第五章 蘭陵王

第100話 薙原奏対符条巴

 慶長六年七月上旬――

 蛇孕川の葦原は、早朝から濃霧に包まれていた。朝霧が立ち込める中、両手で葦を掻き分けながら、奏は目的の場所へ向かう。

 蛇孕川の下流に到着した時、奏は渋面を浮かべた。川岸に仕掛けた釣り竿に、獺が釣り上げられていたからだ。


「マジか……」

「……」


 釣り糸に巻きつけられた沢蟹を囓りつつ、獺は総身を震わせていた。

 屈辱に震えるも当然だ。「今日よりお前も私の敵だ。心しておくがよい」とキメ顔でうそぶいていた獺が、僅か三日で捕獲されたのだ。それも釣り竿で釣られるような最後である。


「ごではおばえががんがえたざくか?」

「え~と、何を話しているのか……」


 奏は頭を掻きながら、言外に「呑み込んでから喋れ」と伝える。

 沢蟹を噛み砕いて落下すると、奏に両手で捕らえられた。


「これはお前の考えた策か?」


 感情を押し殺した声で尋ねると、奏も気まずそうに応じる。


「策というか……使徒が使役する眷属は、本能に抗えないと聞いたので。蛇孕川に釣り竿を仕掛けておいたんです。何もしないよりはマシかな~くらいのつもりで仕掛けたんですけど。まさか本当に捕らえられるなんて……」


 奏も沈痛な面持ちで言葉を濁す。

 朧からも「斯様な仕掛けで捕らえられるほど、獺殿も落ちぶれてなかろう」と指摘されたくらいだ。釣り竿を仕掛けた奏も、殆ど期待していなかった。

 それが、まさかの大当たり。

 マリアやおゆらでは、頭が良すぎて思いつかない方法である。


「『睡蓮祈願すいれんきがん』で逃げられないんですか?」

「朝餉を終えたばかりでな。これ以上は喰えない」

「そうですか……」


 予想通りの答えに、奏は憐憫の情を覚える。

 尤も過程はどうあれ、奏の勝利に変わらない。薙原家と符条家の戦いは、誰もが予期せぬ形で終わった。

 揺るがぬ勝者と惨めな敗者の間に、痛々しい沈黙が流れる。

 暫時の間を置いた後、


「……私の負けだ」


 ついに獺が、苦々しくも敗北を認めた。


「マリアの聖呪を使えば、眷属の脳内情報を読み解くなど容易い。人には及ばないが、獺も知能の高い生き物だ。獺の記憶を辿れば、私の居場所も特定できるだろう」

「……」

「然し私を斃した処で、薙原家に安寧は訪れない。私の他にも、超越者チートに挑む者は多い。その中には、本物の魔法使いもいるだろう。必ずや超越者衝撃チートショックを防ぎ、薙原家を滅ぼす者が――」

「ああ……そういうのはいいです」

「なぬ?」


 最後の決め台詞を遮られ、獺は頓狂な声を発した。


「僕と和睦しませんか?」

「和睦……だと?」


 獺の間の抜けた声が、葦原の川辺に流れて消えた。




 慶長六年七月上旬……西暦一六〇一年八月上旬




※来週から週一更新になります。すまぬm(_ _;)m

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