第41話 古強者
半之丞は、ごふりと血を吐いた。
雁金に斬り下げられた大刀が、心臓と左肺を瓜の如く切断。刀身が腰まで到達し、左半身が斬り裂かれた。
当然の如く即死である。
「半月ノ太刀……」
獺がぼそりと呟いた。
半月ノ太刀に起こりはない。
正確に言えば、起こりを視認できない。
半月ノ太刀も他流の抜き付けと同様、
直立の姿勢から膝を抜き、重力に任せて上体を落とす。踵に生じた反作用の力を摺り足で方向転換。体内の筋肉を利用して前方に跳ぶ。
上体の落下速度は、秒速4.9m――半月ノ太刀の起こりは、百分の一秒以内に終了してしまう。
人間の動体視力では、
しかも朧は、
起こりを消し去り、対手の意表を衝く抜き付け。
半之丞が躱せる筈がない。
朧は大刀を引き抜くと、左肩から鮮血が迸る。
半之丞の屍が柄尻で弾き飛ばされ、どぼんと水濠に落下した。後で女中衆が回収するのだろう。朧の与り知らぬ事だ。
それより――
是は良い太刀じゃ。
昔馴染みを斬り伏せた朧の心情は、感傷と程遠いものだった。
『
何より変な癖がついていない。
前の持ち主は、余程の使い手であったのだろう。刀身に歪みが見当たらず、新身の如き鋭さを保持している。
同田貫の切れ味に満足し、朧は
「卑怯とは申さぬよな?」
「無論。半之丞の油断が招いた事」
呆れ果てたように、小原は溜息をついた。
「是は試し合いに非ず。武士と武士が命を奪い合う
「お主は面倒見が良すぎる。獅子は、我が子を谷底に突き落とすものじゃ。半之丞は、斬り合いの経験が不足しておった。儂と命の遣り取りがしたくば、最低でも百人は斬り殺してこい」
「成程。畢竟、拙者は朧殿と斬り合えると」
菩薩の如き笑みを浮かべて、小原は脇差を抜き放つ。
「次の相手は小原か?」
「いやいや、待たれよ」
急に左手を突き出し、小原は及び腰になる。
途端に、両者の緊張が緩んだ。
油断を誘いたいわけではない。
朧の戦闘意欲を少しでも削ぎたいのだ。
対手の意図は読めているが、朧からも仕掛けにくい。脇差一振りと見せかけて、他にも武具を用意しているのではないか。
然し無駄に会話を続けると、小原の術中に嵌まる。
「斬り合いの前に、お伺いしたい事があります」
「なんじゃ?」
「先度の抜刀術……覇天流の技ではありませぬな。落とし差しの大刀を用いた抜き付け。膝落で間合いを侵略する歩法。誰に学びました?」
「儂に師などおらぬ。半月ノ太刀も斬り合いで自得したのじゃ。もうよいか? 儂は早うお主を斬りたい」
「やはり修羅の子は修羅。間違いなく覇天殿の血を引いておられる」
「何が言いたい? 簡潔に申せ」
「朧殿は気づいておりますかな? 己の本性に――」
「……」
朧は眼を細めて、肩の力を抜いた。
中二病を卒業した者は、極めて戦いにくい。得意の心理戦に持ち込み、対手の思考を誘導していく。
「
「もうよい。その手の話は聞き飽いた」
朧は退屈そうに首を鳴らし、小原の言葉を遮った。
「話術も立ち合いの妙ではあるが……半之丞は、ただの述懐。お主の場合は、年寄りの長話じゃ。畢竟、斯様に申したいのであろう? 我欲を満たす為に、御曹司を利用しておると」
「……」
「まさしくその通りじゃ。御曹司の側におれば、斬り合いに事欠かぬ。儂は生来、人として大事なモノが欠落しておる。母が病で死んだ折も、何の痛痒も感じなかった。別に憎んでいたわけではないが、特に愛着も感じておらんかった。忌々しいが、儂も覇天と何も変わらぬ。他者の命を奪う時、極上の
酒で唇を濡らし、朧は滑らかに語る。
「然れど御曹司と出会うた所為で、不思議な感情が芽生えてしもうた。御曹司の事を考えると、胸の奥がモヤモヤする。御曹司に関わると、儂と縁のない感情を楽しめる。真に面白うて仕方ないわ」
「中二病らしい酔狂ですな。自らに制約を課す事で、身の危険を謳歌する。覇天殿と同じ道を歩まれますか」
「同じかどうかなど、結果を見ねば分からぬよ。然れど小難しい話ではない。御曹司を想うと、自然と力が湧いてくる。大凡の者が申す恋慕とは、斯様なものであろう?」
「奏様を守る事が、世俗と交わる唯一の術とは……」
憐憫の視線を向けられて、朧は不快そうに鼻を鳴らす。
「語り合いも飽いた。斬り合うつもりがあるなら、一歩前に進み出よ。命が惜しくば、この場より立ち去れ」
「命は捨て難きものなれど……息子に武門の家を継がせたく」
菩薩の如き笑顔が、武人の面構えに変わる。
元々小原は、合戦で日銭を稼ぐ足軽だった。
宇喜多直家が存命の頃、明善寺合戦で手柄を立てて仕官。渡辺家の寄騎に任じられ、覇天と共に数多の戦場を駆け抜けた。勇んで
然し齢五十を過ぎると、仕官も難しくなる。
天下に名を轟かすほどの武将であれば、諸大名から引く手数多であろう。然し今の小原は、地縁も血縁もない老武士。武家奉公人ならともかく、侍として取り立てられるほどの伝手は、渡辺家の他にない。
加えて十年前に妻と死別。
前妻の三回忌を済ませた後、二十も年の離れた村娘を娶り、念願の嫡子を得た。
余程嬉しかったようで、鼻つまみ者の朧も小原の家に招かれて、元気に泣き喚く赤子を見せられたものだ。
当時の朧は、小原の行動を怪訝に思った。
儂に気を遣うて、
朧も経験を積んできたので、今なら小原の気持ちを推察できる。
理解はできないが、推察はできる。
小原は、純粋に朧の行く末を案じていたのだ。
妾腹とはいえ、上役の娘に違いない。朧が安寧の道を進めるように、彼なりに腐心していたのだろう。
老武士の努力も虚しく、朧は死屍血河の修羅道を選んだわけだが……結果はどうあれ、幼少期に小原から恩を受けた。
然し奏ほど情が湧かず、恩人を斬り捨てる事に躊躇いを感じない。朧の頭の中は、単純な価値観で支配されていた。
主君の命を狙う
恩人といえども、微塵も容赦しない。
「クククッ、左様か。ならば、後ろに隠した得物を出せ」
「気づいておりましたか」
「背面に意識を向け過ぎじゃ。機先を制した時より、他の武具を取り出す時を稼いでおったか」
「やはり朧殿に隠し事はできませぬな」
「手裏剣か? 分銅鎖か? まさか焙烙玉ではあるまいな?」
小原が苦笑しながら、背中から鉤がついた金属棒を取り出す。
鉄拵えの十手だ。
これを手に入れる為に、使い慣れた大刀を売り捨てたのだ。
右手に脇差、左手に十手。
脇差と十手の二刀流。
此度の立ち合いに向けて、小原は万全の準備を整えていた。
「十手は覇天流の武具ではあるまい。
「何処で学んだわけでもなく。己で工夫した次第。この三年余り、拙者も遊んでいたわけではありませぬ」
やおら小原が歩み寄る。
「朧殿の実力は、拙者が一番承知しております。脇差と十手だけでは心許ない。さらに小細工を弄します」
「どれだけ汚い手を使うてくるのか……ゾクゾクしておるよ」
朧は獰猛な笑みを浮かべて、泰然と待ち構える。
十手は、飛び道具と別の意味で厄介な得物だ。対手の刀を絡め取る事に適しており、打撃用の武具としても威力を発揮する。戦場で使う機会は滅多にないが、剣士との立ち合いを考慮すれば、攻守を兼ね備えた道具だ。
膝落で間合いを侵略し、大刀の間合いで斬り合う。
それが最も堅実な戦い方だ。
然し同じ技を何度も使いたくない。朧の美意識に反する。天邪鬼の中二病は、
ゆるりと間合いを詰めてみるか……
敢えて朧は跳び込まず、大刀を担いで
その時、小原が忽然と反転し、無防備な背中を晒した。
やはり奇策を用いるつもりか。
暗器か飛び道具か毒物か爆薬か。
奇襲を警戒した朧が、動きを止めた刹那、
「ダルマさんが転んだ!」
小原は笑顔で振り返った。
「なアアアアにイイイイッ!?」
朧は絶叫を上げて、大刀を担いだ姿勢で止まる。
動けない。
鬼に見られているから動けない。
「まさか……『
成田のダルマ。
それは中二病の禁忌と言える。
天正十八年、天下統一を目指す豊臣秀吉は、小田原征伐に二十二万の軍勢を動員した。北条勢の武将は
対する豊臣軍は、石田三成を筆頭に二万三千の大軍が、忍城を取り囲んでいた。
それでも城兵の士気は高かった。
忍城は、
然し忍城に激震が奔る。
城代の康季が、合戦の前に病没したのだ。
康季は命を落とす直前、「息子(
忍城の士気の高さを見た三成は、損害の激しい総攻めを断念。
降伏も時間の問題と思われたが、天運は成田勢に傾いた。
忍城が水没して二日後、暴風雨に見舞われ、突貫工事で造られた堤は決壊。濁流が石田勢に押し寄せ、二百名の溺死者を出した。
支城の攻略に手間取る石田勢に、浅野長政の軍勢が加勢し、虎口からの正面突破を試みる。報告を受けた長親は出陣を決意するが、成田氏政の娘――甲斐姫が「我に秘策あり」と押し止めた。武人気質の甲斐姫は父と行動を共にせず、忍城に留まり続けていた。
猩々緋の陣羽織を身につけ、成田家に伝わる名刀――
その刹那、浅野勢は恐慌状態に陥った。
中二病である限り。
甲斐姫に見られている限り。
一毫たりとも動く事はできない。
結局、
「小田原征伐の後、甲斐姫の武勲は天下に轟いた! 然し成田のダルマを恐れた秀吉が、『ダルマさんが転んだ禁止令』を発布し、合戦や私闘で『ダルマさんが転んだ』を使う事を禁じた筈だ!」
「確かに『ダルマさんが転んだ禁止令』で、この技は禁じられております。然し立ち合いの経緯など、生き延びた者が自由に語るもの。それは大凡の武士も中二病も同じ事」
朧に視線を定めたまま、小原は無造作に接近する。
「そして中二病である限り、朧殿は絶対に動けない。
「……」
実際、動きを封じられた朧は、瞬きをする事すらできない。
これが中二病を卒業した者の恐ろしさだ。
朧が自分の意志で動けば、中二病を捨てた事になる。中二病の美意識は、己の命より重いもの。
家族を養う為なら、衆人環視の中で平然と土下座する。掟破りの汚名も喜んで受け入れる。中二病と正反対の強さ。言うなれば、大凡の者の強さである。
「――」
まるで時間が停止したように、全く動けない朧。
三者三様の反応を示す中、小原は間合いを詰めて、朧の弓手に立った。朧の首を斬り落としやすい位置に移動したのだ。
「来世は大凡の人生を歩んでくだされ。さらば――」
勝利を確信した小原が、朧の
次の刹那、朧は旋風の如く前方に回転。地面を転がり、その反動で立ち上がる。
「ふう……危うく首と胴が、離れ離れになる処であった」
「なんと!?」
「あっ――」
小原が頓狂な声を発し、
「避けたああああッ!! 紙一重で避けたああああッ!!」
最後に仰天した獺が、朧を見上げて絶叫した。
「何故、脇差の打突を躱した!? 鬼にガン視されながらも動く! それは『だるまさんが転んだ』に対する冒涜! 況てや朧は中二病! 命惜しさに中二を捨てたか!」
「
朧はニヤリと嗤い、殊更に豊かな胸を張った。
「確かに鬼に見られておる限り、儂は動く事能わぬ。然れど鬼が儂に触れれば、話は別じゃ。儂も
「小原の打突を受け流したというのか!? 刃が項に触れた刹那、体捌きで打突を受け流したと!?」
「左様。
大袈裟に驚く獺と、偉そうに威張り散らす朧。
場の空気についていけない小原は、ぽかんとした様子で佇む。
「ただの屁理屈にしか聞こえないのですが……」
「耄碌したのではないか、小原よ。中二病とは、美意識という屁理屈を貫き通す為、我が身を危うきに晒す虚氣じゃ」
特に未練も無く中二病を卒業した小原は、中二病を拗らせていた頃を振り返り、後悔と苦悩で顔を歪めた。
「加うるに……是は
「……ふう。やはり朧殿に子供騙しは通じませぬか」
小原は溜息を漏らし、脇差を逆手に持ち替えた。
「などと言いつつ、ダルマさんが――」
「二度もやらせるかああああッ!!」
掟破りを阻止すべく、朧は袈裟に斬りつける。
人差し指を立てた朧の打突は、小原の小袖を斬り裂いた。
後方に下がらなければ、小原は死んでいただろう。成田のダルマに拘り過ぎると、言葉を放つ前に斬り伏せられる。
朧と小原では、身体能力が違い過ぎる。
技倆も朧が遙かに上。
老境の小原では、朧の動きについてこれない。
然して。
小原は、果敢に前へと進み出た。
後手に回り続けても、最終的に圧し負ける。
大刀の間合いを潰す為に、自ら危険を冒して接近する。力の強い武士と戦う時の常道だが、容易く実行できる事ではない。
正面から朧と向き合い、弓手から十手の打突を繰り出す。
朧は長い柄を利用して、十手の打突を受け止めた。
次の刹那、朧は「――おおッ!?」と驚いて、地面に左膝をつけた。
十手の打突は囮か。
本命は
相手の脛を踵で蹴り飛ばし、体勢を崩す相撲の技だ。
高度な足技で朧の動きを止めた後、立ち上がる前に脇差を振り上げた。
「――ッ!?」
小原の動きが止まった。
突如、眼前に瓢が飛び出してきたのだ。
左腕に紐で巻かれた瓢が、一瞬小原の視界を封じた。
「くっ――」
対手を見失いながらも、容赦なく脇差を振り下ろす。
手応えがない。
左腕の袖を斬りつけただけだ。
朧が態勢を立て直す前に、間合いを詰めて攻め立てる。
十手の突き。
脇差の切り上げ。
蹴足から身の当たり。
十手や脇差に当て身を加えて、変幻自在に攻め立てる。
気がつけば、朧は押し込まれていた。
体勢を立て直せない。間合いを取れない。大刀を使えない。全く攻め手が止まらない。老境と思えないほどの持久力で、途切れる事なく攻め立てる。
然し小原の攻め手に偏りが見えてきた。
得物は違えど、互いに覇天流兵法の遣い手。
小原の攻め手を先読みする事もできる筈だ。
地面に左膝をついた状態で、首を狙う横薙ぎを回避。脇差が頭上を通り過ぎた。すかさず立ち上がり、小原の顔面に頭突きを打ち込む。
「ぶふっ――」
鼻血を噴き出し、小原は
十分に間合いを広げて、大刀を振るおうとするも……同田貫の刀身が、横薙ぎの途中で止まった。
十手だ。
小原の十手が、朧の大刀を絡め取ろうとしていたのだ。
「残念」
右腕で鼻血を拭いながら、菩薩の如き笑みを浮かべる。
やりにくい。
歴戦の老兵とは、これほど戦いにくいものなのか。
今度は鉄拵えの十手が、朧の妖艶な美貌に迫る。
狙いは眼か。
朧が瓢で受け払うと、
「瓢は捨てた方がよいですな。覇天殿も常日頃から申しておりました。太刀は片手で使うものなり。逆腕を空けた方が、今より戦いやすくなるかと」
小原は飄々と言い放った。
「小原アアアアッ!!」
朧は猛虎の如く咆吼を発した。
「……ほう。流石に朧の性格を熟知している。瓢を捨てろと言われたら、天邪鬼の朧は捨てられない。話術で片腕を封じたわけか」
獺が解説を付け加えた。
「ならば、是はどうじゃ」
脇差の逆手斬りを躱しながら、交差気味に瓢で小原を殴りつけた。
強かに顔面を叩くも、威力は零に等しい。所詮は瓢である。少しでも対手の勢いを削げば十分。
覇天流――
対手に密着された際、刀の柄尻で相手の鎖骨を打ち砕く技である。然し右腕を振り下ろす寸前、己の左腕に阻まれた。
「何――ッ!?」
「十手術は、太刀を絡め取るだけに非ず」
左袖を十手の鉤に絡めて、内側に引き寄せていたのだ。
朧の両腕に衝撃が奔る。
両腕を十字の形で封じられた。
無防備な左脇腹に、脇差の切先が迫る。
「がらあッ!!」
朧は叫びながら、軽やかに宙を舞う。
両腕を塞がれた状態で、馬手に側面宙返り。脇差が空振りするばかりか、朧の宙返りに巻き込まれて、小原は体勢を崩してしまう。
加えて着地と同時に、長い髪が小原の顔面を覆う。
再び小原の視界が封じられた。
黒髪が消えた刹那、朧は人差し指を立てながら、大刀を上段に構えていた。
ぞくり……と小原の背筋に悪寒が奔る。
「がらああああああああッ!!」
――斬ッ!!
同田貫が大気を斬り裂き、小原の頭巾を掠めた。一太刀で鎧武者を断裁するほどの唐竹割。後ろに
「攻守逆転……追い詰めたぞ」
「これほどの駆け引きを会得していたとは……御見事です」
小原は、朧の業前を称賛した。
ちらりと背後に視線を向けると、水濠の水面が見えた。小原が攻め立てる最中、朧は如何に対手を水濠へ追い詰めるか考えていたのだ。
「是が最後じゃ。もう退け。お主が死ねば、女房や倅が悲しむ」
鷹揚な態度で宣言し、瓢の酒を口に含む。
「やれやれ……拙者も歳を取りましたな。敵に情けを掛けられるとは……やはり斬り合いは若者に任せて、老兵は穏やかな余生を――」
弱々しく呟きながら、小原は十手を投げつけた。
対手の行動を予測していたようで、朧は軽々と十手を避けた。然しその隙に、間合いを詰められる。
小原が脇差を振り上げた刹那、
「ぷううううっ!」
朧が清酒の霧を吹いた。
恐るべき腹圧で口腔内の酒を噴射。
小原の顔面に清酒の霧を浴びせたのだ。
「ぐはっ――」
小原は左手で顔を押さえて、反射的に身体を丸めた。
朧に視界を奪われたのは三度目。瓢や髪の毛で視界を塞がれた時は、何の痛みも感じなかった。然し三度目は違う。眼球に清酒の霧を浴びせ掛けられ、激痛で瞼を開ける事すらできない。
「斯様な技を
「技ではない。宴の席で覚えた芸じゃ」
目を閉じた小原を見下ろし、頸動脈に大刀の刃筋を添える。
「お互いに守るものがあると大変じゃのう。昔のお主なら追い詰められた時点で、勝負無しの道を選んでおった。背を向けた逃げた処で、儂は追わぬと承知しておろう」
「……」
「たとえ無様でも生き残りさえすれば、決して負けに非ず。儂が幼い頃、斯様に教え諭したのは、お主であろう」
「……」
小原は沈黙で応えるしかない。
子供を持たない頃なら、危険を感じた時点で逃げていただろう。然し我が子を武士にする為、奏の首級を挙げなければならない。
見え透いた挑発に乗るほど、拙者は追い詰められていたのか……
昔のように守る者がいなければ、生き延びる事もできただろうが……小原の心に後悔はない。自ら望んで、こういう生き方を選んだのだ。
「手早くお願いします」
「うむ」
大刀の柄を握り締めた刹那、
「おおっ――」
朧は頓狂な声を発した。
「お主に申し忘れていた事がある」
「なんでしょう?」
「昔、お主の家に招かれた時、居間の花瓶が割れたであろう。アレはお主の倅の仕業ではない。儂がやった」
「存じておりました」
朧が大刀を引くと、鮮血が噴き出した。
「ぱぱみや――」
大量の血が弧を描いて飛び、地面に血溜まりを作る。
頸動脈を切断されており、助かる見込みはない。次第に意識も混濁していく。小原は傷口を押さえず、自らの意志で
起こり……攻防の予備動作
上体の落下速度及び時間……地球の重力加速度が約9.81m/s 2 。(距離)=1/2 ×(加速度)×(時間)^2の為、空気抵抗を無視した場合、人間の上体は一秒後に4.9mほど落下する。秒速4.9m。脚の長さにもよるが、上体が落下する距離は5㎝未満。距離が短すぎる為、空気抵抗を無視すると、上体の落下時間は0.01秒以内に収まる。
相権者……日本古来のボクサー
刻突……ジャブ
三間……約5.63m 太閤検地後
天正十八年……西暦一五九〇年
四里……約15.6㎞
堤をつけ……戦国時代の建築用語。堤や堀や土塁など、防御設備を新たに設置する時、「~をつける」と表現した。
場定め……一時的に決めた規則
相権の当流……日本古来のボクシングのスリッピング・アウェー
身の当たり……体当たり
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