第22話 ゼロ距離で、無限大

「この問題はですね。教科書32ページの公式を当てはめるといいです」


 みんなして小陽先生の説明に耳を傾けていた。

 もちろん、僕も。ノートにメモができなくて、残念だ。


 なお、僕は朝日の教科書を斜め上から覗き込んでいた。Tシャツの胸元が大きく開いていて、オレンジの布がちらついている。


『みっちゃん、あちしのブラ、どう?』


 朝日がノートに書き込んだ。まるで、僕が見えているかのよう。

 朝日のブラチラは何百回も目撃しているので、特別感はない。


『目をそらしちゃって、かわいいんだから』

『なぜ、わかったし!』


 僕と朝日の気がそれている間に。


「おぉっ、小陽たん先生の授業が神がかってるぞ」

「はいはい、これで合ってるじゃん?」

「この数式……女と女が愛し合ってるようにしか思えんし」


 だいぶ話が進んでいた。佐藤さん、鈴木さんはともかく、高橋さんの思考回路が謎すぎる。


「ってか、もう、こんな時間、あちし腹ペコペコで勉強できん」


 朝日がきちんと勉強したかはともかく、すでに午後1時近い。そろそろ休憩にした方がいいかも。


 なお、今の僕は空腹を感じない。物理的に存在していないから、食欲は湧かないようだ。

 だったら、女子更衣室で性欲を我慢しないといけないのは、なぜ?


「じゃあ、あたし、ご飯作りますね」

「はるるん、今日はいいよ。あちしが屋台風焼きそばを作っちゃる」


 朝日が拳を振り上げる。


「庭に鉄板があるし、庭で食べようか」

「「「「おおぉっ!」」」」


 朝日を除く4人の歓声が上がった。


 芝生の庭。その中央にバーベキュー用のコンロが置かれている。庭は4坪ほどあり、8人がけサイズのコンロがあっても、狭く感じられない。


 ちなみに、門に向かって右隣が、僕の家だ。

 朝日は法被を着て、はちまきを巻いている。顔立ちが幼いので、神輿を担ぐ中学生みたいだった。


「ネタ的には火打ち石を使いたいけど、腹減ったから時短する」


 朝日はライターで火をつけた。着火剤が燃えると、団扇で風を送る。


「材料を切ってきましたよ」


 小陽さんたちが手分けをして、肉や野菜、麺を持ってくる。


「うっわぁ、あたし、炭を初めて見ましたぁ」


 小陽さんが瞳孔を大きくする。

 1ヶ月程度の記憶しかない彼女にとって、ワクワクする出来事らしい。


「あと、あたし、昨日作った煮物を持ってきたんです」


 そういえば、昨日は夕方に小陽さんの番になった。彼女は料理が好きで、鼻歌交じりに煮物を作っていた。


「小陽たん、イカと大根の煮物を作れるなんて、すげえぞ」

「うまそうじゃん」

「イカ臭いなんて……はぁはぁ」


 最後のは聞かなかったフリをしよう。

 それからしばらくして、庭に香ばしい匂いが漂う。


「ほいな。あちし特製焼きそばや」


 朝日は人数分の焼きそばを皿に盛り付ける。屋台の焼きそばを再現した見た目だ。


「あっ、おいしいです」


 小陽さんが相好を崩す。


「あたし、お祭り行ったこともないので、当然、屋台も知らなくて……」

「はるるんが喜んでくれて、あちしもうれしいよ」


 微笑ましい光景に心がポカポカする。

 佐藤さんたちも舌鼓を打っていた。

 僕も朝日家特製焼きそばは何度も食べている。絶品だった。とくに、朝日パパはガチで研究しているだけあって、完全にプロ級だ。唯一の欠点は、味が濃すぎること。それも屋台と思えば、むしろ風情がある。


「なあ、はるるん」


 食事を終えたあと、朝日が言う。


「はい?」

「あちしがはるるんを祭りに連れていく」

「朝日さん?」

「屋台の食べ物は美味いし、金魚すくいや射的、型抜きなんかは楽しめる。御神輿を担いだり、獅子舞をしたりするのも、盛り上がれる。花火もあると、きれいだし」


 朝日はまくし立てると。


「一期一会の経験を、あちしははるるんとしてみたい」

「…………うれしいです」


 小陽さんは目に涙を浮かべていた。


「あちしもうれしい」

「えっ?」

「はるるん、いつもニコニコだけど、自分の気持ちを言ってくれへんし」


 佐藤さんたちも揃ってうなずく。高橋さんまで真面目な顔をしていた。


「あちしらといて、我慢してるのかな……なんて、ひぃふうみぃトリオと話したこともあったんや」


 ひぃふうみぃトリオはうつむいていた。


「……ごめんなさい。あたし、我慢してるつもりはないんですけど」

「けど?」

「本音を言って、嫌われたくないのも事実で」

「そうなん?」

「だって、あたしが嫌われてしまったら――」


 銀髪が風になびいて、美しい顔をかき乱す。


「あたしが存在する意味ないですから」


 その一言に胸をかきむしられそうになった。


 僕の副人格の可能性が高い小陽さん。どうして自分が生まれたか、考えるのも当たり前で。

 おまけに、僕が不器用で、ボッチなのを間近に見ている。


 僕とは真逆な彼女は、僕のできないことをやることで、僕の穴を埋めたいと考えたのかもしれない。

 みんなと仲良くするのが自分の役割、そう感じてしまうのも無理はない。


『そんなことないから』


 聞こえないとわかっていても、僕は彼女に呼びかける。


『小陽さんの能力とか関係ないよ。僕は君がいるだけでうれしいんだ』

「あちしさ、はるるんが有能だから友だちやってんじゃないよ。勉強を教わっておいて、なんだけどさ」


 朝日も僕と同じことを言う。


「本音を言ったぐらいで嫌いになる? なら、あちし、みんなに嫌われまくりじゃん。とくに、みっちゃんとか数年前に縁を切られてるだろ」

「「「右に同じく」」」


 ひぃふうみぃトリオも声を揃える。


「だから、あちし、はるるんと祭りに行って、楽しませたいんだ」


 朝日が幼なじみで良かったと心から思った。


「……なんで、そこまで?」

「あちしの幼なじみって、不器用で陰気臭いだろ。芸人としては、そういう人を笑わせたくてさ」


 唐突に、僕がディスられた。


「はるるんも同じく放っておけないんだ。ハッピーにしたいんだよね」

「うふっ、朝日さんらしいです」

「あちしらしくて、嫌い?」」」」

「ううん、あたし、朝日さんのこと好きですよ」


 小陽さんの銀髪が5月の陽を浴びて、キラキラと輝く。


「あたし、みなさんと一緒にお祭りに行きたいです」


 すると、小陽さんに女子4人が抱きついた。朝日が右から、佐藤さんが左、鈴木さんが後ろ、高橋さんが前から。


「でも、どうせなら、一道さんとも一緒に行きたいです」


 小陽が小声でつぶやく。


『小陽さん、僕もだよ』


 僕と小陽さんは常に一緒にいるわけで。

 どちらかが祭りに行きさえすれば、簡単に叶えられる。


 しかし、会話をしたり、浴衣を褒め合ったり、下駄の緒が切れておんぶしたり。そういったマンガみたいなイベントは絶対に起こしようがなくて。


『近くて……遠いんだよな』


 僕たちの距離感は、ゼロセンチであって、無限大でもある。


「飯も食ったし、勉強を再開しよう」


 朝日が切り出す。勉強嫌いなのに、珍しい。

 午後の勉強が始まって、1時間ほどして。


「あ、あたし、そろそろ体調が厳しいので、失礼しますね」


 小陽さんが急いで、教科書をまとめようとしていた。


「はるるん、荷物はあとで届けるから、帰っていいよ」

「では、失礼します」


 小陽さんは急いで朝日の家から撤収する。

 僕の家の玄関に入ったとたん、僕たちは入れ替わった。

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