第40話 それでも

「あ、えっと……」

「…………」


 無言の時間が流れる。

 やがて、千鶴は震えた声で呟いた。


「さ、触らないで!」


 強烈なビンタで俺の手が払いのけられる。


「ごめん……」

「……」


 気まずい沈黙が二人を包む。

 俺はこの時ようやく理解できた。自分がとんでもない過ちを犯してしまったことに……。

 沈黙はやがて、千鶴のすすり泣く声によって破られた。


「うっ……ぐす……」


 嗚咽が耳を打つ。


「あの……その……」


 何を言えばいいのかわからない。謝ればいいのか、慰めればいいのか……。彼女だと思っていたのが、実は彼だったなんて……。


「……最低」


 涙に濡れた瞳は俺を睨みつけている。その言葉は鋭い刃となって胸に突き刺さる。


「本当に……ごめん。だ、誰にも言わないから」


 今の俺に言えるのはそれだけだった。


「嘘よ……今までそういった奴はみんな口外して、私のことを笑いものにしてきたんだから……」

「絶対にしない! 約束するよ! だから……」

「信じられないわよ! あんたのことなんて……」


 彼女の頬を伝う雫は留まるところを知らない。まるで滝のように流れ続ける。

 彼女にどんな事情があるのかはわからない。まだ出会って間もない。もしかしたらここで分かれた方がお互いのためなのかもしれない。でも……知ってしまったからこそ、放っておけないことだってあると思う。


「私もう出てく。今日の宿代は払っておいてあげるから、二度と関わらないで……」

「待って……」


 立ち上がりかけた千鶴の腕を掴んだ。振り払われそうになるが、強く握られたこの手は彼女を話すことはない。


「何よ……離してよ!」

「私は……私は女の子であることに付いているのも付いていないのも関係ないと思うんだ!」

「……ッ!? な、何言ってるのよ!」


 腕を振り払う力が強くなるが、それでも決して離さない。


「千鶴のアレを触ってしまったことは本当に申し訳なく思ってる。でも、それくらいで千鶴が女の子であるという認識は変わったりしないよ」

「はあ!?」


 知ってしまった直後は正直揺らいだ。けれど、少し考えてみれば、俺も似たような存在であることに気付いた。身体が女の子で心が男の俺。身体が男の子で心が女の千鶴。どちらがマシかと聞かれれば……それは間違いなく後者だろう。


「それに……千鶴は可愛いし」

「は、はあ!?」

「だから……私は……まだ、別れたくない……かな」

「な、なにを……」

「一緒に温泉に入っても、一緒の部屋で寝ても、別に嫌じゃないし……」

「ッ!?」

「だから……もう少しだけ……仲良くしたいなって……」


 きっと今まで、誰にも受け入れられなくて、傷ついて、辛くて……それで何度も泣いてきたのだと思う。

 だからこそ、そんな悲しい顔をする彼女をこのまま一人にすることだけはしてはいけない気がするのだ。


「……本当に気持ち悪く思わない?」

「うん……」

「本当の本当に?」

「うん」

「そっか……」


 千鶴の表情が少しずつ和らいできていた。見上げた彼女の顔はまさしく女の子のそれだ。たと生えていたとしてもそれはちょっとした誤差でしかない。紛れもなく彼女は彼女であるのだ。


「じゃあ……一緒に温泉入ってよ……。嫌じゃないんでしょ……それで確認してあげる」

「う、うん」


 まだ俺の身体は温かい。このまま温泉に入ってしまったりしたら大変なことになる気がするが……。

 彼女のためだ。仕方がない。このような死に方なら真白も許してくれるさ……。多分。


「じゃあ行くわよ」

「うん……」


 覚悟を決めて、服を脱いでいく。そして一糸まとわぬ姿になった時、千鶴の身体を見て、思わず息を呑んだ。

 そこにいたのは間違いなく美少女。胸はなくても、腰は細く、お尻はキュッとしまっている。すらりと伸びた脚は美しく、その肌は透き通るように白い。


「やっぱり変でしょ……こんな身体」

「い、いや、そんなことは……」


 この身体だからこそ、股間にぶら下がるそれは強い存在感を放っていた。その存在感は決して嫌悪感を覚えるようなモノではない。むしろ、その逆……


「付いている方がお得ってこういうことなのかな?」

「は? な、ななな、なにを言っているのよ!!」

「ご、ごめん! なんでもないよ……」


 失言だった。もし彼女が心の底まで女の子なら、とても失礼なことを言ってしまった……。でも、今俺は少し男の娘というモノを少し理解できた気がする。


「ほら、早く行くわよ。寒いったらないわ」

「う、うん」

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