第30話 穏やかな朝

「んっ、うぅ……」


 障子戸を貫く陽光にゆっくりと目を開く。ふわりとした布団の誘惑に侵されつつも、何とか起き上がることができた。


「ここは……」


 見知らぬ天井。嗅ぎなれない畳の匂い。……真白の部屋ではなさそうだ。

 昨日の記憶が里に帰ってきたところまでしかない。確か、俺たちが帰って来るなり、里の人たちがみんな集まってきて、それから部屋を用意してもらって……。


「うっ……!」


 急に吐き気がこみ上げてくる。未だに鮮明に残るあの女の記憶。フードの下で輝く金色の瞳。手に触れたときの柔らかな感触。

 決して恐ろしいモノではないはずなのに、得体の知れない嫌悪感が吐き気を誘う。

 あの女は知っていた。全てを知っていた。お母さんの名前と術を、俺たちが祠から出てくることを、日本の電車を、そしておそらく鏡の力とその中に入っている真白の存在を。

 もし知っていたのならば、彼女は真白を殺そうとしていたと言うことになる。でもなんで……俺が知らないだけで真白と彼女の間に何かあったのだろうか……。


「うぅ……」


 ダメだ……。考えれば考えるほど気分が悪くなる。もう何も考えたくはない……。


「おねぇひゃん…………」


 突然聞こえてきた声に反応して振り向くと、そこには俺と同じように布団の上で横になっている琥珀の姿があった。その声は寝言だったらしく、再び規則正しい呼吸音が部屋に響き始める。

 よく見ればその隣で布団をグズグズにしながら眠る依狛の姿もあった。その表情はとても穏やかで、安心しきっているようにも見える。

 彼女たちの寝顔を見て安心感が心を満たし、吐き気を抑えていく。帰って来られたんだ。あそこから……。


「お目覚めですか」


 襖が開くと、里の人と思われる一人の女性が姿を現した。


「あっ……はい」

「体調の方はどうでしょうか」

「特に問題ないです」

「それはよかった。でも、無理はなさらずに、好きなだけ休んでいってください」

「ありがとうございます」

「では私はこれで失礼します。また何かありましたら遠慮なく言ってくださいね」

「わかりました」


 女性はにっこりと笑うと、静かにその場を後にした。


「……」


 これからどうするべきなのだろうか……。

 あいつを負うのは危険を伴う行為かもしれない。それでも、あいつに合えば何かわかるような気がする。俺が知るべきことを、俺が知るべきものを……。あいつを追うべきなのだろうか……。

 考えてばかりいても仕方がないか。今は外に出て、少しでも情報を集めていこう。

 俺は立ち上がると、眠っている二人を起こさないよう慎重に部屋を出た。

 ギシギシと悲鳴を上げる板張りの廊下。壁の所々に空いた傷穴は惨劇の爪痕を物語る。ここが戦場だったなんて誰が信じるだろうか。

 里の人たちは皆忙しそうにしているものの、その雰囲気は決して暗くはなかった。むしろ明るいと言ってもいいくらいだ。昨日までの絶望感はもうない。俺たちの行動が少しでも彼らのためになったのだろうか……。


「お目覚めになったのですね。真白様」

「里長さん……」


 名前を呼ぶ声に振り返るとそこに立っていたの里長さんだった。彼は穏やかな表情を浮かべながらこちらへと歩み寄ってくると、「おはようございます」と丁寧に頭を下げた。


「はい……おはようございます」

「昨晩はよく眠れましたか?」

「はい……おかげさまで」

「そう……それならよかった」


 里長はほっとした様子を見せると、視線を下に落とした。


「真白様……昨日は本当に申し訳ありません……まさかあのようなことになるとは……」

「いえ……気にしないでください。里長さんのせいではありませんし……」


 そうだ……。もし、俺の推測が正しいのならば、里が襲われたのも、昨日襲われたのも、俺に何かしらの原因があるはずだ。それがわからないから俺も困っているのだが……。


「ところで、母がどこに行ったのか知りませんか? ほら、昨日一緒にいた、私に似た容姿の……」

「あぁ……美雪様なら、あなた方を寝かしつけた後、すぐに山へ戻られていきましたよ。おそらく、人間を守る責務を果たすためなのでしょうなぁ。いやはや、神様というのも大変なお仕事で……」

「そう……でしたか……」


 人間を守りながらも、俺たちのことを見守っていてくれたのだろうか。だとしたら、彼女の負担は相当なものに違いない。家に帰ったらちゃんとありがとうって伝えないとな……。

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