第104話 渡辺朧対塙団右衛門直之(二)

「此度の立ち合いは、木剣と木槍ぼくそうを使用します」


 奏は場定めを宣言した後、朧と塙から距離を取った。

 木剣を両手で握り、切先を下げて佇む朧。

 右手で木槍を握り締め、朧に怒気を向ける塙。

 木槍とは、槍の先端を布で包んだ稽古用の道具だ。槍の穂先がない為、長い杖の先端を布で包んだだけである。

 双方が構える武具は、奏が本家屋敷の武具庫から運んできた物だ。


「組討は?」

「有りです。でも武具を用いた打突は、寸止めを心得とします」

「心得られぬ」

「ええ……」


 中二病の従者が、主君の上意に異を唱えた。


「多少の傷を負うてもよかろう。直接、対手の身体に打突を当てる。無論、当て身もありじゃ。互いに打ち合い、昏倒した者を負けと致す。その方が分かりやすかろう」

「本気で申しておるのか? 吾輩は具足を着ておるのだぞ。木剣で鎧武者に勝てるわけがなかろう。早くも負けた時の言い訳か?」

「儂の前では、黄金の甲冑も木綿の小袖と変わりなし。立ち合いを始める前から、お主が激痛で悶え苦しむ様が、眼に浮かぶようじゃ」

「よくぞ申した! 己の短慮を悔やむがよい!」

「勝手に場定めを変えないでください!」


 行司役の奏が二人の遣り取りに割り込むと、


「双方が納得しているのであれば、それで良いのではないか。ヒトデ婆の眷属もある。命に関わる事はなかろう」

「でも……」

「試合の前に場定めで揉めると、こいつらは本当に殺し合いを始めるぞ」


 獺が冷静に諭した。

 確かに『起死再生きしさいせい』を使えば、如何なる負傷も即座に癒せる。即死でなければ、双方共に命を落とす心配はない。


「……それでは、武具を当てても構いません。ただし、対戦相手を殺害した場合、生き延びた方の負けです。相応の罰を与えるので覚悟してください」


 奏は場定めを改めると、朧と塙を見比べた。


「薙原家が私闘の正当性を認め、此度の立ち合いを許可します。尚、本日の勝敗を以て決着とし、報復を固く禁じます」

「心得た」

「委細承知」


 朧と塙が場定めを受け入れると、互いの顔を睨み合った。


「見ておれ、御曹司。儂が対槍の心得を教示致そう」


 朧は傲然と言い放ち、木剣を正眼に構えた。


「なんで朧は、木剣を諸手で構えているんだ? 覇天流の片手打ちはどうした?」


 片手打ちを専らとする覇天流の遣い手が、両手で木剣を構えているのだ。普段の朧を知る獺からすると、相当に違和感を覚える光景であろう。


「言葉通り、僕に対槍の心得を教示する為だと思います」

「また朧の酔狂に付き合わされているのか」


 大凡の事情を察した獺が、呆れたように言う。


「然しお前……随分と気が抜けてるな」

「そうですか?」

「私には、楽しそうに見えるぞ。別に悪い事ではないが」

「武士と武芸者の試し合いですから。素直に興味深いですよ。命の奪い合いにならないなら、僕も安心して検分できます」


 気の緩みを指摘された奏は、苦笑を浮かべて答えた。

 奏は本来、謀略も殺戮も好まない性格だ。武士や武芸者の存在を否定するつもりはないが、命の奪い合いで問題を解決しようという発想も理解できない。己の名誉を回復させたいなら、規則を定めた試合でよいではないか。

 無益な殺し合いでなければ、奏も試合の内容に興味が出てくる。

 渡辺朧と塙団右衛門直之。

 果たしてどちらが強いのか――


「先生は、二人の試合に興味がないんですか? いつもなら『消えた――――ッ!?』とか叫んでるくせに」

「私は叫んだりしないぞ」

「自覚してなかったんですか!?」


 符条のような兵法へいほう数寄者オタクは、武芸者同士の立ち合いが始まると、急に周りが見えなくなり、自分が何を話しているのか分からなくなる。


「加えて此度は、結果が見えているからな」


 瞠目する奏を尻目に、獺が冷静に話を進める。


「十中八九、塙が勝つ」


 二人に聞こえないように、獺が小さな声で言う。


「――えッ!?」


 驚愕した奏が、咄嗟に両手で口を押さえる。


「体格や経験の差。具足の有無。他にもあるが、一番は得物の違いだ。太刀とやりでは、尋常な勝負になるまい」

「でも朧は、関ヶ原合戦を無傷で生き抜いたんですよ。槍を使う兵とも対峙した筈です。不覚を取るとは思えません」

「『槍を使う兵』と『槍遣い』は、天と地ほども違う」

「はあ……」

「『木槌を持つ小作』と『木槌を使う工匠』が、同じという事はなかろう。まあ、お前も見ていれば分かる」


 獺に促されて、奏は両者に視線を送る。

 雅東がとう流剣術の技で戦うつもりなのか……朧は木剣を正眼に構え、塙から三間ほど間合いを広げていた。

 刀を以て槍に立ち向かう戦法は、対手の手許に飛び込む他ない。飛鳥の如き速さで間合いを詰め、槍の間合いを潰さなければ、遠間から一方的に打ち込まれて終わる。朧に教えを請うまでもない。素人の奏でも分かる事だ。

 逆に槍を使う塙は、敵を手許に近づけたくない。長柄の得物は、近間の敵を打ち込みにくいからだ。その為、間合いを広げた状況を維持しつつ、不用意に飛び込んできた朧を仕留める腹積もりであろう。


「サイバー覇天流の渡辺朧」

穀蔵院こくぞういん流――塙団右衛門直之」


 中二病の武芸者と武士が、お互いに名乗り合う。


「サイバー覇天流? なんだそれは?」

「……サイバー義肢を使うから、サイバー覇天流なんじゃないですか?」

「他に意味はないのか?」

「ないと思いますけど……」

「そうか……」


 兵法へいほう数寄者オタクと無垢な少年が、信じられないほど無駄な時間を費やした。


「ふぬん!」


 木槍を中段に構えて、塙は裂帛の気合いを発した。

 次の刹那――

 朧が後方に飛び退いた。


「――ッ!?」


 行司役の奏も驚いたが、実際に飛び退いた朧も動揺を隠しきれない。両者の間合いは、三間から四間に広がった。


「あんなに離れて……槍が届くんですか?」

「届く――と感じたから、朧も咄嗟に飛び退いたのだろう。太刀に一足一刀の間合いがあるように、槍にも一足一槍の間合いがある。朧の木剣が三尺八寸。塙の木槍が一間半。得物の長さが三倍以上。だが、遣い手次第では、さらに間合いが広がる」

「いや……でも朧には、半月ノ太刀があります。三間を一歩で跨ぐ膝落を使えば……」

「膝落を用いた一足一刀の間合いは、確実に三間半を超える。それでも凄まじいが……塙に及ばない」


 実況&解説という本来の地位を取り戻した獺が、水を得た魚の如く立ち合いの解説を始める。


「塙団右衛門直之という槍遣いは、四間離れた相手にも刺突を打ち込めるのだろう。逆に朧は、膝落を用いても詰められない。開始早々、手詰まりだ」


 兵法へいほう数寄者オタクの解説通りである。

 攻め手を見出せない朧は、木剣を正眼に構えた姿勢を保ちつつ、馬手に回り込もうとする。然し正面に木槍を向けられただけで、動きを封じられてしまう。


「来ないのか?」


 身動きの取れない朧に、塙が堂間声で尋ねた。


「ならば、此方こちらから行くぞ」


 塙は左半身の姿勢で飛び出し、木槍を繰り出した。


「穀蔵院流奥義――弩濤どとう壱式いちしき!」


 無駄に画数の多い技名だが、槍術の基本的な刺突である。

 朧は堪らず飛び退いた。

 当然、塙は追撃の手を緩めない。

 小刻みに前手(左手)で柄をしごきつつ、後手(右手)を身体の後ろまで引き、間合いを自在に変化させながら三段突き。それも眉間・喉・鳩尾を狙う徹底ぶり。

 朧は刺突を木剣で受けながら、後ろへ後ろへと下がるしかない。


「無様だな。逃げる事しかできぬとは」

「無様といえど、戦い方は選ばせて貰おう。御曹司に槍遣いと立ち合う心得を教授致さねばならぬ」

「僕は頼んでないけど……」


 奏の言葉を聞き流しながら、朧は正眼の構えを解いた。

 左半身で木剣をしゃ(脇構え)に構えて、対手の出方を窺う。繰り出された槍を一太刀で弾き飛ばし、対手の手許に飛び込むつもりか。

 刀身を身体の後ろに引いている為、脇構えはいん(防御)の構えと誤解されやすいが、対手に無防備な半身を晒すよう(攻撃)の構えだ。

 朧が構えを変えると、塙も即座に反応した。

 左半身で背筋と両腕を伸ばし、一間半の木槍を野太刀のように持ち直す。吹返しの高さまで右手を上げて、柄尻を握る左手を左胸に添えた。


「八相の構え?」

右甲弾みぎこうだんの構えに似ているが……タイ捨流ではないな。これは――」

「穀蔵院流奥義――弩濤どとう拾参式じゅうさんしき


 獺の解説が終わる前に、塙が技の名を披露した。

 戸惑う奏をよそに、朧の身体が前方に飛び出す。

 木剣を振り下ろそうとした刹那――

 塙が左足を踏み込みながら、天高く突き立てた木槍を振り下ろした。

 右投げの野球投手が左足で踏ん張り、左半身が急停止した反動で右半身を放り出し、右腕を素速く振り抜くように――木槍の打ち込みを加速させる。

 飛び込んだ朧の左肩に、木槍の打ち込みが命中。体重を乗せた一撃に為す術もなく、朧は前のめりに転倒した。

 俯せに倒れた朧は、ぴくりとも動かない。

 暫時の後、


「他愛もない」


 塙はふぬんと鼻息を鳴らし、木槍を右肩に担いだ。

 呆気ない幕切れに、奏は目を丸くする。

 だが、目の前の光景こそ現実。

 尋常な立ち合いの末、朧が何もできずに打ち負かされた。獺の予想が、珍しく的中したのだ。


「……生きてるんですね?」


 全く動かない朧を見下ろし、恐る恐る塙に確認する。


「身体の頑丈さが取り柄の武芸者だ。命に別状はあるまい」


 勝利を確信した塙が、行司役の懸念に答えた。


「然れど吾輩が、渡辺を気遣う道理もなし。目覚めるまで地面に転がしておけ。彼我の実力差も分からぬ小娘に相応しい末路だ」


 倒れ伏す敗者に一瞥もせず、奏や獺に近づいてきた。


「それにしても凄い打ち込みですね。何か仕掛けがあるんですか?」

「説明せねばなるまい! 穀蔵院流とは、天下御免の中二病――前田慶次郎利益が興した兵法の流儀である! 乱世の問題児と謳われた慶次郎は、日本各地に数多くの伝説を残している! そのうちの一つを紹介しよう! 慶次郎が犬と猿と雉を従えて歩いていると、テロリストがTV局を占拠していた! テロリストはTV局の社長を拘束し、日本のTV関係者の集団自決を主張した!


『政権批判がNGで、集団自決等の高齢者非難は大歓迎とか、そんな一定のラインがあってたまるか! 独裁政権の大本営発表じゃないか! そんなに社会保障費を削りたいなら、高齢者の先にお前らが自決しろ! 若者のルサンチマンを煽る全体主義者共が! 死んで償え!』

『高齢者であれTV局の関係者であれ、誰であれ集団自決などならぬ! もう終わったんだ!』

『何も終わっちゃいない! 俺にとって緊縮財政は続いたままなんだ! 情報番組やワイドショーの言われるままに、構造改革や規制緩和を続けたが、日本はこれっぽちも良くならなかった! 寧ろ昔より悪くなった! 非正規社員が増え続け、国民の年収も減り続けた! 一九九五年、一世帯当たりの年収の中央値が五四五万円! それが二〇一八年、一世帯当たりの年収の中央値が四三七万円! 百万円以上も減ったのに、緊縮プロパガンダを続けて、消費税を8%から10%に引き上げたんだぞ! そのうえ、インボインス制度だと!? 日本人にどうやって生きていけって言うだ! あいつらはなんだんだ! 頭にくる!』

『あの頃は、そういう風潮だった。過去の事だ。君は日本の英雄だ。恥を晒すな』

『昔は大手建設会社の部長だった! それが今じゃU*ERworldの配達員だ! 惨めだ……惨めすぎる。みんなどこにいったんだ。現場にも仲の良い奴がいて、大勢の仲間がいた。此処には、誰もいない。斎藤を覚えてますか? あいつとはウマが合って、よく馬鹿な話をしてた。あいつは、全体主義者と政商が大嫌いで……二人で予算を中抜きする政商をぶっとばそうって騒いでた。在る時、子供が靴磨きの箱を持って、俺達の所に来たんです。斎藤がその子に磨いてくれって頼んだ。そして俺がビールを取りに行ってる間に、斎藤が靴磨きの箱を開けたら爆発した。奴の手足が、バラバラになって吹き飛んだ。奴の肉が体中にへばりついてもう滅茶苦茶だ。血塗れになって手当てしたよ。でも内臓がはみ出してきて、助けを呼んでも誰も助けてくれない。奴は言った。昔に戻りたい。昭和の日本に戻りたい。正社員に戻りたいと言って泣いていた。俺は奴の千切れた脚を探したんだ。でも見つからない。まるで悪夢だ。もう七年も経つのに毎日思い出す。悪夢にうなされて……自分が自分でなくなるんだ。そんな事が一日も一週間も続く。どうにもならない。助けてくれ……助けてくれ、慶次郎』

『気持ちは分かるが……テロやクーデターはダメだ』

『お前が言うな!』


 今日も慶次郎は、日ノ本の民を守護まもる為に旅を続けている! 当然の如く言い切った!」


 塙が奏に向かい、大仰に見得を切った。


「……もう少し分かりやすい解説をお願いします」

「有り体に申せば、石抛いしはじきと同じ原理である!」

「石抛と同じ……でも第一梃子だいいちてこじゃないですよね? 第三梃子だいさんてこの話かな?」

「第三梃子? 石抛の原理に違いなどあるのか?」

「ええと……」


 質問に質問で返されて、奏は言葉を詰まらせた。


「お前はマリアから、妙な知識を植えつけられているからな。大凡の者は、梃子の原理など詳しく知らん」


 傍観していた獺が、返答に窮する奏に助け船を出した。


「梃子の原理の種類は、一先ず置いておく。それより奏の目には、塙の打ち込みがどのように見えた? お前の感想を聞きたい」

「……そうですね。とにかく重たくて速い――という印象を受けました。鎧武者に打ち込んでも、相手の骨を砕く事ができそうです。ただ速さと重さが異常というか……僕の目に狂いがなければ、速さも重さも木剣の打ち込みを超えている。何か特別な術理があるのかなと……」

「目の付け所は悪くない。速さの理由は、前足(左足)の踏み込みだ。後足(右足)で地面を蹴り、前足を踏み込む事で推進力を得る。前足の踏み込みと同時に、左半身を急停止させ、反動で右半身を前方に放り出す。右半身が内側に旋回する力を利用し、背中の筋肉を捻りながら、右腕で木槍を前方に押し出す。ここまではいいか?」

「はい」

「第三梃子は、その先の話だ。胸に添えた左手が支点。押し出す右手が力点。木槍の先端が作用点となる。加えて木槍の動きを円運動に近づけ、作用点に掛ける力と速さを増幅させているのだ」

「おお……」


 理路整然とした解説に、奏が感嘆の声を漏らす。

 もう少し説明を付け加えると、柄尻に添えた左手を支点とする。支点から十寸ほど離れた右手を力点。力点から八尺も離れた先端が作用点である。仮に時速二十五キロで右腕を押し出した場合、作用点の速度は八倍。木槍の先端は、時速二百キロで振り下ろされた事になる。

 木剣の打ち込みを凌駕する速さ。それに塙の体重も加わるのだから、屈強な鎧武者でも容易に打ち倒せるだろう。


「別に難しい技ではないぞ。槍の打ち込みを少し工夫しているだけだ。お前でも何日か稽古すればできる」


 獺は簡単に言うが、本当にできるだろうか?

 形を真似するだけなら、奏にもできそうだが……


「流石は吾輩の軍師。天晴れな術理解説であった。ついでに他の梃子の原理とやらも教えてくれ」

「私はお前の軍師ではない。梃子の原理について知りたければ、算術の専門書でも読んで調べろ。自分の使う技だろう。兵法へいほう数寄者オタクに術理を聞いてどうする」

「梃子の原理について書かれた専門書なら、御屋敷の書庫に置いてあります。塙さんにお貸ししますよ」

「ほう。薙原家には、畿内の店で取り扱う専門書もあるのか。凄まじいな。有難く借り受けるとしよう」


 塙は感心して、奏と貸借の約定を交わした。


「でも不思議ですね。そんなに凄い技が使えるなら、狒々神討伐の時に使えばいいのに」

「あんなデカい猿に通じるわけなかろう」

「――ッ!!」


 奏が頬を引き攣らせた。


 その通りだけど。

 確かにその通りなんだけど。

 塙さんに指摘されると、凄いムカつく。


「そ……そう言えば、鎧武者もお互いに槍で叩き合いますよね。それも何か理由があるんですか?」


 釈然としない気持ちを抑えながらも、奏は再び話題を変えた。


「う~む、鎧武者云々の前に、槍の使い方を説明した方が早いな」


 塙は弓手を向いて、左半身の姿勢を取る。


「先ず槍は『突く』ものでない。『しごく』ものだ」


 胴間声で言いながら、後手(右手)一本で木槍を出し入れする。前手(左手)は緩く握り、しごくように柄を滑らせている。


「分かるか? 『突く』とは、穂先の到達点が全く違う。突いた場合、後手は胴の近くで止まる。対して『しごく』の場合、後手(右手)を前手(左手)とぶつかるまで前方に押し出せる。結果、穂先の到達点が一尺半も伸びるのだ」

「……」

「加えて『しごく』は『突く』と違い、刺突の連打を打ち込みやすい。後手を前後に動かすだけだからな。是を槍術では、『槍を繰り出す』という」


 手裏剣術で手裏剣を投げる事を、手裏剣を打つというようなものか。


「鎧武者といえど、顔を狙う刺突は嫌がる。遠間からの牽制になるわけだ。然し『扱く』では、槍に力を込められん。槍を繰り出して、対手を怯ませたら、思い切り槍で『叩く』」

「……」

「当世具足は、頑丈に造られておる。小具足まで身につけられると、此方こちらの攻め手は殆どない。刀も槍も弾き返される。矢も余程近くから射なければ、鉄の胴を貫けぬ。ならば、刺さずに叩け――という事になる」


 戦国時代、一部の槍は異常な進化を遂げた。

 長さ二間を優に超す、三間や三間半の長槍が登場したのだ。

 当時、長槍を使う長柄足軽こそが、各大名家の主力であり、その働き如何で勝敗を左右した。然し三間や三間半も長くなると、槍の重さが二貫を超えて、細かい動きができず、武具として扱いづらくなる。この長槍の欠点を克服する為に考案されたのが、槍衾やりぶすまであった。

 長柄足軽に密集隊形を組ませ、長柄組頭の号令の下、長槍の穂先を揃えて前進するのだ。部隊の前面に巨大な剣山を押し立てて進むようなもので、敵側は対処に困る。特に騎馬武者は、突撃を中止するしかない。

 加えて槍衾の利点は、足軽の熟練が必要ないという事だ。

 重い長槍を構えて、号令に従って前進と後退を繰り返すだけなので、新たに徴募されてきた百姓でも、重い長槍を持たせて、いくつかの号令を覚えさせれば、すぐにでも戦場に投入できる。

 当然、相手も同じ事を考える為、合戦が起こると、矢合わせから槍入れに移る。槍入れが始まると、両軍の長柄組が激突する。長柄足軽は長槍を振り上げて、相手を叩く事に専念した。

 『しごく』でも『突く』でもなく、二貫の重さを利用して叩くのだ。

 相手も甲冑を着ているので、何処どこを突いても斃せるという事はない。三間も離れた甲冑の隙間を狙うなど不可能だ。それゆえ、『叩け』という結論になる。

 これは長槍に限った話ではない。一間半の持槍も同様だ。

 一貫を超す重い槍を振り上げて振り下ろし、思い切り頭を叩けば、兜や陣笠の上からでも強烈な衝撃を与えられる。


「相手が旗指物をしておれば、旗指物をなぞるように打ち下ろせ。丁度、兜や陣笠の天頂部に当たる」

「へえ」

「兜があるから、頭は割れんが……それでも脳が揺れる。首の骨や背骨も軋む」


 戦国時代の武士や足軽が、力士の如く首が太い理由である。


「対手がふらつけばしめたもの。甲冑の隙間を狙い、思い切り槍を『突く』。即ち両手で柄を強く握り、力を込めて突き込むのは、止めの一撃という事だ」

「因みに、甲冑の隙間って何処どこですか? 鎧武者と戦うコツがあれば、教えてほしいんですけど……」


 塙の姿を注視しても、甲冑の隙間など見当たらない。

 強いて言うなら、惣面の両目と口くらいか。奏は試し合いでも斬り合いでも、僅かな鎧の隙間に刺突を打ち込む自信がなかった。


「鎧武者と戦うコツか……」


 塙は、惣面に左手を当てて考え込む。


「先ず面頬めんぼお喉垂たれをつけていなければ、顔や喉を狙え。的が大きいうえに、深手を負わせられる」


 太刀でも鑓でも同じだが、顔面に向けて襲い来るものは、距離感が掴みにくくて避けづらい。仮に避けても体勢を崩しやすく、次の打突で仕留められてしまう。


「面頬と喉垂をつけている時は、胴の下を狙え」

「胴の下?」

「甲冑の胴には、腰と太腿を守る六、七枚の草摺がついておる。この草摺、組紐か革紐で胴からぶら下げておるだけなのだ。揺糸ゆるぎのいとと呼ばれておるが、此処を鉄板で覆うと、身動きが取れなくなる」


 塙は左手で己の胴を掴み上げ、奏に金色の揺糸を見せた。


「この揺糸は、当世具足の弱点だ。易々と太刀や槍を通してしまう。後は股の間だな」


 前面の草摺を左手で持ち上げ、ひらひらと揺らす。


「金玉隠しで金的を隠しているが……股の間に防御を施しておらぬ。太腿の内側には、太い血管があるゆえ――股の間に太刀や槍を突き込み、左右に掻き回してやれば、血が止まらなくて死ぬ」

「……」

「無論、鎧武者も愚かではない。常に弱点を隠しながら戦う」


 斯様に――と言いながら左半身に構えた。

 木槍を中段に構えて、腰を落として蟹股がにまたとなる。


「太腿を上げれば、草摺が持ち上がり、揺糸が隠れて見えなくなる。吾輩の左右に回り込まねば、股の間を狙う事もできまい。若君よ、今の吾輩に打ち込めるか?」

「無理です。具足と小具足しか見えません」


 奏は即答した。

 正面から塙を見ると、兜と袖と籠手と草摺と臑当しか見えない。奏が真剣を構えていたとしても、何処を狙えばよいのか。

 然し左半身に構える塙と正対して、全く別の事に気づいた。


「不思議ですね。別に四間先まで槍が届く――という感じがしないんですけど」

「それは若君が未熟だからだ。渡辺は、吾輩が膝落を使うと見抜きおった」

「塙さんも膝落を使えるんですか?」

「甲冑を着ておるゆえ、起こりは消せぬが……吾輩も三間を一歩で跨げるぞ」


 塙の言う通りなら、一足一槍の間合いが四間半。弓矢で鎧武者を狙う間合いだ。朧が身の危険を感じて、咄嗟に後方へ飛び退いた理由も分かる。


「散々訊いた僕が言うのも変ですけど……武士が、軽々と自分の技を他人に教えていいんですか?」

「主君に訊かれたら、家臣は答えるだろう。奥の手を隠して、御前試合で負けるなど愚の骨頂。虚氣うつけの所業よ」

たりじゃ。虚氣は、激痛に悶え苦しむ他なし」


 塙の背後から声が聞こえた。


「――ッ!?」


 塙が振り返るが、時すでに遅し。


「――π!」


 渾身の突き上げが、塙の金的を打ち上げた。




 三間……約5.67m


 四間……約7.56m


 三尺八寸……約1.14m


 一間半……約2.83m


 三間半……約6.61m


 吹返し……兜の一部。頭部を守るはちと後頭部や首周りを守る為、鉢の下部から垂らしたしころから成り、鉢には額部に突き出した眉庇まびさしが付き、錣は両端を顔の左右の辺りで後方に反らし、これを吹返しと呼ぶ。


 石抛……投石機


 第一種梃子と第三種梃子……投石機が第一種梃子。塙の使う技は、第三種梃子。


 十寸……約30㎝


 八尺……約2.4m


 二間……約3.78m


 一尺半……約45㎝


 二貫……約7.5㎏


 物頭……足軽大将


 矢合わせ……合戦に於ける飛び道具の撃ち合い


 槍入れ……合戦に於ける槍の打ち合い


 一貫……約3.75㎏


 面頬……顔を守る防具


 喉垂……喉を守る防具


 金玉隠し……股間を守る草摺


 起こり……攻防の予備動作


 四間半……約8.5m




 ※参考資料

『“集団自決”発言で世界で炎上中の成田悠輔氏を「今後も起用」制作側が使い続けたいウラ事情』

 https://news.yahoo.co.jp/articles/8f71b849c421a996e3b2ae945a7f0c02802c34f8


『日本の年収の中央値はここ30年でどう変化した? ファイナンシャルフィールド』

 https://financial-field.com/income/entry-128313

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