第28話 違和感

 女が手を祈るように組んだ。普通に考えれば攻撃を起こす行動ではない。だが……


「天を想い……地を創る………………創地想天そうちそうてん……」

「なっ!?」


 大地がうねり始めた。緋色も依狛も突然の出来事に対応できず、大きく体勢を崩してしまう。大地はその形をどんどん変えていき、やがては巨大な岩の槍へと変貌を遂げた。


「きゃああぁっ」

「ぐうっ」


 二人の身体を串刺しにする。一瞬にして二人は戦闘不能に陥ってしまったようだ。地面に倒れ伏し、起き上がる気配はない。


「な、なにが……」

「お姉ちゃん下がって……! アイツは私がやる」


 無数の炎が琥珀の周りに漂い始める。本当に戦うつもりだ……。でも、無謀すぎる。いくら琥珀の炎が強くても、奴はここら一帯の大地をまるで粘土のように自由自在に操っているんだ。とてもじゃないが、まともにやり合えるとは思えない。


「一瞬で終わらせる……」


 女の周りを狐火が回り始める。それは次第に激しくなり、ついには竜巻のようになった。


「渦炎焦天!」

「…………」


 琥珀が叫ぶと同時に、狐火の竜巻が女の身体を飲み込んだ。辺りは灼熱に包まれ、陽炎が立ち上っている。

 この攻撃で俺を襲ったマガツヒは炭も残らなかった。だから、人間の身体が耐えられれるはずがない。はずがないのだが……


「愚かだ。愚かすぎる……」

「なっ……」


 女は服すら燃やさずに竜巻の中から悠然と現れた。無傷だ。あの一撃を受けて傷一つないなんて、信じられない。


「……愚か者は、己の愚かな行動が導く結果を知って初めて、己の愚かさに気付く」


 足下に小さな丸い影が現れた。豆粒ほどの大きさでしかなかったそれは次第に大きくなっていき、やがては周辺を覆い尽くすほどの巨大な陰となった。


「何をするつもり!?」

「見ればわかるだろう。それとも君は下を見ることしか知らないのか」


 そう言われて初めて琥珀は上を向いた。その顔には恐怖が浮かんでいる。


「嘘……」


 上にあったのは巨大な岩の塊。隕石だ。地面に影を落としていたのは、あの隕石だったのだ。その大きさは、小山ほどもある。あんなものが落ちてきたらひとたまりもない。逃げようにもこの一帯はすでに奴の領域。逃げる場所も時間もない。


「いや……いや……」


 琥珀が泣きそうな声で呟く。当然の反応だ。こんなの……こんなのどうしようもないじゃないか……。


「まだ間に合う。その鏡を割るんだ。きみがそれを割るだけでここにいる三人。いや、ここら一帯にある全ての命が救われるんだ……」

「……」


 琥珀がゆっくりとこちらを振り向いた。その目はすがるように俺を見つめている。


『割ってください……』


 真白の声が聞こえた。その声には不安など微塵もなく、凛とした決意のようなものが込められている。


『早く!』

「で、でも……」

『大丈夫です。私一つの命で、琥珀やみんなが救われるのならば本望です。それに……私がいなくなっても、あなたが代わりに真白をやってくれるんですよね』


 ……無理だ。俺に真白の代わりが務まるはずがない。だって、自分の命が賭けられているわけでもないのに、俺の足は立てないほどに震えているのだから。でも、それでも、圧倒的な力の前に割る以外の選択肢が思い浮かばない。


「決断が遅いよ」


 呟きとともに一つの隕石が地面に落ちた。その衝撃で地面は大きく揺れ動く。確かあちらの方向には琥珀と見下ろした人里が合ったはずだ……。


「あ……ああ……」


 琥珀が膝をつく。もう終わりだ。全てが終わってしまう……。


「別にいじめたいわけではないんだ。きみにただその鏡を割ってほしいだけ。割るだけでいいんだ。手で殴っても、地面に投げつけても、何でもいい。ほら、早く割るんだ」

 女は優しく語りかけるように、しかし悲しげな声で言った。

 意味がわからない。どうしておまえがそんなに苦しそうな声を上げるんだ……。どうして……。

 もう意味がわからない。頭がぐちゃぐちゃになりそうだ。どうしたらいいのか、あいつがなんなのか、なぜこうなったのか、何もかもわからない……。


「うぅ……」


 涙が溢れてくる。こんなことで泣いている場合ではないことはわかっているのに、止まらない……。


「泣いて……いるの?」


 女の声はより悲壮的になっていく。俺を泣かせている張本人だというのに、なぜかその声は俺を心配しているように聞こえる。


「ごめんなさい……。泣かせるつもりはなかったの……」

「ううっ……」


 謝るくらいなら……最初から……そんなことするなよ……。


「お願い……。その鏡を壊して……」


 彼女は俺のそばまで寄ってくると、そっと頭に手を置いた。暖かくて、優しい、慈愛に満ちた手。俺は最近、これに似たような感触を味わったことがある……。そう、お母さんに頭を撫でられたあのときのような……。


「ほら、壊すだけでいいんだ。力がないのなら。手伝ってあげるから……」


 彼女の手が頭から離れると、今度は両手を包み込むようにして握ってきた。そのまま持ち上げられると、鏡に触れさせられる。鏡の中の真白と目が合ったような気がした。


「さあ、一緒に鏡を割ろう」

「……」


 鏡に触れる手に力を入れる。だが、うまく力が入らない。怖い……。怖くて仕方ない……。


「大丈夫……きみはそのまま握っているだけでいいから……」


 耳元で囁かれる言葉。脳に直接響いているような感覚だ。この声には逆らえない。身体が言うことを聞かない。されるがままに鏡を振り上げてしまう。


「さあ、あとは力を抜くだけでいい……」

「…………」


 ああ……そうだ。鏡を割ってしまえばいいんだ……。それで全て終わる……。


「さあ……」


 女の言葉に呼応するように、身体から力が抜けていく。


「……よし」

「……」


 これで……終わる……。終わってしまう。

………………

…………

……

「離れろ…………」


 一帯の空気がわずかに揺れ動いた。その瞬間、女は何かを感じ取ったのか、弾かれたように俺から離れた。



「私の娘から……離れろ!!」

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