第49話 神寄討伐(一)
毫も迷わず、獺は近くの木陰に隠れた。
「何故、『
獺の避難を見届けた後、朧は質問を投げ掛けた。
「おそらく『
獺は冷静に説明しているが、要するにうっかりである。
「流石、獺殿じゃ。妖怪探知機の機能を果たしておらぬ」
獺を揶揄しながらも、前方の『
俯いている為、顔はよく分からない。
身の丈は、おゆらと同じくらいか。数日も山で狩猟を続けていたからだろう。麻の寝巻が血泥で汚れている。
尋常な様子ではないが、佇まいを見れば実力も窺い知れる。
そこらの村娘と変わらない。
間違いなく戦闘の素人だ。
然し此度の立ち合いは、武芸者同士の斬り合いとは異なる。
対手は妖術を使う妖怪。
『
すでに刀身が血で錆びつき、脇差の切れ味は落ちている。
それゆえ、朧は警戒を強めた。
錆や鉈で汚れた刃物は、悪質な雑菌の塊だ。
掠り傷でも破傷風を引き起こす。
加えて『
「加えてもう一つ尋ねたい」
「なんだ?」
「蝉が停止飛行しておるぞ」
「……使徒に支配された時点で、生類も
「流石の儂でも、『蝉に似た妖怪』とやらを数万匹も斃せぬぞ」
「使徒を討ち取れば、眷属も支配から解放される。お前が『
「左様か」
雑な説明に一先ず納得すると、左手を挙げた。
「お主が『
「……」
鷹揚な態度で呼び掛けても、『
「儂の言葉は解し能うか? 会話は能うか? 『
「……」
やはり『
それでも朧を視ている。
無数の蝉を介して、獲物を視認している。
「おおっ――是か? この傘は、蝉の尿対策じゃ。猟師には申し訳ないが、儂は蝉の尿など浴びとうない。無論、搔楯の代わりにもならぬであろうが、蝉の尿を浴びるよりマシであろう。命の遣り取りゆえ、
「耳を、ください」
朧の無駄話を遮り、『
公家の姫君と見紛うほどの美貌……であったのだろう。短く切り揃えられた髪は、左右に軽く跳ねていた。肌の色は死人の如く白い。顔の造作は端麗だが、口元が乾いた血で染まり、見る者に恐怖を齎す。
金色に輝く双眸が、ぼうと朧を見つめる。
朧は『
餌だ。
あくまでも今日の餌だ。
「貴女の、耳を、ください」
唇の端から涎を垂らし、弓手へ弓手へと首を傾げた。
『
「耳を、食べないと、奏様を、助けられないんです」
次の刹那、朧は木陰に跳び込んだ。
一瞬の間を置いて、『
「ヒャハハハハハハハハハッ!! 見たか、獺殿! 『
杉の木の裏に隠れた朧は、耳を
人であれ妖怪であれ、『
ゆえに朧は生存本能に身を委ね、毫秒の差で危難より逃れた。
換言すれば、強運に助けられただけだ。もう一度、同じ事を繰り返せば、
朧は左腕の袖を捲り上げ、げらげらと哄笑した。
「堪らぬ! 是は堪らぬ! 鳥肌が立ちおった!」
「死にたいのか、お前は!」
獺の説教が、爆発の衝撃と振動で掻き消された。
背後の大木に『
続けざまに、爆発音と衝撃が襲い掛かる。
「背中が
「遊んでる場合か!」
巨木越しに爆発の振動を楽しんでいると、獺が大声で一喝した。
「偖も偖も獺殿」
「なんだ?」
「倒れた木に押し潰されぬように、なんぞ対策でも立てておるのか?」
「……樹木の対策は立てていない。木片や粉塵も防御できない」
「実に天晴れじゃ。早くも足手纏いではないか」
「不覚……」
「反省ならば、死地より生き延びてからに致せ。差し当たり、この木が倒れた後、舞い上がる土煙に紛れて、他の木に身を隠すぞ。よいな?」
「分かった」
獺が答えた刹那、背後の大木が砕け折れた。
粉塵と土煙で一間先も見えない状況だ。
朧は身を屈めて、素速く木陰に移動した。
「獺殿。大事ないか?」
返事がない。
周囲を見回しても、偉そうな獣が見つからない。
「もうはぐれたのか!? いくらなんでも早過ぎであろう!」
朧は苛立ちを込めて叫んだ。
近くの杉の木が、脆くも砕けて折れた。
続けて周辺の木々が、『
もう手当たり次第だ。
『
朧が身を隠す大木は、他の杉より幹が太い為、容易く破壊する事はできないが、直視の『
なんとか足手纏いを捜したいが、遮蔽物の側から離れるのも困難。無謀と中二は、似て非なるもの。打開策を講じなければ、尋常な勝負にならない。
朧が逡巡していると、弓手で爆発が起きた。
『
続けて馬手の樹木も爆発。
どうやら砕きやすい樹木に標的を絞り、遮蔽物を破壊し尽くしたうえで、朧を追い詰めていくつもりのようだ。
『
朧が疑念を抱くほど、確実に退路を塞いでいく。
次の一撃で背後の樹木も倒れるだろう。
早くも追い詰められた朧は、足下の小石を蹴り上げた。
中空に飛んだ小石が、ぱんっ――と粉々に砕け散る。
朧は、小石と逆の方向に飛び出した。
倒れた杉の木を跳び越えて、再び木陰に隠れる。
成程、読めてきたぞ。
朧はニヤリと嗤う。
『
一、視界に収めた物体の中で、意識を集中させたものを爆発させる。
二、突然、視界に何かが入り込むと、反射的に飛来物を目で追う。
朧は攻勢の機会を窺いながら、木陰の奥へ奥へと移動し、『
炸裂音は続いているが、先程より遠い。
獲物が移動した方角を予想できても、距離感を掴めていないのだろう。遮蔽物を破壊しながら突き進む『
「――ッ!?」
急に朧は脚を止めて、周りを見回す。
炸裂音が止まった。
先程までの騒音が嘘のように、森の中に静寂が訪れる。
眷属を介して、此方の位置を掴んだのか。
十分に有り得る事だ。
朧が唇の端を吊り上げ、大刀の柄を握り締めた刹那――
右隣に立つ『
「わお」
次の刹那、凄まじい速さで上体を反らし、一瞬だけ『
背後で樹木が弾け飛び、黒い煙が立ち込める。
朧が上体を起こすと、長い髪が『
『
然し両者の距離が近すぎた。
『
顔面を両腕で覆い隠し、隙だらけの胴を晒しているが――
朧は絶好の機会を見逃すしかなかった。
百を超える蝉が、『
「――ッ!!」
『
「――
焦げた髪を払い落とす余裕がある為、朧も軽傷と断じてよいだろう。
「
朧は愚痴りながら、一字退却を選択。
茂みの中に素速く飛び込んだ。
獣の如く地面を這いながら進む。
二十間ほど間合いを置いて、大きな杉の木に隠れた。
この辺りで一番の巨木だ。
直視の『
『
「儂の大事な髪が……クソバアアの妖術で元に戻るのであろうな」
朧は苛立ちながら、対手の強さに高揚感を覚える。
まるで先が見えない。
殺気や武威を発しない分、武芸者より戦いにくい。『
『
実際、朧が隠れられそうな巨木が、近くの数本に減らされている。『
何故、斯様に面倒な真似を致す?
眷属の蝉を爆弾に変えれば、容易く勝負も決しよう。
蝉爆弾を切り札に使うつもりか。
朧が黙考していると、背後から蝉の鳴き声が聞こえてきた。
いつの間にか、巨木の表皮に蝉が張りついていたのだ。
「――がらあッ!!」
毫も迷わず、馬手の裏拳で蝉を叩き潰す。
「やはり眷属を使う分、索敵は対手に分があると」
淡々と語りながらも、もう一つの情報を確認できた。
三、蝉爆弾は術者の意志で発動する。
接触と同時に爆発するなら、舞い散る粉塵や木片に触れただけで爆発する。術者が望む拍子で爆発しないと、飛び道具の意味を成さない。
もう少し『
この場所も『
早々に他の場所へ移動すべきか。
朧が駆け出す直前、ぺちゃ――と少量の液体が左足に付着した。
「糞蝉め……」
朧は不快そうに、妖艶な美貌を歪めた。
一歩も前に進んでないのに、犬の糞を踏んづけたような気分だ。
見たくない。
決して見たくはないが――
視線を足下に落とした刹那、ばんと左足が爆発した。
「――ッ!!」
苦痛の悲鳴を堪えて、左脚の状態を確認する。
爪先と木履の先端が吹き飛び、足の指を欠損していた。
左足を失うと覚悟していた朧は、安堵の息を漏らす。
高熱で焼き飛ばしてくれたお陰で、傷口の血管が焼き詰まり、出血量も少ない。足の骨が剥き出しだが、疾走や跳躍に影響はなかろう。
加えて左足の先端と引き替えに、四つ目の情報を得られた。
四、蝉の尿も術者の意志で起爆する。
髭面の脚を消し飛ばした時と同様。朧の左足に蝉の尿が付着し、爪先を爆発させるまで時を要す。『
朧は土煙に紛れて、『
土煙の隙間に一瞬、朧の姿を捉えたのだろう。左腕の長い袖が弾け飛んだが、気にする暇もなければ、脚を止める余裕もない。
新しい大木を見つけ、再び木陰に身を隠す。
蝉が張りついているかどうか。
他の木々が弾け飛ぶ間に、注意深く大木を調べる。
加えて辺りの地面に土砂を蹴りかけた。
蝉の尿は、術者の意志で爆発する。
周辺に蝉の尿をばらまければ、朧が地面を踏んだだけで、足の付け根まで消し飛ぶ。然し地面を乾燥させれば、蝉の尿も爆発の効果を失う。土を覆い被せるだけで、周囲の安全を確保できるというわけだ。
一先ず此方が、最前線の
是は持久戦になるのう。
朧は眉間に皺を寄せた。
百戦錬磨の朧が、精神的な理由で失敗を犯す可能性は低い。『
寧ろ『
後先考えずに『
正常な判断力が欠落しているうえに、精神に負担を掛け過ぎると、勝手に自滅するのではないか。絶体絶命の状況で敵の心配をするのもおかしいが、これほどの強敵が自滅するなど論外。朧の殺戮衝動は満たされない。『
如何に対手を斬り裂くか。
中二病の武芸者は、斬り方と散り際が全てだ。
内容の是非など、観衆が勝手に決めればいいだけの事。命懸けの芸を披露する役者は、己の美意識を保つ為に戦う。
然れど獺殿は、
朧は周囲を見渡す。
実況&解説がいないと、意外に不便を強いられる。
朧の疑問に答えてくれる者がいないのだ。
度重なる炸裂音が、朧の耳を
『
途中で力尽きてくれるなよ。
心の中で呟くと、粉塵の中に動く気配を見つけた。
左隣の樹木から此方に移動している。
朧は、咄嗟に小さな獣を掴み上げた。
「獺殿!」
左手で持ち上げた獣を見ると、くうんと哀れな声で鳴いた。
ただの小狐だった。
「私は此処だ!」
行方不明の獺が、忽然と足下から顔を出す。
「紛らわしい!」
ダメウソを怒鳴りつけて、小狐を遠くに投げた。
小狐は、くるりと回転して着地した。
親狐が小狐の側に近寄り、怪訝そうに獺を見上げる。
「早う
朧の一喝に気圧されて、狐の親子は森の奥へ逃げていった。
「お前、獣に優しいな」
「それも気分次第じゃ。自慢の髪を焼かれるわ、足の指を吹き飛ばされるわ、狐と獺を間違えるわ……今の儂は、機嫌が良うない」
「……」
「何故、儂の側におらなんだ? 実況と解説の役目を忘れたか」
「少しは追い掛ける者の身になれ。とても速過ぎて追いつけん」
ふと思いついたように、朧は眼を細めた。
「もしや獺殿……周辺を逃げ回っておったのか?」
「ああ。次々と木々が倒れて、死ぬかと思ったぞ」
獺の言葉で合点がいった。
『
先程、朧が獺と小狐を間違えたように、咄嗟に動くものを爆破していただけ。ダメウソの稚拙な行動に振り回され、巻き添えで追い詰められていたのか。
足手纏いも頂点を極めると、一種の才能ではないかと感心する。
お陰で存分に苦境を楽しめた。
「偖も偖も獺殿。いくつか訊きたい事がある」
「私に答えられる事なら答えるが」
「『
「分からん。多分、蝉が好きなんだろう」
「碌に解説も能わぬのであれば、『
「本当に見当もつかないのだ。切り札を用意する理由がない。獣は無駄を嫌う。本能に従うなら、早々に蝉を集めて終わらせる筈だが……『
朧が語気を強めると、慌てて獺が言い繕う。
忽然と隣の杉が砕け散った。
「次の質問は?」
全身の毛を逆立てて怯えながら、獺の足下に身を寄せた。
「『
「勝手に自滅してくれた方が、面倒が少なくて済むと思うが……『
「根拠を聞こう」
「蝉爆弾の使用を控えている。余力を残している証だ」
「それを聞いて安心した」
朧はニヤリと嗤う。
『
「酔狂も結構だが、それより大事な話がある」
「儂は御曹司一筋じゃ。獺殿と所帯を持つ気はないぞ」
「奇遇だな。私もお前と添い遂げるなど想像もつかん。冗談はともかく、おかしいと思わないか? 『
「?」
獺の言葉で気づき、朧は周囲を見渡す。
確かに木々は燃えていない。もくもくと黒い煙を上げて、薪のように火を燻らせているが、周りの樹木に燃え移りそうな気配もない。
「確かに不自然じゃの。この辺りの杉は、燃えにくい性質なのか?」
「まさか。普通の杉だよ。それにもう一つ奇妙な点がある。お前は感じないか?」
「何がじゃ?」
「息苦しい」
「其は煙の所為であろう。これだけ土煙や粉塵が飛んでおるのじゃ。息苦しくて当然ではないか」
「お前にしては、常識的な解答だな」
「……」
獺の冷たい返答に、朧は眉根を寄せた。
足手纏いと呼んだ事を恨んでおるのか。
器の小さな獺め。
朧が心の中で愚痴ると、獺が神妙な声で言う。
「私は『空気』を薄めたからだと思う」
「『空気』? 風の
怪訝そうに、朧が声を裏返して
「いや、空気にも濃さや薄さがあるのだ。結論を言えば、空気を支配する使徒に心当たりがある」
「ほう」
朧の声が固くなった。
「郁島家の使徒は、空気を自在に操る事ができる。一気に空気を動かせば、突風が巻き起こる。瞬時に空気を消し去れば、大木すら切断できる。傍目には、
「郁島家の妖術に、空気を薄める技があると?」
「私は郁島家の使徒ではないので、理屈はよく分からないが、空気の濃度を操作できるらしい。空気を濃くすれば、松明の炎が爆発する。太刀や甲冑は錆びつき、使い物にならなくなる。逆に空気を薄めれば、松明の炎が小さくなる。火が消える事もあるだろう。人は息苦しさを覚えて、目眩や吐き気に襲われる。高い山を登ると、大凡の者は具合が悪くなる。それも空気の薄さが原因らしい」
「ふむ……確かに里の者が山を登ると、急に『気持ち悪い』とか『目眩がする』とか、軟弱な事を申すが、アレは空気の所為か」
「お前が何も感じないのは、山育ちで薄い空気に慣れているからだ。私の眷属は、衰弱し始めている」
「眷属の体調を把握能うのか?」
「在る程度は、体調の共有も可能だ。急に視界がぼやけてきたので気づいた」
「儂の足下で吐くなよ」
「安心しろ。眷属の周りに濃い空気を集めた。暫く休めば回復する。それより問題は、誰がこのような状況を生み出したかだ」
獺が忌々しそうに言う。
「目星はついておると?」
「郁島家の次女と三女だ。最近、使徒に覚醒したばかりと聞く。おゆらの操り人形みたいなものだ」
「使徒に『
「確かに『
朧はふんと鼻を鳴らす。
「母や姉の仇を命の恩人の如く認識させたか」
「大方、そんな処であろう。しかも強力な使徒に成長したようだ。二人掛かりであろうが、この辺りの空気を常より薄くしている。全く炎が燃え広がらない」
朧は昨日、おゆらが残した言葉を思い出した。
山火事の心配はありません。
おゆらは最初から誰にも報せず、対『
「お前を囮に使い、郁島家の使徒が妖術――『
「……」
「『
「余計な真似をしおって……」
朧は怒気を撒き散らし、ペキペキと左手の指関節を鳴らす。
「どうする? おゆらの思惑通り『
「断じて有り得ぬ。死んでも御免じゃ」
忽然と朧は機嫌を直し、大木に傘を立て掛けた。
「何か策でも思い浮かんだか?」
「うむ。
朧は左手で折れた小枝を拾い、右脇に獺を抱え込む。
「な……何をするつもりだ?」
「獺殿は、儂に借りがある」
朧は意味ありげに嗤う。
「そ……そうだな」
悪童のような笑顔を見上げて、獺は戦々恐々とする。
「ならば、借りを返して貰おう」
泰然と言い放つなり、左手で小枝を弓手に投げた。小枝は弧を描くように、中空を飛んでいく。
「ほれ」
続けて獺を馬手に放り投げた。
「おおおおおおおおッ!!」
獺が地面に着地した刹那、ぱんと小枝が弾け飛んだ。
細かな木片を被りながら、大木の陰に逃げ込んできた。一拍子遅れて、獺が落ちた場所が、ぼんっと爆発した。
「なななな……何をするんだ、貴様は! 一瞬! ほんの一瞬だが、『
ダメウソ御立腹。
朧に、ぺちぺちと抗議の水掻き張り手を浴びせる。
「何を狼狽えておる? 獺殿は『
「……私と小枝を囮に使い、『
「然り。お陰で良き事を学んだ」
「……」
朧の言葉の意味を理解し、獺が口を噤む。
五、直視の『
弓手に投げた小枝を爆発させた後、馬手に投げた獺の着地点を爆発させるまで、ゆるりと一つ数えるだけの時を要す。『
「して……『
「かなり疲弊しているようだ。肩で息をしていた」
「間合いは?」
「十間近く離れていたぞ」
「クククッ、彼の者は、遙か遠くなり」
左手に傘を持ちながら、朧は愉快そうに言う。
「是ぞ僥倖。中二病足る者、窮地より好機を生み出さねばならん」
何を思いついたのか、傘を両手で構えた。
「朧……」
「検分役が不安そうに致すな。暫しの間、儂より離れておれ。狙われておるのは、人の耳を持つ儂じゃ」
朧の忠告通り、獺は後退る。
次の刹那――
木立の奥から、凄まじい速さで蝉が飛んできた。
狙いは朧の両脚。
朧の反応も素速い。
片膝を地面につけて、蝉に向けて傘を開いた。
炸裂音と共に傘が砕け散り、朧は黒煙の中に消えた。
「朧――無事か!?」
「……大事ない」
朧は咳き込みながら、黒煙の中で立ち上がる。
「獺殿の申す通りじゃ。爆発の威力が落ちておる。指二本で済んだ」
右手を見下ろすと、人差し指と親指が弾け飛んでいた。
傷口から血の滴が毀れ落ちる。
「ようやく眷属を使うてきたか」
痛みを感じないほど興奮しているのか、嗤いながら傘の残骸を捨てた。
「向こうも必死。此方も必死。少しばかり理想と異なるが、『
「……」
獺が唾を飲み込む。
朧の視線は、頭上に飛び交う蝉の群れを捉えていた。
蝉爆弾か。
蝉の尿か。
両方か。
三番目に賭けた朧は、垂直に五尺近くも跳んだ。
数十発の蝉の尿が地面で爆発。
同時に両膝を抱えて飛ぶ朧に、蝉の群れが襲い掛かる。
「がらああああッ!!」
朧は空中で叫びながら、蝉の群れに後ろ廻し蹴りを放つ。
蝉爆弾は、術者の意志で起爆する。
爆発する寸前に、数匹の蝉を蹴り殺した。蹴り損ねた蝉は、朧の身体を通り過ぎ、大木の手前で爆発した。
爆発の煙が立ち込める場所に着地し、己の身を隠す。
『
不意に煙の中から飛礫が飛んできた。
まるで見当違いの方向だが、反射的に眼で追い掛け、『
ぱんっと乾いた音が響き、『
「――
早速、獺は実況を始めた。
膝落を用いた朧は、十間近い間合いを三歩で詰める。一瞬で間合いを侵略し、『
ばん――ッ!
『
「ぎいいいいッ!!」
返り血が両眼に掛かり、左手で顔面を押さえて呻いた。
「ヒャハハハハハハハハハッ!!」
朧は呵々大笑し、『
「言葉が分からずとも聞け! 眼が見えなくても、眷属の眼で見えよう! 周りの蝉で儂を吹き飛ばすか! 上から落ちてくる大刀を吹き飛ばすか! それとも両方吹き飛ばすか! 好きなものを選ぶがよい!」
朧の言葉に驚き、獺が上空を見上げた。
大刀が『
「半月ノ太刀と梟爪剣の合わせ技か!?」
実況&解説の獺が、いつもの調子を取り戻して叫ぶ。
「煙の中に身を隠し、『
朧の解説を心地良く聞きつつ、朧は小刀の鞘に右手を添えた。
対する『
周囲の蝉を一斉に爆発させたのだ。
百を超える蝉爆弾が弾け飛び、二人の姿が煙の中に消えた。
「どうなったんだ……?」
獺が、恐る恐る木陰から覗き込む。
やがて煙が晴れると、二人の姿が見えた。
『
その背後で、朧が小刀の切先を突きつけていた。
「是で五分か」
朧は愉快そうに言う。
小刀を持つ左手を除いて、体中に蝉が張りついていた。
蝉爆弾の一匹の威力が落ちても、これだけの数を一度に爆発させれば、全身の皮膚が焼け爛れて死亡する。
「見事じゃ。四番目の選択肢を生み出すとは……」
無数の蝉に張りつかれながらも、朧は対手を称賛した。
右手で視界を封じられて、朧に三つの選択肢を強要された時、『
上空から落ちてくる大刀を数匹の蝉爆弾で迎撃。大刀を破壊できないまでも、爆風で彼方に飛んでいった。
加えて前方の蝉爆弾を爆破。朧を吹き飛ばそうとしたが、『
然し『
五十匹以上の蝉爆弾を残して、朧の動きを封じ込めていたのだ。『
「カカカカッ」
朧は不躾に嗤いながら、小刀の柄に力を込める。
「名残惜しいが、そろそろ幕引きと致そう。お主が眷属を爆発させるのが先か。儂がお主の心ノ臓を貫くのが先か。どちらが速いか勝負じゃ」
朧が鷹揚に告げると、急に『
「ふふ……ふふふふっ」
「何を嗤うておる」
朧が怪訝そうに尋ねると、『
「貴女の、耳を、ください」
「?」
忽然と地響きが聞こえてきた。
朧は地震を連想したが、地鳴りは山頂から聞こえてくる。
「山崩れか!?」
山頂に顔を向けて、大きく眼を開いた。
昨日、朧が這い上がった岩壁が、無数の爆発や木々が倒れる衝撃で崩れたのだ。
「脆いにも程があるわ!」
山崩れに巻き込まれたら、斬り合い処ではなくなる。
左手の小刀を下げて、脱兎の如く獺の下に向かう。
なぜか『
朧が振り返ると、視界を奪うほどの土石流が、『
山崩れ然り津波然り。
自然災害の速さは、人の持つ速さを凌駕する。瞬く間に押し潰されると思いきや、土石流に蝉爆弾を叩きつけていた。
「おおっ――」
朧は感嘆の声を漏らした。
数十万に及ぶ大量の蝉を召喚し、氾濫した大河の如く迫り来る土石流を破壊。土石流が真っ二つに割れて、『
蝉爆弾一発の威力は高くないが、正面に展開した数千の蝉爆弾を爆発させれば、土石流すら吹き飛ばせる。加えて直視の『
是が蝉爆弾を温存していた理由か。
朧は天晴れと称賛したが、対手の切り札に感心している場合ではない。
「――獺殿!!」
呆然として動けない獺に、朧は必死で左手を伸ばす。
次の刹那、忽然と朧の意識が途切れた。
漬け物石ほどの落石が、右側頭部に直撃したのである。
停止飛行……ホバリング
五間……約9.45m 太閤検地後
一間……約1.89m 太閤検地後
二十間……約37.8m 太閤検地後
仕寄……城攻めに使う陣地。主に土塁か塹壕。
五尺……約1.5 m
漫画言葉……
十間……約18.9m 太閤検地後
空気を薄めた……正確には気圧を下げて、空気中の酸素濃度を下げた。
当たり前の話だが、地球は大気に覆われている。大気にも重さがあり、重たい大気が人間の上に乗せられている。どれくらいの重さかと言えば、地表から上に伸ばした断面積1m^の大気の柱の中には、約10tもの質量の大気がある。然し人間が、大気の重さで潰れる事はない。全方向から大気で押されており、身体の内部にも空気を含んでいるからだ。つまり身体の内部の空気を減らすと、人間は大気の重さに負けて潰れる。
地表付近では、空気は自重で圧縮されている。それゆえ、高い場所に行くと、気圧が急激に下がる。例えばエベレストの山頂(8848m)に登った時、人間にのし掛かる大気は約3t(300hPa)まで減る。酸素濃度は、地表の約三分の一に下がる。この濃度では、
読者のみなさんが妖怪と戦う時は、高度7000mより低い場所で戦おう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます