第74話 凶行
少し時は遡る。
酷く悪魔崇拝者臭い三人組が、渓流植物が生い茂る森の中を歩いていた。
難民は雨が降ると、この辺りに近づかなくなる。蛇孕川の下流の浅瀬が水域を広げて、葦原が水浸しになるからだ。
それゆえ、悪事を働いた者からすれば、最適な逃走経路と成り得る。
「
弟分の
「
同じく弟分の
二人とも
難民が視察団を襲撃した際、彼らは蛇孕村に侵入した。付近の民家を襲撃し、日持ちしそうな食料と銭を強奪。抵抗した村人を殺害し、
「この程度の事で騒ぎ過ぎダニ。叛乱なんて序の口ズラ。ウラが本気出したら、関東で大乱が起こるだあよ」
「
「凄いダニ。
「ウラが本気出したら、関東制覇も夢じゃねえズラ。日本征服だって朝飯前でごいす。ウラが日ノ本の総大将になったら、お
弟分に煽てられて、
運命の転機を迎えたのは、今年の春頃。
母親が流行病を拗らせて亡くなり、茫然自失の態で岩の上に座り込んでいると、美味しそうな蝗を見つけた。
二度目は一度目より慎重に近づき、両腕を伸ばして捕らえようとした。だが、やはり逃げられてしまう。蝗の逃げ方が絶妙というか、決して
そこまで考えの至らない
先度の地震の時に、崖崩れでも起きたのだろうか。岩肌は脆くて崩れやすく、決して安全とは言えないが、斜面に貼りつきながら降りれば、下山できるのではないか。
すぐに隷蟻山から逃げ出そうとしたが、不思議な声に引き留められた。頭の中で『降りてはなりません』と女の声が響いたのだ。
悪霊に取り憑かれたのかと驚いたが、頭の中で女の声が響き続ける。
『隷蟻山の外に出ても、野垂れ死にするだけです。食べ物と銭を手に入れなければ、どうにもなりません』
暫時、
冷静に考えると、頭の中で響く声は当を得ている。金銭や食料がなければ、外界では生きていけない。その程度の事なら、
断崖の亀裂について、
この頃から
幼い頃、父親から
折りしも薙原家と結びつきを強めた左馬助は、先代当主が残した館に女衆を匿い、難民集落で指導的な立場に返り咲いていた。それに反発する者も多く――独り身の男衆ばかりだが、左馬助の方針に従えない者達を吸収し、少しずつ勢力を拡大。館に住む大凡の民と対抗する派閥を形成した。
勿論、御膳立てをしてくれたのは、
だから『薙原家の者達が墓を掘り返して、難民の遺体を食べています。この話を左馬助にすれば、薙原家に復讐すると息巻くでしょう。左馬助を
左馬助と仮初めの和睦を結んで、難民集落を視察する行列を襲撃。
流石に難民集落を二分する派閥の頭目と言うべき
然し予想外の出来事が起きた。
薙原家の女中が担ぐ乗物に目を付け、強引に木戸を開けた処、豪奢な
驚いたのは、
難民集落視察団の代表がお福だと、全く予想していなかった。左馬助から「有り得ないと思うが、念の為に言っておく。お福が視察団に同行していた時は、絶対に傷つけるな」と指示されていたが、
竹槍で刺し殺してやろうと、右腕を振り上げた刹那、『銀髪の娘は、誰にも邪魔されない場所まで連れ去り、確実に殺さなければならない』と脈絡もなく思い立ち、常盤を乗物から連れ出し、吊り橋から隷蟻山に向かおうとしたが、蒼い着物の娘(奏を男装の麗人と誤解している)に邪魔されて、奇妙な武具で手傷を負わされた。逆上して蹴り飛ばそうとしたが――急に五体が言う事を聞かなくなり、無様にも吊り橋から転倒。咄嗟に常盤の右足を掴んだが、どうにもならずに蛇孕川へ落下した。
水面に叩きつけられた時、流石の
気がついた時には、川岸に生えた渓流植物の枝に絡まり、蛇孕川の急流を上から見下ろしていた。
下流の川岸に打ち上げられていれば、凄い幸運と思い込んでいただろう。然し樹木の上というのは、いくらなんでも有り得ない。
有り得ない出来事が、現実に起きている。
つまり新しい魔法を会得したのだ。
生命の危機に瀕した
それも空間転移。
異能力バトル系
憧れの魔法を会得し、
新しい魔法に相応しい名も考えた。
その名も
空間転移と何の関係もないが、名を聞いただけ日本が滅びそうな魔法である。
もはや左肩の傷も気にならない。
今後、消費税は切り札に使うつもりだ。
げらげらげら。
この山を下りたら、ウラの伝説が始まるズラ。
幼稚な誇大妄想に浸りながら、民衆を襲撃した弟分と合流し、予定通り断崖の裂け目に向かう。
「
「ぶっ、ぶんっ、ぶ、ぶ、ぶんっ♪ ウ、ウ、ウラたち
「
「うおっ!? 敵襲かっ!?」
一応、隠密活動の筈だが、呑気に歌い始めていた
「女の声が聞こえるズラ」
「薙原家の女中か!?」
「よく分かんねえけんど、なんか叫んでるみてえズラ」
耳を傾けてみると、遠くから女の叫び声が聞こえてくる。
三人は金切り声に誘われて、茂みの中に入り込む。
恐怖で乱心したのだろうか?
「どうするだか?」
「どうするもこうするも――」
弟分の問い掛けに、
冷静に考えれば、常盤に構わず蛇孕村から逃げるべきだ。然し無防備な獲物を無視する事など、
ろくに教育など受けた事はないが、
弱肉強食。
この世の全ては、強者が決める。
弱者は強者に媚びへつらい、強者を楽しませなければならない。
常盤の熱狂的な一人芝居が終わると、
「おぉおおおおふううううくうううう!」
「与太郎……」
常盤は恐怖を硬直し、地面に革袋を落とした。
「どうやら乱心したわけじゃあなさそうでごいす。安心したズラ。これから嬲り尽くしてやろうってのに、心が壊れてたらつまらねえでごいす」
「来ないで!」
常盤は金切り声を上げると、左袖の中から
「もしかして鉄砲かあ!?」
「ひイイイイ――」
「て……鉄砲じゃねえでごいす! あんなに小さな鉄砲があるわけねえズラ! 見掛け倒しの玩具ズラ!」
仲間の前に虚勢を張るが、
「これは玩具じゃない。すぐに証明してあげる」
常盤が冷たく言うと、悪魔崇拝者は及び腰になる。
彼らは燧石銃の存在を知らない。
つまり連射ができないという弱点も知らないのだ。
初弾で
常盤は明確な殺意を抱き、
「ひえええ!」
「勘弁してくだせえ! もう悪い事はしねえでごいす! 消費税も廃止します! ガソリン税も廃止します! PB黒字化目標も撤回します! どうか命ばかりはお助けを――ってあれ?」
だが、発砲音が聞こえない。
恐る恐る振り返ると、常盤が怒鳴り散らしていた。
「どうして不発するのよ!」
常盤も混乱しながら、燧石を挟んだ火鋏を上げて、再び引き金を引くが、何の変化も起こらない。
この時になり、ようやく常盤も不発の原因に気づいた。
火縄式鉄砲と同様に、燧石銃も周囲の湿気に左右される。燧石と当たり金を擦り合わせても、湿気で火花が散らなければ、銃身に籠めた玉薬が爆発しない。当然、巣口から鉛玉も発射されなくなる。
加えて常盤は、蛇孕川に落ちて短筒を濡らしている。動作不良を起こすのも、当然の結果であった。
「そら見ろ! やっぱり玩具だったズラ! ウラは最初から見抜いてたズラ!」
燧石銃に怯えていた
「げらげらげら」
「ズラズラズラ」
「ダニダニダニ」
下品な笑声を発しながら、悪魔崇拝者が常盤を取り囲む。
常盤は振り返り、
「離せ、下郎! 私に触れるな!」
「ウラたちを下郎呼ばわりかあ。三年ばかりで偉くなったなあ」
竹槍を担いだ
「与太郎の分際で……」
「ウラは与太郎じゃねえ! 極悪非道の中二病――
常盤を恫喝し、恐怖という重い鎖で縛りつける。
「う~ん♪ 実に良い気分ダニ。昔もこうしてお前を苛めてやったあズラ」
「――」
「どうだあ? あん頃を思い出したかあ? ウラは物凄く思い出すズラ。あん頃は楽しかったなあ。お
震える弱者を見下ろし、彼我の実力差を感じて優越感に浸る。果たして世の中に、これほどの快楽があるだろうか。
銀髪の長い髪も白い肌も青い双眸も、何もかもが気に入らない。特に他人の顔色を窺う態度が、余計に
如何に痛めつけてやろうかと考えていると、
誰にも邪魔されない場所で、確実に銀髪の娘を始末する。
ただし――
常盤を殺すのは、徹底的に嬲り尽くしてからだ。
「良い
げらげらと笑うと、
「だから何? アンタと関係ない」
精一杯の勇気を振り絞り、嘗められないように虚勢を張るが、
「なんでウラたちと同じ難民のくせに、お
「ひい!」
錯乱する
「ウラのお
「離して!」
常盤の懇願に聞く耳を持たず、
「盗みで捕らえられた死罪。そんくりゃあ、ウラも覚悟してたでごいす。だけんど薙原家は、酷い方法でお
「知らない! そんなの知らない!」
常盤は必死に暴れるが、男二人に両腕を押さえつけられ、上体を浮かす事もできない。
「お前のお
「おっ
「したんだよ! ウラたちが女を分けてくれって頼んだら、鉈を振り回して追い掛けてくるだあよ!」
逆上した
「――ッ!?」
竹槍が美貌の左脇に突き刺さり、常盤は青褪た顔で息を飲む。
三寸ほど横にずれていれば、顔を串刺しにされていた。
もはや
欲望と憎悪を喚き散らすだけの獣に、人間の言葉など意味を成さないのだ。
「お前もお前のお
「イヤ……」
生理的な嫌悪感に耐えきれず、常盤は何度も頭を振った。
恐怖に怯える美貌を眺めながら、
「散々良い思いしてきたんだろ? 幸せに暮らしてきたんだろ? それなら、ウラたちにも幸せを分けてくりょう」
「イヤ……イヤイヤ」
「イヤああああああああッ!!」
少女の絶叫が、薄暗い森の中に響いた。
復興税……正式名称は復興特別税。東日本大震災の復興費用を所得税と法人税と住民税で賄う――という名目で、国民の税負担を増やす悪夢の制度。災害大国の日本で災害が起こる度に増税をしていたら、日本国民が貧困化して全滅する。
巣口……銃口
三寸……約9㎝
PB黒字化……日本政府が日本国に課した経済制裁
粗利益……売上から仕入を引いた差額
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