第32話 覚悟

 何もできなかった。自分はあのとき、何もできなかった。


「緋色さん。自分に戦い方を教えてくれませんか……」

「あの女に手も足も出なかった私に頼むとは、なかなか思い切ったものだな。依狛」


 緋色は小さくため息をつくと、やれやれと首を振ってみせた。

 しかし、その顔には笑みが浮かんでいる。これは彼女の期待の表れなのだと、依狛は理解した。


「自分は強くならなくちゃいけないんです」

「ほう?」

「真白様はあの女を追うと話していらっしゃいました。自分もそれについて行きたいと思っています。でも、今のままでは真白様たちの足を引っ張るだけで、ついて行く資格がありません」

「なるほど……確かにおまえはお荷物になるかもしれないな」


 緋色の容赦のない言葉が胸に深く突き刺さる。だが、そんなものは覚悟の上だ。


「はい。だから、お願いします!」


 深々と頭を下げる。いつも謝っているときのモノとは違う。心からの願いだった。


「だが、私がおまえに教えられることなどない」

「なっ……そんなことないですよ! 緋色さんは自分なんかよりうんと強いし、いろいろな剣技を使えるじゃないですか!」

「だからだ。私は技を駆使して戦っているわけだが、おまえにはそれが合っていない。おまえは繊細な技術を身につけるのではなく、その、類い希なる身体能力で敵をねじ伏せるべきだ」

「そ、そうなのでしょうか……?」


 依狛にはわからなかった。自分がその方が向いていると言われても、イマイチ実感が湧かない。いつも謝ってばかりで、争うと言うことを知らないからだろうか。


「ああ、そうだ。力だけは強いからな。ただ、おまえには戦う覚悟というモノがない」

「戦う……覚悟ですか?」

「真白が祠でマガツヒと戦ったとき、あいつは覚悟を持って戦っていた。祠に入る前は頼りない女々しい狐だったくせに、戦う覚悟を持ったら大蛇をも切り伏せる剣士に変貌した。あれは素質があっただけだとおまえは思うかもしれないが、おまえにだって彼女に負けないぐらいの素質がある」


 戦う覚悟……。今まで争いを避けてきた依狛には無縁の言葉であった。そもそも争い事自体好きではないのだ。しかし、真白について行くのならば、それが避けられないことだというのもわかっている。それでも、依狛には覚悟の仕方という物がわからなかった。争わずにお互いの非を認め合った方がずっとよく思えてしまう。


「あの女も強い覚悟を持っていた。でなければ、あのような迷いのない攻撃はできないだろう。あいつにも成さねばならぬ何かがあったというわけだ。おまえも何かを成したいと思うならば、それ相応の覚悟を持つべきだ」

「覚悟……ですか」


 どれだけ力説されても、やはりピンと来なかった。彼女はきっと、とても大切な教えを説いてくれているのだろうが、自分にはそれを理解するだけの力がない。


「私はその覚悟について教えることはできない。ただ強いからというだけで戦っている私にはな……。覚悟というモノを知りたいのならば、それこそ真白を近くで見ていればいいんじゃないか」

「でも……自分ではお荷物に……」

「すぐあの女と戦うわけでもあるまい。おまえは力だけはあるんだから、荷物持ちでもすればいい。荷物が荷物を持てば、総量はそんなに変わらないだろ?」

「ちょっと意味がわからないですよ……」

「そうか……すまん……」


 緋色が冗談を言うなんて珍しい。これも彼女なりの励ましなのだろう。彼女の優しさが胸に染み渡る。


「でも、ありがとうございます……緋色さん。おかげで、自分の進むべき道が見えてきました」

「いや……礼を言われるようなことはしていない。謝ってばかりでうっとうしいから、少し発破をかけてやっただけに過ぎない」


 そう言う彼女の頬は少し赤くなっていた。素直になれない性格なのは相変わらずのようだ。


「ふふっ……」

「何がおかしい……」

「いえ……なんでも……」


 そうと決まれば、早速真白様を探しに行かなくては……。依狛は決意を新たにして、その場を後にするのだった。

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