第10話 狐火

「……お姉ちゃんからはなれろ…………醜悪なマガツヒが」


 背後から怒りに満ちた低い声が響く。その声の主は、ゆっくりとこちらに歩いてくると、俺を守るように前に立ち塞がった。


「琥珀……」


 彼女の顔は怒りに歪んでいる。その表情に普段の面影はなく、別人のようにさえ感じた。


「お姉ちゃんを傷つけようとする奴らはみんな消し炭にしてやる……」


 無数の紅い火球が琥珀の周りに出現する。その数は優に百を超えており、それぞれが意思を持っているかのように宙に浮かんでいた。


『ギ……イ……ッ!』


 バケモノは苦しそうな声を上げながら、琥珀から距離を取る。


「逃げられると思っているの……?」


 琥珀の呟きと共に火球が一斉に動き出した。それらは不規則な軌道を描きつつ、バケモノへと迫る。


『ギィィエェェエ!』


 やがて、火球はバケモノを囲い込むように展開すると、渦を巻くように動き始めた。そして、それらは徐々にスピードを上げていく。


「消えろ……『渦炎焦天かえんしょうてん』……」


 ついには、目で追えないほどの速さまで加速した火球は一つの竜巻と化した。

 周囲の空気を取り込み、天をも焦がすほどに大きくなった竜巻は中心にいるであろうバケモノを焼き尽くすべく、勢いを増し続ける。


『ギャァァァ……』


 数秒も経たぬうちに、その熱量は限界に達した。

 肉が焼けるような音と、断末魔の悲鳴が響き渡る。それは徐々に小さくなっていき、最後には何も聞こえなくなった。


シュウウ……


「……ふぅ」


 琥珀は軽く息を吐くと、周囲を覆っていた炎を霧散させる。そこには何も残っていなかった。ただただ黒くなった大地が広がっているだけだ。


「お姉ちゃん大丈夫!?」


 琥珀はすぐに振り返ると、俺の方へと駆け寄ってきた。その顔にはもう先程の怒気は微塵もない。いつも通りの可愛い狐娘の顔に戻っていた。


「うん……大丈夫……」

「まったく、置いてっちゃやだよ〜って言ったのに」

「ごめん……でも、私は本当に大丈夫。それよりも……」


 木の根元にいる少女に目を向ける。色々と聞きたいことはあるが、今は彼女の治療が最優先だ。


「彼女を助けてあげて」


 琥珀も俺の視線を追って、少女の存在に気づくと、凝視するように見つめた。


「……うん、わかった」

 ……? 気のせいだろうか。少し躊躇ったように見えたけど……。


「よいしょっ。っと」


 俺の心配を他所に、琥珀は少女をひょいっと抱き上げると、自分の背中に乗せた。


「じゃあ帰ろっか」

「うん」


 琥珀が歩き始めるのに合わせて、俺もついていく。しばらく歩くと森を抜け、家に帰ることができた。


 ☆★☆


「おかえりなさい〜」


 お母さんの声が玄関先に響いた。彼女はちょうど洗濯物を取り込んでいるところだったようだ。両手いっぱいに服を抱えている。


「……誰その子?」

「森で倒れていたんだ。傷だらけだし、手当てしてあげてほしいんだけど」


「あらあら大変! すぐに手当しないとね!」


 お母さんは持っていたものをその場に置くと、急いで家の中に入っていった。俺達もそれに続くようにして入る。

 そして、居間に入ると、既に救急箱を持った彼女がいた。


「さあ早く、ここに寝かせて」

「うん」


 琥珀は言われた通りに畳の上に少女を仰向けにさせた。

 少女の傷はひどい。全身に打撲の跡があり、腹のあたりは大きく裂けて血が滲んでいる。右腕に至っては肘から先がなくなっていた。


「酷い怪我……」


 俺は少女の痛々しい姿に思わず顔を背ける。

 こんな大怪我、日本の最先端医療でも助けられるかどうか……。ましてや、あんな小さな救急箱でどうにかできるわけがない。


「よかった。まだ、息があるわ」


 お母さんの言う通り、少女はまだ生きていた。しかし、それも時間の問題だろう。このままでは死んでしまうことは目に見えている。


「どうしよう……」

「大丈夫よ」


 俺の不安をかき消すように、お母さんは力強く言い放つ。

 キュポンッ

 彼女は救急箱から何かの瓶を取り出すと、蓋を開けた。尿のような香りが部屋に充満する。そして、それを少女の傷に優しく垂らしていく。

 すると、たちまち傷は癒えていった。

 まるでビデオの逆再生のように元の綺麗な肌に戻りつつある。


「これで、よし。あとはお薬塗って包帯巻けば終わりよ」

「すごい……。なんなの、それ?」

「ん? これはお母さんの作った秘薬。秘薬だから、もちろん中身はナイショよ?」


 ウインクをしながら、口の前で人差し指を立てるお母さん。

 尿の匂いがしたけど、まさかそういうものは入っていないよな……。気のせい、気のせい……。


「へ、へぇ……。でも、よかった。助かって……」

「そうね」


 包帯を巻くと彼女は少女を抱き抱えて立ち上がった。


「じゃあ、私はこの子を寝かせてくるわね。琥珀は真白の手当てをしてあげて」

「うん」

「じゃあ、お願いね」


 それだけ告げると、お母さんは部屋を出て行った。

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