第72話 違和感

「んぁ……」


 ヒビの入った窓から差し込む、赤い陽光に打たれて目を覚ます。

 どうやら寝てしまっていたみたいだ。

 子守唄なんて、赤子を寝かしつけるためのものだと思っていた。それなのにまさか、こんなにもぐっすり眠ることになるなんて……。

 馬鹿にできないな……。子守唄。


「ん?」


 瞼を開くと、最初に目に入ったのは雲雀の姿だった。しかし、どこかいつもと様子が違う。

 とぼけてもいない、ママでもない、真剣な様子の雲雀。その手にあるのは……鏡だ。魂交の鏡。

 大切にしまっていたはずのそれを、なぜか手に持っている。簡単なものだが、施錠だってしていたはずなのに……。


「……」


 何かを呟きながら、その全身を注意深く観察していく。そして、何かに気がついたのか、雲雀は眉間にシワを寄せた。


「……やはりダメか」


 雲雀は残念そうに肩を落とす。

 ダメというのはどういうことだろう……。鏡の力が使えなかったということだろうか……。でも、雲雀が鏡を使う理由も思い浮かばないし……。


「……雲雀?」


 明らかに様子のおかしい彼女に、僅かばかりの恐怖を感じながら声をかける。


「ん? あ、おはよう真白。よく眠れた?」

「うん……おかげさまで」

「そう、それは良かった。私も頑張って歌った甲斐があったというものだ」


 彼女は嬉しげに微笑む。しかし、その瞳はこちらに向いていない。彼女の視線は手元の鏡に注がれている。頭の雲雀ならば、話している時に視線を外すことなんて滅多にないのに……やはり妙だ……。


「ねぇ、雲雀。どうして魂交の鏡を持ってるの?」

「あぁ、ちょっと見せて欲しくて、勝手に借りたんだ。ごめん」

「ううん、それは全然構わないんだけど……」


 なんだろこの違和感……。鏡が見たいのなら、別に俺が起きている時に、そう言ってくれればいい。

 こんなふうに俺を寝かしつけて、隠れるように見なくてもいいはずだ。

 ただ借りたいだけなら、堂々と見せてくれと言えばいいのに。

 わざわざこんな回りくどいことをするということは、なにかしらの理由があると思えてしまう。

 それに……今、彼女が言った言葉も妙に引っかかる。


『やっぱりダメか』


 まるでこの鏡の力を試していたかのような……そんな言葉だ。


「……どうかした?」


 俺が黙り込んでいることに気づいたのか、不思議そうな顔を浮かべてくる。その様子からは悪意など微塵も感じられない。

 きっと俺の考えすぎなんだろうな……


「いや、なんでもないよ」


 俺は笑顔で誤魔化した。

 もし何か隠し事があったのだとしても、それがどんなものであれ、彼女を信じているから。


「そっか。でも、まだ顔色が悪い。きっと、熱が下がってないんだ。もう少し休んでおいた方がいい」

「え、あ……うん。そうしようかな……」


 俺は布団の中に潜り込んだ。まだ体がだるい。頭がぼんやりとしている。熱も下がっていないのかもしれない。

 でも、色々な思考が頭を駆け巡って、中々眠りにつくことできない。


「もう一回歌ってあげる」

「……ありがとう」


 子守唄を聴かないと眠れないなんて、まるで赤ちゃんのようだ。でも、今は甘えることにしよう。だってその方が気持ち良く眠れるのだから。


「〜♪」


 ……あれ? なんかさっきと雰囲気が違うような……? 先ほどはただ純粋に優しさを感じたが、今回は少し違う。どこか悲しみのようなものが感じられる。

 歌詞が違うせいだろうか?


「〜♪」


 ……いや、これは歌詞の問題じゃない。彼女の歌い方……というよりも、心の問題だ。雲雀は俺に歌を聞かせようとしているのではなく、まるで自分に言い聞かせるように歌っている。

 その心の悲しみを払うかのように……。

 まるで、自分自身の心を鎮めるように……。


「〜♪」


 まずい。催眠効果がさっきよりも強い。

 あ……もう……瞼が……重い……意識が……遠退いて……。


「……♪〜」

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