第12話 完璧超人

 次の授業が始まっても、元には戻らなかった。

 僕は保健室で休んでいる扱いになり、桜井さんが数学の授業を受けている。


 といっても、クラゲ状態なので、いちおう勉強はできている。


 大丈夫、問題ない。

 いや、あるか。ノートが書けないし。


(ん? 待てよ)


『ノートがなければ、スマホを使えばいいじゃない』


 別に、マリー・アントワネットの真似をしたつもりはない。


 スマホのカメラで板書を撮影するのだ。そうしたら、ノートもなんとかなる。

 しかし、スマホはカバンに入れたままだった。カバンに触ろうとしても、手が通過してしまう。


 体が戻ってから記憶を頼りに復元するしかない?


 ため息まじりに体を動かす。すると、カラフルなノートが目に入った。

 桜井さんだった。きれいな字と、色ペン、わかりやすい図で要点がまとめられている。先生が口頭で伝えたポイントもばっちり書かれていた。


「次なんじゃが、ちとばかり難しい問題を出すぞよ。我が校に入学したからには、教科書の一歩先まで理解してほしいのじゃ」


 数学の先生はおじいさんだった。口調とは裏腹に授業は厳しい。

 先生がホワイトボードに記した問題を見て。


『うげっ』


 噴きそうになった。


『ちとばかり難しい問題』どころではない。まったく解ける気がしない。


「誰かできる人おるか?」


 シーン。みんな沈黙している。

 うちのクラスには、入試で1位の男子生徒もいる。彼は休み時間中も常に勉強していた。噂では、入試で全教科90点以上を取ったとか。その彼も青ざめている。


「やはり、無理じゃったか」


 老先生の発言を受け、教室の空気がよどんだ。

 そんななか、ひとりの少女が目を輝かせていた。


「えーと、君は確か……」


 先生も気づいたようだ。


「桜井小陽です。すいません、これまで欠席してました」


 桜井さんは微笑を浮かべて、丁寧にお辞儀をする。


「先生、質問があるのですが」

「桜井君、なんでも言うがええ」


 先生にうながされ、桜井さんは口を開く。


「素人質問で恐縮ですが」

「うむ、なんでも聞くとええがや」


 許可を得た、桜井さんはをする。日本語とは思えないなにかだった。まったく聞いたことのない用語ばかりだ。学会に紛れ込んだのか?


「はっ、新時代の幕開けではないかぁぁっ!」


 先生は涙をこぼしていた。


「君の理論を使えば、200年間数学者を悩ませてきた問題も解けるかもしれんぞ」

「……あたし、なにかやっちゃいました?」


 桜井さん、異世界から転生してきた説も1票。


「なんか、すげえな」

「桜井さん、すてき❤」

「はるるん、おっぱい以外もチートだった⁉」


 先生をやり込めたせいか、周りも喜んでいる。最後のは、もちろん朝日だ。

 やがて、数学の授業が終わる。


「はるるん、つぎ、体育だし。あちしが案内するよ」


 朝日が桜井さんのところにやってきて、爆弾を投下した。

 会話から察せられるとおり、まだ僕のターンではない。


(まずい)


 このままだと僕は女子更衣室に侵入するわけで。


(移動するまでに戻れますように)


 数分後。


「きゃぁ、小陽ちゃん。脱いでもすごいのねぇ」

「おっぱい、少しぐらい分けてくれないかなぁ」


 願いも虚しく、僕は女子更衣室にいた。

 下着姿の桜井さんが何人かの女子に囲まれていた。


 あっちでも、こっちでも、お着替えをなさっていて、穴があったら入りたい。

 僕にも性欲はあるはずなのに、実際に経験してみると、逃げたくなる。性欲が失せた?


 仕方なしに、床や天井を見やった。それでも、視界の隅ではカラフルな布がちらつく。

 朝日が桜井さんの耳元に唇を寄せて。


「みっちゃん、透明人間プレイの感想よろ」


 朝日の発言にデジャブを感じる。


「一道さん、迷惑をかけて、すいません。あたしの体で払いますので」

『桜井さん、待った』


 クラゲ状態の僕は、桜井さんの斜め上にいた。

 つい話しかけたときに、桜井さんの方を向いてしまう。深い渓谷を上から見下ろす形になった。


『すげぇ』


 やっぱり、僕にも性欲はあった。


 天国のような地獄のような空間から解放され、僕は体育館にいた。

 といっても、体操着の女子ばかり。更衣室ほどでなくても刺激が強い。


 今日の女子はバレーボールらしい。


 ウォーミングアップと、基礎練習の後に、試合が始まった。

 1試合目は、桜井さんのチームと、朝日のチームが対戦とのこと。

 試合が始まる前。


「はるるん、戦場で会ったからには容赦しないぞ」

「あたし、チームメイトのみなさんのためにもがんばります」

「はるるん、病弱なんだし、無理しなくていいよ」


 そうだった。桜井さんは病弱設定なんだった。


「……お医者さんに運動は止められていませんし、無理ない範囲でがんばりますね」


 けなげな態度に文句を言う人はいなかった。


 最初のサーブは朝日チーム(仮)だった。


「あちし、バレー部の意地を見せてやるんぞ」

「朝日、バレー部はウチなんやけど」


 朝日のボケに現役バレー部員が突っ込む。彼女は中学時代に全国大会で活躍したとかで、スポーツ推薦だったはず。

 なお、朝日は帰宅部だ。


「ランニングジャンプフローターサーブを行くよ」


 バレー部は思いっきり助走とつけると、ジャンプ。空中でサーブを打った。


『うわっ、速い』


 みんなは素人。なのに、ガチなサーブが来た。たぶん、100キロを超えている。

 当然、誰も動けない。


 と思いきや。


「はぁぁぁぁぁぁっっっっっ」


 裂帛の気合いとともに、前に向けて床を踏み込む。


 体が宙に浮き、落下寸前だったボールの真下に両腕が入った。ボールは天井に向かって、ゆるい速度で跳ね上がる。

 桜井さんがレシーブを成功させたのだ。


 その後、桜井さんチームがスパイクを決め、先制点を取った。


「ごめん、つい本気を出しちゃった」

「いえ、あたしも楽しかったです」


 バレー部女子と桜井さんがネット越しに会話する。


「桜井ちゃん、試合で見たことなかったけど、経験者でしょ?」

「いえ、あたし、バレー部じゃないですよ」


 信じられないです。

 しばらくして、桜井さんがサーブをする番になった。


「じゃあ、行きますよ」


 朗らかにボールを放つ桜井さん。のほほんとしていて、ほのぼのする。逆にいえば、緊張感が足りない。


 ゆるいサーブが来るのだろう。

 と思っていました。


 ところが、ボールがほとんど見えず。

 気付けば、相手コートを転がっていた。審判役の先生が、一拍遅れて、笛を吹く。


「ちょっ、あんな剛速球、あちしでもできないのに」

「マジですか。150キロは出てたよ。プロでも無理じゃん」


 朝日のボケはともかく、バレー部の子も絶句していた。


「……あたし、また、なにかやっちゃいました?」


 桜井さん、異世界から転生してきた説に2票。


 桜井さんたちの試合が終わっても、チャイムが鳴るまで、僕は女子を見学していました。


 体育後の休み時間。

 当然、女子更衣室に戻るわけで。

 ふたたび、禁断の地に足を踏み入れる。僕自身は宙を浮いているけど。


 女子更衣室の雰囲気が授業前と変わっていた。

 やたらと空気が甘酸っぱいのだ。


 どうやらクラゲでも、匂いは感じるらしい。破壊力がさらに高まっていた。

 鼻を押さえたまま、天井を見上げて、やりすごした。


 更衣室から教室に戻る道中。

 体がムズムズしてきた。


「あ、朝日さん」


 桜井さんが朝日に話しかける。


「あたし、例の件が……」


 朝日の顔色が変わった。


「もう、だから無理すんなと言ったじゃん。あちしが保健室につれていくよ」


 朝日が機転を利かせてくれたらしい。

 ふたりは階段の踊り場に行く。幸い、ふたり以外に誰もいない。

 そこで、僕は再び自分の体を動かせるようになった。


 長い戦いだった。

 というか、体育の前に戻ってほしかった。

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