第3話 名探偵あちし

 翌朝。春の穏やかな陽ざしと、ウキウキした小鳥の鳴き声で目を覚ます。

 昨日の記憶はおぼろげだった。意味不明な出来事が起きた気がするが、夢だと思いたい。

 今日は土曜日。学校が休みなのが救いだった。


(もうちょっと寝ようか)


 妙に暑くて、布団をはねのける。

 すると、手の甲にやけに柔らかな物質が当たった。

(あっ!)


 昨日、朝日が泊まっていたんだった。


 海外にいる両親の部屋に寝てもらったのだが。

 僕のベッドに潜り込んでいる可能性は99%で。

 だとすると、僕は大変な部位にタッチしていた?


「ほっやー」


 僕が事実を確認する前に、朝日の声が聞こえた。

 なお、『ほっやー』は朝日独特の挨拶だ。『やっほー』をひっくり返しているのだろう。


「みっちゃん、あちしのパイオツを触るとは、むっつりさんですなぁ」


 慌てて目を開ける。残念なことに、本当だった。


「ぶはぁぁっ!」


 ベッドから飛び起きると、僕は床に土下座をする。


「ごめん。わざとじゃないんだ」

「……ローアングルがお好きですのね。スカートじゃなくて、めんごめんご」


 本気で謝罪したのにからかわれてしまった。

 怒らないのが不思議というか。まあ、男扱いされてないしな。


「つか、ドキドキしたっしょ?」


 朝日はパジャマのボタン上2つを外し、パタパタする。

 豊かな双丘を覆う布が、ギリギリ見えていない。かえって、エロいのだが。


「ちょっ――」


 抗議の声をあげようとしたところで。

 視界が暗転する。


(ウソだろ)


 昨日と同じように体から力が抜けていって。


「おっ、また入れ替わりマジック来たよぉぉっっ!」


 僕は床から50センチほど浮かび、叫ぶ朝日を見下ろしていた。

 一瞬で、ローアングルからハイアングルになった。

 

(現実だと認めないぞ!)


 昨日の怪奇現象を否定したかった。

 しかし、僕の真正面には、例の少女がいた。


「つうか、巨乳ちゃん。マジックのために朝早くから来たの?」


 朝日は謎の少女をじろじろと見る。

 銀色の髪が胸元に流れていて、パジャマを盛り上げる膨らみを飾っていた。男子高校生にとっては刺激が強い光景だ。


「あっ、もしかして、巨乳ちゃんも泊まったとか?」

「……」

「まったく気配がなかったけどさ。食事にトイレ、お風呂はどうしたの?」


 朝日の質問攻めに対し。


「おはようございます。あたしは、桜井さくらい小陽こはると申します」


 謎の少女、あらため、桜井さんは丁重な笑顔で応じた。


(ん? 桜井こはる?)


 どこかで聞いたことがある気が……。

 思い出せない。まあ、いいや。


「小陽ちゃんね。なら、はるるんと呼ぼう」


 朝日も朝日で、すんなり受け入れている。


「あっ、もしかして、じゃ不満。がよかったとか?」

「い、いえ。はるるんで大丈夫ですよ(にこっ)」


 謎の少女あらため桜井さんは満面の笑みを浮かべる。


「ってか、昨日は記憶喪失設定だったよね? 飽きたのかな?」


 ようやく朝日が記憶喪失ネタに触れた。あだ名をつける前に指摘してほしかった。


「い、いえ。名前だけは思い出せたんです。それ以外のことはまったくわかりません」

「ふーん。なら、みっちゃんとどこで知り合ったの?」

『なんですか? あなたたちは……』


 謎の現象を放置して、普通に会話をしている。

 ふたりとも順応力が高すぎ。朝日はともかく、桜井さんとやらも驚きだ。


「みっちゃんさんですが……今朝、朝日さんベッドに忍び込んで、腕に落書きをされた方ですか?」

「そだよ」


(なんだと⁉)


 右手のひらを見る。ペンで牛の絵が描かれていた。無駄に上手い。

 さらに、直径1センチのスペースに、『三雲朝日』のサインが書かれていた。何度も見せられている。本物だ。


 いたずらをしかけてきて、寝てしまったオチか。


『僕たち、もう高校生なんだよ』


 いや、そんなことより。

 桜井さんが朝日の犯行を目撃していたわけで。


 ふと考える。

 いま、僕が桜井さんと朝日の会話を聞いているように。

 桜井さんも僕と朝日を見ていたのかもしれない。 


 幽体離脱して、僕がいた場所に桜井さんがいるだけでもありえないのに。


(なんなんだ、この現象は……?)


 真剣に悩んでいたら。


「みっちゃん、親が海外赴任になって、1ヶ月も経ってないんだけどなぁ」


 朝日が桜井さんをマジマジと見つめる。


「記憶喪失の美少女を拾うなんて、ラノベ主人公かっての」

「あたし、ここに来たの昨日が初めてだったんです。昨日以前のことは覚えてませんし」

「出来たてほやほやの記憶喪失っ子じゃん。おかしいなあ。昨日は学校だったんだけどなぁ」

「あの、あたし、みっちゃんさんとは話したことありませんよ」


 僕が悩んでいる間に大事な話をしていた。


「そうなの?」

「ええ。あたし、お化けみたいに空中をフワフワと浮かんでいて、おふたりの会話を聞いていたんです」

「マジ?」


 珍しいことに朝日が呆けていた。

 どうやら、桜井さんも僕と同じように幽体離脱を経験したらしい。


「あたし、覗きの趣味はありませんので、おうちから出て行こうとしたのですが、部屋から離れられなかったんです」


 桜井さんは手を横に振る。


「ちょっと待ったぁぁぁっっっっっっっっっ!」


 突然、朝日が叫んだ。桜井さんの右手を押さえて。


「この牛に、あちしのサイン。2時間前に、みっちゃんに落書きしたものじゃんか」

『えっ、マジ⁉』


 僕は桜井さんの右手を凝視する。

 手のひらに描かれたイラストに見覚えがあった。

 自分のと比べる。同じだった。


「牛はパクれても、あちしのサインは改ざん不可能なのさ」


 となると――。


「あちしのサインがある以上、マジックは不可能」


 朝日は顎をさすってから。


「みっちゃんよ、名探偵あちし様の目は誤魔化せんぞ」


 桜井さんを指さした。


「はるるんの正体はみっちゃん。一瞬で、女装して声も変えた。あちし様の名推理はどうよ、バーロー!」

『だから、僕は不器用なんだが』


 中学時代。罰ゲームで朝日に化粧をしたことがある。なぜかカエルができてしまった。

 超絶不器用な僕に瞬間女装なんてできるはずもない。いや、ガチなレイヤーさんでも無理だ。


「あたしの正体がみっちゃんさん? どういうことですか?」


 一方、桜井さんはキョトンとしている。訳がわからないのも無理もない。僕もまったく理解できていないし。


「マジックのタネは見破った。カツ丼を取るから白状しちまえ。お国のおっかさん泣いてるぞ」


 あちしさん、名探偵から刑事にジョブチェンジしていた。


「あっ、良いこと思いついた」


 朝日がパンと手を叩く。


「おっぱいを揉めば、わかるじゃん!」

「ふぇっ?」

「みっちゃんだったら無乳なはず。幼なじみなんだし、パイオツぐらい揉ませろ」

「……」

「今朝、あちしのを触ったんだ。借りを返してもらうぞ」

『朝日、セクハラはやめろ』


 声が届かないのが残念だ。

 さすがに桜井さんも断るだろうし、大丈夫か。


「……いいですよ」

『なんと⁉』


 女子同士とはいえ、驚いた。


(うーん、僕に止める手段はないんだよなぁ)


 見てしまわないように部屋を出よう。

 と思ったのだが、ドアノブに触れなかった。なら、せめて目をそらそう。


「んぅ……ふぁんっ」

 

 なまめかしい声が妄想を刺激する。耳を手でふさいだ。

 しかし。


「マジかよっ!」


 朝日の絶句がして、ふたりの方を向いてしまった。


「間違いなく、本物のおっぱいだった」

「あたし、女の子ですから」

「……みっちゃん、女子に変身できるように進化したんか」


 幼なじみはつぶやくと、スマホを僕の方に向ける。

 その直後、僕は体の重さを実感して。


「良いタイミングで、証拠を押さえたし」

「……あ、朝日さん」


 僕が途方にくれていると。


「みっちゃん、胸を触るぞ」


 朝日が僕の胸を触った。


「みっちゃんの胸だった。巨乳がないなった」


 認めるしかなさそうだ。

 僕は女子に変身する、と。

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