第35話 目覚めない少女
2010年代の後半。感染症の世界的な流行により、リアルでの人流が減少した。旅行や、飲酒、接待を伴う飲食店の利用に対し、世の中から厳しい目が向けられるように。
人々は我慢を余儀なくされた。
リアルでの遊びが制限された一方、VRが急速に発展を遂げた。
2年ほどで行動制限は解除されたものの、VRの流れは止まらない。
2022年の秋。ついに、フルダイブVRの正式運用が始まった。
世界中の人が新技術の登場に熱狂する。
僕もそのひとりだった。
朝日パパが手配してくれて、僕と朝日は発売日にVRヘッドセットを入手できた。
『あちしと一緒にVR世界で、夫婦漫才をやろうぜ』とか誘われたのだが。
VRで剣道の特訓をしたかった僕は、朝日の申し出を断る。
かといって、自分ひとりで遊ぶのも気が引けて、正式稼働から数日経ってもログインできずにいた。
そんな、ある日、事件が起きた。
フルダイブVRゲームの中でも、ひときわ人気だったMMORPG『アンコンシャス・リンク』。
『アンコンシャス・リンク』にログインした少女が、ログアウトできなくなったのだ。
事故や、悪意を持った開発者の犯行も考慮されていたため、VRヘッドセットには二重三重の安全対策がとられていた。
物理的にVRヘッドセットを外せば、現実世界に戻ってこられる。そんな仕様で、政府が任命した有識者会議でも検証されていた。
しかし、ニュースによると、たったひとりの少女だけは。
彼女だけはログアウトできずに、意識が戻らない。
やがて、衰弱した少女は病院に運ばれて、意識不明のまま寝たきりになった。
連日、マスコミが大きく報道した。
VRヘッドセットのハードメーカー、『アンコンシャス・リンク』の開発元、政府が任命したVR専門家たち、脳医学の専門家たちが、少女を救おうと手を尽くす。
僕や朝日も、テレビやネットで情報を見ていた。
少女の名前も顔写真もテレビで公開されていた。
少女は僕たちと同じ年で、黒髪を三つ編みにしている。真面目そうな女の子だった。
子どもの頃から習い事に熱心で、さまざまな部活の助っ人として活躍していたとか。
問題が起きた日。彼女は友だちにLIMEを送っていたという。
『あたし、VRの世界で自分探しをしたいです。最近、自分がなにものかわからなくなるので、ぴえん』
その言葉を最後に、少女の意識が戻ることなく。
時が流れ、報道は沈静化していって。
専門家委員会の徹底的な調査により、VRの安全性が再確認され。
事件は風化していき、僕と朝日も日常的にVRを使うようになっていた。
事件から2年近くがすぎ――。
「あたしがVRに閉じ込められて、意識不明って……………………」
突拍子もない事実を前に、桜井小陽さんは言葉を失っていた。
というのも。
病院の応接室。壁には絵画がかけられ、観葉植物も飾られている。高級感あふれる空間だ。
男性医師と、この病院のメンタルクリニックの女医、看護師が2名、それに小陽さんがいる。
「すまない。いきなりでショックだったね」
医者が謝ったとおり、彼はとんでもない話を持ち出した。
VRに閉じ込められた少女こそ、小陽さんだと告げたのだ。
「ここからは私が話すねっ。もしかしたら、君のことがわかるかもしれないのよ」
先ほども話した女医だったので、小陽さんの表情が柔らかくなる。
「少しずつでいいから、質問に答えてくれるかなっ?」
「わ、わかりました」
小陽さんの声は震えていた。それでも、笑顔を作ろうとするのが小陽さんらしい。
「ありがとうっ」
医者は頭を下げると。
「君の名前は?」
「桜井小陽です」
言い終わったとたんに、看護師の顔色が変わり、難しそうな顔をする。
「生年月日は?」
「2008年の11月20日です」
PCの画面を見ていた看護師のひとりが、首を縦に振る。
「ご両親の名前は?」
「……わかりません」
「子どもの頃のことを覚えているかな?」
「なにも覚えていません」
男性の医者は眉間に皺を寄せ、しばらくの間、考え込んでいた。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「この病院に桜井美春という少女が入院してるんだ」
わかっていても衝撃だった。
というのも、桜井美春さんこそが、ログアウトできない女の子なのだから。
「名前は桜井
名字は同じで、名前は読みが1字ちがい。どう解釈したらいいんだ?
「師長はどう思う?」
「入院中の美春さんと、あなたはそっくりです。双子かと思うぐらいですが、ご家族の情報によると、一人っ子ですし」
ふと疑問に思った。僕がニュースで見た少女は黒髪だった。一方、目の前の小陽さんは銀色の髪だ。
「美春さん入院中に髪が銀色になったんですよ。寝たきりなので痩せていますが、美春さんに肉がついたら小陽さんそっくりです」
看護師さんが僕の疑問に答えてくれた。
「ごめんね。変な話をしてしまってっ」
女医さんが小陽さんをいたわる。
小陽さんといえど、面食らっていると思ったのだろう。
しかし。
「あたし、自分が誰なのか知りたいです」
「いいのね?」
女医の問いかけに、小陽さんは首を縦に振る。
すると、女医は男性の医者に目で合図を送った。
「指紋とDNAをとらせてもらっていいかな? あっ、いや、君の場合は、少年と体を共有しているんだっけ?」
「ええ。そうなんです。あたしの手首に痣がありますけど、一道さんが剣道で打たれたもので」
すいませんと心の中で謝った。
「あっ、指紋もDNAも嫌じゃありません。あたしのこと調べてくださるとうれしいです」
僕も小陽さんの意思を尊重してあげたい。
とはいえ、僕たちの事象はあまりにも特殊すぎる。
とくに、『桜井美春』という少女は、マスコミが動いた過去があった。
かりに、小陽さんが美春さんと同一人物だとする。それにくわえ、僕とのことがある。
なにかをきっかけに、マスコミが僕たちの秘密を嗅ぎつけたら……?
小陽さんの平和な日常が脅かされかねない。
「頼んでおいて虫が良いが、くれぐれも無理しないで。例の事件が蒸し返されて、生活に影響が出るかもしれないからね」
先生は悪い人ではなさそうだ。
「大丈夫です」
小陽さんはいつもの穏やかな笑みを浮かべる。
あまりにも綺麗すぎて、僕には不自然に感じられた。
その後、指紋とDNAの採取をして。
「今日は負担をかけて悪かったねっ」
女医が小陽さんに微笑みかける。
「鑑定結果を伝えるから、数日後にまた来てねっ」
「よろしくお願いいたします」
小陽さんは立ち上がると、上半身と床が並行になるぐらいまで深くお辞儀をした。
小陽さんが応接室を出た直後。
僕は小陽さんと入れ替わる。
自分の体になった直後、いつもの数倍もの重力を感じた。剣道の防具の方がずっと軽いぐらいで、足を動かすのもしんどい。
小雨がちらつくなか、帰宅する。家に着いた頃には、体のあちこちが濡れていた。
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