第99話 罰

 常盤が目覚めた日の夜。

 酷く生活感に欠けた女中部屋で、おゆらは深い眠りに就いていた。もはや上体を起こす力も残されておらず、覚醒と気絶を繰り返す。

 昨日、奏が飛び出してから、おゆらの部屋を訪れる者はいない。本家の女中衆は、此度の顛末を承知している。いずれ分家衆にも知られるだろう。

 主君に見捨てられた奸臣がどうなるか?

 熟考するまでもあるまい。『神寄カミヨリ』に堕落する前に、広場で首を晒される。超越者衝撃チートショックについて知らない者達は、女中頭の処断を確定事項と捉えていた。ゆえに連座を恐れて、女中頭から距離を置いているのだ。

 因果応報。

 栄枯盛衰。

 凋落した魔女には、相応の末路かもしれない。

 不意に――

 木戸が開いた。

 右手に手燭を携えた奏が、神妙な面持ちで佇んでいる。麹塵きくじんの狩衣を着ているが、腰に脇差を帯びていた。

 おゆらは両目を閉じている。起きているのか、寝ているのか。小さな灯りで寝巻姿を照らしても判断できない。

 物音を立てずに室内へ入ると、奏は文机の上に手燭を置いた。冷たい眼差しでおゆらを見下ろし、脇差を鞘から抜き放つ。

 おゆらの身体の上に跨がり、抜き身の刃を振り上げた。

 暫時の間を置いた後、


「……何故、殺さないのですか?」


 徐に両目を開いて、おゆらが消え入りそうな声で尋ねた。


「私は負けたのです。常盤様を排除する事も叶わず、主君の信頼を失いました。もはや無能のそしりを免れません」


 おそらくヒトデ婆の眷属から、狒々神討伐の顛末を聞かされたのだろう。おゆらは諦観の眼差しを向けてくる。


「役立たずの無能は、存在するだけで害となります。どうか『私』を処分して、次の『私』に魂を移してください。次の『私』は、今の『私』より優れているかもしれません。奏様の意志を尊重しつつ、薙原家に繁栄を齎すかもしれません。蛇の王国の民を二十万人に増やすかもしれません」

「……」

「奏様に成敗されるなら本望です。『私』の首を広場に晒してください。それで奏様の御威光も広まります。分家衆も奏様に服従するでしょう。奏様の嬰児ややを孕む事はできませんでしたが……これが『私』の最後の奉公です。『私』の死を存分に利用してください」


 本気で死ぬつもりなのだろう。今更、おゆらに真偽を問うつもりはない。たとえ虚言を弄したとしても、奏の決断は変わらない。

 女中部屋に尋ねる前から、おゆらの処遇は決めていた。


「僕は、おゆらさんが許せない」

「……」

「どうしてもおゆらさんが許せない。今もおゆらさんの顔を見ただけで、はらわたが煮えくり返る」


 両手で刃物を掲げた奏が、感情を押し殺した声で言う。


「でも僕の願いを叶える為には、おゆらさんの力が必要だ。今の薙原家に、おゆらさんほど優秀な吏僚はいない。僕に負けたと言うなら、これからは僕の命令に従え。あだは恩で奉じろ。僕に忠節を尽くす限り、命だけは助けてやる」

「……奏様」


 想定外の言葉に、おゆらが驚いて瞠目する。




「なんて言うと思った?」




「え?」


 驚くおゆらの喉に、躊躇なく脇差を突き立てた。

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