第7話 そとへ一歩
濡れた身体をふかふかのタオルで拭いていく。今の俺にはその感覚さえも新鮮だった。
男のゴツゴツとしたからだとは違って、柔らかく、スベスベとしている。タオルで擦るだけで、簡単に水滴が落ちた。
俺は一通り身体を拭くと、置いてあった服に手を伸ばす。しかし、手に取った瞬間、それが着物であること思い出した。
……これってどうやって着ればいいんだ? 普段なら着替えなど一瞬で終わる作業だが、着物となると勝手が違う。
昨日着ていたものはまだ帯が細いから良かったものの、これは帯が太くて結び方がわからない。
いったいどこをどうすれば……? 俺は着物を広げてまじまじと見つめる。
「うーん……」
記憶をたどりながら、なんとなくで帯を結んでみる。が、すぐに解けてしまった。
「何してるの?」
「あ……」
声をかけられて振り向くと、そこには下着姿の琥珀がいた。
「琥珀……着物が……」
「ああ、難しいよね、それ。ちょっと、貸してみて……」
彼女は俺の手元にあった帯を取ると、慣れた手つきで結び始める。
まるで魔法みたいにスルスルと帯は結ばれていった。
「はい、できた!」
「ありがとう……」
琥珀は満足げに笑うと、今度は俺の髪を櫛でとかし始めた。
誰かに髪を触られるなんていつ以来だろう……。母さんにやってもらったのが最後だろうか……。
優しく髪を撫でられて、思わず目を細める。
この子ってこんなに世話焼きな性格だったのか。お姉ちゃん、お姉ちゃんって言っているから、もっと甘えん坊かと思っていた……。
「どうしたのお姉ちゃん? 気持ちいい?」
鏡越しに彼女と目が合う。俺は小さくうなずいた。……そういえば、こんな風に女の子とお喋りするなんて初めてだな……。前世では話す相手すらいなかったし……。
今更ながら女になった実感が湧いてきた。女の子に髪をとかしてもらうなんて男にはまず体験できないことだろう。
「はい、終わったよ」
「うん……」
鏡を見ると、そこには到底自分とは思えない狐耳の美少女の姿が映っている。一日程度で慣れるはずもない。改めて見ても違和感しか感じなかった。……でも、なぜだろうか……。少しだけこの姿が愛おしく思えてくる……。
「お姉ちゃん!」
俺が鏡を見ているうちに着替えを終えたのだろう。着物姿の琥珀が背中には立っていた。
「お風呂入ったしこれから何しよっか?」
風呂に入ったからもう全てをやりきったつもりでいたが、そういえばまだ朝だ。
やりたいことは山ほどあるはずなのに、いざ聞かれると何も出てこない。きっと、今自分が置かれているこの世界に関しての情報が少なすぎるせいだ。それならば……
「外に、行きたいかな……」
「外か……うん。いいね! 私もお姉ちゃんと行きたいところ合ったんだ!」
琥珀は嬉しそうな表情を見せると、俺の手を引いて歩き出す。俺はされるがままについていった。
長い廊下を歩いて行くと、やがて少し開けた空間に出る。そこは小さな段差になっていて、下は石畳になっていた。おそらくはここが玄関なのだろう。
赤い
「お姉ちゃん! 早く行こう!」
「うん」
小さな下駄に足を通すと、俺はゆっくりと立ち上がった。
外に出るのは少し怖い。今なら少し、引きこもりの気持ちがわかる気がする。外にどんな世界が広がっているのかわからないのだ。自分がその世界を受け入れられるのか、その世界が自分を受け入れてくれるのか、不安になるのは当然のことだと思う。
それでも、俺は行かなくてはならない。ここでじっとしていても意味はないのだから。
琥珀は俺の心情を知ってか知らずか、元気よく手を差し伸べてきた。
「さあ、行こう!」
俺はその手を掴む。すると、彼女は力強く握り返してきた。彼女の体温を感じると不思議と勇気が出てくる。……よし、大丈夫。俺はゆっくりと扉を横に引いた。
「うっ……」
扉を開いた途端、眩しい光が視界に飛び込んでくる。あまりの明るさに思わず手で顔を覆った。
しばらくすると目が慣れてくる。俺はゆっくりと目を開いた。
「わぁ……」
目の前に広がっていたのは、見渡す限りの青空と美しい自然。
都会に住んでいた俺にとっては、目に写る全てが新鮮で、とても神秘的に見えた。
「すごい……」
空は雲一つなく澄み切っており、太陽も
……ああ……これが……本物の……自然の音なのか……
今まで聞いたことのないような心地の良い音色。心が落ちついて行くのを感じる……。
俺はしばらくの間、ずっと聞き入っていた。
「あ……」
そのとき、目の前をピンク色の花びらが舞った。その中の一枚を無意識のうちに掴む。それは桜の花びらだった。間違いない桜の花びら。
外に広がっていたのはやはり俺の知る世界ではなかった。狐耳の少女はいるし、見たこともない植物もある。……でも、この桜の花びらだけは間違いなく俺の知っているものだった。その事実になんとも言えない安心感を覚える。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
琥珀が心配そうに見つめていた。
「なんでもないよ」
俺は微笑んでみせる。琥珀は首を傾げていたが、すぐに笑顔になると再び手を引っ張ってきた。
「じゃあ、行こうか」
「うん」
俺達は手を繋いだまま歩き出した
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