第9話 禍津日
それにしても、お稲荷様って……。もしかしなくても、俺はとんでもない娘の体に乗り移ってしまったのかもしれない。
神罰が下る可能性も考慮しておくべきか……。
「人里に降りてみる? 色々と貰えるよ!」
「今は遠慮しとくかな……」
興味はある。でも、今の状態では琥珀以外の人と会うのは少し怖い気がする。もう少し心の準備をしておきたいのだ。
「そっか。なら、今日は山で遊ぼう! まだお姉ちゃんに案内したいとこあるしね!」
琥珀はそう言うと再び手を差し出してきた。俺はその手を握るとゆっくりと立ち上がる。そして、「行こっ」という琥珀の声と共に再び歩き出した。
☆★☆
「着いたよ!」
琥珀が元気よく指差した先には小さな花畑があった。大きな木々が生い茂る森の中にただ一箇所光が差し込んでいる。
色とりどりの花が咲き乱れるその場所はまさに楽園のようであった。
「すごい……」
その神秘的とも言える光景に思わず感嘆のため息が出る。花に興味はないがそれでも美しいと思える光景だった。
「ここはね…………お姉ちゃんが大好きだった場所なんだよ」
琥珀はそう言うと懐かしむような目で花を見つめた。
「小さい頃はよく一緒に来てたんだ。ここの花が綺麗だからって、毎日のように遊びに来てた」
「そう……」
もちろん俺の記憶にはない話だが、琥珀と真白がここで一緒に遊ぶ姿が容易に想像できた。それはきっととても幸せな時間だったに違いない……。
真白もこの光景をみて、俺と同じ様な感情を抱いたのだろうか……。
俺は花を踏まないようにして、その場にしゃがみ込むとその美しい光景に見入った。風に吹かれて揺れ動く花はまるで生きているかのように見える。その可憐さも相まって、見ていて飽きることはなかった。
「ん〜っ。ふぅ。じゃあ私は少しお昼寝するね。置いてっちゃやだよ?」
「うん、わかった」
琥珀は大きく伸びをするとお腹の上で手を組んで、そのまま地面に横になった。俺はそれを確認してから再び視線を戻す。
すると、突然、強い風が吹き荒れた。その風によって舞い上がる大量の花弁。俺は慌てて両手を広げると、飛ばされないように覆いかぶさった。
風はなかなか止まず、何度も何度も強く吹き付ける。その度に花弁たちは空中へと放り出された。
「あっ……」
その光景に思わず声が漏れる。そして次の瞬間、俺は無意識のうちに手を伸ばした。その手は花弁を掴むことなく虚しく空を切る。それでも、視線だけはその先を追っていた。
「あれ……?」
不思議なことに花弁は森の中のただ一点に向かって飛んでいるように見える。まるで吸い込まれるかのように。
俺の足は無意識のうちにそこへと向かって動き出す。
一歩、また一歩と誘われるように進んでいく。……ダメだ……琥珀を置いてっちゃ……
頭ではそう思っていても、体は勝手に動いていく。
やがて、俺は花びらの行き先にたどり着いた。そこは森の中にぽっかりと空いた穴のような空間。中央に一本の大きな木があり根元には少女が横たわっていた。
少女は傷だらけで、血を流している。おそらく出血多量で意識を失っているのだろう。
……助けないと……!
俺は反射的に駆け寄ると、少女を抱きかかえた。
「大丈夫ですか!?」
必死に声をかけるが、反応はない。顔色は悪く、呼吸も弱々しい。……早く手当てしないと……!
俺は少女を背負おうと試みる……
重い。男の頃なら軽々持ち上げられたのだろうが、今の俺の貧弱な腕力じゃ、到底無理だった。
……仕方ない。一旦おぶるのは諦めて、琥珀を呼びに行こう。俺は来た道を戻ろうと振り返った。しかし…………
「あ…………え……?」
俺は言葉を失った。なぜなら俺の来た方向からは何か得体の知れないモノが迫ってきていたからだ。
「な、なに……あれ……」
それは俺の背丈の3倍くらいの大きさがあった。体は血の海から這い出してきたように赤黒く、手足のようなものはない。
代わりに何本もウネウネと動く触手が生えている。その気味の悪い見た目もそうだが、それ以上に特徴的なのはその頭部だ。
巨大な口だけがそこにあり、空を漂う花弁は全てそこへと飲み込まれていた。さらに、口から垂れるヨダレのような液体は地面に触れると同時に煙を上げて蒸発している。
「う……あ……」
あまりのおぞましさに言葉にならない声が出た。そして、俺の本能はこの化け物の危険性を全力で訴えかけてくる。
逃げろ……今すぐこの場から離れろ……!
しかし、俺の脚はガクガク震えて思うように動かない。挙句、腰を抜かしてしまい、尻餅をつく形でへたり込んでしまった。
バケモノはヌルリヌルリと近づいてくる。
……くそっ……動けよ! なんでこんな時に! 俺はなんとか立ち上がろうとするが、恐怖で体がいうことを聞かない……。
「あ……」
バケモノはついに目の前までやってきた。俺は情けない声を出すだけで、逃げることもできず、ただ呆然と眺めることしかできない。
「いやだ……来るな……」
俺の言葉を無視して化け物はどんどん距離を詰めてくる……。そして……俺のすぐそばまでやってくると、長い触手を伸ばしてきた……。
「うぐっ……」
触手は俺の体を巻き上げ、ゆっくりと口の中に運んでいく……。
「くそ……はなせっ!」
精一杯暴れてみるが、当然そんなことで離してくれるはずもなく、逆に締め付けが強くなった。
「がぁ……」
骨が軋む音が聞こえる……痛い……苦しい……死ぬのか? また……? 嫌だ……死にたくない……誰か……。
「こ……はく……たすけ……」
俺はかすれる声で助けを求める。
刹那——————
『ギィィィィアァァ』
耳をつんざくような叫び声が聞こえた。それと同時に体に巻き付いていた触手が緩む。俺は地面に落下し、そのままゴロゴロと転がった。
「え……なに……?」
状況が理解できず混乱する。一体なにが起きたんだ……。俺は恐る恐る顔を上げた。
すると、視界に飛び込んできたのは……炎に包まれたバケモノの触手だった。
「え……?」
意味がわからなかった。どうしてあの化物が燃えているんだ……?
触手は黒く焦げ、やがて灰となって崩れ落ちた。
「……お姉ちゃんに触るな…………マガツヒごときが…………」
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