第3話 逃れられない罪
「おねえちゃん?」
ハッとして振り向くと、そこには先程の狐耳の少女の姿があった。どうやら用を足し終えたらしい。
「あ……えと……」
「大丈夫?」と心配そうに見つめてくる少女の瞳から視線を外すために、俺は慌てて俯いた。
「えっと……大丈夫……」
「そう? なら良かった。じゃあ戻ろっか」
少女はそう言うと、俺の手を引いて歩き出した。
「え? 戻る? どこに?」
「どこって……部屋に決まってるじゃん」
キョトンとした様子の少女。
「どうして?」
「どうしてって……まだ安静にしてないとダメでしょ?」
「い、いや……でも……」
「いいからいいから」
少女はそのまま俺を引っ張っていく。
「ちょ……ちょっと待って……」
俺は抵抗する。だが、全く歯が立たない。子供の頃に戻ったみたいだ。結局、俺は部屋まで引きずられていった。
「はい到着っと。じゃあおやすみ」
「待って……別に眠くなんて……」
「だめ。元気なさそうだし。しっかりと休まないと」
こちらの意思を無視して、彼女は強引に布団の中に押し込んできた。
「わっ!」
突然のことに驚いてしまったが、すぐに布団が掛けられる。そしてそのまま頭を撫でられた。優しく温かい手つきで髪をすくように触れられると心が落ち着いてくるのを感じる。俺はされるがままに身を委ねていた。やがて眠気が襲ってくる。
「おやすみ……お姉ちゃん」
「う……ん……」
☆★☆
意識が覚醒していく。目を開けると、窓の外は既に暗くなっているようだった。
「夢じゃ……なかった……」
流石に夢の中でもう一度寝て、目を覚ますとは考え難い。
諦めて体を起こそうとした時……布団の中でモゾモゾと動く何かの存在に気が付いた。
「……っ!」
全身に悪寒が走る。布団の中を恐る恐る確認すると、そこには俺に抱きつくようにして眠っている少女がいた。
「ん……」
少女は小さく寝返りを打つと、そのまま目を開けた。
「あ……お姉ちゃん……おはよう……」
「お、おはよ……」
冷静になって彼女の容姿を見てみると、本当に自分の姉妹なのかと疑ってしまう。
狐の尻尾と耳が生えているのは同じだが、毛は金色に輝いており、先の方は金色から白色へとグラデーションになっている。
服装は似ていても、
身長は同じくらいでも、胸は……向こうの方が少し大きい……。
「どうかしたの?」
「え? いや……なんでもないよ……」
「そっか……それならいいんだけど……」
「うん……」
「……」
沈黙が流れる。何を話していいかわからない……。
「お姉ちゃん……」
「な、なに……?」
「晩御飯食べに行こっか!」
少女はそっと俺の手を取って立ち上がると、部屋の外に連れ出した。
「え? ちょっと……」
「ほら、早く早く!」
少女は俺の手を引いて、廊下を進んでいく。そのまましばらく歩くと、長い廊下の端にたどり着いた。目の前には木製の扉がある。少女はその扉を開けると、俺を中に招き入れた。
中は畳が敷かれていて、温かみのある空間になっていた。台所とは木製のカウンターを一つ挟んでおり、中心にはちゃぶ台が置かれている。それを囲む様に置かれた座布団には俺の母親?と思われる人が正座で待っていた。
「あら、やっと来たのね」
「ほらほら! 早く座って座って!」
「あ…………」
少女は俺の手を引いたまま、ちゃぶ台の前に座らせると、自分も隣に腰を下ろした。
「さあ、召し上がれ」
目の前に置かれたのは湯気の立った料理たち。どれもこれも光を放って見える。
「い、いただきます」
俺は箸を手に取り、おずおずと魚を口に運ぶ。舌に触れた瞬間、口の中いっぱいに広がる旨味。
「おいしい……」
思わずそう呟いてしまった。
「ふふ……ありがとう。まだまだあるからどんどん食べてね」
「うん……」
俺は言われるがままに次々と食事を平らげていく。
だがしかし…………
「……やっぱり。ちょっとおかしいよ」
右手にいた少女が声を上げた。
「え?」
彼女は箸を持つ俺の右手をマジマジと見つめていた。
「お姉ちゃんは…………いつも、左手で箸もつもん!」
勢いよく俺の右手を指してくる。
「え……」
「絶対変だよ! じっと鏡見つめてたり、トイレで変な声出したり…………さては、転んだ時に何か悪いものが乗り移ったんじゃ……」
「そんなわけないじゃない。きっと疲れてるのよ」
「…………」
俺は何も言い返すことができない。だって実際、三十歳のおっさんが乗り移っているんだ。彼女の言っていることは何も間違っていない。
「いや、絶対に乗り移ってる。お祓いしなきゃ……」
彼女は立ち上がり、どこかへ行こうとする。
「いい加減にしなさい! そんなの迷信に決まっているでしょう? 元気になってくれたんだから、それでいいじゃない……」
少女が取っ手に手をかけたところで、母親が彼女を叱りつけた。
「でも……」
「でもも何もありません! あなたは黙ってご飯を食べていればいいの」
「……」
「わかったら座りなさい」
「はい……」
少女は渋々といった感じで座ると、再び食事を再開した。
とても重々しい空気だ。先ほどまで光を放っていた料理たちも今はただの湯気が立ち昇るだけの物体と化して見える。俺なんかのせいでこんな雰囲気になってしまったのかと思うと申し訳ない気持ちになる。
なんとかしなければ……
俺は意を決して口を開く。
「あの……実は………………」
本当のことを言うのは怖い。でも、いつまでも隠し通せるわけもない。
それに、きっと今言わないと後悔することになるから。社会でだって、いつも口をつぐんで後悔してきた。今、言わないとダメだ。
「…………目を覚ましてから、記憶がおかしいんだ」
「え?」
俺の言葉に二人がこちらを振り向いた。
「その……なんていうか……自分が誰で……なんでここにいるのか……全然思い出せないんだよ……」
「それは……本当なの?」
「うん……」
「……」
母親は驚いた表情で俺を見つめている。
「やっぱり何かが乗り移ってるんだ! だから記憶が……」
「もうやめなさい!!」
母親の一喝により、少女がビクッと肩を震わせる。
「ごめんなさい…………」
「う、ううん……」
少女はとても悲しげだ。姉の様子がおかしいと思ったら、記憶がないと言うのだから当然だろう。
「どうして早く言わなかったの? ……いえ……言えないわよね……いきなり知らない場所にいて……しかも自分のこともわからなくて不安だったはずなのに……」
母親は目に涙を浮かべながらこちらを見つめている。
「ごめんなさい……」
「謝らないでいいのよ」
そう言うと、彼女は優しく抱きしめてくれた。
温かかった……。人の温もりというのはここまで安心できるものだっただろうか……。誰かから離れたくないと思ったのは初めてかもしれない……。
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