第3章 自分との交流

第15話 対話

 4月27日、土曜日。

 カレンダーの都合で、今日からゴールデンウィークに突入した。前半3連休の後、3日間学校があり、4連休が続く。

 学生の僕たちはともかく、大人は10連休の人もいるとか。空港が大混雑しているとニュースでやっていた。


 朝食後。自室で紅茶を飲みながら、本を読んでいた。

 本来は部活があるのだけれど、今日は出かけないといけないので休んでいる。


「ほっやー」


 窓の外からいつもの挨拶がした。

 カーテンを開けると、朝日が自分の部屋の窓から顔を出していた。


「朝日、今日も元気だね?」

「おうよ。ワイハー行くからな」

「ワイハー?」

「ハワイだっての」


 朝日はときどき古くさい言葉を使う。たまに理解できないときがある。


「ちなみに、『ワイハ』は津軽弁で驚いたときに出る言葉だよ」

「ふーん」

「つれないなぁ。はるるんだったら、愛想よく『そうなんですか~』ぐらい言うのに」

「僕は桜井さんとは違うからね」

「まだ『桜井さん』なんて他人行儀な呼び方してんの。ふたりは夫婦以上に身近なんだよ。名前呼びぐらいいいやん」


 僕の中では、桜井さんは独立した女の子だ。なれなれしくして引かれたら、恥ずかしすぎる。


「おーい、朝日ー。日本のハワイに出発するぞ~」


 朝日ママの大声が聞こえてきた。さすが、芸人。声がよく通る。

 なお、行く場所は察しだった。芸能人だからといって、誰もがハワイに行くわけではない。


「あちしがいなくても、はるるんとエッチすんなよ」


 それだけ言い残して、朝日は窓を閉めた。


(どうやって、桜井さんに手を出すんだよ?)


 毎日変身していて、いろいろ見ていても、お触りは絶対にできない。物理的に不可能だ。

 椅子に戻る間に時計が目に入った。


(そろそろ準備しなきゃな)


 気が重かったけれど、幼なじみのおかげで少しはリラックスができた。


 準備を済ませ、家を出る。

 ちょうど1週間前、朝日と来た道をひとりで移動した。

 向かった先は、例のメンタルクリニックだ。


 待合室は混み合っていた。

 それだけ、精神的に疲れている人が多いってことか。


 みんな、どんな悩みを抱えているのだろうか?

 気にはなったが、非常にセンシティブな問題だ。


 ここでは、不用意に他人に関わらないようにしよう。


(僕は透明人間)


 実際、ここ1週間。透明人間に何度かなった。フワフワ浮いているのでクラゲと呼んでいても、実態は透明人間。


 しかも、女子トイレや更衣室という非常に、非常にデリケートな場所にも入っている。

 いてもいい場所なだけ、気が楽だ。


 やがて、自分の番になり、診察室に呼ばれた。

 先生は親しみやすい笑みを浮かべて。


「星野くん、1週間経ったけど、生活はどうだねぇ?」


 問いかけてくる。

 学校での出来事を話していいのだろうか?


「うちには、麻薬中毒者や痴漢常習犯も来るんだよねぇ。これから他人を殺しに行くとか、自殺をするとか言わないかぎりは、誰にも漏らさないよ」


 先生の言葉を信用して、ここ数日の現象を話した。ただし、女子トイレと更衣室は言わないでおいた。


「お疲れさまだったねぇ」


 20代後半とおぼしき包容力のあるお姉さん。白衣の上からでもわかる豊満な体からは、大人の色香が漂っていた。

 先生の微笑に癒される。


 僕の苦労を知るのは、朝日と桜井さんだけ。

 桜井さんは当事者なうえに会話はできない。

 朝日はあえて明るくして、気を紛らわせてくれる。


 ふたりとも先生みたいな癒し系ではないし、メンタルの専門家でもない。

 先生の言葉には、人を救うだけの重みがあった。


「桜井さんとはコミュニケーションを取ってるの?」

「ええ。今の僕の声が聞こえているので、伝えることがあれば話しかけてます」

「へえ」

「逆に、彼女から話してくることもあります」


 下着を買いに行ったとき、僕の好みをメモに残しておいてと言われて驚いた。


「あらまあ、赤くなって……ナニを思い出したのかな?」

「な、なんでもありません」


 先生を信頼していても、話せない。


「エッチなことなんだねぇ」

「……」

「ごめんごめん。かわいいから、つい。言いにくいことは黙秘でいいからねぇ」


 命拾いをした。


「あと、スマホのメモアプリを使って、メッセージを残すようにもしたんです」

「ほう」


 メモにはエッチな発言はない。安心して見せられる。

 先生にスマホを渡した。


『4月24日

 先日は金剛力士像くんに勝っちゃって、ごめんなさい。一道さんが金剛くんに絡まれたのが悔しくて、つい……あたし、本当に空気読めてなかったですね。ぴえん。

 小陽』


『4月25日

 桜井さん、気にしないで。弱い僕が悪いんだから。桜井さん、なんでもできて、本当にすごいよ!

 一道』


『4月26日

 一道さん、勉強も部活も、いつも真剣なんですね。周りの人が一道さんのがんばりを見てなくても、あたしだけは知ってますから。一道さんが世界一かっこいいって。

 小陽』


 先生はスマホを見ながら、うんうんとうなずいた。


「小陽ちゃんと会話してみて、どう感じた?」

「なんというか、楽しかったです」

「楽しい?」

「ええ。僕、友だちがいないんですよ。このまえ一緒に来た、三雲朝日ぐらいしか」

「そうなのねぇ」

「朝日も僕を理解してくれますけど、彼女は芸人ですから。バカやって、楽しませてくるノリなんで。それに、異性って感じもしませんし」


 平気で胸を僕に当てるし、パンツも堂々と見せてくる。向こうも僕を男だと思っていないんだ。


「朝日ちゃんはいい幼なじみなんだねぇ」

「そうですね。彼女には感謝してます」


 調子に乗るので、本人には言わないが。


「じゃあ、桜井さんとの会話について、思うことは?」

「うーん、青春してるみたいな感じですかね」


 先生は前屈みになる。たわわな双丘が強調された。


「青春か……一道くんは青春をしたかったのかな?」

「僕が青春ですか……………………」


 先生の言葉がきっかけになって、僕は頭をフル回転させた。

 1分近く経って、ようやく自分の気持ちに気づけた。


「そうですね。自分には普通の青春は無理だと思ってましたけど、したかったのかもしれませんね」

「うんうん」

「桜井さんのおかげで、少しは体験できた気がして」


 桜井さんのことを話したら、つい頬が緩む。


「青春をプレゼントしてもらったんだねぇ」


 先生の質問がしっくりきた。

 しばらく無言の時間があってから、先生が口を開く。


「小陽ちゃんは……一道くんにとって、どんな人?」

「不器用な僕とは真逆なんです。なんでもできるし、愛想がよくて、みんなに好かれる。本当に僕の理想を実現してくれる子っていうか」

「憧れって理解でいい?」

「はい、僕は桜井さんに憧れています」


 驚いた。普段だったら恥ずかしくて絶対に言えなかったから。

 先生との会話を通して、自分でも意識してなかった気持ちが表に出せた。


「推測になるけど、小陽ちゃんは一道くんが生み出した理想の自分なのかもねぇ」

「理想の自分?」

「できないことって誰にもあるのよねぇ。わたしの場合は、楽しいときにクールにするとか絶対にムリ。だって、お祭りとかテンション上がるじゃん」


 朝日パパの祭り友だちだったと思い出す。優しくて美人な先生が、パイオツ祭りに行くなんて想像つかない。


「でも、じつは、わたしはクールなバリキャリに憧れてたりするのよねぇ。絶対に無理なのに」


 歯ぎしりをする姿がオーバー気味だった。


「ここからは仮の話ね」

「はい」

「わたしがクールになりたくて、なりたくてどうしようもなかったとする」

「ええ」

「でも、わたしの性格上、絶対に無理。自分でも強く決めつけちゃって、完全に諦めている。なのに、クールになりたい。すっごく矛盾してるよねぇ」


 僕は首を縦に振る。


「ひとつだけ解決する方法があったとする」

「どうするんですか?」

「クールな自分を生み出せばいい。普段のわたしはパイオツ祭りが好き。一方、ときどき、クールな自分にもなる」

「……もしかして、それが僕と桜井さん?」

「かなり乱暴な仮説だけどねぇ」


 先生は微笑を浮かべると。


「一道くんたち、物理的に体が変化するから、本当に謎なのよねぇ」


 ため息をこぼす。


「これからもスマホのメモは続けてね」

「はい、楽しくなってきましたので、やります」

「あと、宿題が2つあるんだけど」

「なんでしょうか?」

「1つは名前呼びね」

「へっ?」

「彼女を下の名前で呼んであげて」


 朝日に続けて、先生まで。


「善処します」

「もうひとつは――」


 宿題を聞いたあと、診察室を出た。

 待合室は来たときよりも混んでいた。

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