月の記憶

「……ナンデ、月ナンカニ?」

 宇宙服に仕込まれた通信越しにニックに問われて、ソウは自嘲した。

「近くで見てみたくてな」

 踏みしめる景色は一面の砂漠。遠くに基地が見える以外、何もない。

「遠く方が良く見える、って奴だな。だが、ひとつ分かった事がある」

 ソウは宙を見上げた。

「ここから見る地球は、とんでもなく綺麗だ」


 ──ソウは、幼い頃に父を亡くした。

 死というものを理解できない息子に、母は「月に行ったのよ」と教えた。物心付くまで、ソウはそれを信じていた。

 そしてその頃、母は再婚した。

 反発したソウは、学校卒業と同時に家を出て職を転々とした後、宇宙清掃業という今の仕事に落ち着いた。


 さすがに今は、死者は月に行くなんて思ってはいない。しかし、父を思い見上げた幼い頃の記憶だろうか、未だに月を特別な存在と感じていた。

 しかし何もないところだ。分かってはいたが、もう少し感動するかと思った。

「……帰ろうか」

 ソウは宇宙船に向かい歩きだした。……とその足元に、何かが落ちている。拾い上げると、金属製のカプセルだ。

 船内に持ち込み中を開く。すると丸めた紙切れが入っていた。子供らしい、たどたどしい字で手紙が綴られている。

 そう言えば昔、月にタイムカプセルを飛ばすとかいうのが流行ったな。そのうちのひとつが、奇跡的に辿り着いたのだろう。

 懐かしい気分になりながら、ソウは何となく紙面に目を通した。


  たいすきなママが月に行ってから

  スチュアートは毎日ないています

  けれど、ぼくがつよくなっ

  て、スチュアートとパパを守れる

  おとこになりたいです

  ねえ、ぼくがおおきくなったら

  がいこくにいってべんきょうして

  いつか、ママをむかえに行くね


 後は、住所らしい文字列と、名前、日付。

「…………」

 この子は、俺と一緒だ。亡くした母親が月に居ると信じている。そして、家族を守りながら、母親への恋慕を我慢しているんだ。

 重なる思いが涙となって頬を伝った。

 健気に家族を思うこの子に比べ、俺は……。

「文面ニ違和感ガアリマス」

 ニックの声がして、操縦席の横のカメラがぐるりと動いた。ソウは慌てて涙を拭った。

「どこがおかしい?」

「文章ノ区切リガ」

「子供の書いた物だ。そのくらい……」

 見直して、ソウは気付いた。段落の先頭を縦読みすると……


 ──たすけておねがい。


「これは……」

 もしかしたら、今の生活がどうしようもなく辛くて、月に居ると信じている母親に助けを求めたのかもしれない。しかし日付を見ると、四十年も前に書かれたものだ。今頃この子は、どうしているのだろう?

「……地球に戻ろうか」

「コノ手紙ヲ書イタ人物ハ、モウ大人デスヨ」

「大人になれてりゃいいけどな。……いや、目的はそれじゃない」

 墓参りをしたくなった。それだけだ、それだけなんだ……。


 だが、地球に降り立ってソウが向かった先は役場だった。

 手紙の住所が現存するか確認する。しかし住人の名前が違っていた。

 今度は喫茶店で、書いた子供の名前を検索。すると……。


「……宇宙航空研究の第一人者、ね」

 骨董屋の店主は煙草を吹かしながらソウを見下ろした。

「手紙の通りに勉強して、立派な大人になったんだよ。……俺の助けなんか、要らなかった」

 そう言うソウはカウンターに伏せ、指先で酒のグラスを回していた。

「乗り越えたんだ、自分で。死者に助けを求めたい程の辛さを」

 それに比べ、俺は逃げに逃げて、このザマだ。劣等感に耐えられず、再びグラスを仰ぐ。

「でもさ……」

 店主は厚く塗った瞼を細めて煙を吐いた。

「人の幸せなんて、金や地位にあるとは限らないんじゃない?」

 あたしはこう見えて幸せよ、と店主はグラスに酒を注いだ。

「持って行ってあげなさい。きっと喜ぶわよ。それと、何度も言うけど、うちはバーじゃないんだから……」

 しかしソウは反応しない。突っ伏して酔い潰れたようだ。

「酒癖さえ悪くなきゃ、いい人だけどね」

 店主は溜息を吐いた。


 翌日。ソウは再び月に降り立った。

 今度は宇宙航空研究基地の施設内だ。整備された通路を抜けて、建物に入る。

「ご連絡ありがとうございます」

 精悍な印象の男は、ソウに握手を求めた。

「ど、どうも」

 ぎこちなく握手を返す。そして、カプセルの手紙を差出人に手渡した。

「懐かしいですね。よく届けてくださいました」

「苦労、されたんですね。……俺も、同じだから」

 そう言いながら、ソウは目を逸らした。

「いや、お恥ずかしい。実はこれ、テストの点数が悪すぎて、父にこっぴどく叱られたもので、こんな事を書いたんです」

「……へ?」

「母は本当に助けてくれましたよ。母に会いたい一心で猛勉強をして、本当に月まで来られましたから」

 そして、窓の外の何もない景色を見渡して苦笑した。

「ここに来るまで、月には死者の楽園があると、信じてました」


「……何事も、信じるってのはエネルギーになるんだな」

 操縦席に身を沈めて、ソウは遠ざかる月を眺めた。

 月から見る地球の美しさ。それだけは、信じてもいい。

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スペース・スカベンジャー・ラプソディー 山岸マロニィ @maroney

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