第50話 廃墟

「着いたわね……」


 千鶴が目の前に広がる光景を見て、そう呟く。

 潮風が髪を撫でていく。太陽の光に反射する水面はキラキラと輝いていて、見ているだけで心が躍る。


「海です!」

「うみだー」


 隣では依狛と雲雀が目を輝かせて、海に釘付けになっている。その横にいる琥珀も、頬を緩ませて、楽しげな表情だ。


「……」


 島国である日本にいたにも関わらず、全く縁のなかった存在……。

 そこへ行くのはみんな友達連ればかりで……ぼっちであった俺には近づくことさえ許されなかった……キラキラした場所。

 それがまさかこんな形で来ることになるなんて……。人生何が起こるかわかったものではない。

 いま、天への感謝も込めて力一杯の声で叫ぼう……


「ぅうぅううむぃぃぃいどぅあぁぁぁ!!!!!!」

「うわ…………お姉ちゃん、うるさい……」

「ご、ごめん……」

「ふふん、海でそんなに喜ぶなんて、真白もまだまだお子ちゃまね」

「うぅ……」


 頬が熱くなるのを感じる。確かに千鶴の言う通り、ちょっと子供みたいだったかもしれない。けれど、今日は……今日くらいは子供になってもいいじゃないか。だって、こんなにも心が沸き踊ることなんて滅多にない!


「もう、遊びに来たんじゃないんだよ? わかってる? お姉ちゃん」

「わかってるっ! わかってるっ!」

「はあ……そんな様子で言われても説得力ないよ……」


 琥珀の呆れたような声で初めて、自分の尻尾が左右にぶんぶんと振られていることに気がついた。それに足踏みもなぜだか止まらない。

 沸き踊る心の声を体現しているかのように、左右どちらかの足が常に地面から離れている。


「大丈夫。思ったより早く着いた。遊ぶ時間はある」


 雲雀が琥珀の肩に手を置いて、諭すような口調で言う。


「でも……」

「ただ、このまま海に向かうのは馬鹿。宿を探すのが先。それに汐彩では、海で遊ぶ人のために水着なるものが売られているらしい。だから、それを買ってから海に行くべき」

「な、なるほど……」


 冷静な指摘に俺の心の火も一旦消えて、なんとか落ち着きを取り戻す。

 水着は汐彩でしか売られていないような口振りだけど、この世界では泳げる海はここくらいしかないのかな? それなら、依狛があんなに興奮していたのも頷ける。


「自分はふんどし一丁でも全然平気ですけどね!」

「うるさい。馬鹿犬。おまえ個人の話なんて聞いてない」

「くぅぅん……」


 雲雀に睨まれて、依狛は耳まで垂らして項垂れている。


「じゃあ、さっさと宿を見つけるわよ。ちゃんと着いてきなさい。間違っても、一人で海に行ったりしないでよね」

「はーい」


 ☆★☆


「こ、これは……」


 カランッ……カランッ…………


 目の前に佇むそれはまさしく廃墟……。木造の壁には無数の穴が開いており、今にも朽ち果ててしまいそうだ。

 屋根は何度も補強した跡があって、古い場所に関しては潮風に吹かれる度にパタパタと音を立てて、剥がれる寸前といった様子。

 窓枠も所々腐っているようで、そこから見える内装は薄暗い。


「なかなか開かないわね」


 ドアの取っ手を引く千鶴。しかし、錆びついているのか、一向に開く気配はない。


「ね、ねぇ……本当にここなの?」

「ああん、何よ。何か文句あるの?」

「い、いや、ちょっっっっとここは嫌かなあって……営業してるかも怪しいし……」

「はあ? そこに営業中って書かれてるじゃない」


 千鶴が指差したのは入口の横の看板。そこには確かに営業中と書かれている。しかし、その文字は乱雑で、しかもなぜか赤い。

 看板というよりかは、ここに迷い込んだ者のダイイングメッセージと言われた方が納得いく。


「ここに来るまでにもっと良さそうな宿がたくさんありましたよね? そっちの方が良かったんじゃ……」


 依狛はそう言いながら、不安げな視線を千鶴に送る。


「仕方ないじゃない。ここが一番安いんだもの」

「そ、それでも……」

「私のお金で泊まっているのよ? 感謝されても、文句を言われる筋合いはないわ」

「うぅ……す、すいません」

「全く……これでも海に近い方を……あ、開いた」


 ギィ……と軋む音が鳴り響く。その不気味な音を合図に、俺たちは意を決して建物内へと足を踏み入れた。


「ええと、受付はどこにあるのよ」


 千鶴がキョロキョロと辺りを見渡している。俺もそれに倣って見渡すが、人の影どころか気配すら感じられない。


「誰もいないの?」

「おかしいわね……」

「あ、あのぉ……どなたかいらっしゃいませんか?」


 依狛が恐る恐る奥に向かって呼びかけるが、返事は返ってこない。


「うぅ……怖い……」


 床がギシギシと悲鳴をあげている。少し強く踏んだだけでも破れてしまいそうで、ゆっくり、ゆっくりと歩みを進めていく。


「ええと……あ、あった」


 しばらく歩くと、カウンターらしきものが目に入る。

 その向こう側には……やはり人の姿は見えない。


「やっぱり廃墟なんじゃ……?」


 依狛がボソッと呟く。

 その瞬間、ガタガタッと大きな物音が背後から聞こえてきた。


「ひゃあ!?」


 依狛が小さな叫び声をあげて、その場にへたり込む。


「お、お化け……?」


 琥珀が震え声で言った。俺はその言葉を聞いて、思わず生唾を飲み込んでしまう。


「い、いるわけないでしょ!」


 千鶴が引きつった笑みを浮かべて、そう答える。

 だが、俺も彼女も依狛と同じ気持ちだ。心臓はバクバクと脈打ち、背中には冷たい汗が流れる……。


「や、やっぱり、この宿はや、やめるわ……。人もいなさそうだし……」


 彼女は一歩後退りした後に、体を反転させて、走り出そうとした……しかし、


 ボフッ…………


「いたた……ご、ごめんなさい、後ろを見ていなかったわ…………」


 どうやら、彼女は誰かにぶつかったようだ。しかし、俺の視界には依狛、琥珀、雲雀がみえている。そのため、千鶴が誰かにぶつかるはずはない……。


「ひ、ひぇ……」

「いらっしゃい」

「ぎいぃゃゃやぁあぁ!!!!」

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