第2章 僕と彼女の学校生活

第8話 学校でドキドキ

 月曜日。

 いつも通り、6時半に起床し、朝食を作る。

 サラダとパン、紅茶。毎日、同じものを決まった時間に食べ始める。食べ終わる時間も誤差1分程度。


 家を出たのは、7時59分。いつもの時刻だ。

 僕は毎朝の行動を完全にルーチン化している。


 隣の家の前を通過しようとしたとき。


「ほっやー!」


 聞きなじみのある声が聞こえた。

 朝日が後ろ手で玄関を閉める。


「朝日、おはよう」

「みっちゃん、毎朝、つまらんくない?」

「いや、朝は忙しいし、余計なことを考えたくないんだ」


 毎日同じことをしておけば、その分、脳のリソースを消費しないで済む。遅刻の心配もしなくていいので、精神的にも楽だ。


「まあいいや。みっちゃんと一緒に通学したいときは便利だし」

「僕に用事?」

「通学デートという大イベントさ」


 朝日は僕の腕をつかむと、自分の体に絡ませる。当たっている。なにがとは言わない。


「勘違いされてもいいの?」

「みっちゃん、パイオツから気をそらそうとしてるでしょ」

「……」

「冗談。一緒に職員室に行こうと思ってさ」

「あっ、それ、僕も考えてた」

「あちしも付き合うぞ」

「ありがとな」

「付き合うといっても、エッチするわけじゃないよ」


(朝日の中では、付き合うイコール即エッチなのか?)


 徒歩15分ほどで学校に着く。朝日と一緒に職員室へ。

 すぐに担任の先生が見つかった。


「小川先生、おはようございます」

「あら。星野くんが職員室に来るなんて、珍しいじゃない?」


 小川先生は今年が2年目の若い女性だ。スーツをびっしり着て、初々しい。


「あちしが連れてきたんだ」

「星野くん、どうしたの? いじめられた?」


 私立胡蝶こちょう学園高校に入学して、2週間。陰キャな僕が、さっそくいじめ被害に遭っていると思ったらしい。


「いじめではありませんが、相談したいことがあって……どこかでお時間をもらえますか?」

「……数分で終わる話じゃないってことね?」


 先生は微笑を浮かべる。

 若い先生といっても、立派なお姉さん。大人の包容力がある。


「じゃあ、昼休みに国語準備室に来てくれるかしら」

「わかりました」


 頭を下げてから、朝日と職員室を出る。


「午前中に変身したら、超ウケるんだけど」

「不吉なことを言わないでくれ」


 万が一、学校で変身したら……?


 たとえば、授業中に男子生徒が女子になったとする。僕は陰キャで目立たないかもしれないが、桜井さんは銀髪が目を惹く。超絶かわいい美少女だし、大騒ぎになるだろう。

 しかも、学校からすれば、桜井さんは部外者になる。どう扱うのかといった問題もある。

 

 そこで、問題が起きる前に話だけでも通しておきたかった。前情報もなしに事件が起きるよりは、学校側も対処しやすいだろうから。

 教室に移動する間、昼まで無事にすごせることを祈った。


「あちし、三雲朝日神に祈っておくね」

「自分を神様にしたし⁉」

「だって、あちし、神美少女だもん」


 朝日が教室のドアを開け、ふたり並んで教室へ入る。


「夫婦揃っての登校とは仲がよろしいようで」

「朝日、あとで恋バナしようよっ」


 ドアの近くにいた女子に冷やかされた。


「あちしたちの甘さで胃がもたれても知らねえぞっ」

「……僕たち、ただの幼なじみだし」


 朝日の発言を訂正しながら、僕だけ自席に向かう。


「陰と陽の幼なじみカップル、ウケる」

「そやろ」


 朝日たちの会話が後ろから聞こえてくる。

 お互いに恋愛感情がないのはわかっているし、無視するにかぎる。


 そこからは特になにごともなく、昼休みになった。


 先生と約束したのは食後だ。ひとりで手作り弁当を食べる。いつもよりも速いペースで口を動かす。

 通常よりも5分早く、食事を済ませ、朝日の方を見る。友だちと楽しげにしていた。


 邪魔をするのも悪い。先に行こう。


 僕は立ち上がり、教室を出る。


 特別教室が並ぶ廊下を歩く。人通りが少なく、気が楽になった。ボッチなので。

 国語準備室が見えてくる。


 急に足が重くなった。

 小山先生は優しいかもしれないが、僕が相談する内容は現実離れしている。信じてくれないだけならまだしも、僕たちが先生をからかっていると誤解される可能性もある。

 そう思ったら、怖くなってきた。


 ドタドタと後ろから誰かが走る音がして。


「パイオツ・アタック‼︎」

「うっ、あぅ」 


 叫び声とともに背中に衝撃が襲った。

 犯人はひとりしかいない。

『朝日、なにしてんだ?』と言おうとしたら。


「なにって、初撃でパイオツを当ててからの首を絞める連携攻撃さ。相手を気持ちよくさせて昇天させる技だよ」


 技の説明を求めていたのではない。


「みっちゃんの背中がどんよりしてたから、気合いを入れようと思ってさ」


 気合いというより、心臓がドキドキした。胸の感触のせいではないよ?


 そのときだった。

 体に異変を感じた。何度か経験しているので、わかる。例の現象が起きるのだと。


「朝日、僕……だめぇっ!」


 言い終わった瞬間、僕はクラゲになった。桜井さんの表現を借りて、今度から幽体離脱をクラゲと呼ぼう。

 


「おっ、こんなときに変身するとは、さすが、みっちゃん」


 朝日はまったく動じることなく、桜井さんに話しかける。


「どうせなら先生の前で変身してほしかったんだけどな」

「すいません、あたし、空気が読めませんで」

「いやいや、はるるんは空気が読めるっしょ。全部、みっちゃんが悪い」


 文句を言えないのがつらいところだ。


「それより、パンツをはきかえてきたら。ポケットに入ってるんでしょ?」

「せっかくなので、お借りしますね。あとで、自分のを買いますので」

「なら、今日の放課後にでも買いに行かんとな」


 朝日が桜井さんをトイレに連れていく。なお、桜井さんは女子の制服になっていた。下着は僕のままで制服は変わるらしい。謎すぎる。


『僕、ここで待ってるから』


 誰に聞こえるわけでもないのに言っておく。

 が、体が引っ張られた。あらがってみる。抵抗できない。自分の意思では制御できずに、女子トイレに入ってしまった。


 運がよかったのは、校舎の外れのせいか誰もいなかったこと。


 桜井さんが個室に入る。僕まで一緒に。隣は空いているのに、隣にも行けない。


 僕が困惑するなか、桜井さんはスカートの下に手を突っ込んでいた。

 着替えを見るわけにもいかず、天井に視線を移す。


 じっと待つこと少々。桜井さんとは別の個室から、チョロチョロと水音がした。


(もしかして、朝日が……)


 童貞には刺激が強すぎる。性格が残念でも、朝日は美少女。距離感がバグっているから、できるだけ意識しないようにしている。そうじゃないと身が持たないから。


『そうだっ!』


 幼稚園の頃、朝日は僕と一緒にトイレに入っていた。幼稚園児に戻ったと思えば、耐えられるはず。


 自分に言い聞かせていたら、個室の外へ体が引っ張られる。着替えが終わったらしい。


 そのとき、トイレに誰かが入ってきた。

 小川先生だ。

 ちょうど桜井さんが手洗い器の前にいて。


「こんにちは」


 先生が桜井さんに挨拶をする。


(大丈夫なの?)


 桜井さんはうちの制服を着ているが、生徒ではない。不審に思われたら、どうしよう?

 しかし。


「先生、こんにちはです」


 桜井さんが満面の笑みを浮かべる。さわやかな堂々とした態度に。


「あなた、良い挨拶をするわね」


 どうにか無事にやりすごせたようだ。


「あっ、先生じゃん」


 そこに個室から出てきた朝日が来て。


「みっちゃんの相談って、彼女のことなんだけどさ」

「えっ、星野くん、まさか、不純異性交遊を……」


(誤解されたじゃないですか) 


 しかも、自分で説明できない。

 無事に相談できるのだろうか?

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