第49話 神寄討伐(一)

 毫も迷わず、獺は近くの木陰に隠れた。


「何故、『神寄カミヨリ』を感知能わぬ?」


 獺の避難を見届けた後、朧は質問を投げ掛けた。


「おそらく『睡蓮祈願すいれんきがん』の使い過ぎだろう。妖術を限界近くまで使うと、妖気の感知に影響を齎すのか。驚愕の事実というヤツだ」


 獺は冷静に説明しているが、要するにうっかりである。


「流石、獺殿じゃ。妖怪探知機の機能を果たしておらぬ」


 獺を揶揄しながらも、前方の『神寄カミヨリ』から視線を外さない。

 俯いている為、顔はよく分からない。

 身の丈は、おゆらと同じくらいか。数日も山で狩猟を続けていたからだろう。麻の寝巻が血泥で汚れている。

 尋常な様子ではないが、佇まいを見れば実力も窺い知れる。

 そこらの村娘と変わらない。

 間違いなく戦闘の素人だ。

 然し此度の立ち合いは、武芸者同士の斬り合いとは異なる。

 対手は妖術を使う妖怪。

 現世うつしよの摂理を超越する存在だ。

 『神寄カミヨリ』は、右手に脇差を握り締めていた。

 すでに刀身が血で錆びつき、脇差の切れ味は落ちている。

 それゆえ、朧は警戒を強めた。

 錆や鉈で汚れた刃物は、悪質な雑菌の塊だ。

 掠り傷でも破傷風を引き起こす。

 加えて『神寄カミヨリ』を取り囲むように、百匹以上の蝉が飛び交う。己の眷属を盾にしたつもりか。確かに半月ノ太刀で飛び込めば、朧の身体は弾き飛ばされる。


「加えてもう一つ尋ねたい」

「なんだ?」

「蝉が停止飛行しておるぞ」

「……使徒に支配された時点で、生類も現世うつしよの理から外れる。つまりお前の相手は、『妖術を使う妖怪』と『蝉に似た妖怪の群れ』だ」

「流石の儂でも、『蝉に似た妖怪』とやらを数万匹も斃せぬぞ」

「使徒を討ち取れば、眷属も支配から解放される。お前が『神寄カミヨリ』を討ち取れば、『蝉に似た妖怪』も普通の蝉に戻る」

「左様か」


 雑な説明に一先ず納得すると、左手を挙げた。


「お主が『神寄カミヨリ』か。儂は薙原奏の従者――覇天流の朧じゃ。此度は、お主を討伐すべく参った」

「……」


 鷹揚な態度で呼び掛けても、『神寄カミヨリ』は反応を示さない。俯いて地面を見下ろし、朧と五間近くも離れている。


「儂の言葉は解し能うか? 会話は能うか? 『神寄カミヨリ』に堕落すると、人の言葉も忘れおるか?」

「……」


 やはり『神寄カミヨリ』は反応しない。

 それでも朧を視ている。

 無数の蝉を介して、獲物を視認している。


「おおっ――是か? この傘は、蝉の尿対策じゃ。猟師には申し訳ないが、儂は蝉の尿など浴びとうない。無論、搔楯の代わりにもならぬであろうが、蝉の尿を浴びるよりマシであろう。命の遣り取りゆえ、幽玄オサレに気を遣わねば――」

「耳を、ください」


 朧の無駄話を遮り、『神寄カミヨリ』が顔を上げた。

 公家の姫君と見紛うほどの美貌……であったのだろう。短く切り揃えられた髪は、左右に軽く跳ねていた。肌の色は死人の如く白い。顔の造作は端麗だが、口元が乾いた血で染まり、見る者に恐怖を齎す。

 金色に輝く双眸が、ぼうと朧を見つめる。

 朧は『神寄カミヨリ』の敵ではない。

 餌だ。

 あくまでも今日の餌だ。


「貴女の、耳を、ください」


 唇の端から涎を垂らし、弓手へ弓手へと首を傾げた。

 『神寄カミヨリ』は獲物を見つめて、狂気を帯びた笑みを浮かべる。


「耳を、食べないと、奏様を、助けられないんです」


 次の刹那、朧は木陰に跳び込んだ。

 一瞬の間を置いて、『神寄カミヨリ』の前方で樹木が弾け飛ぶ。


「ヒャハハハハハハハハハッ!! 見たか、獺殿! 『炸裂眼さくれつがん』を躱してやったぞ!」


 杉の木の裏に隠れた朧は、耳をつんざく炸裂音に酔い痴れながら、獰猛な笑顔で獺を見下ろす。

 人であれ妖怪であれ、『炸裂眼さくれつがん』の発動を予測する事は至難。

 ゆえに朧は生存本能に身を委ね、毫秒の差で危難より逃れた。

 換言すれば、強運に助けられただけだ。もう一度、同じ事を繰り返せば、牛頭馬頭ごずめずと会えるだろう。

 朧は左腕の袖を捲り上げ、げらげらと哄笑した。


「堪らぬ! 是は堪らぬ! 鳥肌が立ちおった!」

「死にたいのか、お前は!」


 獺の説教が、爆発の衝撃と振動で掻き消された。

 背後の大木に『炸裂眼さくれつがん』が撃ち込まれたのだ。然し幹の太さは、朧でも抱えきれないほどである。一撃では破壊できず、『神寄カミヨリ』は妖術を連続で発動させた。

 続けざまに、爆発音と衝撃が襲い掛かる。


「背中がされる圧される。是も楽しいのう」

「遊んでる場合か!」


 巨木越しに爆発の振動を楽しんでいると、獺が大声で一喝した。


「偖も偖も獺殿」

「なんだ?」

「倒れた木に押し潰されぬように、なんぞ対策でも立てておるのか?」

「……樹木の対策は立てていない。木片や粉塵も防御できない」

「実に天晴れじゃ。早くも足手纏いではないか」

「不覚……」

「反省ならば、死地より生き延びてからに致せ。差し当たり、この木が倒れた後、舞い上がる土煙に紛れて、他の木に身を隠すぞ。よいな?」

「分かった」


 獺が答えた刹那、背後の大木が砕け折れた。

 粉塵と土煙で一間先も見えない状況だ。

 朧は身を屈めて、素速く木陰に移動した。


「獺殿。大事ないか?」


 返事がない。

 周囲を見回しても、偉そうな獣が見つからない。


「もうはぐれたのか!? いくらなんでも早過ぎであろう!」


 朧は苛立ちを込めて叫んだ。

 兵法へいほう数寄者オタクの獺の他に、誰が実況と解説を務めるというのか。

 近くの杉の木が、脆くも砕けて折れた。

 続けて周辺の木々が、『炸裂眼さくれつがん』の爆発で砕け折れる。

 もう手当たり次第だ。

 『神寄カミヨリ』は、全ての木々を砕くつもりか。

 朧が身を隠す大木は、他の杉より幹が太い為、容易く破壊する事はできないが、直視の『炸裂眼さくれつがん』を連続で発動させ、確実に表皮を剥いでいく。

 なんとか足手纏いを捜したいが、遮蔽物の側から離れるのも困難。無謀と中二は、似て非なるもの。打開策を講じなければ、尋常な勝負にならない。

 朧が逡巡していると、弓手で爆発が起きた。

 『炸裂眼さくれつがん』で折れた樹木が、朧の弓手を塞ぐ。

 続けて馬手の樹木も爆発。

 どうやら砕きやすい樹木に標的を絞り、遮蔽物を破壊し尽くしたうえで、朧を追い詰めていくつもりのようだ。


 『神寄カミヨリ』は、真に乱心しておるのか?


 朧が疑念を抱くほど、確実に退路を塞いでいく。

 次の一撃で背後の樹木も倒れるだろう。

 早くも追い詰められた朧は、足下の小石を蹴り上げた。

 中空に飛んだ小石が、ぱんっ――と粉々に砕け散る。

 朧は、小石と逆の方向に飛び出した。

 倒れた杉の木を跳び越えて、再び木陰に隠れる。


 成程、読めてきたぞ。


 朧はニヤリと嗤う。

 『神寄カミヨリ』に関して、二つほど確信を得た。


 一、視界に収めた物体の中で、意識を集中させたものを爆発させる。

 二、突然、視界に何かが入り込むと、反射的に飛来物を目で追う。


 朧は攻勢の機会を窺いながら、木陰の奥へ奥へと移動し、『神寄カミヨリ』を遮蔽物の多い場所へ追い込む。

 炸裂音は続いているが、先程より遠い。

 獲物が移動した方角を予想できても、距離感を掴めていないのだろう。遮蔽物を破壊しながら突き進む『神寄カミヨリ』は、獲物を見つけるまで時を要す。


「――ッ!?」


 急に朧は脚を止めて、周りを見回す。

 炸裂音が止まった。

 先程までの騒音が嘘のように、森の中に静寂が訪れる。


 眷属を介して、此方の位置を掴んだのか。


 十分に有り得る事だ。

 朧が唇の端を吊り上げ、大刀の柄を握り締めた刹那――

 右隣に立つ『神寄カミヨリ』と眼が合った。


「わお」


 次の刹那、凄まじい速さで上体を反らし、一瞬だけ『神寄カミヨリ』の視界から消えた。

 背後で樹木が弾け飛び、黒い煙が立ち込める。

 朧が上体を起こすと、長い髪が『神寄カミヨリ』の視界を遮った。

 『神寄カミヨリ』は『炸裂眼さくれつがん』で長い髪を消し飛ばす。

 然し両者の距離が近すぎた。

 『神寄カミヨリ』も爆発の余波に巻き込まれる。

 顔面を両腕で覆い隠し、隙だらけの胴を晒しているが――

 朧は絶好の機会を見逃すしかなかった。

 百を超える蝉が、『神寄カミヨリ』の周りを飛び続けていたからだ。至近距離で蝉爆弾が発動すれば、二人とも爆発に巻き込まれる。


「――ッ!!」


 『神寄カミヨリ』は蹈鞴を踏んで退いた分、両腕に軽い火傷で済んだ。


「――あつッ!! 頭熱あたまあつッ!!」


 焦げた髪を払い落とす余裕がある為、朧も軽傷と断じてよいだろう。


糞蝉邪魔くそぜみじゃまぞ。超邪魔ちょうじゃまぞ」


 朧は愚痴りながら、一字退却を選択。

 茂みの中に素速く飛び込んだ。

 獣の如く地面を這いながら進む。

 二十間ほど間合いを置いて、大きな杉の木に隠れた。

 この辺りで一番の巨木だ。

 直視の『炸裂眼さくれつがん』だけでは、巨木を破壊する事も難しい。眷属の蝉を併用しなければ、太い幹を破壊しきれないだろう。

 『炸裂眼さくれつがん』の連発を再開しながら、『神寄カミヨリ』が近づいてくる。


「儂の大事な髪が……クソバアアの妖術で元に戻るのであろうな」


 朧は苛立ちながら、対手の強さに高揚感を覚える。

 まるで先が見えない。

 殺気や武威を発しない分、武芸者より戦いにくい。『神寄カミヨリ』の接近を許したのも、爆音と土煙で気配を隠していたからだ。

 『神寄カミヨリ』は、獲物の行動を完璧に把握している。確実に遮蔽物を取り除き、獲物を追い詰めているのだ。

 実際、朧が隠れられそうな巨木が、近くの数本に減らされている。『炸裂眼さくれつがん』が巨木を揺らす衝撃を背中に感じながら、朧は疑念を抱いていた。


 何故、斯様に面倒な真似を致す?


 眷属の蝉を爆弾に変えれば、容易く勝負も決しよう。

 蝉爆弾を切り札に使うつもりか。

 朧が黙考していると、背後から蝉の鳴き声が聞こえてきた。

 いつの間にか、巨木の表皮に蝉が張りついていたのだ。


「――がらあッ!!」


 毫も迷わず、馬手の裏拳で蝉を叩き潰す。


「やはり眷属を使う分、索敵は対手に分があると」


 淡々と語りながらも、もう一つの情報を確認できた。


 三、蝉爆弾は術者の意志で発動する。


 接触と同時に爆発するなら、舞い散る粉塵や木片に触れただけで爆発する。術者が望む拍子で爆発しないと、飛び道具の意味を成さない。

 もう少し『炸裂眼さくれつがん』の情報を集めたい処だが――

 この場所も『神寄カミヨリ』に特定された。

 早々に他の場所へ移動すべきか。

 朧が駆け出す直前、ぺちゃ――と少量の液体が左足に付着した。


「糞蝉め……」


 朧は不快そうに、妖艶な美貌を歪めた。

 一歩も前に進んでないのに、犬の糞を踏んづけたような気分だ。

 見たくない。

 決して見たくはないが――

 視線を足下に落とした刹那、ばんと左足が爆発した。


「――ッ!!」


 苦痛の悲鳴を堪えて、左脚の状態を確認する。

 爪先と木履の先端が吹き飛び、足の指を欠損していた。

 左足を失うと覚悟していた朧は、安堵の息を漏らす。

 高熱で焼き飛ばしてくれたお陰で、傷口の血管が焼き詰まり、出血量も少ない。足の骨が剥き出しだが、疾走や跳躍に影響はなかろう。

 加えて左足の先端と引き替えに、四つ目の情報を得られた。


 四、蝉の尿も術者の意志で起爆する。


 髭面の脚を消し飛ばした時と同様。朧の左足に蝉の尿が付着し、爪先を爆発させるまで時を要す。『神寄カミヨリ』が、自分で起爆の拍子を決めているのだ。

 朧は土煙に紛れて、『神寄カミヨリ』を迂回するように疾走した。『神寄カミヨリ』の背後に樹木が乱立しているからだ。

 土煙の隙間に一瞬、朧の姿を捉えたのだろう。左腕の長い袖が弾け飛んだが、気にする暇もなければ、脚を止める余裕もない。

 新しい大木を見つけ、再び木陰に身を隠す。

 蝉が張りついているかどうか。

 他の木々が弾け飛ぶ間に、注意深く大木を調べる。

 加えて辺りの地面に土砂を蹴りかけた。

 蝉の尿は、術者の意志で爆発する。

 周辺に蝉の尿をばらまければ、朧が地面を踏んだだけで、足の付け根まで消し飛ぶ。然し地面を乾燥させれば、蝉の尿も爆発の効果を失う。土を覆い被せるだけで、周囲の安全を確保できるというわけだ。

 一先ず此方が、最前線の仕寄しよりだ。周辺の木が一本残らず倒されるまで、この場に近寄る蝉を追い払う。


 是は持久戦になるのう。


 朧は眉間に皺を寄せた。

 百戦錬磨の朧が、精神的な理由で失敗を犯す可能性は低い。『神寄カミヨリ』の戦い方を読み間違えても、その時に改めて考え直す。

 寧ろ『神寄カミヨリ』が心配だ。

 後先考えずに『炸裂眼さくれつがん』を連発して、『神寄カミヨリ』の精神力が保つか否か。

 正常な判断力が欠落しているうえに、精神に負担を掛け過ぎると、勝手に自滅するのではないか。絶体絶命の状況で敵の心配をするのもおかしいが、これほどの強敵が自滅するなど論外。朧の殺戮衝動は満たされない。『神寄カミヨリ』に全ての手札を切らせたうえで、完膚無きまでに叩き潰す。

 如何に対手を斬り裂くか。

 中二病の武芸者は、斬り方と散り際が全てだ。

 内容の是非など、観衆が勝手に決めればいいだけの事。命懸けの芸を披露する役者は、己の美意識を保つ為に戦う。


 然れど獺殿は、何処いずこに消えたものか。


 朧は周囲を見渡す。

 実況&解説がいないと、意外に不便を強いられる。

 朧の疑問に答えてくれる者がいないのだ。

 度重なる炸裂音が、朧の耳をつんざく。


 『炸裂眼さくれつがん』で、周囲の木々を破壊するつもりか。

 途中で力尽きてくれるなよ。


 心の中で呟くと、粉塵の中に動く気配を見つけた。

 左隣の樹木から此方に移動している。

 朧は、咄嗟に小さな獣を掴み上げた。


「獺殿!」


 左手で持ち上げた獣を見ると、くうんと哀れな声で鳴いた。

 ただの小狐だった。


「私は此処だ!」


 行方不明の獺が、忽然と足下から顔を出す。


「紛らわしい!」


 ダメウソを怒鳴りつけて、小狐を遠くに投げた。

 小狐は、くるりと回転して着地した。

 親狐が小狐の側に近寄り、怪訝そうに獺を見上げる。


「早うね! 巻き込まれるぞ!」


 朧の一喝に気圧されて、狐の親子は森の奥へ逃げていった。


「お前、獣に優しいな」

「それも気分次第じゃ。自慢の髪を焼かれるわ、足の指を吹き飛ばされるわ、狐と獺を間違えるわ……今の儂は、機嫌が良うない」

「……」

「何故、儂の側におらなんだ? 実況と解説の役目を忘れたか」

「少しは追い掛ける者の身になれ。とても速過ぎて追いつけん」


 ふと思いついたように、朧は眼を細めた。


「もしや獺殿……周辺を逃げ回っておったのか?」

「ああ。次々と木々が倒れて、死ぬかと思ったぞ」


 獺の言葉で合点がいった。

 『神寄カミヨリ』は朧を追い詰める為に、周辺の木々を破壊したわけではない。逃げ惑う獺を仕留めるつもりで、『炸裂眼さくれつがん』を乱発していたのだ。

 先程、朧が獺と小狐を間違えたように、咄嗟に動くものを爆破していただけ。ダメウソの稚拙な行動に振り回され、巻き添えで追い詰められていたのか。


 兵法へいほう数寄者オタクが、これほど実戦で使えぬとは……


 足手纏いも頂点を極めると、一種の才能ではないかと感心する。

 お陰で存分に苦境を楽しめた。


「偖も偖も獺殿。いくつか訊きたい事がある」

「私に答えられる事なら答えるが」

「『神寄カミヨリ』が蝉爆弾を温存しておる。如何なる事ぞ?」

「分からん。多分、蝉が好きなんだろう」

「碌に解説も能わぬのであれば、『神寄カミヨリ』に向けて投げ飛ばすぞ」

「本当に見当もつかないのだ。切り札を用意する理由がない。獣は無駄を嫌う。本能に従うなら、早々に蝉を集めて終わらせる筈だが……『神寄カミヨリ』は眷属を温存している。おそらく借り物の知識が働いているのだろう。ならば、尚更腑に落ちない。勝負を長引かせる理由がないからな。敵の行動は矛盾極まる」


 朧が語気を強めると、慌てて獺が言い繕う。

 忽然と隣の杉が砕け散った。


「次の質問は?」


 全身の毛を逆立てて怯えながら、獺の足下に身を寄せた。


「『神寄カミヨリ』の妖術じゃ。これほど『炸裂眼さくれつがん』を連発して保つのか? 勝手に自滅されてはつまらぬぞ」

「勝手に自滅してくれた方が、面倒が少なくて済むと思うが……『神寄カミヨリ』が自滅する事はない」

「根拠を聞こう」

「蝉爆弾の使用を控えている。余力を残している証だ」

「それを聞いて安心した」


 朧はニヤリと嗤う。

 『神寄カミヨリ』の全力の引き出すまで、もう少し苦境を楽しめるというわけだ。


「酔狂も結構だが、それより大事な話がある」

「儂は御曹司一筋じゃ。獺殿と所帯を持つ気はないぞ」

「奇遇だな。私もお前と添い遂げるなど想像もつかん。冗談はともかく、おかしいと思わないか? 『炸裂眼さくれつがん』で倒れた木々が燃えていない」

「?」


 獺の言葉で気づき、朧は周囲を見渡す。

 確かに木々は燃えていない。もくもくと黒い煙を上げて、薪のように火を燻らせているが、周りの樹木に燃え移りそうな気配もない。


「確かに不自然じゃの。この辺りの杉は、燃えにくい性質なのか?」

「まさか。普通の杉だよ。それにもう一つ奇妙な点がある。お前は感じないか?」

「何がじゃ?」

「息苦しい」

「其は煙の所為であろう。これだけ土煙や粉塵が飛んでおるのじゃ。息苦しくて当然ではないか」

「お前にしては、常識的な解答だな」

「……」


 獺の冷たい返答に、朧は眉根を寄せた。


 足手纏いと呼んだ事を恨んでおるのか。

 器の小さな獺め。


 朧が心の中で愚痴ると、獺が神妙な声で言う。


「私は『空気』を薄めたからだと思う」

「『空気』? 風の漫画言葉マンガことばか? 空気に濃いも薄いもなかろう」


 怪訝そうに、朧が声を裏返して反駁はんばくした。


「いや、空気にも濃さや薄さがあるのだ。結論を言えば、空気を支配する使徒に心当たりがある」

「ほう」


 朧の声が固くなった。


「郁島家の使徒は、空気を自在に操る事ができる。一気に空気を動かせば、突風が巻き起こる。瞬時に空気を消し去れば、大木すら切断できる。傍目には、鎌鼬かまいたちが暴れているように見えるだろう」

「郁島家の妖術に、空気を薄める技があると?」

「私は郁島家の使徒ではないので、理屈はよく分からないが、空気の濃度を操作できるらしい。空気を濃くすれば、松明の炎が爆発する。太刀や甲冑は錆びつき、使い物にならなくなる。逆に空気を薄めれば、松明の炎が小さくなる。火が消える事もあるだろう。人は息苦しさを覚えて、目眩や吐き気に襲われる。高い山を登ると、大凡の者は具合が悪くなる。それも空気の薄さが原因らしい」

「ふむ……確かに里の者が山を登ると、急に『気持ち悪い』とか『目眩がする』とか、軟弱な事を申すが、アレは空気の所為か」

「お前が何も感じないのは、山育ちで薄い空気に慣れているからだ。私の眷属は、衰弱し始めている」

「眷属の体調を把握能うのか?」

「在る程度は、体調の共有も可能だ。急に視界がぼやけてきたので気づいた」

「儂の足下で吐くなよ」

「安心しろ。眷属の周りに濃い空気を集めた。暫く休めば回復する。それより問題は、誰がこのような状況を生み出したかだ」


 獺が忌々しそうに言う。


「目星はついておると?」

「郁島家の次女と三女だ。最近、使徒に覚醒したばかりと聞く。おゆらの操り人形みたいなものだ」

「使徒に『毒蛾繚乱どくがりょうらん』は効かぬと聞いたぞ」

「確かに『毒蛾繚乱どくがりょうらん』は、他の使徒に通じない。幼い頃に精神操作を施されても、己の妖術に目覚めれば、自動的に解除される。然し記憶の改竄は別だ。一度書き換えられた記憶は、二度と元に戻らない」


 朧はふんと鼻を鳴らす。


「母や姉の仇を命の恩人の如く認識させたか」

「大方、そんな処であろう。しかも強力な使徒に成長したようだ。二人掛かりであろうが、この辺りの空気を常より薄くしている。全く炎が燃え広がらない」


 朧は昨日、おゆらが残した言葉を思い出した。


 山火事の心配はありません。


 おゆらは最初から誰にも報せず、対『神寄カミヨリ』用の使徒を用意していたのだ。


「お前を囮に使い、郁島家の使徒が妖術――『制空権せいくうけん』で『神寄カミヨリ』を追い詰める。徐々に空気を薄め、『神寄カミヨリ』が気絶した後、お前か郁島家の娘達が止めを刺す」

「……」

「『神寄カミヨリ』も始末できる。山火事も防げる。一挙両得の策だ。周辺の獣が巻き添えで全滅するだろうが、それすらも想定の範囲内。おゆらの考えそうな事だ」

「余計な真似をしおって……」


 朧は怒気を撒き散らし、ペキペキと左手の指関節を鳴らす。


「どうする? おゆらの思惑通り『神寄カミヨリ』が動けなくなるまで待つか?」

「断じて有り得ぬ。死んでも御免じゃ」


 忽然と朧は機嫌を直し、大木に傘を立て掛けた。


「何か策でも思い浮かんだか?」

「うむ。雌狗プッタに横槍を入れられたが、儂の成すべき事は変わらぬ。幽玄オサレに『神寄カミヨリ』を討ち果たす。その為に『神寄カミヨリ』の状況を把握せねばならぬ」


 朧は左手で折れた小枝を拾い、右脇に獺を抱え込む。


「な……何をするつもりだ?」

「獺殿は、儂に借りがある」


 朧は意味ありげに嗤う。


「そ……そうだな」


 悪童のような笑顔を見上げて、獺は戦々恐々とする。


「ならば、借りを返して貰おう」


 泰然と言い放つなり、左手で小枝を弓手に投げた。小枝は弧を描くように、中空を飛んでいく。


「ほれ」


 続けて獺を馬手に放り投げた。


「おおおおおおおおッ!!」


 獺が地面に着地した刹那、ぱんと小枝が弾け飛んだ。

 細かな木片を被りながら、大木の陰に逃げ込んできた。一拍子遅れて、獺が落ちた場所が、ぼんっと爆発した。


「なななな……何をするんだ、貴様は! 一瞬! ほんの一瞬だが、『神寄カミヨリ』と眼が合ったぞ!」


 ダメウソ御立腹。

 朧に、ぺちぺちと抗議の水掻き張り手を浴びせる。


「何を狼狽えておる? 獺殿は『炸裂眼さくれつがん』が効かぬのじゃ。良い囮であろう」

「……私と小枝を囮に使い、『炸裂眼さくれつがん』の時間差を調べたな?」

「然り。お陰で良き事を学んだ」

「……」


 朧の言葉の意味を理解し、獺が口を噤む。


 五、直視の『炸裂眼さくれつがん』は、連続使用が可能。然し一度、目標が視界から消えると、再び直視の『炸裂眼さくれつがん』を発動されるまで時間が掛かる。


 弓手に投げた小枝を爆発させた後、馬手に投げた獺の着地点を爆発させるまで、ゆるりと一つ数えるだけの時を要す。『神寄カミヨリ』は視線を動かす時、『炸裂眼さくれつがん』の連続使用を一度止めて、目標を再設定しなければならない。


「して……『神寄カミヨリ』の様子は如何であった?」

「かなり疲弊しているようだ。肩で息をしていた」

「間合いは?」

「十間近く離れていたぞ」

「クククッ、彼の者は、遙か遠くなり」


 左手に傘を持ちながら、朧は愉快そうに言う。


「是ぞ僥倖。中二病足る者、窮地より好機を生み出さねばならん」


 何を思いついたのか、傘を両手で構えた。


「朧……」

「検分役が不安そうに致すな。暫しの間、儂より離れておれ。狙われておるのは、人の耳を持つ儂じゃ」


 朧の忠告通り、獺は後退る。

 次の刹那――

 木立の奥から、凄まじい速さで蝉が飛んできた。

 狙いは朧の両脚。

 朧の反応も素速い。

 片膝を地面につけて、蝉に向けて傘を開いた。

 炸裂音と共に傘が砕け散り、朧は黒煙の中に消えた。


「朧――無事か!?」

「……大事ない」


 朧は咳き込みながら、黒煙の中で立ち上がる。


「獺殿の申す通りじゃ。爆発の威力が落ちておる。指二本で済んだ」


 右手を見下ろすと、人差し指と親指が弾け飛んでいた。

 傷口から血の滴が毀れ落ちる。


「ようやく眷属を使うてきたか」


 痛みを感じないほど興奮しているのか、嗤いながら傘の残骸を捨てた。


「向こうも必死。此方も必死。少しばかり理想と異なるが、『神寄カミヨリ』討伐も存分に楽しめた。これより勝負を決す」

「……」


 獺が唾を飲み込む。

 朧の視線は、頭上に飛び交う蝉の群れを捉えていた。

 蝉爆弾か。

 蝉の尿か。

 両方か。

 三番目に賭けた朧は、垂直に五尺近くも跳んだ。

 数十発の蝉の尿が地面で爆発。

 同時に両膝を抱えて飛ぶ朧に、蝉の群れが襲い掛かる。


「がらああああッ!!」


 朧は空中で叫びながら、蝉の群れに後ろ廻し蹴りを放つ。

 蝉爆弾は、術者の意志で起爆する。

 爆発する寸前に、数匹の蝉を蹴り殺した。蹴り損ねた蝉は、朧の身体を通り過ぎ、大木の手前で爆発した。

 爆発の煙が立ち込める場所に着地し、己の身を隠す。

 『神寄カミヨリ』は、朧の姿を見失った。

 不意に煙の中から飛礫が飛んできた。

 まるで見当違いの方向だが、反射的に眼で追い掛け、『炸裂眼さくれつがん』で爆発させた。

 ぱんっと乾いた音が響き、『神寄カミヨリ』が視線を戻した刹那、朧は黒煙から飛び出し、疾風の如き速さで接近していた。


「――膝落しつらく!?」


 早速、獺は実況を始めた。

 膝落を用いた朧は、十間近い間合いを三歩で詰める。一瞬で間合いを侵略し、『神寄カミヨリ』の眼前に右手をかざした。


 ばん――ッ!


 『神寄カミヨリ』は、直視の『炸裂眼さくれつがん』で朧の右手を吹き飛ばした。


「ぎいいいいッ!!」


 返り血が両眼に掛かり、左手で顔面を押さえて呻いた。


「ヒャハハハハハハハハハッ!!」


 朧は呵々大笑し、『神寄カミヨリ』に言い放つ。


「言葉が分からずとも聞け! 眼が見えなくても、眷属の眼で見えよう! 周りの蝉で儂を吹き飛ばすか! 上から落ちてくる大刀を吹き飛ばすか! それとも両方吹き飛ばすか! 好きなものを選ぶがよい!」


 朧の言葉に驚き、獺が上空を見上げた。

 大刀が『神寄カミヨリ』の頭上に落下してくる。


「半月ノ太刀と梟爪剣の合わせ技か!?」


 実況&解説の獺が、いつもの調子を取り戻して叫ぶ。


「煙の中に身を隠し、『神寄カミヨリ』の注意を小石に向ける! 反射的に『神寄カミヨリ』が小石を爆破し、視線を戻すまでの刹那の拍子! 僅かな時間があれば、膝落を用いて接近する事も可能! 加えて大刀を抜き放ち、真向唐竹割まっこうからたけわりと見せかけて上空に放り投げる! その結果、『神寄カミヨリ』が爆発させたのは、空いた右手のみ!」


 朧の解説を心地良く聞きつつ、朧は小刀の鞘に右手を添えた。

 対する『神寄カミヨリ』の行動に迷いはなかった。


 周囲の蝉を一斉に爆発させたのだ。


 百を超える蝉爆弾が弾け飛び、二人の姿が煙の中に消えた。


「どうなったんだ……?」


 獺が、恐る恐る木陰から覗き込む。

 やがて煙が晴れると、二人の姿が見えた。

 『神寄カミヨリ』は息を荒げながらも、ぴんと背筋を伸ばしていた。周囲に蝉爆弾を配置しておらず、無防備な姿を晒している。

 その背後で、朧が小刀の切先を突きつけていた。


「是で五分か」


 朧は愉快そうに言う。

 小刀を持つ左手を除いて、体中に蝉が張りついていた。

 蝉爆弾の一匹の威力が落ちても、これだけの数を一度に爆発させれば、全身の皮膚が焼け爛れて死亡する。


「見事じゃ。四番目の選択肢を生み出すとは……」


 無数の蝉に張りつかれながらも、朧は対手を称賛した。

 右手で視界を封じられて、朧に三つの選択肢を強要された時、『神寄カミヨリ』は三つの行動を同時に行った。

 上空から落ちてくる大刀を数匹の蝉爆弾で迎撃。大刀を破壊できないまでも、爆風で彼方に飛んでいった。

 加えて前方の蝉爆弾を爆破。朧を吹き飛ばそうとしたが、『神寄カミヨリ』の行動を読んでいた朧は、電光石火の速さで背後に切り込む。

 然し『神寄カミヨリ』は、保険を掛けていた。

 五十匹以上の蝉爆弾を残して、朧の動きを封じ込めていたのだ。『神寄カミヨリ』も爆発の被害を受ける為、朧の左腕に蝉爆弾を貼りつけていない。


「カカカカッ」


 朧は不躾に嗤いながら、小刀の柄に力を込める。


「名残惜しいが、そろそろ幕引きと致そう。お主が眷属を爆発させるのが先か。儂がお主の心ノ臓を貫くのが先か。どちらが速いか勝負じゃ」


 朧が鷹揚に告げると、急に『神寄カミヨリ』の肩が揺れた。


「ふふ……ふふふふっ」

「何を嗤うておる」


 朧が怪訝そうに尋ねると、『神寄カミヨリ』は前方を向きながら言う。


「貴女の、耳を、ください」

「?」


 忽然と地響きが聞こえてきた。

 朧は地震を連想したが、地鳴りは山頂から聞こえてくる。


「山崩れか!?」


 山頂に顔を向けて、大きく眼を開いた。

 昨日、朧が這い上がった岩壁が、無数の爆発や木々が倒れる衝撃で崩れたのだ。


「脆いにも程があるわ!」


 山崩れに巻き込まれたら、斬り合い処ではなくなる。

 左手の小刀を下げて、脱兎の如く獺の下に向かう。

 なぜか『神寄カミヨリ』が追い掛けてこない。

 朧が振り返ると、視界を奪うほどの土石流が、『神寄カミヨリ』の近くまで押し寄せていた。

 山崩れ然り津波然り。

 自然災害の速さは、人の持つ速さを凌駕する。瞬く間に押し潰されると思いきや、土石流に蝉爆弾を叩きつけていた。


「おおっ――」


 朧は感嘆の声を漏らした。

 数十万に及ぶ大量の蝉を召喚し、氾濫した大河の如く迫り来る土石流を破壊。土石流が真っ二つに割れて、『神寄カミヨリ』の両脇を通り過ぎていく。

 蝉爆弾一発の威力は高くないが、正面に展開した数千の蝉爆弾を爆発させれば、土石流すら吹き飛ばせる。加えて直視の『炸裂眼さくれつがん』の連続使用で、破壊力の不足を補う。


 是が蝉爆弾を温存していた理由か。


 朧は天晴れと称賛したが、対手の切り札に感心している場合ではない。


「――獺殿!!」


 呆然として動けない獺に、朧は必死で左手を伸ばす。

 次の刹那、忽然と朧の意識が途切れた。

 漬け物石ほどの落石が、右側頭部に直撃したのである。




 停止飛行……ホバリング


 五間……約9.45m 太閤検地後


 一間……約1.89m 太閤検地後


 二十間……約37.8m 太閤検地後


 仕寄……城攻めに使う陣地。主に土塁か塹壕。


 五尺……約1.5 m


 漫画言葉……漫画マンガ板芝居アニメ遊戯箱ゲームで使われる造語。世間一般にも広く普及しており、漫画マンガを読んだ事がない奏も、知らず知らずのうちに「僕」や「マジで!?」など、多くの漫画マンガ言葉を使用している。


 十間……約18.9m 太閤検地後


 空気を薄めた……正確には気圧を下げて、空気中の酸素濃度を下げた。

 当たり前の話だが、地球は大気に覆われている。大気にも重さがあり、重たい大気が人間の上に乗せられている。どれくらいの重さかと言えば、地表から上に伸ばした断面積1m^の大気の柱の中には、約10tもの質量の大気がある。然し人間が、大気の重さで潰れる事はない。全方向から大気で押されており、身体の内部にも空気を含んでいるからだ。つまり身体の内部の空気を減らすと、人間は大気の重さに負けて潰れる。

 地表付近では、空気は自重で圧縮されている。それゆえ、高い場所に行くと、気圧が急激に下がる。例えばエベレストの山頂(8848m)に登った時、人間にのし掛かる大気は約3t(300hPa)まで減る。酸素濃度は、地表の約三分の一に下がる。この濃度では、脳浮腫のうふしゅなどの症状が出て、人間は気を失う。郁島家の双子の使徒は、高度7000mの気圧に設定した。多くの人が意識の混濁、意思決定力の低下、幻覚に襲われる高さだ。

 読者のみなさんが妖怪と戦う時は、高度7000mより低い場所で戦おう。

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