第52話 足蹴
「こ、これは……」
中に入ってみて、俺は思わず絶句してしまう。そこは想像を絶するほど酷いものだった。
畳は所々腐っており、その隙間からは雑草が生えてきている。
部屋の隅には蜘蛛の巣が張られていて、埃っぽい匂いが鼻を突く。
広さも八畳ほどしかなく、五人で寝泊まりするには狭すぎる。
「布団はそこにあるから適当に使いな……」
老婆はそう言って、奥の方を指差す。そこには薄汚れた布が乱雑に積まれていた。洗ってはいるようだったが、だいぶ年季が入っているように見える。
「代金は一日銀一枚。先払いだよ」
「あ、はい……」
人のお金に触れるのはあまりよろしくないが、千鶴が動けないのだから仕方がない。
千鶴を背中からゆっくり下ろすと、彼女の荷物から銀色のそれらしき硬貨を拝借した。
「ど、どうぞ」
「よし、風呂と飯は用意しないから自分たちでなんとかしな」
そう言い残して、老婆は部屋から出ていった。
「はぁ、居心地最悪。いつかの祠のほうがいくらかマシなくらい。ここで寝たら、朝には身体中からキノコが生えるんじゃない?」
「うぅ……怖いこと言わないでください……」
「そうだね……でも、千鶴がまだ動けなさそうだし、一人だけ残して出ていくわけにも……」
床に置いたいまも千鶴は震え続けていて、あまりの振動に少しずつ移動していっている。
「ずっとビビり散らかしてるだけでしょ? だったら、別の刺激を与えれば起きるんじゃない」
琥珀がニヤリと笑う。その笑顔はまるで悪魔のようだ。
そして、彼女は千鶴のそばに寄るなり、顔を踏みつけ始める。
「ちょ、ちょっと琥珀!?」
「ふーん……やっぱり柔らかいね。人間の女って」
琥珀は足を上下させながら、千鶴の頬っぺたをグニグニと踏みつける。
千鶴は女ではなく男だ!と言いたくもなるが、それ以前に、俺以外の人にもこのようなことをするのだという驚きが勝り、言葉が出ない。
「ほら、起きろよ。ビビり野郎。早く起きないとここでキノコの菌床にしちゃうよ?」
「うっ……あっ……」
苦しげな声と共に千鶴の意識が戻る。
「え……なにこれ……」
千鶴は自分の状況を理解するのに時間がかかったようだが、それも無理はない。何せ、踏まれているのだ。
理解しろという方が無茶な話だ。
目を覚ましたら足で踏まれているなんて、一体誰が想像できるだろうか。
「な、何してんのよ!」
「なにって。一向に動かない、泣き虫ドジ野郎を足蹴にしていただけだけど?」
「だけってなによ!? 人を踏んづけちゃいけないことくらいわかるでしょ?」
ようやく頭が追いついたのか、琥珀の足を振り払い、怒りの形相で立ち上がる。
「はぁ? なんであんたが怒るの? 迷惑かけられてるのはこっちなんですけど?」
「っ……そ、それは謝るけど、それとこれとは別問題よ!」
「別問題じゃないけど? あんたへの罰だから」
「ま、まあまあ、二人とも落ち着いて……」
このまま放っておくと、夜まで言い合いが続きそうな気がしたので、止めに入った。
「このまま言い合っていても、時間の無駄だよ。琥珀も早くここを出たかったんでしょ」
「……ふんっ」
「千鶴ももう大丈夫だよね?」
「うん……」
千鶴はまだ納得していない様子だが、渋々と了承してくれた。
俺が止められるうちはまだいいけど、もし俺が倒れたりしたら、永遠に言い争うんじゃないかな……。少し不安だ。
「じゃあ、宿も取れたことだし、次は水着だね」
「これを宿と呼べるかは怪しい。けれど、資金難である以上、仕方がないこと」
「資金難なのに水着は買うのね……」
千鶴は少し呆れたように呟いた。確かに彼女の言う通り、資金的に余裕があるわけではない。しかし、海に来た今、入らないという手はない。裸で入ると言う選択肢もなくはないが、女の子の体でそれをするのは流石にまずい。
「遊びは大事ですよ!」
「でも、お金に余裕は……」
「だったら裸で入りましょう!」
「そ、それは絶対に嫌!」
荷物だけ置くと、俺たちは水着を買いに出かけるのだった……。
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