第111話 お友達

 忽然と現れたのか。

 それとも初めから其処にいたのか。

 ヒトデ婆の左隣で、常盤が腕を組んで佇んでいた。


「――」


 常盤の存在に気づいていないのか――女中小頭は、おゆらに巣口を向けていた。おゆらの位置からは見えないが、三名の女中もヒトデ婆と女中小頭に火縄銃を向けている。

 おゆらとヒトデ婆の他に、常盤の存在を確認できる者がいない。


「酷い臭い……何これ?」


 金色に輝く瞳で周囲を見回し、不快そうに鼻を摘まんだ。


「埃と糞尿の臭いぞえ。座敷牢の中では、壺の中に糞尿を垂れ流す他ない。我が尋問に訪れるゆえ、別の場所に壺を移したようじゃが……臭気は残っておる」

「最悪……」

「我の荒ら屋に比べれば、清潔な場所ぞえ」

「……」


 ヒトデ婆の戯言を聞き流し、おゆらに視線を戻す。


「うふふっ」

「何がおかしいの?」


 おゆらが口元を隠して笑うと、常盤が硬い声で尋ねた。


「失礼を致しました。常盤様を軽んじているわけではありません。然し想定外と申しますか……狒々神の生き血を飲んだ常盤様が使徒となり、ヒトデ婆を従えるとは――」

「別に不思議な事ではなかろう。我は強き者に従うぞえ」

「……」

「お前は、此度の変事で権力の座から引き摺り下ろされた。然れど奏様は、无巫女アンラみこ様に大政を奉還致す気がない。无巫女アンラみこ様は、薙原家の秩序に興味を持たぬ。ならば、新たな秩序をく者に、薙原家の命運を託す他あるまい」

「常盤様に新たな秩序を布く力があると?」

「左様。二年前のお前と同じぞえ」


 ヒトデ婆が、ぞえぞえと嘲弄の笑みを浮かべた。監視の目が緩んだ事により、普段の調子を取り戻している。


「ヒトデ婆が強者になびくのは、いつもの事ですが……凄まじい妖術です。他者の認識を欺くとは――」


 真面目な顔で四十匁筒を構える女中小頭に、おゆらは右手を振る。


「もしもーし。おゆらでーす。聞こえますかあ?」

「――」


 おゆらが話し掛けても、何の反応も示さない。

 女中小頭も三名の女中も、ヒトデ婆の尋問が続いていると思い込み、現実の事象に関心を示さない。


「術者が妖術を解除しない限り、うつつに戻れないと……『毒蛾繚乱どくがりょうらん』と似ておりますね」

「全然違う。私の力は、おゆらさんと比べ物にならない」

「……」

「私の妖術は、全ての生類を支配できる。人間も妖怪も関係ない。毒蛾の鱗粉に拘る必要もない。私の妖術に弱点はない」


 常盤の言葉が事実であれば、確かに『毒蛾繚乱どくがりょうらん』を超える妖術だ。

 人間とは、良くも悪くも認識に束縛される生き物だ。権力者が「国が在る」と言えば、唯々諾々と税を納める。有識者が「先鋭的な芸術だ」と言えば、子供の落書きに大金を払う。大衆媒体が「戦争が起こる」と騒げば、本当に戦争が起こる。

 全ての人間の認識を支配できれば、世界征服も容易いであろう。狒々神から与えられた妖術は、それだけの可能性を秘めている。


「腑に落ちました」

「……」

「何故、我々が狒々神の捜索に苦労したのか。忽然と山奥に現れたり、妖気を発したり消したり……猿頭山と馬喰峠に眷属を配置しても、易々と監視の目を逃れてしまう。油壺家の『惣転移そうてんい』の如く空間を転移しているのか。或いは、己の姿や妖気を隠す妖術でもあるのかと考えておりましたが……我々の認識を変えていたのですね」

「……」

「狒々神に知能があれば……妖術を使いこなしていれば、雅東がとう流初代宗家が蛇孕村に訪れる前に、薙原家は為す術もなく滅んでいたでしょう。日頃の行いゆえか、蛇神様の御加護ゆえか……我々も運が良い」

「何が言いたいの?」


 長話に苛立ちを覚えて、常盤は眉根を寄せた。


「常盤様も狒々神と同様に、妖術を使いこなせていません」

「……」

「妖術を使いこなせるなら、奏様の認識を変えて終わり。分家衆や女中衆の認識を変えて終わりです。符条様の眷属が、本家の御屋敷の入り込む余地すらありません」

「……」

「どうやらヒトデ婆の認識も変えられていない様子。只今の現状が、何よりの証と言えます」

「……」

「加えて物足りない。ヒトデ婆を従えるには、その程度の力では物足りないのです。今の常盤様ならば、奏様の家人か『薙原衆』の力で仕留められましょう。ヒトデ婆がそれをせぬという事は……妖術の他に、何か特別な力があるのかなと」


 おゆらが探るように言うと、常盤は軽く溜息をついた。


「頭良いね、おゆらさん」

「ありがとうございます」

「でも教えない」


 常盤の応えはにべもなかった。


此処ここ臭いし。おゆらさんの長話も飽きたから。私の用件を済ませる」

「……」

「ヒトデ婆から聞いた。おゆらさんが何を企んでいたのか。私に何をしていたのか。難民の謀叛もおゆらさんの差し金。私の父が死んだのも、おゆらさんの所為。私が悪魔崇拝者に陵辱されて殺されたのも、おゆらさんのはかりごとだった」


 常盤に事実を突きつけられても、おゆらの笑顔の仮面は崩れない。


「おそらく奏様は、无巫女アンラみこ様の御力を借りて、常盤様の記憶を書き換えた筈ですが」

「それもヒトデ婆から聞いた。奏と一緒に吊り橋から落ちて……目が覚めたら、奏の庵だった。その間の記憶は、綺麗に消えてなくなってる」

「……」

「でも事実は変わらない。私には、おゆらさんを恨む理由がある」

「ならば、恨みを晴らすべきかと」


 おゆらが誘うように言うと、常盤は静かに頭を振った。


「私は確かめに来たの。おゆらさんの顔を見て、私の心が揺さぶられるかどうか」

「……」

「怒りも憎しみも悲しみも……何も感じない。私の心を揺さぶるほどではない。おゆらさんなんてどうでもいい」


 常盤が感情を込めずに言うと、おゆらは唇に右手を当てて考え込む。


「念の為にお伺いますが。心の病は快復したのですか?」

「さあ? 前より身体の調子が良いから。治ったんじゃない?」

「……」

「ヒトデ婆に相談したら、狒々神の使徒だと見抜かれて。餌贄えにえを調達する為に、手駒が必要だったから。都合が良かった」

「確かにヒトデ婆であれば、誰にも気づかれずに餌贄えにえを調達できますね」

「今は難しいけど。ヒトデ婆から妖術の使い方を教われば、何の問題もなくなる。分家衆も女中衆も『薙原衆』も支配して……私がおゆらさんの代わりに、蛇の王国を建国する」


 おゆらの言葉を無視して、常盤は静かな声音で語り続ける。


「この力があれば、何でもできる。主権通貨国とか外貨準備とか。難しい事は、ヒトデ婆に任せるし。武州の民は、私の妖術で洗脳すればいい。私が……私が奏を王様にしてあげるの」


 常盤は両手を握り締め、金色に輝く双眸でおゆらを見据えた。

 白皙の美貌が笑顔を作れず、奇妙な具合に引き攣る。


「――」


 おゆらは、常盤が豹変した理由に気づいた。

 精神を蝕む病を克服したわけではない。自分に妖術を掛けて、病気を克服したと思い込んでいるのだ。勿論、認識を変えたくらいで、精神を蝕む病が治るわけではない。寧ろ強引に平静を維持する為、脳に異常な負荷が掛かる。当人に自覚がなくても、着実に精神の崩壊が進む。いずれ自我も保てなくなり、狂気の世界に足を踏み入れるだろう。

 ヒトデ婆に視線を向けると、常盤の後ろで愉悦の笑みを浮かべて、しーっと唇に人差し指を当てていた。


「――」


 ヒトデ婆が、常盤に付き従う理由が分かった。

 確かに強力な妖術を使えるのだろう。妖術の他にも、新しい力を手に入れたのだろう。薙原家の中でマリアに次ぐ実力を得たのだろう。然し現実を直視できず、妖術で感情の起伏を抑え込み、破滅の道を突き進む道化に過ぎない。

 いつの時代も、乱心者の末路は変わらない。意味もなく周りを巻き込んで、盛大に自爆する。常盤の側にいれば、彼女の暴走と破滅を間近で見物できるのだ。ヒトデ婆が喜んで手を貸すのも納得である。


「どうかしたの?」

「いえ……なんでありません」


 ヒトデ婆から視線を逸らし、俯いて沈思黙考する。

 初めて常盤を見た時から、『脆弱な虚氣うつけ』と軽蔑していたが……おゆらの予想を遙かに超えていた。これでは、何の為に奏がマリアの力を借りて、常盤の記憶を消したのか分からない。焦りや苛立ちは感じているようなので、感情の制御も中途半端。おそらく長く保たないだろう。


「今日は、それだけ伝えに来たの。予言の魔女は、私が引き継ぐ。役立たずのおゆらさんは、奏に処断されるまで、私の武運でもお祈りして」


 酷薄に言い捨てると、座敷牢から踵を返した。


无巫女アンラみこ様には勝てませんよ」


 おゆらの囁きに、常盤の足が止まった。


「別に負け惜しみを申しているわけではありません。私は事実を申し上げているのです。ヒトデ婆を従えようと、超越者チートには及びません。妖術を使いこなそうと、超越者チートには敵いません。仮に常盤様が狒々神になろうと……万に一つも勝ち目はありません」

「……」

「常盤様が予言の魔女を引き継いだ処で、魔女の役目は変わりません。アンラの女神を崇め奉り、師府シフの王を護りたすく。アンラの女神や師府シフの王と同じ場所には立てません。无巫女アンラみこ様と奏様を下から見上げるしかないのです」

「……」

「抑も无巫女アンラみこ様を斃せなければ、何の解決にもなりません。認識を支配する妖術で、如何にして超越者衝撃チートショックを防ぐのですか? 超越者衝撃チートショックを防げなければ、常盤様もすたれとなりましょう。結局、最後は『毒蛾繚乱どくがりょうらん』に頼るしかない」

「……」

「お分かり頂けましたか? 常盤様が魔女になろうとなるまいと、未来は変えられないのです。蛇の王国の臣民を選別する作業は、順調に進んでおりますので……座敷牢の外に出る必要もありません。无巫女アンラみこ様を斃さない限り、常盤様の願いは叶わないのです」


 挑発の言葉に耐えきれず、常盤は振り向いて、おゆらに冷たい視線を向けた。


「奏と協力して、无巫女アンラみこ様を斃す」

「如何様に? 奏様に『人を喰らう妖怪になりました』と打ち明けるのですか?」

「それは……奏の認識を変えて――」

「うふふっ」


 堪えきれないというふうに、おゆらは口元に手を当てて笑う。


「それで宜しいかと存じます。私も奏様の精神を操作しておりました。常盤様を責める資格はありません。然し符条様は、常盤様を認めないでしょう」

「符条様?」

「最近、符条様の茶会に招かれませんでしたか?」

「どうして分かったの?」

「私の時もそうだからです。奏様の世話役に選ばれた時、符条様の茶会に招かれました。私が奏様の世話役に相応しいかどうか、人品骨柄を確かめていたのでしょう」

「……」

「幼い頃から偽装に長けていたので。私は簡単に切り抜けられましたが……常盤様は如何でしょう? 符条様に何か言われませんでしたか? 例えば『最近、急に大人っぽくなった』とか『以前と見違えるほど成長した』とか『不貞不貞ふてぶてしいほど頼もしい』とか」

「……」

「流石に奏様や符条様も、常盤様が妖怪に成り果てたと気づいていないでしょう。然し常盤様の佇まいから、奇妙な違和感を覚える筈です。『何かおかしい? 心の病が快癒したのだろうか?』と。それゆえ、符条様が揺さぶりを掛けているのです。これから何度も何度も常盤様に探りを入れてくる事でしょう。常盤様が、狒々神の使徒に選ばれたと確信するまで――」


 おゆらの言葉に焦りを感じたのか、常盤はヒトデ婆に視線を向ける。


「ヒトデ婆」

「おゆらの申す通りぞえ。お前の妖術――『二律背信にりつはいしん』を使いこなせるようになれば、奏様の認識を変える事はできよう。然れど符条は無理ぞえ。何せ蛇孕村に本体がおらん」


 ヒトデ婆が大仰に肩を竦めると、常盤は忌々しそうに舌打ちをする。


「『二律背信にりつはいしん』……ヒトデ婆が名付けたのですか? 薙原家らしいですね。偖も偖も……常盤様に御提案があるのですが」

「何?」

「私と和睦しませんか?」

「――」

「私ならば、符条様が外界の何処いずこにいるのか……大凡の見当はつきます。常盤様が追い詰められる前に、符条様を殺める事もできましょう」

「信用できない」


 常盤は不快そうに、おゆらの提案を一蹴する。


「おゆらさんの手を借りるくらいなら、自分の力で符条様の本体を捜す。私に従う者が増えれば、符条様も見つけ出せる」

「ならば、无巫女アンラみこ様を斃せるかもしれない……と申せば、常盤様は私と和睦してくれますか?」


 一瞬、常盤の顔から表情が消えた。


「……无巫女アンラみこ様を斃せるの?」

「あくまでも可能性の話です。百億分の一の確立を十億分の一に高める方法。『一人目の私』は、問題外と切り捨てましたが……今の奏様なら、喉から手が出るほどほしい情報です。常盤様も奏様の御役に立てますよ?」

「私が奏の役に……」

「運良く无巫女アンラみこ様を斃せば、常盤様がアンラの女神となりましょう。もはや誰も常盤様を蔑む事はできません。常盤様を傷つける者も、常盤様を苦しめる者も存在しない。現世うつしよを支配する神となり、奏様と二人きりで穏やかに暮らす……悪くない話だと思いますが」


 常盤は警戒感を露わにし、金色に輝く双眸を細めた。


「それでおゆらさんに何の得があるの? また私を騙して、都合良く利用したいだけじゃないの?」

「私に得はありません。強いて言うなら暇潰しです。何の娯楽もなく、一年半も座敷牢で過ごすなど退屈で仕方ありません。加えて『一人目の私』が帑亞翅碼璃万崇ドアシマリマス様より『遊び心が足りない』と指摘されたので。『二人目の私』は遊び心を身につけてみようかなと」


 おゆらは静かに立ち上がり、常盤の双眸を見据える。


「私を信じる必要はありません。常盤様は、己の都合の良いように私を利用すればよいのです。抑も私は、奏様や符条様が超越者チートに勝利するなど、微塵も考えておりません。然れど今の常盤様ならば、或いは――」

「……」

「私……前から考えていたのです。常盤様とお友達になれるのではないかと」


 魔女は満面に笑みを浮かべて、恥ずかしげもなく嘘を吐いた。




 大衆媒体……大手マスメディア


 生類……全ての動物


 廃れ……再起不能

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