第33話 一歩

「それでは、お元気で」


里長との別れを済ませた俺と琥珀は里の門へと向かっていた。里を出る前にもう一度里を見渡しておく。里の人たちは皆俺たちに向かって手を振ってくれていた。中には涙を流す人までいる。なんだかむず痒いな……。


「待ってください!」


一際大きな声が響いてくる。振り返るとそこには息を切らせた依狛の姿が見えた。

その顔は真剣そのもので、瞳は真っ直ぐこちらを捉えている。


「じ、自分も連れて行ってください!」

「え!?」


まさかの申し出に思わず驚いてしまう。彼女は本気のようだ。その眼差しからは並々ならぬ熱意を感じる。


「自分もあの女に言ってやりたいことや、やってたりたいことがあるんです。だから、どうかお願いします! 荷物持ちでも何でもやるんで!」

「私は別にいいけど……」


隣から明らかに不満げな雰囲気を感じ取る。琥珀は納得いかない様子で依狛のことを睨んでいた。


「嫌だよ。明らかに不純物だもん」

「こ、琥珀……」

「そ、そこをなんとか……。雑用は全て自分が引き受けますから……」


依狛の頭はどんどん下へと下がっていく。その姿はとても痛々しい。このままでは地面の下までめり込む勢いだ。


「琥珀……別に連れて行ってあげても……」

「ダメ! こいつにはお姉ちゃんとの時間を邪魔した前科があるんだから」


山でのことを言っているのか……。そういえば……そうか……依狛を連れていけば、琥珀の奇行の抑止力になり得るのか。この前のモフモフの後なんて人の視線が痛くて今日まで外に出られなかった……。ここは少し身を削ってでも、琥珀を説得しないと。


「わ、私の尻尾をお風呂の間自由にしていいから……ね?」

「どうしてお姉ちゃんが必死なの……その程度じゃ釣り合わないよ」


そ、そんな……琥珀が尻尾に釣られないなんて……。これでイチコロだと思ったのに。こうなったら、行けるとこまで行くしかない……。


「じゃ、じゃあ耳も好きにしていいよ」

「もっと……」

「うぅ……おなかも!」

「もっと……」

「ほ、ほっぺも……」

「もっと……」

「あーもうっ! お姉ちゃんの全部を好きにしていいから!!

「言ったね……お姉ちゃん……」


琥珀の口元がニヤリと歪む。やってしまった……勢いに乗せられて、とんでもないことを口走ってしまった。後悔先に立たず。今更取り消しはきかない。


「わかったよ……。連れて行こう」

「あ、ありがとうございます!」


依狛の顔に笑みが戻る。琥珀は渋々とだが、とりあえずは納得してくれたようだ。

良かった……。身体を売ってまで説得した甲斐があった。


「その代わり、これからは私の言うことを聞いてもらうからね」

「はい! わかりました!」

琥珀の鋭い目つきに怯えながらも、依狛は大きく返事をする。


「それじゃ、今度こそ出発しようか」

「うん」

「はい!」


依狛が一歩を踏み出したとき、里の方に緋色の光が輝いて見せた。その光はどこか恥ずかしげで、でも間違いなく依狛の旅立ちを祝っていて、まるで緋色が依狛の背中を押してくれたかのようだった。


「行ってきます……」


依狛はその光の温かさを噛み締めるように、小さく呟いて歩き始めた。


☆★☆


「うぅ、なんか体調悪い……」


なんだこれは……頭がボーッとするし、身体も熱い……。風邪でも引いたのだろうか? でも、こんな感覚は初めてだ。日本にいた頃だって、これに似た症状になったことはない。


「真白様、大丈夫ですか……って、なにか垂れてますよ!?」

「へ……?」


依狛に言われて足下を見てみると、確かに何かが滴っているのが見える。これは……血だ。

なんで……怪我なんてしていないはずなのに……。

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