第18話 非常食

 緋色の視線の先を見ると、そこには古びた神社のような建物がある。入り口の前には石製の鳥居が建っており、苔生していた。


「これが魂交の祠……」


「鍵は空いていますね……まだ鏡が盗られていなければ良いのですが」

「考えていてもしょうがない。入るしかないよ」


 社の中には地下へと続く階段のみが存在していた。下は薄暗く、奥の方は見えない。


「ここは私の狐火で……」

「いらん。明かりならある」


 琥珀が狐火を灯そうとすると、緋色がそれを止めた。そして背中に背負った背丈より長い刀を抜き放つ。


「ふんっ!」


 ボゥ……と刀身が赤く光る。その光は徐々に大きくなり、やがて炎のように揺らめき始めた。


「狐のしょうもない術に頼る必要はない。私がいれば十分だ」


 そう言い残すと、彼女は一人躊躇することなく地下に潜っていった。


「……むっかつく。行こ」


 琥珀は頬を膨らませて歩き出した。その後ろを依狛が続く。

 こんなんで本当に大丈夫かな……不安を抱えながらも、俺は二人に続いて、ゆっくりと階段を下って行った。


 ☆★☆


 階段を下りきると開けた空間に出た。一歩先には滑らかな人工物の床とゴツゴツとした天然の洞窟の境目がはっきりと見て取れる。

 天井からは水滴がピチョンピチョンと落ちており、足元を濡らす。


「なんか……ジメジメしてる……」

「空気が湿っていますね。湿気が体に纏わりついてくるような感覚です」


 洞窟の壁には大小様々な大きさの穴が存在し、それらが洞窟を迷路職人顔負けの複雑な構造に変えていた。


「緋色さんは……いないね……先に行っちゃったのかな……」

「別にいいよ。犬の一匹くらいいなくても」


 琥珀は不満げに呟く。

 早くも別行動か……。祠に入る前から予想していたことではあったけど……流石に早すぎる……。


「まあ、別行動の方が先に見つけられる可能性も高くなりますし、自分達はこのまま進みましょう」

「そうだね」 


 緋色さんのことは少し気になるが、依狛の言う通り、ここで止まっていても仕方がない。

 俺たちは祠の奥へと進み始めた。


「暗いね……」


 無限の闇が広がるかのような漆黒の世界。唯一の光源は、琥珀の狐火だけだ。

 その頼りない光が照らす範囲でも、足元が見えるだけで、壁がどこにあるのかすらわからない。


「気をつけてください。相手はマガツヒを操る人間です。追手が来た時のために、マガツヒを潜伏させていてもおかしくありません」


 依狛の警戒を促す声が響く。その言葉を聞いて、俺は思わず息を呑んだ。

 もし、この暗闇の中で襲われたら、戦うどころか逃げることすらできない……。


 ピチョン……ピチョン……


 水滴の落ちる音が妙な緊張感を煽ってくる。ここに来て急に怖くなった。そのせいか、俺は無意識のうちに琥珀の手を握っていた。

 それに気づいて慌てて離そうとしたが……遅かった。

 ぎゅっと強く握り返される。

 彼女の方を見てみると、その瞳が俺を捉えていた。

 いつもと違う、真剣な眼差し……。


「だいじょうぶ……。お姉ちゃんのことは私が絶対に護るから」


 手に込められる力がより一層強くなる。

 心強い……。

 ちょっと奇行が目立つ子だけど、いざという時はやっぱり頼もしい。


 ピチャン……


 再び、水滴の落ちる音が鳴る。

 俺たちは警戒しながら、ゆっくりと前に進んでいった。


 ☆★☆


 どれぐらい歩いただろうか……。

 体感的にはかなりの距離を進んだ気がするが、景色に変化はない。


「これ……大丈夫かな……最悪、帰ることもできないんじゃ……」

「そういえば……自分、早く前に進むことばかり考えて、戻ることを考えていませんでした……」

「私も特には何も考えてないよ」


 ……重苦しい沈黙が流れる。

 こんなしょうもないミスで死ぬのか……。餓死って苦しいのかな……。稲荷寿司を喉に詰まらせるのとどっちが苦しいのだろう……。

 そんな思考だけが頭を支配していく。


「しょ、食料はありますし! きっと帰れますよ!」


 依狛が励ますように言った。だが、その声は震えている。彼女も怖いんだ……。


「食料って……お母さんのおにぎりだけじゃん…………」


 依狛の言葉は俺の絶望感に拍車をかけるだけだった。


「大丈夫だよ。お姉ちゃん。もし食べ物がなくなっても……あの犬を食べればいいから」

「えっ!? いやいや! 食べないでくださいよ! なんでそんな発想になるんですか! 怖いですよ!」

「もし、あの犬で足りなくても、次は私が血肉となって、お姉ちゃんだけは絶対助けるから」


 ……もはや琥珀の狂気的発言につっこむ元気すらなかった。

 一度死を経験したからこそ、わかることがある。

 それは『死にたくない』ということだ。

 前世で死んだ時の記憶は朧気だ。それでも、もうあの苦しみだけは鮮明に思い出せる。二度と味わいたくなかった。

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