第51話 篝火

 戌の刻。

 日没は過ぎており、夜の帳が降りている。

 蛇孕神社の前の広場で、大きな焚き火が燃えていた。

 焚き火は、勢いよく炎を巻き上げる。まるで蛇孕村を覆う穢れを焼き払うかのようだ。焚き火から香ばしい香りがする。猪の肉でも焼いているのだろう。

 常なら村人達が眠りに就く頃だが、喧騒が収まる様子もない。今夜は無礼講と言わんばかりに、村人達が無我夢中で踊り明かす。

 奏と常盤は、茂みに隠れて村祭りの様子を眺めていた。二人とも極端に容姿が目立つ。特に奏は、女物の着物を着ている為、あまり人前に出たくない。

 祭りの様子を遠くから見物できれば、それだけで奏は満足だった。

 激しい太鼓の音に合わせて、皆が好き勝手に踊り狂う。聞いた事もない音曲だが、不思議と高揚感を齎す力があった。


「綺麗……」


 傍らで常盤が感嘆の声を漏らした。


「うん、そうだね。それにみんな楽しそうだ」


 奏も常盤の言葉に感動する。

 美しい炎の柱から、ぱちぱちと火の粉が舞い散る。

 幻想的な景色を見ながら、改めて決意を固めた。

 確かに偽りの平和だ。

 薙原家の中には、彼らを家畜と蔑む者もいる。

 集落の秩序を維持する為、多くの外界の人々が命を落とした。これからも数多の犠牲の果てに、独善的な平穏を保ち続けるのだろう。

 然し村人に罪があるわけではない。

 薙原家が自分達の都合を押しつけ、異常な集落を作り上げた。彼らも妖怪の被害者に他ならない。

 いつか改善策を導き出し、一人も犠牲者を出ないようにする。

 決して平坦な道ではないだろう。

 奏一人の力では、どうしても限界がある。それでも時間を掛けて、慎重に因果を読み解けば、改善策を導き出せる筈だ。


 僕がなんとかしてみせる。


 村祭りを見に来て良かった。

 責任の重圧に押し潰されそうな処で、勇気を取り戻す事ができた。


「奏――」

「ん?」

「あれ……」


 暫し黙考していると、常盤が焚き火を指差した。

 焚き火の灯りに照らされながら、朧が朱色の扇子を掲げて踊り明かす。


「――朧さんッ!?」


 奏は頓狂な声を発した。

 十一日前に死に掛けていた人物が、激しい踊りを披露しているのだ。

 それも妖しく美しい。

 巫女神楽のように、静謐な儀式ではない。

 扇情的で躍動感に溢れた舞踏だ。男を誘う遊女の如く艶やかでありながら、無邪気の童の如き奔放さを備えている。

 朧の舞踏に見惚れていると、


「捜しましたよ」


 急に後ろから声を掛けられ、奏は驚いて振り返った。


「おゆらさん……」


 悪戯を見咎められた童のように、奏の背中に冷たい汗が伝う。常盤は怯えて、奏の背後に隠れた。人生初の家出は、半日も経たずに終了した。


「これはその……僕が常盤を誘ったんだ」

「承知しております」

「ごめん。迷惑掛けたよね」

「我々も奏様に負担を掛け過ぎたのでしょう。やはり私の落ち度です」

「おゆらさんに落ち度はない。全て僕の責任だ」

「ならば、此度の件を分家衆の前で申し開きしますか?」

「――ッ!?」


 おゆらの冷たい物言いに、常盤は息を呑んだ。


「当然だ。僕が一人で分家衆に釈明するよ。常盤を晒し者にする気はない」


 奏が言い切ると、おゆらは溜息をついた。


「本当に此度は、想定外の事ばかり起こります。奏様の性分も承知しておりましたが、これほど頑固とは……」


 おゆらは頭を振り、柔和な笑みを浮かべた。


「私は何も見ておりません」

「おゆらさん……」

「奏様と常盤様は、体調不良により巫女神楽を辞退。二人が蛇孕神社を抜け出したなど、左様な報告は受けておりません」

「……ありがとう」


 奏は微笑んで、おゆらに礼を述べた。


「それであの……かなたん音頭はどうなったの?」

「残念ながら中止となりました。今は无巫女アンラみこ様が、蛇孕神社で異琵琶ギターラの演奏会を催しております」

「マジで!?」

「マジです」


 おゆらは笑顔で断言した。


「祭祀の差配は、私の眷属が執り行いました。蛇孕神社に招かれた分家衆は、目を丸くしていましたが……奏様の指図通りです」

「うっ――」


 世話役に皮肉を言われて、主君は気まずそうな顔をする。

 然し大騒動にならなくて良かった。マリアに迷惑を掛けたくない。足手纏いになるのも御免である。


「然し无巫女アンラみこ様は、此度の一件をとても喜んでおりました」

「マリア姉が?」

「昨晩、奏様が无巫女アンラみこ様に夜這いを掛けたと。勿論、契りを結ぶ事はできませんが、蛇神様の神域で据え膳を喰らおうとする益荒男ますらおぶりに、改めて惚れ直したのでしょう」

「何ソレ?」


 常盤が、疑惑の眼差しを向けてくる。


「夜這いなんかしてないよ! 色々と相談したい事があるから、マリア姉の部屋を訪れただけで!」


 奏は両手を振り、夜這い疑惑を否定した。


「でもマリア姉、自分の部屋にいなかったし! ていうか、今回の件と関係ないから!」


 奏は嘘を吐いていない。

 昨晩、おゆらと話し合いを終えた後、改めてマリアの部屋に赴いたが、彼女は自室にいなかった。

 巫女衆に尋ねた処、マリアは自分の部屋に辿り着けなかったそうだ。暫く拝殿を右往左往した挙句、別棟の台所に辿り着いた。そこでマリアはパソコンを開発し、自作のエロゲーに没頭していたという。それにも拘わらず、奏の言動を完璧に把握していたのは、超感覚と魔法の成せる業か。

 一体、何処から突っ込めばよいのか。

 超越者チートの行動は、許婚の奏にも理解できない。

 パソコンとやらの材料は、夕餉の残り物や鉱物ばかり。エロゲーとやらの正体も判然としない。「パソコンの材料? 別に胡瓜や山芋でも構わないのだけれど。石英の方が、シリコンウェハーを製造しやすいわ。山菜から二酸化ケイ素を錬成するのも、それなりに手間が掛かるのよ」とか「勿論、プログラムも自作よ。私しか使えないけれど、世界中に光回線を張り巡らせてみたわ。子供の頃、自由研究のつもりで打ち上げた人工衛星と暇潰しのつもりで世界各地に建造した基地局が、こんな形で役に立つなんて……奏の先見の明には、驚かされてばかりね」とうそぶいていたが……真面目に考えても、正解に辿り着けない気がする。


「……」


 常盤に睨まれながら、奏は溜息をついた。


「まあ、巫女神楽は遊興の一環。かなたん音頭は、来年のお楽しみとしましょう」


 おゆらは両手を合わせて、軽い調子で話題を変えた。


「偖も偖も場所を変えませんか? 村祭りと言えば、一晩限りの乱交三昧。子作りに励む村人達の邪魔をしてはいけません」

「おゆらさん、常盤の前でなんて事を――」


 奏が声を上げた時、おゆらの顔から笑みが消えた。

 何度も瞬きをしながら、遠くの焚き火を見つめている。


「……」

「どうかしたの?」


 おゆらの視線を確認した後、奏は不思議そうに尋ねた。


「ああ……いえ、朧様の踊りに見惚れておりました」


 おゆらは笑顔を作り直し、取り繕うように両手を振る。


「ええと……」


 奏が言葉を探していると、背後から大声が響いた。


「――伽耶様ッ!?」


 朧の声に、村人達がビクッとする。

 夜目の効く朧の事だ。

 茂みに隠れた奏を目敏く見つけたのだろう。

 焚き火を囲む人の輪から抜け出し、此方に駆け足で近づいてくる。

 近くで奏の姿を確認し、奏は大きく息を吐いた。


「御曹司か……是は為たり。伽耶様が迷うて出たのかと思うたぞ」

「そんなに母と似てますか?」

「よう似ておる。瓜二つと申す他ない」


 感嘆の声を上げながらも、音曲に合わせて踊り続けていた。

 朧が飛び跳ねると、豊満な乳房が上下に弾む。二つの鞠が波を打ち、黒い肌着からこぼれ落ちそうだ。

 奏が視線を逸らすと、常盤に冷たい目で睨まれた。


「然れど御曹司。女踊りを嗜むのか?」

「違います。これは止む無く――」

「まあ、なんでもよいわ。それより祭りじゃ。御曹司も共に踊ろうぞ」


 全く奏の話を聞いていない。

 朧は妖艶に嗤いながら、奏の左手を掴んで連れて行こうとする。


「僕、踊った事ないんですけど……」

「御曹司の好きに踊ればよい。祭りとは、斯様なものじゃ。銀髪、お主も踊れ」

「私を銀髪と呼ばないで!」


 本気で嫌がる常盤の右手を掴み、強引に引き寄せた。


「お……おゆらさん」


 奏がおゆらに救いの視線を送ると、艶やかな唇に指を当てるような仕草で考え込み、やがて意地の悪い笑みを向けた。


「折角、お祭りに来たのです。時には、羽目を外す事も必要かと」

「そんな……」

「思う存分、楽しんできてください。私は何も見ておりません」

「はう……」


 最後の頼りに見捨てられて、奏は情けない声を上げた。


「歌い踊れば、日頃の憂さも晴れる。村の者共も御曹司の姿を見れば、さぞかし仰天するであろう」

「それが一番イヤなんだけど……」


 奏の声には、諦観が含まれていた。


「私は踊りたくない!」


 常盤も抵抗したが、力ずくで人の輪の中に引き摺り込まれる。他人の意志を汲み取らない処が、中二病の中二病たる所以である。


「……」


 ぽつんと取り残されたおゆらは、穏やかな笑顔で佇立する。

 偖も偖も。

 意図的に挑発してきたわけではないだろう。符条の入れ知恵とも考えられない。どちらにしても――


「あの女は邪魔ですね。殺しましょう」


 柔和な笑みを崩さず、さらりと小声で呟いた。




 余談がある。

 次の日の朝、百姓の娘が山菜採りに出掛けると、馬喰峠で奇妙な事に気づいた。

 蝉の鳴き声が聞こえないのだ。

 蟋蟀こおろぎ松虫まつむしなど、他の虫はやかましく鳴いているのに、蝉の鳴き声だけが聞こえない。百姓の娘は不思議に思い、家に帰って母に話すと、「蝉も泣き疲れたんでしょ」と素っ気なく返された。




 戌の刻……午後八時

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