第60話 未来から君へ

「あ、真白。どこ行ってたのよ。ご飯、買ってきたわ。ほら、焼き鳥。安くて、美味しいわよ」

「あ、うん。ありがとう……。でも、ごめん。ご飯はいらないかな……」

「どうして? 顔色も良くないし、体調が悪いの? だったら今日は帰って……」

「う、ううん! 別にそういうわけじゃなくて。ただ、ちょっと食欲がないだけだよ」


 宿へ戻ろうと提案する千鶴の言葉を遮るように声を上げる。

 俺一人のためにみんなの楽しみを奪うわけにはいかない。それに、体調が悪いわけでもない。ただ、気分が優れないだけだ。


「そう……わかったわ」


 千鶴は心配そうな表情を浮かべながらも了承してくれた。

 ……あの女のことをみんなに話すべきだろうか。いや、こんなにいい雰囲気なんだ。いま話さなくても、後で話せばいい……。

 少し横になろう。そうすれば気分も良くなるかもしれない。

 そうして砂浜に倒れ込んだとき、黄色い瞳が目に入った。


「あ…………」

「なにしてるの? 踏みに来てくれるんじゃなかったの?」

「あ……ああ……」


 瞳から思い出されるのは先ほどの記憶。落ち着いていた恐怖と吐き気が一気に押し寄せてくる。雲雀への疑いが頭の中を駆け巡っていく。


「う、あ……」


 視界がぐちゃりと歪む。

 耳鳴りが止まない。頭が痛い。

 心臓が張り裂けそう。


「真白、大丈夫?」

「うぅ……あぁ……」


 こんな心配そうな表情をして、本当は笑っているんじゃ……。今までのだって全部演技で……。


「う……ごほぁええ……」


 一瞬にして口の中が酸っぱいで埋め尽くされた。さわやかな酸味ではない。不味くて、ねっとりとしていて、不快な酸味。それらは濁流となって、口から溢れ出る。


「真白!?」

「げほっ、ごほぉ……」


 千鶴は驚きの声をあげると同時に、そばにいた雲雀を睨みつける。


「あんた……真白に何をしたの!?」

「私は何もしてな…………いや、何かしたのかもしれない。ごめんなさい。でも、今はそれどころじゃない。真白が大変なことになっている」

「……っ! 真白、真白! 大丈夫!?」


 千鶴はすぐさまこちらに駆けつけると、背中をさすってくれた。けれど、もうその程度では治まりそうにもない。


「だい……じょぶ……。すこし、目がまわっただけだから……」

「そんな……どう見ても大丈夫じゃないわよ。今日は帰りましょう? ね?」

「いや、本当に平気だから……心配しないで……」


 精一杯の笑顔を作る。これ以上、みんなに迷惑をかけたくない。苦しいのは俺だけだ。俺が耐えればみんな楽しく時間を過ごせる。


「…………わかった。でも、無理はしないでね。つぎ調子悪そうにしてたら、引きずってでも連れて帰るから」

「はは……。病人を引きずり回すのはどうかと思うな……」

「はあ……もう。とにかく、無理しちゃダメだからね! わかった!?」

「うん……」


 心配そうな表情を浮かべながらも、千鶴は俺から離れていった。……それでも、雲雀はずっと俺の瞳を見つめている。頭の傍らで膝をつき、懐疑の目で……


「なにか、あったの?」

「別に……何もないよ」

「嘘。あなたは今にも泣き出してしまいそう。そんな表情をしている。……なにがあったの?」

「……なにもないよ」

「教えてくれないの?」

「……」


 言えるはずがなかった。だって、もし雲雀があの女と繋がっていたとしたら……俺は……


「一人で抱え込んでいても、いいことなんてないよ」

「うるさい……」

「……ねぇ、真白。いっぱい、いっぱい抱え込んで、ぱんぱんに膨れ上がった心はどうなっちゃうと思う?」

「……」

「破裂して、砕けて、そして……壊れてしまうんだよ? さっきの嘔吐みたいに、抑えきれなくなった感情はドロドロになって溢れ出しちゃうんだよ?」

「黙って……」


 まるで、あの女のような話し方。聞いているだけでも気分が悪くなる。


「ねぇ、真白。私を、私たちを……頼ってくれても……いいんじゃないかな? 真白が思っているより、琥珀も、依狛も、千鶴も、みんな、ずっとずっと強い子なんだ。どんな話だって受け入れてくれる。だから……」

「……うるさい! うるさい!! 知ったような口聞いて! 何がわかるって言うんだよ! 出会って数日の付き合いのくせに!!」


 思わず怒鳴りつけてしまった。

 違う……。そうじゃない。そうじゃなくて……。


「……わかるよ。私にはわかる。君が、一人で溜め込んじゃうことくらい知っている。真白じゃなくて君が……」

「……っ!」

「日本にいた頃からの癖なんだよね。一人でなんでもかんでも解決しようとして、誰にも話さない。周りに相談することもできない。いつも、自分の中にため込み続けて……。君は優しいから。迷惑だと思っちゃうんだよね」

「だがら……だまれって言ってるだろ!!!」


 足元の砂を思いっきり蹴り上げる。それは雨のように雲雀に降り注ぎ、彼女の翼を白く染め上げる。それでも、砂まみれの鳳凰はなおも俺に語りかけ続ける。


「でも、でもね、黙っている方が、よっぽど迷惑だと私は思うんだ。君の気持ちがわからなければ、相談に乗ってあげることも、一緒に考えてあげることもできない……。君も、一人で苦しんで……。そんなのみんな悲しくなるだけだよ」

「別に、いいだろ……こっちの問題なんだ……」

「ダメだ!!!!」


 雲雀は大声で叫んだ。あまりの大きさに身体を震わせる。その声に驚いたのか、カモメたちが一斉に飛び立った。

 普段の彼女からは想像もつかないほど大きな叫び。それはどんな言葉よりも迫力があって、俺の動きを止めるのに十分すぎる。

「ダメだよ……。一人でできることは限られているんだ。一人で頑張っても、いつか壊れるのは目に見えている……。でもね、仲間がいれば、支え合って、助け合って、分け合えば……きっと、大丈夫になるから……」

「……」

「それにね、私たちは……出会ったばかりなんかじゃ……ないよ?」

「は…………?」


 雲雀はゆっくりと立ち上がると、両手を広げて天を仰いだ。その姿はまるで神へ祈りを捧げているかのようで……。しかし、それもすぐに終わると、彼女はゆっくりとこちらへと振り返った。

 その顔は慈愛に満ちた微笑みを浮かべていて、なにか不思議なモノを感じる。

 出会ったばかりなんかじゃない……? それはどういう意味だ? 俺たちが会ったのはつい最近で……まだ、三日かそこらしか経っていないはずだ。それなのに……

 困惑していると、雲雀は俺のそばまで寄って、手を取った。

 それはとても温かくて……。どこか懐かしくて……胸の奥がきゅっと締め付けられるように痛い……


「君に秘密を打ち明けてもらうんだ。私も……言わなくちゃいけないことがある」


 雲雀は真っ直ぐに俺の瞳を覗き込む。

 虹色の空に輝く満月はもう、怖くなんてなくて、むしろ安心感すら覚えた。


「ぜんぶ、君に教えてもらったんだ。日本のことも、みんなのことも、そして、君のことも」

「なにを……言って……」


 夕焼けの赤い光が、彼女の瞳に決意の色を与える。


「……来たんだ。私は君を…………未来から、助けに来た……」

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