5話 鉱山領主の五男坊 1

 鉱山にほど近い街は近々催される祭りを前に浮ついた空気に包まれていた。

 大通りの脇には屋台が建ち並び、準備する人間がそこここで動いてにぎやかしに一役買っている。

 あまり規模の大きくない街に、様々な品を持ち寄った多くの人が外から集まっていた。


 この街の住人の多くは鉱石を堀り、それを精製して生計を立てているので、この祭りに集まる商品の多くは暮らしに必須なわけではない。それでもこの祭りの時期に外から商人達が集まってくるのは、この街の鉱山を管理する領主である魔術師の興味を引いたものは、まちまちであるとはいえ一定の期間、まとまった量を卸すことができる。

 他では数を捌けない品も魔術師が気に入れば、持て余していた在庫を処分できるのだ。鉱山の魔術師は祭りに訪れる商人も街に住まう住民も特別ひいきせず、無下にも扱わず、鉱山での暮らしが安定するように取引を続けた。

 以前は鉱脈の乏しい鉱山の傍にある小さな村だったが、魔力を含む鉱石が採れることが分かり、魔術師が村の生活の安定と引き換えに、鉱山の資源管理を申し出て工房を建てた。魔術師と取引するために訪れた商人達が村に金を落とし、やがて街へと大きくなった。商人達との取引を主だって進め、そこで起きていた諍いを収めていた魔術師は街の人間に望まれて領主となった。――とはいえ、魔術師がやっているのは村で起きた問題をとりなす程度だ。

 それでも過去に、ある魔術師のせいで、面積の何割かが焼け焦げた大陸にある街にしては、鉱山の魔術師への感情は他の大陸のそれと、さほど変わりはない。

 魔術師への商品を卸した後、住民も手に取りそうな物資を持ってきた者、抱えた込んだ商品の行く先に一縷の望みを賭ける者、大陸の人間の感情がやわらいだ先を考え魔術師への繋ぎを取り付けたい者、様々な思惑で訪れる人間と取引する街の人間とで、大通りはにぎわっていた。


 その大通りを我関せずと歩みを進める少女が居た。


 長い黒髪をゆるく一つに括ったクロエという名の少女は、屋台の方をあまり見ないように目をやや伏せ、淡々とした足取りで進んでいく。祭りの雰囲気とはほど遠い、冷えた激情を抱えつつも、その目には欠片ほども出さず、平静を保っている。

 クロエはこの街の領主の魔術師の元で魔術を学んでいる。

 学園は、その場所へと辿り着いて学ぶ覚悟があれば、血筋、資産、種族の分別なく学ぶことが出来る唯一の場所だ。とはいえ、学園で学ぶには、学園敷地内の宿舎で過ごすか、近場に拠点を造るか、険しい道なりを省略する手段を使用して通うかと、学園へ辿り着くこと事態が困難なために、ふるいとなる条件を達成出来る人間は限られている。

 十分な資質や資産があっても、学園へと辿り着くことが出来ずに学ぶ人間がごく少数のままであれば、やがて魔術の研鑽自体が衰退する。

 学園に属した魔術師が地元の住民とある一定の信頼を得ていれば、学園外の土地の工房でも弟子をとることが出来る。外の工房には一定の間隔で学園からの監査がある。名目だけでないそれで、火種になり得ると判断された場合、工房ごと学園が『回収』して保存される。

 神経質な対処だが、魔術師に嫌悪感を抱く者が未だ少なくない大陸で、存在を許されるには有効な手段だ。


 学園に比べれば鉱山の街は移動に苦もない場所にあるが、研究難易度は自ら設定した課題に寄るので、その進捗が芳しいものになるとは限らない。クロエの研究も例に漏れないでいた。

 師との共同研究ならまだしも、自らの理論の証明、新しい術式の開発などは、その研究室の気質にもよるが、師からの積極的な支援は望めない。

 クロエの師は、進めている研究に対してまったくの無関心ではないが、積極的に研究に関わってくるわけでもない。しかし、尋ねれば有用な資料を提示される場合もあるし、ほとんど自由に研究を進めさせてもらっている。

 共同研究であっても師の関わり方によっては、自分の意志が曲げられ潰される場合もあるだろう。それを思えば、ほとんど最上級の環境で研究を続けられているとも言える。


(今は、焦って潰れるわけにはいかない)

 胸中にそうこぼして、クロエは思考を仕切り直す。

 進みが芳しくないならなおのこと、気を張り過ぎて集中力を欠いて見落としなど起こしてしまっては目も当てられない。

 息抜きと体力を保たすためにしっかりとした食事を摂ろうと、研究室の外へ繰り出したのだ。


 一つ軽く息を吐くと、クロエは食事を提供している屋台の椅子に座る。クロエは人の良い笑顔の店主に、軽いものをいくつか注文すると、そのまま出来上がるのを待った。

 鉄板の上でスパイスと炒められる野菜と肉の香ばしい匂い、くつくつとスープを煮立てる音を聞きながら、しばし研究のことを意識の奥底へと仕舞い込んだ。

 そんなクロエに声を掛ける人間が居た。

「お姉さん、隣に座って良いかな?」

 短めの淡い金髪をなでつけて整えた、店主よりも輪を掛けてお人好しそうな顔をした青年だった。クロエは愛想良く返事をしようとして、青年に見覚えがあることに気付く。

 青年はクロエが魔術を学んでいる師の子息の内の一人だ。魔術師からの言伝かと思い、クロエは身を固くする。

「……っ」

「あ、あれ? もしかして駄目だった?」

 クロエの様子に青年が慌てる。それを横目で見ていた店主が青年に対して、調理の片手間に言葉を投げる。

「はあ。坊ちゃん、何かしでかしたんで?」

「いや?! 全然心当たりはないんだけど?!」

 店主の軽口に青年は必死になって反論する。青年の反応を見てただの偶然だと判断して、クロエはほっと安堵した。

 気を取り直して、クロエは改めて口を開く。

「すみません。貴方のお父様から何か言伝があったのかと思ってしまって」

 クロエの言葉に青年はぱちりと目を瞬かせて頬をかく。

「ああ、いいよ。そっか、父さんのとこで学んでる人だったのか」

「家に出入りしているのに、知らないのはひどいもんだな」

 少し気まずげに言う青年に、よほど親しいのか店主が茶々を入れる。

「あはは。オレは魔術もからきしだからなぁ」

 その軽口に、特に自虐の色もなく青年はそう言った。

 クロエはこの大陸の鉱山とは別の土地の出身なので、魔術師の子息である青年の受け入れられようは、いつ見ても驚く。

 魔術師に対して街の住人が不審や萎縮を抱かないように、師が細やかに対応はしているが、青年の表裏のない人懐っこさも大いにあるだろう。


 青年はふと、思いついたようにクロエに改めて声を掛ける。

「あ、そうだ。良かったら、君にちょっと相談したいことがあるんだけど時間あるかな?」

 特に悪意を含んだ気配を感じたわけではないが、魔術師の元で学んでいる人間に、その子息が改めて相談したいこととはなんだろうと、クロエは胸中に警戒を忍ばせた。

「まず内容をお聞きしても?」

「あー……」

 クロエの問いに青年が口ごもる。やや時間を置いてから青年は口を開いた。

「ええと、魔術に関してのことなんだけど……」

 飛び出した言葉にクロエが押し黙る。

「それはお父様にご相談なされた方がいいのでは?」

「うっ。やっぱりそうだよね……」

 返された正論に、青年が肩を落とす。

 クロエはそのまま話を終えようとも思ったが、少し思考を巡らせ口を開いた。

「……差し出がましいですが、話すことで少し楽になられるのであればお聞きいたします」

 出された提案に、青年は沈ませた表情をぱっと輝かせた。

「本当……!? じゃあ、父さんには秘密ってことで……」

「はい。分かりました。しかし、私ではどうにもならないことは、やはりお父様にご相談なされた方が良いと思います」

「うん。心配してくれて、ありがとう」

 ほっとしたように緊張を緩ませて青年がクロエに礼を言った。そのやり取りをすぐ傍で聞いていた店主が青年に投げかける。

「おれに聞かれてるのは良いんかね」

 店主にそう言われ、青年がぎくりと肩を震わす。

「あ、いや、その……。危ないことをしていないなら父に告げ口したりはしないでしょう?」

 青年からしどろもどろにそう聞かれると、店主は肩を竦めながら柔らかい声で答える。 

「……君のお父さんには世話になっているから、あまり心配されるようなことはするなよ」

 その表情は心から青年を案じたものだった。

「はい……!」

 店主をまっすぐ見て、青年は大きく頷く。店主は青年の返事に、少し安堵したように表情を緩めると調理の続きに戻った。


 青年は店主からクロエへ向き直ると、改めて口を開いた。

「自己紹介がまだだったね。オレはエリオン。……それと、そこまで畏まった話し方しなくても良いよ」

「しかし……」

 言いよどんだクロエにエリオンは軽く首を振る。

「オレ、兄さんや弟達みたいに何かすごいことをやっているわけではないからね」

 エリオンは困ったような表情をしながらも、その言い方には特に気負いや卑下を感じなかった。しかし、果たすべき希求を抱えているようにも聞こえた。

 気付いたことには触れず、クロエはエリオンの言葉に応える。

「……分かりました。でも、敬語は許してくださいね」

「あっ、うん。それは大丈夫」

「私はクロエと言います。こちらこそ、よろしくお願いします」

「よろしく!」

 まだ解決したわけでもないのに、エリオンはクロエに対してほころぶような笑顔を見せた。


 - - -


 食事を終え、エリオンとクロエは大通りから少し逸れた脇道でこそこそと話す。

「そういえば、どこでお話します? 工房の中ではお父様と鉢合わせるかもしれませんし、かといって魔術に関することを他の人に聞かせるわけにはいきませんし……」

「ああ。それならオレはすぐ傍に誰か居ないかが分かるんだ。音が漏れにくい個室であればどこでも……」

 そこまで口にするとエリオンは、はっとしてクロエに向き直る。

「もしこの話が怪しいと思ったら断ってもらって良いから!」

「相談があるんじゃないんですか……?」

 ことりと首を傾げたクロエにエリオンがもごもごと口ごもりながら言葉を紡ぐ。

「いや、あの、魔術の話だから個室で誰も居ないところって……」

 改めて言われて、ああ、と得心した。

 師の子息だからと高をくくっていたわけではないが、欲を満たすのではなく、目的を果たすために必死な、クロエにってなじみ深い目をしていたので、その可能性を失念していたのだ。

「魔術の相談で私に出来ることであれば協力します。良いですか?」

「うん。ありがとう……。気後れしちゃってごめん……」

 クロエに改めてそう告げられ、エリオンは申し訳なさそうに顔を歪めた。


 気を取り直したエリオンは、おあつらえ向きの建物があるとクロエを案内した。先ほどの脇道からさほど遠くない、大通りの路地から少し離れた住宅街の一角にある、簡素だが上品な造りをした建物だった。

 エリオンは先に建物の中に入り、小部屋に備えられた小綺麗な椅子に先に自分が座ってから、慣れた所作でクロエに椅子を勧めた。

 

 椅子に腰を落ち着けたクロエはどんな相談をされるかと内心身構える。

 魔術と関わらず生きてきた者の中には、魔術に対して過大な期待を持つ者も居る。エリオンの望みが、自分の対応できる範囲内であるとは限らない。

 とはいえ、自分の身を案じて相談を断っても許す人間に、手の及ばない問題だと告げたとしても手討ちにされることは、まず、ないだろうとも思った。


「えっと、どう話したらいいのか……」

 エリオンは迷うように口ごもる。

 屋台の店主は黙っていると告げたが、他の人間にもエリオンと共に居るところを覚えられているかもしれない。彼が父に隠したい相談がどんなものかにも寄るが、早急に話を進めた方が良いだろうと思い、クロエは話を切り出した。

「私は何をしたら良いでしょうか?」

 勢いにエリオンは少したじろいだが、クロエの考えを汲んだのか、すぐに口を開いた。

「ええと、妖精召喚のことを知りたいんだけど……」

「すみません。専門外です……」

 飛び出した話にクロエは正直に答える。

「だ、だよね~~。そう、うまくはいかないか……」

 エリオンはがっくりと肩を落とした。そのまま行儀悪く椅子に背を預けると天井を仰ぐ。

「どうしよう……」

 か細い声がエリオンの口からこぼれた。

 すぐ近くに居るクロエには届いてしまったが、思わず漏れたようなほんのかすかな声音は、聞かせようとしたわけではないようだった。

 エリオンはすぐにクロエへと向き直ると、作った笑顔を貼り付ける。

「ごめんね、こんなとこにわざわざ連れてきちゃって。話を聞いてくれてありがとう」

 そのまま、立ち上がろうとしたエリオンにクロエが声を掛ける。

「もう少し話を聞いても良いですか?」

 クロエの言葉にエリオンは目を見開く。それからまた申し訳なさそうな顔をして、もう一度礼を言った。


「妖精召喚でないと駄目なんですか?」

 腰を落ち着け直したエリオンにクロエが尋ねる。

「……うん。数年前までは妖精召喚が出来ていたけど、今は出来なくなっている話は知ってる?」

「ええ、術式に瑕疵が見つかって召喚出来なくなっているという話は聞きました。実際に術を発動させても召喚出来ないそうですね」

 エリオンの問いにクロエが答える。

「今まで使えていた陣や道具で、今までどおりのことをやっても召喚出来ないのはおかしいと思って……」

「確かにそう思いますよね。でも、過去にそういう事例もあるらしいですよ」

「あっ、そうなんだ?」

 術式がかろうじて魔術を発動出来る組み方になっていて、地場の変化などで術式が発動しなくなる事例はなくもない。

 発動不能になるまで術式の瑕疵が見つからずに、長い期間そのまま放置されてるケースもごくまれではあるが、過去にもあったらしい。

 クロエは知っていることを簡潔にエリオンに説明する。

「世界にどんな変質があって妖精召喚が出来ないのか、また他の事象に影響がないか、専門の術師はもちろん、他の分野の術師も協力して調べているみたいです」

「そっか。調べているのか……」

 どこか安堵したような口ぶりでエリオンは言った。

「妖精召喚についての新しい情報とかを知るのは君じゃ……」

「無理ですね。お父様に聞いた方が早いです」

「だよね……」

 話の最初に専門外と聞いた時ほどではないが、きっぱりした断言にエリオンはうなだれる。それでもクロエに非難を向けることなく、エリオンはゆるく笑顔を作った。

「改めて、君に話を聞けて良かったよ。本当にありがとう」

 それじゃあ、と部屋を後にしようとしたエリオンにクロエが声を掛ける。


「もう一度聞きますが、妖精召喚では貴方の目的は叶いませんか?」


 ただの問い。しかし、もう一度繰り返されたそれに何を感じ取ったようで、エリオンは部屋から出ようとした足を止めた。

「何か、他に方法はあるの?」

 見定めるようにまっすぐ向けられたエリオンの視線を、クロエは静かに受け止める。

「エリオンさんが求めるものに合うかは分かりません。ですが、試すと言うなら協力します。もちろん、怪しいと思ったら断ったり、お父様にご相談して構いません」

 クロエの気迫に気圧されるエリオン。わずかな逡巡の後、ぎゅっと引き結んでいた唇を開く。

「――うん、分かった。よろしく頼むよ」

 エリオンはクロエに対して右手を差し出した。契約の書面でもない、なんの拘束力もないただの握手に、クロエは応えた。

 それが却って、相手を縛り付ける楔となるように。


 クロエとエリオンはお互いに目的を腹の底まで明かさなかった。染みるように密やかに、それぞれの思惑は混じり合っていく。

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ある魔術師の話 uden @uden

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