第37話 反抗期

 曇り空からポツポツと滴が垂れ始める。

 小陽さんは傘も差さずに、人通りが少ない住宅街を歩いていた。というか、さまよっていた。

 彼女の手を繋ぐことはおろか、傘すら差し出せない自分が歯がゆくてたまらない。


「へい、お嬢ちゃん」


 小陽さんの背後から、突然、声がした。足音に気づかなかった。


「服が透けて、ムラムラしたけん。ワシワシ、ワシワシ」


 痴漢をしていたのは、幼なじみだった。


「はるるんの透けブラを拝んでいいのは、あちしだけや」


 朝日は小陽さんを傘に入れると、小陽さんの手を握って歩き始めた。

 小陽さんは無言で朝日についていく。


 数分後。ふたりは住宅街のど真ん中にある小さな公園に来ていた。


「ベンチが濡れてるから座布団でも敷こうか」


 朝日はカバンからなにかの布製品を取り出す。折り目の部分をパカッと広げたら、座布団になった。携帯用の座布団だ。


「いつ芸が認められてもいいように、常に座布団を持ち運んでるけん」


 めちゃくちゃな方言だし、意味のつながりも不明だ。

 鬱屈したときにウザいと思う人もいるかもしれないが、僕にとっては朝日のバカさが救いだった。


「けど、ひとり分しかないし、はるるんはあちしの膝に座んな」

「でも、重いですよ」

「重くないよ。それに、密着できて、ご褒美でしかない」

「それでは、お邪魔します」

「うひょー、女子高生の尻は人をダメにすんなぁ。あちし、塀の中で暮らしても後悔はない。反省はしている」

「……くすっ」


 小陽さんが笑みをこぼす。


「やっと笑ったね」

「……」

「なにがあったか知らないけど、はるるんはどんなときでもはるるんやぞ」

「どういうことですか?」

「素直で、良い子ってことさ。おっぱいの張りも最高やし」


 ワシワシ。


「ひゃうっ……!」

「だから、はるるんははるるんってこと。あちしやみっちゃんは、はるるんを受け入れるよ」

「……うぅっ、朝日さんと友だちになれて、うれしいです」


 尊い。尊いという言葉しか出てこない。


 朝日に任せておけば大丈夫だろう。

 セクハラはともかく、小陽さんの顔色が明らかに良くなっているから。


 そっと胸をなで下ろしていたら。


「けれど、あたし、迷子になってしまって」

「いや、あちしがたまたま通りがかって、保護したし問題ないやろ」

「そういう意味ではなくて」

「ガーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンンンンン!」


 朝日が頭を抱えた。


「はるるんに否定されたのなんて、生まれて初めてだよ。ってことは、5億年ぶりかな」


 表現は大げさだが、小陽さんが誰かの発言に異議を唱えたのは初めてだ。


「はるるん、反抗期?」

「わかりません」

「わからない?」

「だって、あたし」


 小陽さんは笑みを浮かべたかと思うと、顔をぐしゃぐしゃにして。


「あたしの知らないあたしがいて……親と喧嘩したかもしれないですし」


 桜井美春さんを意識しているのだろう。


「うーん、なぞなぞかぁ」


 朝日は美春さんのことを知らないせいか、首をかしげている。

 情報共有していなかったことが悔やまれる。


「あたし、もう、なにがなんだかわかんなくなっちゃって」


 小陽さんが肩を震わせる。

 朝日は肩を抱き寄せた。さすがに、ふざける雰囲気はなく、真剣な目をしていた。


「はるるん、つらいことがあるなら、吐き出して」

「……………………ごめんなさい。どう説明したらいいか、わからなくて」

「ゆっくりでいいよ」


 朝日の言葉をきっかけに、数分にわたって沈黙が続く。

 その間、雨と鳥だけが音を発した。

 やがて。


「あたし」

「う、うん」

「一道さんと体を共有して、うれしかったんです」

「そうなんや」


 朝日が小陽さんの髪を撫でる。銀色の髪は水気を含んでいて、いつもよりもはかなげだった。


「記憶がなくて、自分がわからないあたしにとって、居場所でしたので」

「あちしもや。みっちゃんは居場所なんよ」


 小陽さんが心配すぎて、恥ずかしがる余裕もない。


「なのに、突然、」

「突然?」

「なんでもありません」


 唐突に小陽さんが微笑を浮かべた。いつもの神々しい笑みだ。


「すいません、散歩してから帰ります」


 小陽さんは朝日の膝から立ち上がると、小走りで朝日から去っていく。


「ちょっと、はるるん!」


 朝日も追いかけてくる。


「反抗期かいな!」

「すいません、すいません、すいません」


 小陽さんは走る速度を上げる。

 僕の体は小陽さんに引っ張られ、全力疾走しているみたいになった。


「はるるん、濡れちゃうぞ!」


 朝日が叫ぶが、徐々に声が小さくなっていく。

 小陽さんが住宅街を当てもなく走ること、10分強。

 例の現象が起きて、僕と入れ替わった。


   ○


 以来、数日経っても。

 一度も彼女が現われなかった。

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