


「そして問題はもう一方のこっち。友達を作りたくてもコミュニケーションが苦手とか人見知りとかでボッチにならざるをえなかった人。こちらは自分が望んでボッチになっているわけではないので大変心が痛くなる……」

「な、なるほどですね……ち、ちなみに師匠! 師匠はどちらのタイプでおあり遊ばせいらっしゃれるのですか……?」

「うむ、もちろん後者」

「師匠なのに最悪だった⁉」


 って、ボッチになっている時点で師匠もクソも無いとは思うが……改めて俺は悲しい人間だな……えーんえーん。ぼくちん、悲しいよー! 

 幼児退行することで誰かに構ってもらう作戦。名(迷)案だろ?

 ――違うよ?

 そんな話をしていたんじゃない。一体俺たちはなんの話で盛り上がってるんだ⁉


「と、取り敢えず、俺がボッチの話は縦に置いといて……」


 いや、立て方なんて誰が気にすんねん。(セルフツッコミ)


「楓の方こそどうなんだ? 楓なら一人や二人くらい先輩とか後輩にいるんじゃないか? そういう人」

「あー、実は私、部活なんにも入ってないからそういう人周りにいないんだよねー」

「そうなんだー……って、え?」


 部活に入っていない……だと? あの楓が? 

 そういえば、一見完璧に見える楓でも、実は唯一苦手としているものがある。

 それが運動だ。楓はスポーツが大の不得意なのだ。多分、我々の住むおとめ座銀河団で一番不得意だろう。これには宇宙人もびっくり。舐められてるかもだな、楓のせいで人類。

 一年生の頃も入っていないってことは知っていたけど、未だに未所属だったってのは初耳案件。


「一応、なんで部活入ってないか聞いても良いか?」

「あはは~。そんな重い理由なんて無いよ? ただ、下手に興味の無い部活に入るよりは自分の時間に使った方が有意義かなと。勉強したり友達と遊んだりとか!」

「あ、あー、なるほどね」


 だからあんなにも勉強が出来るのか。普段、みんなには元気に振舞っていても、地味に裏ではちゃんと努力してるんだな。楓も……つくづく普通な女の子だ。


「うーん……どうしたものかね」


 お互いに部活に入っていないということになれば、余計そんな人は見つけられない。俺にはもう他の手段も見つからないし、はっきり言って手詰まり状態だ。

 そんなこんなで二人してなにか手段は無いか、考えに考えていると不意に楓が声を上げる。


「……ねね、薪君さあ」

「ん?」

「もしかして、ウェブサイトとか作れたりする?」

「ウェブサイト?」


 突拍子もないな。


「そうそう。この際、悩み部の公式ホームページを作ってそこに『恋に悩める人、募集してます‼』みたいに書いとけば、自然とそういう人が集まってくるんじゃないかなと思って」

「なるほど……楓の割に頭冴えてるな」

「一言余計ですぅー」


 楓の言う通り、ホームページを作ってしまえば俺たちがわざわざ探す必要も無いし、下手に介入して相手に迷惑をかける必要も無い。

 でもあれ? 今の言葉、なんか引っかかるような……? 

 なんだ? この嫌な違和感?

 だが幸いにも、その違和感の正体はすぐに分かった。

 あーあ! 分かりたくなかったなー⁉


「一応聞きますが、それを作るのは――」

「もちろん、薪君だよ? だから初めに『ウェブサイト作れる?』って聞いたんじゃん!」

「なんで⁉ っていうか返答早すぎない? まだ言い切ってないよね、俺」

「それ、さっき私が言ったやつと一緒じゃん」

「バレた?」


 こんな二度も同じセリフを繰り返すなんて、ここは一昔前の美少女ゲームの中かな? でもこういうありきたりな日常パートが後になって感動を引き起こす――

 いかんいかん。

「うっかり」じゃなくて「しっかり」美少女ゲーについて語ってしまうとこだった。


「薪君なら、どうせ出来ちゃうでしょ!」

「おい、偏見の塊みたいな発言するな」


 どこか、小悪魔的な笑顔を浮かべ返してくる楓。

 こいつ、初めから自分で作る気ないぞ! 可愛い顔して実は腹黒いぞ‼ 「〇ッキーの中身が女性に抱き着いたら犯罪なのに、着ぐるみを着たら犯罪じゃない」くらい闇が深い。その前に「東京」って名乗ってるのがずるい。


「まあ、出来ないことはないからいいけど……」

「やってくれるの⁉」

「本当は作りたくないし、めんどいし、時間潰れるし――」

「本音駄々洩れだけど⁉」

「一応、下水道代は払ってるから安心しろ。ちゃんときれいにどっかで処理されてる」

「本音の話なんだよなー」


 本当に、そうやって本音も美化されればいいのに、と自分で言ってて思う。


「……っていうか、流石に俺の負担が重くないか?」


 いくら俺が陰キャ帰宅部クソ野郎だろうと、俺には俺なりにやることがあるので、あまりにも作業量が多いと言うのは気は引けてしまう。

 が。


「大丈夫、大丈夫! 流石に薪君一人に作ってもらうのは酷だから私も手伝ってあげるよ!」


 意外ながらも彼女も一緒に作ってくれるらしい。

 それならまだ、まだ! 一万光年譲ってましなのだが……今更ながら俺、楓に告白してから振り回され過ぎじゃないか? 

 悩み部にも入って、ホームページも作って……今までの陰キャ省エネ生活が嘘みたいだ。


「なら、時間を決めて早めにとっととやっちゃおう。そっちの方が気が楽だ」

「オッケー! じゃあ、薪君の空いてる日、教えてくれない?」


 そんなやり取りをしている内にすぐにその予定は決まった。まあ、お互い実質帰宅部で基本暇なのだから当たり前といえば当たり前のこと。


 ――キーンコーンカーンコーン

 少ししてから教室に六時を告げるチャイムが鳴り響いた。

 気付けば外からはもう運動部の掛け声は聞こえてこなくなっていた。聞こえてくるのは校庭の隅っこの草むらで鳴く名も分からない虫たちの声。

 それから静寂、夕焼けの匂い、淡い空気の模様。


「もう六時か、早いね」

「ああ、そうだな」

「私、もう帰っちゃうけど薪君はどうするの?」

「俺はまだ少しだけ残るよ。用があってな」

「そっかー。じゃあ、また明日! 学校でね~」

「ああ」


 楓はバックを抱えて教室を後にしようとすると、いきなりドアの前で立ち止まってこちらを振り返ってきた。


「これからもこの先も、よろしくね」


 そう言い残してから、また彼女は廊下へと早々に歩き出していった。

 この世界のヒロインのように、甘い匂いとガラスみたいな声をなびかせて。

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