第66話 奇異な遭遇

 土砂降りの雨が降り注ぐ中、川岸に小さな人影がある。

 力無く動く腕に、覚束ない足取り。華麗な銀髪は泥に塗れ、豪奢な南蛮幼姫ゴスロリ装束もずぶ濡れ。常盤の美貌に覇気はなく、俯いて足下の奏を見下ろしていた。

 二人一緒に下流近くまで流されたのだろう。奏は常盤の手を握り締め、すぐ傍で気絶していた。激流に押し流されながらも、常盤の手を掴み続けてくれたのだ。

 奏の言葉を思い出す。


『たとえ何が起きても、絶対に常盤を守るから』


 彼は言葉だけでなく、実際の行動で示してくれたのだ。奏に特別扱いされているという優越感に浸りたい処だが、現状がそれを許してくれない。

 水浸しの奏の左腕を掴み、自分の右肩に回した。

 脆弱な常盤が、水で濡れた奏を担いで歩くのは辛い。一歩前に進むだけでも、相当に体力を使う。

 この場で救助を待つという手段もあるが、女中衆が到着する前に、武装した難民と鉢合わせたら、二人に抵抗する術はない。

 隠れる場所を求めて、常盤は奏を引き摺りながら進む。

 奏が目覚める様子はない。

 肩を担いで気づいた。奏の左足の様子がおかしい。左足の爪先が、真横を向いているのだ。足首の関節が外れているか、左脚の骨が折れている。


「なんで……なんで私ばかりが、こんな目に遭うの?」


 雨に打たれながら、涙混じりに呟いた。

 一体、何が悪いというのか。

 難民奉行の話を聞いた時、常盤は好機だと思った。難民を支配下に置き、己の地位を確立する。奏は難色を示していたが、一挙両得の策ではないか。

 常盤は、難民に同情など感じていない。

 同年代の悪童を筆頭に、散々虐められてきたのだ。それなら今度は、薙原家の権力を背景に屈服させてやる。厳格な村掟で縛りつけ、牛馬の如く働かせてやるのだ。

 それに難民奉行を務めながら、屋敷を自由に移動しても構わないと、おゆらの了承を得ている。常盤の屋敷が新築された際は、奏も泊まりに来てくれると言う。

 そうなれば、想い人の貞操を狙う機会は一気に増える。おゆらやマリアに邪魔される事なく、奏と甘い時間に浸れるのだ。

 うまくすれば、任期の途中で懐妊という事も有り得る。奏の子供を産めば、役職など関係ない。一気に奏の側室の地位まで上り詰める。本家の血を引く赤子を産めば、世話役のおゆらや許婚のマリアの出し抜き、奏の寵愛を一身に受けられる。

 だからこそ二つ返事で難民奉行を引き受けた。

 引き受けた後も自分の判断に間違いはないか、おゆらに騙されているのではないかと疑念を抱き、視察の直前まで鬱々と過ごしていた。

 然し視察の直前に、奏が「絶対に守る」と約束してくれた。

 その一言で、常盤の杞憂は吹き飛んだが……なんてツイていないのだろう。視察の途中で、難民が謀叛を起こすとは――

 常盤の知る難民は、自分以外は誰も信じない野蛮人の集まりだ。徒党を組んで視察団を襲撃するほど、度胸もなければ結束力もない。武装蜂起など論外である。

 難民に何が起きたのか想像もつかない。左馬助は何をしているのか。常盤の知る父親なら、絶対に難民の暴走を食い止める筈だが。

 もう三年も隷蟻山に足を踏み入れていないのだ。常盤の知らないうちに、難民の間で新しい指導者でも現れたのだろうか。

 そう考えると、色々と辻褄が合う。

 常盤を攫おうとした悪魔崇拝者――橋下はしもと小鬼ゴブリンと名乗りを挙げていたが、間違いなく与太郎だ。幼い頃、常盤を虐待していた悪童の一人。左馬助にぶちのめされて以来、殴る蹴るなどの暴力は止めたものの、代わりに左馬助の見えない処で、何度も陰湿な嫌がらせをしてきた。

 常盤の知る限り、『難民集落』でも一番の暴れ者。もし彼が『難民集落』の指導者であれば、今後の統治を考えるだけで憂鬱になる。

 鋸引だ。

 奏を傷つける者は、鋸引にすべきだ。


 与太郎の首を広場に晒してやる。


 憎悪と野心と欲望を糧に、呼吸にさえ苦労しながら、常盤は奏を連れて森の中を彷徨い歩く。激しい大雨で視界を遮られ、どこを歩いているかも定かではない。木陰に隠れて雨宿りをしようという発想すら出てこない。まともに思考を組み立てる余裕もない。


「……?」


 雨粒を避けて薄く瞼を開くと、森の奥に動く人影を見つけた。

 常盤は咄嗟に、右手を左手の袖の中に差し込む。


「――誰ッ!?」


 誰何すいかしながら、常盤は悔やむ。袖の中に隠した短筒は、水に濡れて使い物にならない。奏の刀も川に流された。

 丸腰二人では、血気に逸る難民に殺されるだけだ。

 緊張した面持ちで前方を見遣ると、人影は慎重な足取りで近づいてくる。雨で視界が悪いが、成人男性のように見える。

 それも少しやつれているが、常盤がよく知る人物だった。


「お福……」


 左馬助は、酷く驚いた様子で娘の名を呼んだ。


「おっ父……」


 常盤も唖然とした表情で、三年ぶりに父親の顔を凝視する。

 運命と呼ぶには、陳腐に過ぎるであろう。然し奇異な遭遇を果たした親子は、暫し無言で互いの顔を見つめあった。

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