第78話 宿などない!
「はー……本当、酷い目にあったわ……」
顔を真っ赤に腫らして、千鶴は深いため息を吐いていた。
かなり長い間氷とキスをしていたせいか、滑舌が悪くなっている。おまけに鼻水も出ていて、その姿はかなり痛々しい。
しかし、命に別状はなかったようで、今は雲雀が治療を施している。
「転ぶのはまだ理解できるけど、なんで氷に突っ伏したまま泣くの? お姉ちゃんにも迷惑だし、立ってから泣いてくれない?」
千鶴の治療が終わると同時に、琥珀は冷たい言葉を彼女に浴びせる。
「し、仕方ないでしょ! 琥珀は知らないかもしれないけど、転ぶのって痛いのよ! しかも、今回は顔面を強打したわけだから、もう死ぬほど痛かったの! むしろ、よく気絶しなかったなって自分を褒めたいくらいよ!」
「はぁ? 私だって転んだことも、顔面を強打したことをあるけど、別に泣き叫んだりしなかったんだけど?」
「うぅ……。こ、琥珀だってどうせ真白によしよしされて慰めてもらっただけなでしょ!?」
「な、何言ってるの? ち、違うし! 別によしよしなんてしてもらってないし!」
突然慌て出す琥珀。
俺の記憶にはそういった記憶はない。となると、俺が真白になる前の話だろう。
自分の話をしているのに、自分には記憶がない。そんな不思議な感覚に体がむず痒くなってくる。
「まあまあ、二人とも落ち着いて下さい。こんなところで喧嘩していてもしょうがないですよ。まずは宿をしましょう! 喧嘩はそれからでも遅くないです」
二人の間に依狛が割って入った。しかし、何を不思議に思ったのか、千鶴はキョトンとした表情で彼女を見る。
「宿? そんなものないわよ?」
「え?」
「この前の街で大分使っちゃったし、防寒具にもかなり使ったのよ。どこかの寒がりさんのせいでね」
「うっ……風邪をひくよりいいでしょ……」
じっとりとした目つきで睨まれて、琥珀は目を逸らす。
「だから、しばらくは野宿よ」
「えぇ!? 何言ってるんですか!? こんな寒いのに野宿なんてしたら、凍え死んじゃいますよ!」
「我慢しなさい。食糧を買うお金しか残ってないの。あなたの飯を抜きにしてもいいなら考えるけど」
「そんなぁ〜……」
依狛は絶望的な声を漏らしながら、その場にへたり込んだ。
顔には出していないが、俺も同じ気持ちだ。涙が簡単に凍ってしまうような気温の中、外で寝ろだなんて正気の沙汰とは思えない。
でも、今更文句を言ったとしても、状況は変わらないのだから、受け入れるしかない……。
「安心しなさい。明日には大金が入る予定だから」
「大金? どういうことですか?」
「ふふふ……。実はね、私たちが向かっている祭りには、賞金の出る催しがあるらしいのよ。そこで優勝して、その賞金を貰おうと思っているの」
いったいどこでそんな話を聞きつけてきたのだろうか……。
そんな情報を探す暇があるなら、働けばいいと思うんだけど……。
「なるほど! ちなみにどんな内容なんですか?」
「それは知らないわ。ただ金になる情報を集めてきただけだもの。まあ、どんな内容であろうと、大丈夫でしょ。うちには自称神が三人と馬鹿だけど力はある奴が一匹いるし」
なんて適当な……。そんな何の根拠もない収入に命をかけていると言うのか……。
「馬鹿だけど力はある人なんていましたいましたっけ?」
「さぁ? でも、自覚がないなら、本当の馬鹿ね」
「うーん。まさか自分ではないとは思いますが……。まぁいいです! とりあえず、その賞金目指して頑張りましょう!」
千鶴と依狛はやる気満々だが、俺の心には不安しかない。そもそも、本当にそんな大会が存在するのかすら疑わしいというのに……どうしてこうも前向きになれるんだろう……?
明後日には凍死体になってるかもな……俺たち……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます