二十五日目 暮木くんは『彼女』が欲しい
それはたしか、小学生のときのことだ。
「二十四日と二十五日と、どっちが本当のクリスマスなの?」
私はどちらかといえば冷めた子どもでサンタクロースも信じていなかったから、クリスマスが二十四日だろうが二十五日だろうがどっちでもよかった。プレゼントをもらえて、みんなでご馳走を囲んで、お気に入りのお店のケーキを食べられれば、それでよかった。
本当のクリスマスがいつかという問題については、
「気になることがあったら、まず自分で調べてごらん」
と緩士のお父さんに言われたのだけれど、飽きっぽい緩士が誰の手も借りずに最後までたどり着けるはずもなく。結局わからずじまいで今日に至る。
「
高校二年の、十二月二十四日。
私の家族と緩士の家族とで、恒例のクリスマス会が行われていた。会場はいつも我が家だ。
乾杯のグラスを前にしながら、答えが気になってしまった母がスマホで調べている。どれどれと、父が横から覗き込んで「へえ」と声を上げた。
ちなみに言うと、『イブ』は『クリスマスの前夜』ということではなくて、日没から日没までを一日と数える数え方でいうところの『クリスマスの日の夜』ということらしい。この場に緩士がいたらきっと大袈裟に驚いていただろう。
「それじゃあちょっとフライング気味ね」
「日没まで待とうか?」
「いや、いいよ。やっちゃおう」
「ところで今日の日没は?」
私の両親と緩士の両親が次々に言葉を投げ込む。
「十六時三十分くらい」
検索結果が表示された画面を印籠のように見せると、四人揃って時計を見上げた。
「ま、これくらいなら許容範囲だね」
顔を見合わせグラスをぶつけ、クリスマス会という名の宴会がスタートした。
クリスマスらしい何かをするわけでもないのに、親たちは毎年、日ごろの鬱憤を晴らすかのように、これでもかとはしゃいでいる。
よく知る大人たちではあったが、お酒が入っているときに話すことは、まるで知らない誰かが口にする言葉のように耳に届いて、私はなんとなく居心地が悪くなった。
今年はなおさらだ。
父親たちが三杯目のビールを飲み干したところで玄関のチャイムが鳴った。辺りはすっかり暗くなっていた。
古いインターホンの画面に粗い画像で映し出されたのは、冴えない顔をした幼馴染みの姿だった。服装も髪型も、いつもより気を遣っているように見える。
デートだから当たり前か。
そう納得したのは一瞬で。
「なんでいるのよ」
インターホン越しでは伝わらない気がして、直接玄関に出向いて言った。
「
「終わったから帰ってきたんだよ」
「小学生じゃないんだから」
時計を見るとまだ十八時をまわったころだった。
「そう言ったって。プレゼント買ってケーキ食って、クリスマスらしいことは一通りしてきたから」
言いながら何かを手渡す。
「なにこれ」
「クリスマスプレゼント」
金澤さんとのデート中に見つけたらしい。私が好きそうなキャラクターだなと思ったら、つい買ってしまっていたと。
「幼馴染みとはいえ、デート中に他の女子のプレゼント買うとか。そういうことしてるとまた振られるよ」
私は金澤さんの顔を思い浮かべた。彼女が緩士を振るようなことはないかもしれないが、きっと傷つきはする。
これからは気をつけなさいよと言うと、緩士は
「今回は振られないよ」
と言い切った。
「俺の方から断ってきたから」
思いがけない言葉が続いて、私はプレゼントを落としそうになる。
「どうして、断ったの」
そう聞くのが精一杯だった。
それに対して緩士は、少し考えてから、
「ケーキがさあ、そんなにおいしくなかったんだよ」
と肩を落とし言った。
ケーキがおいしくないとはどういうことか。緩士はお気に入りの店のケーキを予約して、それで彼女ができる日に備えていたはずだ。そのケーキを、ようやくできた彼女と食べることができたのに、おいしくないわけがない。
たとえおいしくなかったとしても、それがどうして金澤さんの告白を断ることにつながるのか。
「緩士、ちょっと出よう」
どうしても理由が知りたくて、来たばかりの緩士を夜の散歩に誘った。
近所の何でもない道をただ歩く。人影は私たちの他になかった。
弱々しい街路灯がぽつりぽつりとあるだけ。私たちはその灯りの下を渡り歩くように歩いていた。
クリスマスパーティーの最中に出てきたりしたら親たちが変に思わないかと、緩士は妙なところに気を利かせる。
「大丈夫よ。あの人たち、私たちがいなくて勝手にも盛り上がるんだから」
今でこそなんとも思わないが、小さいころは困った親たちだと思っていた。
そんなことよりも、今は金澤さんのことだ。
私はため息をこぼした。吐息が冷たい空気に触れてふわっと白く流れた。
真似をして、緩士がはーっと大きく息を吐く。雲のようにもくもくと湧いて、見る間に消えた。
「どうして断ったの?」
そのタイミングで良かったかわからないが、私はそう切り出した。
「だから、ケーキがいつもみたいにおいしくなかったんだよ」
「いつもの、あんたの好きな店のケーキでしょ」
「いつものだけど、いつものじゃなかったんだよ」
緩士は転がっていた石ころをツンと蹴った。思っていたよりも転がったことに焦り慌てて追いかける。路上駐車の車に向かって跳ねる前に勢いを失ってくれて一安心した。
緩士は少し進んだその場所で、立ち止まってこちらを振り返った。私がたどり着くまで待っているのだ。
私がようやくたどり着くと、バツが悪そうに言った。
「あそこのケーキさえあれば他のやつでもいけるんじゃないかなあって思ったんだけど、やっぱり駄目だったわ」
言うと、緩士の火は照れたような表情に変わる。どこか『言ってやった!』というような達成感もにじみ出ていた。
だけど――
「は? 何を言っているかわからないんだけど」
もう一度、頭の中で緩士の言葉を繰り返してみるけれど、私には理解できなかった。何を言わんとしているのか、さっぱりだった。
「いや、普通わかるだろ」
「わかるわけないでしょ」
「だから! その、なんだ。アレだよ。アレ」
「どれよ」
「つまりその……」
緩士は難しい顔をして言葉を探している。しかし納得いく言い回しが浮かばなかったようで、もっともシンプルな言い方を選んだ。
「お前じゃなきゃ駄目だってことだよ」
顔を見たのはほんの一瞬で、すぐに目をそらし先に進んでしまった。
私は一拍遅れて歩き出し、緩士のあとを追った。
「まだ意味がわからない。わかるようにちゃんと説明してよ」
早足で追いかけて、ようやく横に並んだところで緩士のジャケットの袖を掴んだ。金澤さんのように可愛らしくはできない。力一杯に掴んで、緩士の歩みを止めさせた。
「説明して」
もう一度言う。
緩士はゆっくり振り返って大きなため息をこぼした。
「俺さあ、昔からお前のこと好きじゃん?」
「何それ。初耳」
「初耳じゃねえよ! 何度も言ってるだろ」
「何度も?」
そんなことがあったかしらと、緩士との思い出をたどっていく。
「休み時間に好きな子の名前を挙げていったら止まらなくなったり、バレンタインにチョコレートが欲しいからっていろんな人に声をかけたり。ここ二年はクリスマスの――」
「ひとつひとつをよーく思い出してみろ」
小さな子どもあやすように優しく語りかける緩士。もうちょっとだ、近づいてるぞと言うけれど、私にはまだわからない。
「最初は誰だ?」
緩士が問う。
「………………あ。ええと、」
私は恐る恐る自分を指差した。
緩士が呆れた顔で頷く。
「いつもお前に振られるところから始まってるんだよ」
言われてみればそうだった。
今回だってそうだ。初めは私からで、でもそれは冗談のようなついでのような言いぶりだったから、だから私は相手にしなかった。
「ってことはさ」
緩士が気づく。
ぐいと近づいて私の顔を覗き込んだ。
「真面目に言えば、考えてくれるってこと?」
いつになく真剣な顔つきで、じりじりと迫ってくる。逃れようとそっと片足を引けば、同じ分だけ緩士が距離を詰めた。
ニタッと喜びを隠しきれない表情に嫌な予感がして、私は緩士の前からするりと逃げた。
だけど逃げ切れはしない。
緩士はそっと私の手をとった。寒空の下、冷え切った私の手のひらに緩士の手のぬくもりが伝わる。
「俺、お前のこと」
完全に流されそうだった。
しかしこのまま緩士のペースで進められてたまるかと、私は反撃に出る。
「
「それは、」
「近くにいる人って言われて
「だって」
「金澤さんに好きって言われて鼻の下のばしてたくせに」
「のばしてなんか」
効果は上々のようだ。
とどめのひと言は――
「私の好きなところ、言えないくせに」
攻撃するつもりだったのに、どうしてか自分の方が苦しくなった。そうだ。なんだかんだ言って、緩士は私の好きなところを言えなかったのだ。
うつむくと、緩士はため息をついた。
せっかくきれいにセットした髪をくしゃくしゃっとかき回すと、もう一度大きく息を吐く。今度は自分に気合いを入れるような息だった。
「だからあれはお前の勘違いだって。嫌いなとこを挙げる方が簡単だっていうのはさ、好きなところに比べたら嫌いなとこなんてほとんどないってことで――ようは好きなところがいっぱいあり過ぎて困るってことだよ!」
それくらいわかれよ、と大きな声で言った。どこかの犬が応えるように遠吠えを響かせる。それでできた間が緩士に羞恥心を自覚させたようで、彼の顔はたちまちのうちに真っ赤になった。
「ええと」
何を言うべきか。
答えが出る前に、緩士が私の体を引き寄せた。そのままがしっと抱きしめる。
「大好きだ!」
言うなり今度は体を引き離して、しっかりお互いの顔が見える距離を確保した。
「才苗は俺のことどう思ってる?」
ごくりと唾をのむ音が聞こえた。
「私は――」
神さまというものは本当にいるのかもしれないと思った。
言葉に詰まったその一瞬の沈黙にとってかわる着信音。緩士のスマホがけたたましく鳴っていた。
「うわっ、親父かよ」
慌てて出る。
要件はたったひとつ。
「二人とも、さっさと帰ってこいって」
「それは大変だ。急いで帰ろう」
私はわざとらしく言った。
「え! 返事は? 俺のこと好きって言わないの?」
「何言ってるの。ほら、早く帰るよ」
緩士の手をとって来た道を引き返す。
緩士は大きなため息をこぼした。だけど何かが吹っ切れたようで、突然駆け出す。引いていた手は引かれる形に変わった。
「よし! 帰ってうまいケーキ食うぞ!」
一歩前を駆けながら緩士が言う。
「うん。きっとおいしいよ。今年のは特に」
私は緩士に聞こえないくらいの声で言って、こっそり笑った。
「ところでひろくんは、どうしてクリスマス時期になると彼女をつくろうと頑張っちゃうの?」
ほろ酔い加減の母が私の幼馴染みにからんでいる。
それは私も気になっていたところだ。
「いや、それは、才苗が俺のせいで恋人とのクリスマスをあきらめたことがあったから」
申し訳なさそうに言う緩士。
しかし母は不思議そうな顔をする。
「才苗ちゃん、恋人なんていたことあった?」
「いや、私も初耳」
言うと緩士はソファーからずり落ちた。
「んなわけあるか! 中三の時、クリスマスにデートする予定あったろ? でも俺に彼女がいないからって気を遣って――」
途中まで言って、自分で気がついたようだ。
「もしかして、俺の勘違い?」
「勘違いというか、思い込み?」
私が言うと緩士はがっくり肩を落とした。
「だって、バレー部の男子にクリスマスの日に映画誘われてて、お前も喜んでたのに、途中で『うちはいつも幼馴染みの家とパーティーやってるんで』って断ってたじゃないか」
「ああ。あれか」
緩士に言われるまでまったく忘れていた。
確かに中学三年のときにそんなことがあった。だけど真相は違う。
緩士とのパーティーのために泣く泣く断ったわけではないのだ。たしかあれは私の見たかった映画の誘いだったのだが、誘ってくれた彼とは普段からいろいろなものの趣味が合わなくて、そういう人と行ったらあとあと苦労しそうだなと思ったのだ。
それで後腐れなく断るために『幼馴染みとのクリスマスパーティー』を口実に使った。
「そんな……。俺が彼女をつくれば才苗が我慢をしなくていいかと思って、それで頑張ってたのに」
けなげな発言に聞こえるが、どうも先ほどの話と矛盾しているように思える。
「緩士が最初から真面目にやってれば、こんなにこじれなかったんじゃないの?」
「それを言うならお前がもっと俺のこと――」
「え、二人とも、何の話」
おもしろいおもちゃを見つけたという顔で母が二人の間に割り込む。
「なんでもない」
という私。
一方、緩士は馬鹿正直に答えてしまう。
「おじさん。おばさん。……いや、お父さん、お母さん。俺、才苗のことが」
「ちょっとやめてよ」
必死に止めようとしたがどうにもできない。
なにせ今はクリスマスパーティーの最中。
できあがった大人たちはケラケラと笑い面白がっている。
「なに、緩士くん、才苗のこと欲しいの? あげるあげる」
父のひどい発言に緩士は真剣に考え込む。
「欲しいと言えば欲しいような。でも『欲しい』でいいのか? 物じゃないしなあ。なあ、才苗、どう思う?」
五人分の視線が私ひとりに集まった。
「知るか」
私はひと言だけ言って目の前のケーキにフォークを入れた。今年は緩士の好きなチョコレートのケーキだ。カカオの香りがふうわりと抜け、舌に残るフランボワーズの酸味とチョコの苦みが心地いい。
緩士がニコニコと機嫌良く笑いながら私を見ている。
「なに?」
「いや、おいしそうだなって」
「おいしいけど、なに?」
「それって、俺がいるからかなあって」
いっそうだらしない顔になる。
私はふうっとため息をついてから緩士の顔を見た。本当に憎たらしい顔をしている。
それなのに、どうしてか、今日のケーキは特別おいしいのだ。
それを言ったら調子に乗るだろうから、絶対に言ってやらない。
私はもうひとくち口に運んで小さく微笑んだ。
「来年は、私の好きなイチゴのケーキだからね」
意地悪な口調で言ったのに、緩士はこれでもかと嬉しそうな笑顔を見せた。
【アドベントカレンダー2022】暮木くんは『彼女』が欲しい 葛生 雪人 @kuzuyuki
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