第48話 再戦

 真昼の猿頭山は、茹だるような熱気で満ちていた。

 確実に昨日より暑い。

 朧は左手で胸元に微風を送り、右手で赤い傘を差していた。

 日傘の代わりである。


「今日も暑いのう」

「これから『神寄カミヨリ』討伐というのに、緊張感が微塵もないな」


 朧がぼやくと、後ろに付き従う獺が応えた。


「然しお前も凄いな」

「ん?」

「目印もないのに、迷わず山に分け入る」

「ああ……儂は山育ちゆえ、獺殿より山に慣れておる。獺殿は、地図が読めぬ類か?」

「地図は読めるが……代わり映えのしない景色が、延々と続いているようにしか見えん。一度歩いただけで、正確に道筋を覚えられるとは……羨ましい限りだ」

「妖術を使えばよい」

「すでに複数の願い事を叶えている。眷属の半径二間には、およそ考え得る完璧な結界を構築した。直視の『炸裂眼さくれつがん』も通じない。無論、蝉が近づく事も蝉の尿に悩む事もない。今度こそお前の足手纏いにならないぞ」


 朧は面倒そうに、左手で頭を掻いた。


「別に獺殿は、儂に付き合わんでもよいぞ」

「此度の一件は、私にも責任がある。最期まで見届けたいのだ」

「相変わらず堅いのう。まあ、観衆がおらねば、斬り合いも昂ぶらぬ。然れど『神寄カミヨリ』が獺殿を狙うたら、此度は迷わず切り捨てる。『神寄カミヨリ』は予想以上に難敵じゃ。獺殿を守る余裕がない」

「眷属の命は諦める。粉微塵に吹き飛ばされたら、マリアの魔法で私の情報を引き出す事もできない」

「左様か」


 朧は気のない返事をした後、行く末を遮る木の根を跨いだ。


「あ……」


 然し獺は、木の根に躓いて転ぶ。


「躓いて転ぶ獺など初めて見たぞ」

「……」

「こういうのも妖術でなんとかならんのか?」

「……何度も言う通り、符条家の妖術――『睡蓮祈願すいれんきがん』は極めて不便な妖術だ。最悪に使い勝手が悪い」


 獺は立ち上がり、決まりの悪そうな顔で言う。


「『睡蓮祈願すいれんきがん』は他人の願い事を叶える妖術。然し全ての願い事を叶えられるわけではない。寧ろ叶えられない願い事の方が多い」

「……」

「符条家と他の分家の違いは、餌贄えにえを好きに選べる事だ。人の部位なら、脳でも肺でも目玉でも心ノ臓でも構わない。然し符条家の使徒に捧げられた餌贄えにえは、『睡蓮祈願すいれんきがん』を使う時の代償。符条家の使徒は、他人の願い事を叶え続けなければ、一ヶ月と経たずに命を落とす」

「……」

「加えて『睡蓮祈願すいれんきがん』は、願い事を餌贄えにえの体積で決める。例えば、お前が有徳人になりたいと望んだとしよう。それで髪の毛一本渡されても、鐚銭一枚も創り出せない。目玉一つなら、銀一匁は創り出せるだろう。然し五体満足な屍を渡されても、期待には応えられない」

「一度に喰いきれぬか」

「そういう事だ。同じ理由で餌贄えにえを増やす事もできない。餌贄えにえを一つ渡されても、二つに増やす事はできない。蓄えた餌贄えにえを減らすだけだ」

「『睡蓮祈願すいれんきがん』で餌贄えにえを増やせるのであれば、人を買い集める必要もないからのう。当然と言えば当然か」

「『睡蓮祈願すいれんきがん』の本質は博打だ。胴元と私は損をしないが、他の誰かが損をする。そういうふうにできているのさ」


 忌々しそうに、獺は己の妖術を卑下する。


「尤も私自身、『睡蓮祈願すいれんきがん』の限界を把握できていない。おゆらが盛んに挑発してきたのも、『睡蓮祈願すいれんきがん』の限界を見定める為だろう」

「何故、儂に術理を明かす? 儂が獺殿の情報を得れば、雌狗プッタは手段を選ばぬ。儂を妖術で操り、獺殿の情報を引き出そう」

「此度の件に関しては、お前に借りを作り過ぎた。お前から情報が漏れたとしても、私の自業自得だ」


 堂々とした口振りに、朧は溜息を零した。


「獺殿は堅物よの。然れど建前は聞き飽いた。畢竟、儂と『神寄カミヨリ』の斬り合いを見物したいだけであろう」

「実況と解説は任せろ」


 キラーン、とつぶらな瞳を輝かせ、獺は得意げに言った。

 足手纏いにしかならないが、斬り合いを遊興と考えれば、それも娯楽のうちだ。不確定要素が多いほど楽しみも増える。

 然し――

 符条が抱く絶望の一端を垣間見た。

 己が生きる為に、他人の願い事を叶え続け、神官の職務を全うする。偏執的な蛇神崇拝を支え、取るに足らない分家衆の願望を叶える。

 それだけの存在。

 まさに生き地獄だ。

 蛇孕村から追放されて清々したと言うが、紛れもない本心であろう。自分の意志で自由に動き、己の為に妖術を使える。


 ……ふむ、外界でこうでもこさえたか。


 符条の指示通りに願い事を告げる者がいなければ、都合良く妖術を発動できない。符条を教祖と称える者共が、他人の肉体の一部を差し出して、術者の思い通りに願い事を告げる。己の目的を果たす為とはいえ、符条も業の深い道を選んだか。


 是では、薙原家と何も変わらぬ。


 奏と敵対する事はなさそうだが、やはり符条も信用できない。


「然し何故、『神寄カミヨリ』が同じ場所に現れると?」


 獺の質問に、朧は思考を切り替えた。


「『神寄カミヨリ』は合戦の知識を得たが、それ以外は獣と何も変わらぬ様子。ならば、昨日と同じ事を繰り返すであろう。獣は無駄を嫌うからの。畢竟、猟師を殺した場所が、彼奴きゃつの狩り場じゃ」

「……」

「おそらく山の麓で沢でも見つけたのであろう。其処が水場であれば、狩り場と水場を往復する他なし。狩り場で待ち構えておれば、必ず『神寄カミヨリ』は姿を現す」

「お前の読みは当たりそうだな。明らかに蝉の数が増えてきたぞ」


 蝉の鳴き声が、周囲で響き渡る。

 おそらく他の山からも蝉を掻き集めてきたのだろう。昨日の反省を踏まえて、対手も万全の体制を整えたというわけだ。

 蝉の数は数万。

 下手をすれば、数十万に達しよう。


「其処らの蝉を爆発させれば、儂の身体は粉微塵に砕け散ろう。それをせぬという事は、他に策があるからじゃ」

「『神寄カミヨリ』に策を練るほどの知能があるとは思えないが……昨日は、それで酷い目に遭ったからな。油断はできん」

「左様。然れど油断したわけではないぞ」

「……何の話だ?」


 獺が顔を上げると、朧は前方を見据えて嗤う。


「『神寄カミヨリ』と遭遇してしもうた」


 鋭い眼光の先には、寝巻姿の女が佇んでいた。



 一匁……約3.75g


 二間……約3.78m


 請……宗教団体

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