第6話 あたしのいる意味

「うわぁっ!」


 朝日が騒がしい。

 ふと彼女の方を向きかけたが、どうにかこらえた。

 朝日と桜井さんが入浴中だから。僕は透明人間的な立ち位置だ。不可抗力とはいえ、見るのはイクない。


「おっぱいって、お湯に浮くんだね」

『ぶはぁっ!』


 一瞬、振り返りそうになって、慌てて我慢した。体が反応しただけで、わざとではありません。


「あちしのDカップじゃできない遊びもあるんだなぁ」

「おっぱいで遊ぶって……飲み物をのせるとかですかね?」

「桶酒ならぬ乳酒かよ」


『朝日さん、僕たち高校生ですよ』


「うがぁっ。これだけけしからん乳なら余裕だな」


 朝日が悲しそうな目で、胸元を見る(推測)。


「ですが、大きくても不便なんですよ」


 女子トーク全開で浴室から逃げたくなる。何度かチャレンジして失敗していたが。


「足元見えなくて怖いですし、肩凝りますし」

「でた。爆乳の定番セリフ」

「それに、男子の視線も気になりますし」

「あるある」

「恥ずかしいんですけど、つい、笑顔で誤魔化しちゃうんです」

「あれ⁉」


 朝日が軽く叫んだ。

 僕も違和感に気づく。


「はるるん、記憶喪失じゃなかった?」

「うーん、よくわかんないです。2日前より古い記憶はないんですけど、学校に行っていたような気もぼんやりとしていて」


 空調に混じって、うなり声が聞こえた。


「あたし、一道さんの別人格として生まれたばかりなのに、変ですよね?」


 もし、二重人格説が正しいなら、桜井さんの意識が芽生えたのは、一昨日の夕方だ。学校の記憶があるのは、たしかにおかしい。


「別にいいんじゃね」


 朝日のあっさりさがうらやましい。


「それよりさ、一昨日からの記憶は?」

「あたし、一道さんが出ているときは、クラゲさんになってます」


 空中を漂うからクラゲ。桜井さんも僕と同じことを思っていて、少し安心した。


「お医者さんにもついていきました。一道さんから離れられないみたいで、お留守番できませんでした」

「……ということは、みっちゃん、ここにいんの?」

『おります』


 聞こえないと思って、正直に答えた。


「透明人間お風呂覗きプレイの感想よろ」


(怒るんじゃないんだぁ)


 というか、透明人間は朝日と被った。残念だ。


「あたしって、なんで、ここにいるんですかね?」


 弱々しいつぶやきが浴室に響いた。

 ふざけた気分が吹っ飛んだ。


「うーん、はるるんの存在する意味かぁ。わからんのう」

「……ですよね、あはははは」


 苦笑いが哀愁を誘う。表情がわからなくて心配だが、振り向けない。


「あっ、いや。あのさ、あちしも自分が生まれた意味ってわからんわけよ」

「そ、そうなのですか?」

「うみゅ。あちし、昔から楽しいことが好きで、毎日やりたいようにやってる。けどさ、自分がなにをするために生まれてきたかなんて、考えてもないよ」


 僕もだ。好きなこと、得意なことを活かして、生きていきたいとは思ってはいる。けれど、それが人生の目的かというと、そこまで言い切れない。


「だから、とりあえず、楽しくやって、そのうちに自分の存在意義が見つかればいいな。そう思うとるじゃけん」

「朝日さん、ありがとうございます。気が楽になりました」


 さっきより、桜井さんの声が高くなっていた。


「あたしが存在する意味はわからないですけど……一道さんの中に生まれてきたんですから」


(僕の中に生まれてきたという表現はどうなのかな?)


 かといって、僕たちの関係をどう言えばいいかわからない。


「一道さんのお役に立ちたいです」

「へっ?」

「もし、あたしが一道さんの別人格なら、一道さん本来の性格ではできないことがあるから、あたしが必要になったと思うんです」

「うんうん」

「なので、あたしは一道さんにご奉仕したいんです」

「うわっ、めっちゃ良い子じゃん」


 僕も目頭が熱くなった。


 彼女が生まれて、たったの2日。当然、話したことはない。僕に感情移入する理由はないのに、ここまで思ってくれているとは。


 というか、さっきから僕を名前呼びしている。

 僕みたいな人間に親近感を持ってくれたとしたら、恐れ多い。


「つか、みっちゃん、一途で良い奴なんだけど、不器用すぎんだよね。周りも見えてないし。はるるん、気が利いてるし、みっちゃんと上手くやってよ」

「はい、がんばりますっ!」


 ザブンとお湯が音を立てる。


「あたし、上がりますね」


 桜井さんが湯船を出て、浴室の出口へ向かう。準備もできておらず、背中側の裸体を見てしまった。

 浴室のドアを開け、桜井さんは脱衣所へ。すぐに朝日も後を追いかける。


(ふぅ~しんどかったぁ)


 気を抜いたのもつかの間。


『へっ?』


 僕はバスタオルで体を拭く、ふたりの前に浮かんでいた。


(脱衣所にいるじゃん)


 僕は桜井さんに引きずられたらしい。


 そういえば、桜井さんも言っていた。僕から離れられなかった、と。

 同じ室内か、距離の制限があるか?

 どちらかの可能性が高い。


 すぐに天井を見る。


「そういえば、はるるん、下着はどうなってるの?」

「あっ。これまでは余裕がなくて、下着までは気が回りませんでした」

「服はみっちゃんのままだったよね。ということは、下着も男物なんじゃ」

「……一道さんの下着をはくなんて、恐れ多いです」

『こっちこそ、汚い物をごめん』


 切実な問題だ。


「とりま、パンツはあちしが隠しておいたのがあるぞ」


 朝日は脱衣所のタンスを勝手に開ける。海外にいる母が使っていた段だった。大人向けの肌着の中を漁り。


「はい、これを貸してしんぜよう」

「……横が紐になってるんですね」


 つい見てしまった。どうせ、朝日のだし。ピンクで布の面積が小さい、ド派手な物だった。

 それより、他人の家に下着を置かないでほしい。


「ありがとうございます。あとで、洗って、お返ししますね」


 桜井さんは桜井さんで普通に受け入れたし。


「ブラはノーブラで我慢してくれな。今度、会ったときにでも買いに行こうよ」


 そうか。下は朝日のが使えるけれど、上はサイズがちがう。


『今後も桜井さんになるなら、持ってないとダメってことか』


 いつのまにか、桜井さんがいることが前提となっていた。


 正直、僕を取り巻く現象には納得が行っていない。正式な病名もないし。

 とはいえ、何度も発生していれば、現実を受け入れるしかないわけで。


 それに、予想以上に桜井さんが良い人だったのもある。彼女の人柄に好感を抱いていた。

 

「はるるん、Tシャツがぶかぶかで、ノーブラじゃん。かがんでちょうだい」

「はい、こうですか?」

「胸チラがたまらんどす」


 朝日がバカなことをした瞬間、暗転して。

 僕は脱衣所で中腰になっていて、朝日と見つめあっていた。

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