第11話 お披露目

 翌日。1時間目の授業は、担任の小川先生だった。

 4月の太陽は朝から穏やか。先生も常に微笑を絶やさない。良い雰囲気の中、授業が進んでいた。


 私立胡蝶学園高校は進学校。部活も強く、学業と部活を両立させている生徒も多い。時間を効率良く使う必要もあり、みんな授業を真剣に聞いていた。


「それは、小川っちが学園のアイドルで、胸も大きいからじゃね」


 僕の内心に応じるかのような声が聞こえた。朝日の声で。幻聴だろう。


「三雲さん。余計なことを言わないの」

「いや、みっちゃん、ううん、星野くんに答えただけだし」


(僕の心を読んでいただと⁉)


「三雲さん、言い訳はしないの……というわけで、次の箇所を読んでみて」


 朝日はぶつくさ言いながらも立ち上がり、教科書を朗読する。

 太宰治の作品を、元気のよい明るい声で読み上げる。鬱々とした文章に合っていない。


「じゃあ、つぎは、星野くん」


 なんと、朝日に続いて僕が当てられた。連帯責任ってこと?

 仕方なく、立つ。椅子がギィッと不快な音を立てた。


「そういや、陰キャくん。昨日、放課後にイキってたよな」


 近くの席で、男子生徒がささやく。

 朝日の件がきっかけになったのか、空気が緩んでいる。


「朝日ちゃんと下着を買いに行く話か?」

「朝日ちゃんの下着を選ぶとかうらやましすぎだろ」

「俺、朝日嬢専用の下着を作りてえなぁ」

「あんたたち、キモいんだけど」


 男子の下世話な会話に女子が不快感を示す。僕の斜め前にいる人だ。なお、隣の席は空いている。


「まあ、陰キャくんにランジェリーショップに入る人権ないんだけど」


 当の女子まで僕に追撃をしてきた。

 無視すればいいとわかっていても、気になって、気になって。


「星野くん、どうしたの?」


 なかなか朗読を始められず、先生に不審がられてしまった。

 一部の生徒にもクスクス笑われる。恥ずかしくて、体が熱くなる。


 こういうとき、器用な人だったらどうするだろうか?

 メンタルがズタボロでも表面的にはやりすごせるだろうに。


 ひとつのことしかできない僕には無理ゲーで。

 僕をバカにする声に心がとらわれて。


 そんな自分に嫌気が差したときだ。

 自分が自分でなくなるような感覚がして。


「先生、すいません……」

「気分が悪いのね? 三雲さん、保健室に連れていって」


 異変を察知した小川先生が僕に目配せをする。

 慌てて教室を飛び出す。すぐに朝日が追いかけてきた。


 廊下を1歩、2歩、3歩と進み。

 4歩目はなかった。僕は精神体(?)となって、宙に浮かんでいたからだ。


「はるるん、おっはー」

「朝日さん、おはようございます」


 僕の気苦労とは裏腹に、女子ふたりは気軽に挨拶をしていた。

 変身の兆候を感じてから実際に桜井さんになるまでの時間は、昨日よりも長かった。

 おかげで、どうにか間に合った。変身シーンを目撃されたら、完全にアウトだった。


「ってか、保健室に行くって話だけど、みっちゃんに戻るまで保健室で待機なのかな」


 朝日は保健室の方に歩きながら言う。

 そうするのがベストだ。ベッドで寝ておけば、誰にも見られる心配はないし。


「それでは、一道さんが授業を受けられません。テストのときに一道さんが苦労したら、あたしのせいです」


 僕も朝日に授業を受けさせたいと思っていた。僕に付き添って、休んでほしくない。だから、桜井さんの気持ちが理解できた。


「かといって、はるるんは教室に入れないじゃん」

「そうですよね」


 朝日が桜井さんを保健室に案内した後、朝日だけ教室に戻ればいい。

 そう思っていても、僕の意見はふたりに届かない。


「昨日の今日ですし、小川先生を――」

「それだ」


 朝日がポンと手を叩く。


「数分だけ時間を潰したら、一緒に教室に戻ろう」

「ですが」

「はるるんの顔を見たら、小川っちがうまいこと対応するっしょ」

「そうなんですか?」

「ダメだったら、小川っちがそれとなく合図出してくれるよ」


 朝日の決めつけがすごい。


「最悪、はるるんがトイレにでも避難すればいいわけだし」


 それはやめてほしい。女子トイレで僕に戻ったら、脱出が命がけになる。


「はるるん、それでいいかな?」

「は、はい」


 しかし、僕の願いも虚しく、朝日案が採用された。


 数分後。ふたりで教室のドアの前にいて、まずは朝日が教室に入る。

 朝日と先生の視線が絡み合う。朝日が目で訴えると、先生は笑顔でうなずいた。


「あら、桜井さん。今日は学校に来れたのね?」

「みっちゃんを保健室に寝かせて、戻る途中に、爆乳美少女に会ったんだ。ナンパしてたら、うちのクラスに行きたいっ言うし。ついでに、セクハラしといた。おっぱい本物だった」

「三雲さん、桜井さんは病気がちなの。桜井さんには絶対にセクハラをしないでね」


 それから、小川先生は教室全体を見渡し。


「みなさん、彼女、桜井小陽こはるさん、病気でこれまで欠席だったの。困ってたら、助けてあげてね」


 桜井さんを紹介する。病弱設定で、欠席がちな生徒にしたらしい。銀髪ははかなげで、日本人にしては肌も白い。病弱設定もありかもしれない。


 入学から2週間しか経っていないし、ギリギリセーフ?

 これまで、出席確認のときに桜井さんの名前を出していないが、無視しよう。


 それより、トイレ待機をせずに済んで、命拾いをした。


「授業を止めてしまい、すいません。桜井小陽と申します。よろしくお願いしますね」


 桜井さんが微笑を浮かべて、頭を下げる。


「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっっ!」

「かわいい」

「髪がきれいね」

「スタイルも良くて、うらやましいなぁ」


 クラスメイトたちは好意的な反応だった。僕も肩の荷がおりる。


「桜井さん、あそこの席が空いてるから座って」


 先生が指さしたのは、僕の隣の席だった。


 その後は授業が終わるまで、平穏無事だった。

 休み時間、桜井さんの周りに何人もの生徒が集まる。つまり、僕はクラゲのまま、ぼんやりと質問タイムを眺めていた。


「ねえねえ、髪どうやってお手入れしているの?」

「そうですねぇ」


 桜井さんはシャンプーやコンディショナーの名前をあげていく。

 うちにはコンディショナーなんてものはない。少なくとも、先日、うちで朝日と入浴したときは使ってなかった。


(あれ? なんか変じゃない?)


 僕の別人格説と思われる桜井さん。ここ数日以前の記憶はないはず。なのに、うちにない物を答えられるなんて。


 適当な商品名を言っているだけ?

 いや、その割には、製品の感想を具体的に述べている。ウェブの下手なレビューサイトよりも詳しいぐらいだ。

 使いもしないのにできるとは思えない。


「桜井さん、今度、カラオケ行こうよ」

「いいですね」


 桜井さんは乗り気で答えるが、すぐに顔に影がさす。


「ですが、体調の問題もありますので、お約束できないんです。すいません」

「ううん、学校も休んでたんだもんね。無理しないで」

「体調が良くなったら、お願いしますね」

「この子、良い子すぎるよ」 


 断ったのに良い子扱いされるなんて芸当、僕には無理だ。

 そもそも、朝日以外に声をかけてこないし。


(桜井さん、いきなり来て、すごいなぁ)


 僕は宙に浮かびながら、彼女に尊敬のまなざしを向けていた。

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