第72話 騒乱

 天井から落ちてきた水滴が頬に当たり、奏は意識を取り戻した。

 未だに朦朧としているが、最初に思い浮かんだのは、「変な夢を見た……」である。

 夢の中で獺と問答を繰り返し、「マリアに頼んで、おゆらの妖術を封印しろ。武州の民の洗脳を解け」という結論に達した。然し理由を思い出せない。


 武州の民の洗脳を解け?

 何の話だ?


 自分でも判然としないが、マリアに相談すれば問題ない。超越者チートの魔法を使えば、夢の内容を正確に思い出せるからだ。縦しんば、符条の仕掛けであれば、マリアの魔法も考慮していたのだろう。


 よく分からないけど……マリア姉に頼めばなんとかなるか。


 心の中で呟くと、状況を確認する。

 天井も壁も固められた土ばかりで、洞窟の中で寝かされていたのは分かる。布団の代わりなのか、身体の下に落ち葉が敷き詰められていた。天井が低く、立ち上がれば頭をぶつけるだろう。

 難民集落を視察する途中、暴徒による襲撃を受けた。常盤を拐かそうとした悪魔崇拝者と吊り橋の上で戦い、常盤と一緒に川へ落ちた。


 二人とも川に落ちて……なんで生きているんだ?

 あの急流に呑み込まれて、溺れずに助かるなんて有り得るのか?


 濡れた狩衣は、冷たくて重い。落下する直前、胸部を打ちつけた筈だが、痛みは感じなかった。ヒトデ婆の『起死再生きしさいせい』で治癒されたのか。


「常盤!? どこだ、常盤!?」


 起き上がろうとした刹那、左の足首に激痛が奔る。痛みに驚いて尻餅をつき、再び落ち葉の上に倒れ込んだ。

 己の意志と無関係に、左足が外側に倒れている。血の気が引く思いで、両手で左の太腿を持ち上げた。左足を動かそうとするが、だらんと垂れ下がるだけ。

 おそらく骨折しているか、足首の関節が外れている。今は水浸しで体温が低下し、痛覚が麻痺しているが、体温が上がると激痛で泣き喚く事になるだろう。

 胸部の負傷は完治しているが、足首の怪我は治療されていない。川に転落した時、眷属の蚤が溺死したのだ。

 薙原家は現在、奏の居場所を掴めていない。

 否、それも時間の問題か。

 川に落ちてから、どれだけの時間が経過したのかも分からない。


 どうする?


 今後の方針を考え込んでいると、洞窟の入り口の方向――奏の足元の方向から、聞き慣れた声が響いてきた。


「奏!? 目が覚めたの!?」

「常盤……」

「心配した。心配したんだから……」


 安堵の表情を浮かべた奏に、常盤が抱きついてくる。抱き締められた衝撃で左足に痛みが奔り、眉間に皺を寄せるものの、奏は優しく抱き締めた。

 胸の中で嗚咽を漏らす常盤の頭を撫でて、彼女が平静を取り戻すのを待つ。南蛮幼姫ゴスロリ装束は濡れているが、銀色の長い髪は乾いていた。


 布子か何かで拭いたのかな?

 この場に身体を拭く物がある……


 暫く黙考していると、常盤の後ろから見知らぬ男が現れた。

 三十代の半ばくらいだろうか。誠実そうな顔立ちだが、頬がけて目も窪んでいる。身体の線も細く、麻の着物も継ぎ接ぎだらけ。一見して難民と判断できる。

 咄嗟に常盤を抱き寄せて警戒感を示すが、相手は気にした様子もなく、二人の側に座り込んだ。


「御加減は如何ですか?」

「……」


 どれだけ世間知らずでも、初対面の人物を信用するほど愚かではない。


「無用な警戒を抱かせて申し訳ない。私は此度の叛乱に加担しておりません。どうか信じて頂きたい」

「……」

「私はお福の父で、藤井左馬助と申しまする」


 左馬助は丁寧な口調で語るが、お福という名に聞き覚えがなく、奏は不思議そうな顔をした。本家の女中衆だろうか。


「私はお福じゃない! 薙原常盤! こんな奴、私の親じゃない!」


 奏に抱きつきながら、甲高い声で叫び出した。

 左馬助は目を伏せて反論しない。おそらくお福というのは、常盤が薙原家に引き取られる前の呼び名。左馬助は、常盤の実の父親なのだろう。然し両者の間で確執があるのか、互いに視線を合わせようともしない。


「……左馬助さんが、僕達を助けてくれたんですか?」


 気まずい雰囲気から逃れるように、奏から口を開いた。


「貴方を助けたのは……常盤様です。私は二人をこの洞窟まで連れてきただけで、他には何もしておりません」

「それでも難民の叛乱に参加せず、僕らを助けてくれたのは事実です。この御恩は一生忘れません」

「はあ……」


 上体を起こした姿勢で頭を下げると、左馬助は困惑した。

 形だけとはいえ、難民に礼儀を示した統治者は、彼の知る限り帑亞翅碼璃万崇ドアシマリマスだけだ。


「必ず御礼を致しますので、叛乱の現状を教えてください。僕が川に落ちた後、何が起きたのですか?」

「それは……」


 逆に常盤の性格をよく知る奏は、現状の説明だけを求めた。事情は知らないが、この場で二人を和解されるのは、流石に時間が掛かる。その前に難民の叛乱を鎮静化しなければならない。


「……与太郎に引き摺り落とされた後、川岸に打ち上げられたみたい」


 左馬助ではなく、常盤が不服そうに語り始めた。


「私が最初に目覚めて……奏を担いで歩いてたら、偶々この人と鉢合わせた。どこかに隠れないといけないし、奏の傷の具合も診ないといけないし。この人は、難民の中では信用できる方だから――」

「二人とも川岸に打ち上げられてたの?」


 説明の途中で、奏が疑問を口にした。


「そうだけど……」


 常盤が怪訝そうに答えると、奏は微笑を浮かべる。


「二人とも無事で良かった。それに常盤が僕を助けてくれたんだね。ありがとう」

「奏が私を助けてくれたから。そんなの当たり前……」


 白い頬を朱色に染めて、常盤は顔を伏せた。

 奏は安堵の溜息を漏らす。うまく話題を逸らせたようだ。これ以上、常盤を騒動に巻き込みたくない。


 都合良く二人が、同じ場所に打ち上げられるなんて有り得るのか?


 常盤は気づいていないようだが、あまりにも不自然過ぎる。

 穏やかな表情を維持しつつ、強い疑念を押し込む。


「此処はどこですか?」


 冷静に頭を働かせながら、敢えて左馬助に尋ねた。第三者の意見も聞いてみたい。


「昔、私と常盤が暮らしていた場所です。蛇孕川の下流に近いので、他の難民は滅多に近づきません」

「この洞窟で暮らしてたんですか!?」


 思わず奏は、驚嘆の声を発した。

 常盤が左馬助を睨みつける。幼少期の暗い過去を人生の汚点と引き摺る少女には、父親の発言は許しがたいものだった。然し先に言葉を間違えたのは、何も知らずに驚いた奏である。


「も……申し訳ありません。命の恩人に対して無礼な事を――」


 慌てて頭を下げて、奏は非礼を詫びた。


「いえ、薙原家の方からすれば、当然の心持ちでしょう。それに今は、御先代が建てた館で暮らしております。昔に比べれば、随分と暮らしも楽になりました」


 他意はないと気づいたようで、左馬助も穏やかな表情で謝罪を受け入れる。

 尤も奏は、己の不見識を恥じた。

 難民集落というものに、一方的な偏見を抱いていた。

 隷蟻山の難民は、蛮族の如く穴の中に隠れ住む。

 斯様におゆらから聞かされていたが、それでも集落と呼ぶくらいだ。人間が生活できるだけの環境が整えられていると、勝手に思い込んでいた。然しこれでは、冬眠する熊と変わらない。

 よく十年以上も秩序を維持できたものだ。いや……それ以前に、全滅せずに生き延びた事が奇跡であろう。本家屋敷の庵を与えられて、裕福な暮らしをしてきた奏には、隷蟻山に住む難民の生活が想像もつかない。


「常盤、僕はどれくらい寝てたの?」

「二刻くらいだと思うけど……まだ日は落ちてない」


 奏は顎に手を当てて考え込む。


 叛乱が起きてから、およそ二刻余り……まだなんとかなるか?


「左馬助さん」

「はい」

「左馬助さんは、武家の出ですか?」

「は?」


 脈絡のない質問に口を噤むと、奏は言葉を補足する。


「言葉遣いが他の難民と違うようなので……どこかの大名家に仕えていたのかなと」

「以前、武田家に仕えておりましたが……辛うじて苗字を名乗れる程度の足軽止まり。その所為で難民の纏め役を務めておりました。尤も今の私には、難民を束ねる力はありません。此度の叛乱の首謀者は、橋下はしもと小鬼ゴブリンです」

「あんな悪魔崇拝者が難民を率いてるなんて……だから無謀な叛乱なんか起こすのよ! 与太郎に従う奴なんて、打ち首にすればいい!」


 青い双眸に怒気を滲ませ、叛乱に加担した難民を非難した。娘の過激な物言いに、左馬助は顔を顰める。奏も沈痛な面持ちになった。


「常盤……声を抑えるんだ。他の難民に見つかる」

「……分かった」


 常盤は、不満そうに押し黙る。

 言動を注意しても機嫌を損ねるだけなので、話題の矛先を変えてみた。今は一刻を争う時だ。難民の処遇は、暴動を鎮圧した後で決めればよい。


「それで質問の続きですが……僕らが難民集落に向かう事を報されていたんですか? 今回の視察自体、数日前に決められた事なんですが……」

「三日前、隷蟻山に訪れた巫女が、近々本家の方々が難民集落の視察を行うと申しておりました。然し隷蟻山に分け入る事はなく、蛇孕川の手前で引き返すとの由。それゆえ、難民は蛇孕川に近づくべからずと……結果的に、それが引き金となりました。此度の機会を逃せば、二度と好機は訪れない。小鬼ゴブリンの言葉に踊らされて、多くの難民が叛乱に加担しました。私はこの洞窟に隠れていたのですが……常盤様が視察団の代表とは、露知らず」


 左馬助の説明を聞いて、ようやく事態が飲み込めた。


「つまりおゆらさんの仕業か……」


 奏が吐き捨ているように言うと、


「やっぱり! あの女を差し金で、こんな事に……」


 常盤も繊細な美貌を歪め、桜色の唇を憎悪で震わせていた。

 直接、集落を視察するわけでもないのに、わざわざ難民に情報を与えたのは、叛乱を誘発させる為か。然しおゆらの意図が読めない。叛乱の鎮圧に乗じて、難民を一掃するにしても、奏を危険に晒すだろうか?

 抑も難民を虐殺する理由が分からない。

 合理主義者のおゆらは、無駄な行動を嫌う。今更難民を殲滅した処で、薙原家に一文の得もない。蛇孕村の治安を守るだけなら、『毒蛾繚乱どくがりょうらん』で難民を操作した方が、遙かに効率が良く危険も少ない。

 今回の騒動は、分からない事だらけだ。

 足の痛みで頭が働かず、情報も圧倒的に不足している。今の状況で悩んでも、時間を空費するだけか。二人の話から状況を推察し、確信が持てなくても行動を起こす。

 奏は周囲を見回した。暗くてよく見えないが、洞窟内に蛾や蝗の気配はない。やはり洞窟の外に出ないとダメか。


「くっ――」


 激痛で端正な面立ちを歪めながら、土壁に手を突いて立ち上がる。


「何してるの!? 左足が動かないんだよ!」


 常盤は金切り声を発し、慌てて奏の右肩を支える。


「早く洞窟の外に出ないと……」

「そんな事したら、他の難民に見つかる!」

「……もう少し声を抑えてくれ。本当に見つかるから」


 痛みを堪えて呻く奏に、常盤は掛けるべき言葉が見つからず、ぱくぱくと口だけを動かしていた。


「洞窟の外に出て、何をするおつもりですか?」


 混乱する常盤に代わり、左馬助が静かに尋ねた。


「難民を助けます」


 決然と言い張る奏。

 常盤と左馬助は、両目を見開いて驚愕した。


「それは……何か策があると?」

「策と呼べるほど大袈裟なものではありませんが……僕が洞窟の外に出て、无巫女アンラみこ様の御命を他の分家衆に伝えます」

无巫女アンラみこ様の御命?」

「左様な事ができるのですか?」


 信じられないという表情で、常盤が奏の顔を覗き込む。左馬助も瞠目し、寒さと痛みで青褪た奏の顔を見遣る。


「できると思います。『无巫女アンラみこ様から御命を授けられました。生け捕りが最優先。難民を殺さずに捕らえる事』と訴えれば、この辺りに潜む眷属を通して、分家の誰かの耳に届きます。无巫女アンラみこ様の御命は、評定で決められた事すら覆す切り札。すでに僕の捜索と一揆勢の鎮圧を名目に、本家屋敷から女中衆を送り込んでいる筈ですが、いつ如何なる時も无巫女アンラみこ様の御命は絶対。これ以上、犠牲者を増やさなくて済みます」

「ちょっと待って!」


 一人で左脚を引き摺りながら、洞窟の外に出ようとする奏を常盤が引き止めた。


「そんなの出鱈目でしょ! あいつらは奏の話を信じない!」

「いや、絶対に信用する……と言うより、嘘でも逆らえないんだよ。当のマリア姉は、蛇孕神社の外に出てこない。誰もマリア姉の御命を確認できないんだ。『もしや无巫女アンラみこ様の聖呪で、奏様の脳に御命を伝達したのかも?』と思わせれば、それで十分なんだよ」

「でも奏は怪我してる。難民に見つかったら逃げられない」


 常盤が泣きそうな声で言う。

 彼女の言い分も分かるが、状況を確認する時間が惜しい。

 川に落ちたので、自分の目で確認したわけではないが、視察団を襲撃した難民は全滅したと考えるべきだろう。朧や郎党が、叛逆者に手心を加える理由がない。叛乱に参加していなくても、隷蟻山で竹を伐採すれば、村掟で死罪と定められている。女中衆は取り調べも行わず、手当たり次第に難民を殺して回るだろう。

 一人でも多くの難民を救う為に、即座に行動しなければならない。


「大丈夫だよ。常盤が心配しなくても平気だから」

「大丈夫じゃない! 難民アイツらに話なんて通じない! 女中衆や分家衆に見つかる前に、奏が難民アイツらに殺される!」

「でも時間がないんだ」


 暫し逡巡すると、常盤は歪んだ表情を引き締めた。


「……その役目、私が遣る」


 奏は唖然とした面持ちで、銀髪の少女の横顔を見遣る。


「ダ……ダメだよ、危険過ぎる! 難民は常盤を人質にしようとしていた! もう一度見つかれば、次は命に関わる!」

「危険なのは、奏も私も同じでしょ! それに怪我をした奏の代わりに、眷属に伝えるだけなら、私が話しても不自然じゃない!」

「不自然だよ! 分かるだろ? 无巫女アンラみこの許婚である僕だから、荒唐無稽な法螺話にも説得力が生まれるんだ! 常盤が話しても、女中衆や分家衆に黙殺される!」

「私だってそれくらい分かってる! 自分が役立たずで、薙原家の誰からも信用されてない事くらい……でも決めたの! 奏の役に立つって決めたんだから!」


 銀色の長い髪を振り乱し、駄々をこねる女童の如く叫ぶ。


「常盤……」


 奏は興奮した常盤を見遣り、呆然と口を噤んだ。


「二人とも落ち着いてください」


 落ち着いた声で、左馬助が二人の会話に割り込む。

 彼の言葉に、奏はハッとする。売り言葉に買い言葉で興奮していた。

 一方、常盤は納得していないようだが、一先ず口を閉ざす。


「奏様は左足を動かせない。その身体で外に出るなど無謀です。加えて常盤様の言う通り、今の彼らに言葉は通じません。見つかれば、その場で殺されるだけかと」

「ですが――」

「勿論、それは常盤様も同じ事。常盤様の容姿は目立ちます。一人で洞窟の外に出ても、他の難民に見つかりましょう。多くの難民は、常盤様を裏切り者と憎んでおります。特に小鬼ゴブリンは、常盤様を目の仇にしております。血気盛んな悪魔崇拝者共に見つかればどうなるか……考えたくもありません」

「……」


 諭された常盤は、無言で父親に嫌悪の視線を向ける。

 奏の前で余計な話をするな――と視線で訴えかけているのだが、左馬助の表情は変わらない。平静を保ちながら、奏に視線を移す。


「私が常盤様の護衛につきましょう」

「――えッ!?」

「――おっ父ッ!?」


 仰天する両者を尻目に、左馬助は背中に隠していた鉈を取り出す。着物を結ぶ帯に縛りつけていたのだろう。鉈の刀身は赤黒く錆びており、酷く切れ味は悪そうだが、人を殺めるに足る道具。他の難民が使う竹槍よりも、おぞましい雰囲気がある。


「私が常盤様と行動すれば、これで難民を追い払う事ができます。勿論、己の力量は理解しておりますので。無理をするつもりはありません」


 左馬助の決然とした態度に、奏の心が揺らいだ。

 やはり自分の娘は、自分の手で守りたいのだろう。敢えて「無理をするつもりはありません」と述べたのは、常盤に無茶な行動をさせるつもりはないという事。自分が常盤を監視し、暴徒に襲われても命懸けで守る。

 左馬助の覚悟が、奏の心に伝わった。


「分かりました。常盤をお願いします」

「私は、こんな奴と一緒に行きたくない!」


 常盤の怒鳴る声が、狭い洞窟内に反響した。先程より声を抑えていたが、洞窟の外に出る前に、彷徨い歩く難民に見つかりかねない。

 改めて人差し指を唇に当て、大声を出さないように指示する。


「今この瞬間も、大勢の難民が命を落としているんだ。正直、話し合う時間も惜しい。お願いだから、僕の言う通りにしてくれ」

「でも……」

「これは常盤にしかできない事なんだ。僕に力を貸してくれ。左馬助さんと外に出て、一つ細工をしてほしい」


 嫌がる常盤を説き伏せるように、奏は言葉に気をつけて語る。彼の話に反応したのは、常盤より左馬助の方だった。


「細工とは?」

无巫女アンラみこ様から御命を授けられたと公言した処で、やはり僕でなければ取り合わないと思います。だから少し離れた場所に落書きしてください。内容は、僕が話した通り。『奏様が无巫女アンラみこ様より御神託を授かり候。難民は全て生け捕るべし』で十分です」

「それだけで大丈夫なの?」

「言葉だけなら、知らないふりもできるけどね。文字という証が残れば、知らぬ存ぜぬでは済まなくなるんだ。『无巫女アンラみこ』という三文字が含まれているなら、尚更見逃せない。虚偽の確証が得られるまで、薙原家も迂闊な行動ができなくなる。僕はこの辺りに詳しくないので、左馬助さんにお任せしますが……この洞窟から少し離れた場所。難民に僕らの居場所を悟られないような場所で、大きな樹木に石で文字を刻んでください。濡れた地面に書くと、雨で消えてしまうかもしれません」

「木に書いても、後から消されるんじゃ……」

无巫女アンラみこ様は、女中衆や分家衆の崇拝の対象だ。虚言の確証を得ないと、表皮を削り落として文字を消す事も、木を伐り倒す事もできない」


 常盤の抱く疑問を予想し、奏は冷静に答える。


「……承知しました。南側の葦原を迂回すれば、他の者に気づかれぬように、隷蟻山の麓に出ます。そこで奏様の指示通りにしましょう」


 奏の説明に納得し、左馬助は首肯した。


「わ……私も行くから」


 慌てて意見を翻し、常盤も身を乗り出す。

 奏は苦笑いを浮かべて、冷たい壁に背中を預けた。


「常盤がいないと、何の意味もないよ。お願いできるかな?」

「奏の役に立つって決めたんだから。任せて」

「ありがとう」


 怪我の痛みに耐えながら、奏は涼しげに言う。

 理由はともあれ、常盤が賛同してくれたお陰で動きやすくなった。狭い洞窟の中で立ち上がる二人を見上げて、奏は真剣な表情で念を押す。


「左馬助さん……常盤をお願いします」

「はい」

「常盤」

「……何?」

「絶対に左馬助さんから離れたらダメだよ。それにしつこいようだけど、大きな声を出さない事。どうしても常盤の容姿は目立つ。危ないと感じたら、すぐに洞窟へ戻る事。いいね?」

「……分かった」


 不承不承という感じではあるが、常盤も首を縦に振る。

 これで後顧の憂いはない。

 二人が外に出ようとした時、急に左馬助が振り返る。


「奏様は――」

「……?」

「奏様は、どうして我々に気を掛けてくれるのですか? 奏様も薙原家の御血筋。それも本家の血を引いておられるとか。叛乱を起こした難民に肩入れすれば、御当主や御一門衆より逆心を疑われましょう。何故、余所者に情けを掛けるので?」


 左馬助の質問の意図は、奏にも理解できた。

 これまで隷蟻山に住む難民は、薙原家の横暴に振り回されてきた。それが急に、難民を守ると言われても信用できる筈がない。左馬助が、奏に不信感を抱くのも当然である。

 奏は何も知らない。

 薙原家が難民を迫害してきたという知識はあれど、彼らの抱く憎悪や疑念を実感できない。実感できないからこそ、被害者の心情を推し量らなければならないのだ。一度叛乱を起こしたから。それもおゆらの謀略に乗せられて叛乱を起こしたという理由で、一人残らず殺すなど論外である。

 奏は織田信長ではない。

 元亀元年、本願寺門主――本願寺ほんがんじ顕如けんにょ光佐こうさは、畿内で勢力を拡大する信長に叛旗を翻した。日本各地の真宗門徒に檄文を飛ばし、織田家との全面戦争に突入する。特に伊勢いせ長島ながしま願証寺がんしょうじの真宗門徒兵は、周辺の土豪や地侍も吸収して十万を超える大軍となり、一気呵成に長島城を奪取。織田おだ信興のぶおきを自害に追い詰め、織田軍を散々に苦しめた。

 信長は大軍を率いて攻め込んだが、二度も大敗を喫している。伊勢湾の小島に拠点を置く願証寺は、複数の砦と海に囲まれた天然の要害だ。門徒兵の大半が百姓といえど、兵糧の補給さえ続けば、信長相手に何十年でも戦い抜ける。

 天正二年、業を煮やした信長は、畿内担当の明智光秀や越前門徒衆を抑え込む羽柴秀吉を除く主要な武将を召集し、織田家でも過去に例のない八万の軍兵ぐんぴょうで、伊勢湾全域を取り囲み、長島を囲む大川を軍船で埋め尽くした。長島への食料や武具の補給を阻止したのである。

 いくつかの砦は降伏を申し出たが、信長は許さずに兵糧攻めを続け、砦から逃げ出そうとした門徒兵も撫で切り。三ヶ月後には、門徒兵の半数以上が餓死。弾薬も兵糧も尽き果て、痩せ衰えた兵に戦う力は残されていない。生き延びた者達は、織田軍に助命を懇願。信長も降伏を受け入れたので、長島城から舟で退去しようとした。

 だが、これは信長の謀略であった。

 織田軍を苦しめた伊勢門徒衆を赦免する気は毛頭なく、長島城から退去する者達を鉄砲で撃ち殺したのである。卑劣な騙し討ちに逆上した一部の門徒兵が、勝利を確信する織田軍に捨て身の突撃を敢行。織田おだ信広のぶひろ織田おだ秀成ひでのぶを討ち取り、強引に包囲網を突破し、北伊勢方面より大坂へ逃亡する。

 それでも彼らは、運が良かった。

 他の砦に残された者達は、如何に処せられたのか?

 信長公記には、斯様に記されている。


『中江城長江島の城、両城にあるの男女二万ばかり。幾重にも尺(柵)を付け、取り籠め置かれ候。四方より火をつけ、焼きころしに仰せ付けられ、御存分に属し――』


 要約すると、砦から逃げられないように柵を設けて、二万余りの非戦闘員を火攻めで焼き殺したのだ。

 信長が意図した大量虐殺は、織田家に刃向かう諸勢力への見懲みこらしとなり、本願寺の弱体化に繋がる。信長の武威に屈した顕如が、大坂本願寺を退去したのは、天正八年の事だ。

 乱世の倣いは、奏にも理解できる。

 確かに秩序を守る為に、苛烈な仕置きも必要なのだろう。然し叛乱分子を無差別に殺害すれば、天下泰平の世が訪れるなど、奏が最も忌み嫌う思想である。理屈ではなく、感情的に許容しがたい。

 だが、奏の複雑な心情を吐露した処で、左馬助の理解は得られないだろう。奏が難民の苦悩を理解できないように、左馬助も統治者の苦悩を理解できない。相互が理解を深める為にも、相応の時間が必要であり、今すぐ左馬助に納得して貰えるような解答も思いつかない。

 それゆえ、薙原家の血を引く若者は、偽りのない本心を告げた。


「これ以上、犠牲者を増やしたくないんです。敵も味方も……統治者も民衆も関係なく、死人を増やしたくない。本当にそれだけなんです。今回の混乱が収束したら、難民の待遇を改善するように、本家や分家衆に働きかけてみます。現在の本家の当主が、僕の許婚なので……強引にでもなんとかしますよ」


 奏は決然と明言した。

 決して嘘ではない。

 奏の本心を打ち明けたつもりだ。

 左馬助は――

 目を閉じて黙考すると、


「……そうですか」


 と小さな声で答えて、常盤を連れて洞窟の外に出た。

 暗い洞窟の中で一人きりになると、奏は土壁に体重を預けて嘆息した。


 気づかれただろうか?


 おゆらと違い、偽装の類は苦手としている。


「本当に嘘をつくのって難しいな」


 ぽつりと呟くと、土壁に左手を添えながら、よろよろと洞窟の入り口に向かう。


「うっ――ッ!」


 秀麗な顔を歪めて、苦悶の悲鳴を押し殺し、天井に頭をぶつけないように、猫背気味に前へ進んだ。

 二人が外に出てから時間を置き、洞窟の入り口に出た。

 常盤と左馬助に話した説明は、奏なりの方便だ。

 結局、奏が一人で洞窟の外に出て、分家衆が使役する眷属に伝えた方が、一番早くて確実なのだ。然し激昂した常盤に制止されたので、左馬助の譲歩案を認めた。常盤の護衛を左馬助に任せて、一時的に洞窟から離れて貰う。その間に、奏は自分の口で无巫女アンラみこの御命を伝える。

 分家衆や女中衆は、酷く混乱するだろう。だが、奏の口頭による御命の伝達が、常盤の落書きにより念を押される。

 勿論、これは危険な賭けだ。

 眷属に伝えるだけなら、洞窟の外で嘘の神託を語るだけで済む。すぐに田中家の使徒が他の女中衆に情報を伝達し、難民の生き残りを捕縛するだろう。

 問題は、奏の身を危険に晒す事だ。

 本家女中衆と難民の暴徒。どちらが先に奏の許に辿り着くか、単純に運任せ。博打を好む性格ではないが、手段を選ぶ余裕がない。

 とにかく常盤を危険から遠ざける事はできた。左馬助も実の娘を危険に晒すつもりはない。他の難民に気づかれないように、樹木に文字を刻んでくれる筈だ。


 二人が戻る前に、事を済ませる。


 洞窟の外に右足を踏み出すと、すでに豪雨は止んでいた。灰色の空が彼方まで広がり、いつ雨が降り出してもおかしくない。洞窟の周囲は渓流樹木が生い茂る森で、斜めに曲がる木が乱立していた。これで河川が氾濫した時、この辺りまで浸水したのかな……と無関係な事を考えながら、偽りの御命を発しようとした時、


「奏様……」


 と弓手から声を掛けられた。


「左馬助さん!?」


 奏は声を裏返らせ、慌てて顔を向けた。

 驚いた事に、左馬助が三間ほど離れた場所に佇んでいた。常盤の姿はどこにもなく、無表情で錆びた鉈を握り締めている。


「何故、外に出られた?」


 厳しい口調で詰問され、奏は身を竦ませた。


「外の様子を窺おうかなと……すいません。洞窟に戻ります」


 決まりの悪い表情で、恥ずかしそうに頭を掻いた。

 やはり謀略に向いていない。奏の魂胆など、初めから左馬助に見透かされていたというわけだ。無論、気づかれていたならば、改めて左馬助に助力を請えばよいだけの事。常盤と難民の生き残りを守り、おゆらの暴走を食い止める。


「ええと……常盤はどうしたんですか? 他の洞窟に隠れてるんですか? この辺りに、この洞窟よりも安全な場所があるんですか?」

「お福は隷蟻山を下山しました」

「……は?」


 奏は、ぱちりと瞬きをした。

 左馬助の言葉が理解できない。


「春先に起きた地震の影響で、西の断崖に亀裂が生じたのです。急峻ですが、慎重に降りれば、お福でも下山できるかと」

「一体、何を……?」

「多くの難民は、亀裂の存在を知りません。事前に承知していれば、無謀な叛乱など起こさず、隷蟻山から逃げていたでしょう。いや……逃げたくても逃げられない。百名を超す難民が、薙原家の監視を逃れるなど不可能。これまで何度も痛感させられました。結局、我々の進むべき道は、蛇孕村に来た時から決められていたようです」


 唖然とする奏をよそに、左馬助は独り言のように続ける。目の焦点は定かではなく、奏の姿を見ていない。

 否、彼は奏の姿を通して、薙原家を見ている。猿頭山に居を構え、蛇孕村を睥睨する支配者を見ているのだ。


「貴方は立派な統治者だ」

「だから何を話して――」


 左馬助の双眸が、剣呑な光を放つ。正面から見据えられた奏は、得体の知れない悪寒を覚えて、思わず口籠もる。


「余所者の難民について、真剣に考えてくれている。それにお福の事も……娘から聞きました。家族のように接してくれるとか。貴方は私を恩人と呼ぶが、私達親子からすれば、貴方こそ恩人です」

「ええと……」

「然し許せぬ」


 左馬助は武家の言葉遣いで、奏の言葉を遮る。


「我々は安寧の地を求めて、蛇孕村に参った。然れど薙原家に騙されて……生き地獄に落とされ申した。無論、我々の力不足が招いた事。因果応報と申すのであれば、我々の行く末も因果であろう。然れど某は……薙原家の所業が許せぬ!」


 左馬助の表情が、奇妙な具合に引き攣った。


「妻の亡骸を食べたなど、断じて許せぬ!」

「――ッ!?」

「我々の知らぬ間に墓を掘り返し、餓鬼の如く屍を喰らうなど……どれだけ弱き者共を弄べば気が済むのだ! 強き者ならば、何をしても許されると思うな!」


 無念の涙を流しながら、憤怒で顔を紅潮させ、鉈を振り上げて慟哭する。

 彼の瞳に宿るのは、燃え上がる復讐の炎。忌まわしい人喰いの妖怪を討ち取り、亡き妻の尊厳を取り戻すという決意の表れ。

 奏は後退りながら叫ぶ。


「待ってください! 僕は――」


 食べてない。


 人間なんか食べてない。


 人を喰う妖怪でもない。


 抑も薙原家の食人習慣など、最近まで知らなかった。人身売買に手を染めていた事も、今月の上旬に帑亞翅碼璃万崇ドアシマリマスから聞かされたばかりだ。


 だが。


 次の言葉が、口から出てこない。


 人喰いの妖怪に、十年も育てられたのは誰だ?


 蛇神の使徒が奴婢を喰らう事を知らされても尚、今は時宜を得ていないからと、決断を先送りにしてきたのは誰だ?


 人の命に差をつけ、奴婢を見捨てたのは誰だ?


 全て奏の決断が招いた事ではないか。


「外道が……死んで償え」


「うわああああああああッ!!」


 奏は絶叫した。

 恥も外聞もなく叫び散らし、左馬助に背を向けようとするが、骨折した左足が思うように動かず、俯せに倒れ込んだ。


 死にたくない。

 まだ死にたくない。


 それ以外の思考は、頭から吹き飛んだ。必死に泥の上を這い蹲り、左馬助から逃れようとする。


「誰かアアアアッ!! 誰か助けてくれええええッ!!」


 近くの樹木に這い寄ると、大きな幹に背中を預けて振り向く。涙を流した左馬助が、鬼の形相で奏を見下ろしていた。


「く……来るな! 僕の側に寄るなあ!」


 周りの石や泥を投げても、左馬助は怯まない。

 奏は金切り声で「曲がり刃!」と叫んでいた。

 左袖の中から白刃が飛び出し、赤黒く錆びた鉈を受け止めた。かつと金属音が鳴り響き、火花が飛び散る。鉈の衝撃に耐えきれず、奏は馬手へ押し倒された。


「面妖な事を……それも妖術か」


 錆びた鉈の刃毀れを確認しながら、忌々しげに呟いた。

 左馬助には、薙原家の妖術とマリアの開発した道具の見分けがつかない。人間と妖怪の見分けもつかない。薙原家の血族は、全て奇怪な妖術を使う妖怪だ。


「違う。違う違う……僕じゃない」


 死の恐怖に怯えながら、泥塗れの顔を横に振る。

 然し左馬助は、侮蔑の視線を投げ掛け、再び鉈を振り上げた。


「今更、薙原家の言葉に耳を貸すものか」

「川で溺れた僕を助けてくれたのに……」

「お福の前で殺生は致さぬ。お福は、蛇孕村の外で平穏に暮らすのだ。我々や妖怪共と同じ末路は辿らぬ。此度の視察団に加わらなければ、汝も死なずに済んだものを……我が身の不運を悔やむがよい」

「……ッ!!」


 左馬助の言葉に、奏は激しく動揺した。

 ようやく違和感の正体に気がついた。

 難民奉行や玉の生産の話を聞きながら、漠然と感じていた不安。おゆらの理路整然とした説明の中で、一つだけ際立つ不自然な事実。


 時間だ。

 評定と視察の期限だ。


 常盤を難民奉行に推挙するにしても、七月の評定に拘る理由がない。難民集落の視察を急ぐ理由もなかった。

 八月でも九月でも構わないのだ。冬になる前に行えば済む話である。どうして今まで疑問を抱く事もなく、おゆらの言葉を鵜呑みにしてきたのか。

 これが『毒蛾繚乱どくがりょうらん』の恐ろしさ。他人の精神に楔を打ち込むという事は、己の望むように他人の思考を誘導できる。疑念を持たせる余地すら与えない。


「助けて……」


 奏は涙声で命乞いをした。


「無様な姿よ。早々に観念致せ」


 左馬助は哀れむように言い放ち、右手の鉈を振り上げた。


「うわああああああああッ!!」


 奏は両目を瞑り、咄嗟に左腕を前方に伸ばした。


「――ッ!?」


 前方で息を吐くような音がした。

 俯いて震える奏は、ごくりと唾を飲み込む。

 襲い来るべき痛みが来ない。

 まだ意識がある。

 死んでいない。

 奏が異変に気づいたのは、ぽつりぽつりと左手の甲に、水滴が落ちてきたからだ。雨粒ではない。恐る恐る目を開けると、左手が赤く染められていた。


「速え速え全然速え。あーし一等賞~♪」


 お夏が左馬助の背後から、気の抜けた声で言う。

 手突矢が左馬助の首を貫通し、喉から鏃が飛び出していた。奏の左手を塗らす液体は、左馬助の首から垂れ落ちてきたのだ。ごふりと口から血を吐き出し、怨敵の端正なかんばせに血化粧を施す。曲がり刃に真紅の液体が伝わり、左手から上腕を汚していく。


「ああああ……」


 がちがちと歯を鳴らし、曲がり刃を袖の中に戻した。

 粘性を帯びた赤い液体が、左馬助の右胸から噴き出す。奏の脳内信号を察知した曲がり刃が、左馬助の右肺を貫いていたのだ。

 後から聞いた話だが――

 左馬助は『叛乱の混乱に紛れて民家を襲う難民』に選ばれていた。視察団を襲撃した難民と別行動を取り、下流の浅瀬から蛇孕村へ侵入。付近の民家を襲撃して斬り死にする予定だった。それが途中で奏を背負う常盤と遭遇した所為で、心の中の優先順位が入れ替わった。仲間の死を悼む髭面の猟師が、おゆらの思惑から逸脱した行動を始めたように――左馬助も『日が落ちる前に、蛇孕村の民家を襲撃しなければならない』という命令を遵守しながらも、自分の感情を優先して動いた。常盤と行動を共にできないのは、薙原家の若君を討つ為と、おゆらから与えられた命令を遂行する為。日が落ちる前に――と時間制限を設けられていたので、短い時間で怨敵を討ち果たし、改めて蛇孕村を襲撃するつもりだった。もはや確認しようもないが、そう考えるのが妥当である。

 加えてもう一つ。

 難民は全員、奏に危害を加えないように、『蒼い着物を着た人物、及び薙原奏と呼ばれる人物を攻撃できない』と心に楔を打ち込まれていた。

 それゆえ、奏を蹴り飛ばそうとした小鬼ゴブリンは、己の意志と関係なく橋の上で転倒。左馬助も奏に鉈を当てられず、樹木の幹を斬りつけていた。

 血で濡れた左手を見下ろし、奏は青褪た顔で震える。

 お夏の手突矢と奏の曲がり刃。

 どちらが先に左馬助を貫いたのか。

 茫然自失の体で死体を見上げる奏。お夏は死体を右脇に投げ捨てると、一仕事終えたと言わんばかりに、うーんと背伸びをする。

 やがて震える主君に気づいた。


「あ……人殺したの初めてですか? 最初はキツいかも知れませんけど、何人か殺せば慣れるんで。全然、気に病むほどではないですよ」


 あくまでも他人事というふうに、お夏は軽い口調で助言する。

 その真実が――


「ああああああああ――ッ!!」


 徹底的に、奏の精神を引き裂いた。




 二刻……四時間


 元亀元年九月……西暦一五七〇年


 織田信興……織田信長の弟


 天正二年……西暦一五七四年


 織田信広……織田信長の庶兄


 織田秀成……織田信長の弟


 天正八年……西暦一五八〇年


 三間……約5.67m

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