第21話 天下無双

「マリア姉……」


 一体、どこから出現したのか。

 神出鬼没というか、奏にも許嫁の行動が読めない。


「符条巴がいない……逃げ足の速い女」


 確かに獺の姿も消えている。

 二人の決着を見届けたので、宣告通りに遁走したのだろう。


「どうして此処に……?」

「そうね……奏ふうに説明すると、

 奏が連れ去られた事を知り、猿頭山の山頂を目指す。

 山頂付近で黒田家の武芸者を斬首。

 頂上から『怠惰タイダナル蒼蛇想アオノヘビオモイ』で周辺を探索。

 西側の中腹で戦闘反応を確認。

 運命に導かれ、奏と感動の再会を果たす←now」


 意味不明な説明をしながら、奏の右手を診察する。

 神経を傷つける事なく、マリアは精密な動作で含み針を引き抜いた。

 多少身体に痺れを感じるが、ようやく満足に四肢を動かせる。

 奏は朧の肩を担ぎ、無理矢理立たせた。

 時は一刻を争う。

 本家の御殿医――ヒトデ婆に診せれば、解毒剤を処方してくれる。

 一瞬、帑亞翅碼璃万崇ドアシマリマスの屍を見ようとしたが、マリアが袖を広げて遮る。


「見ない方がいい。今の奏の精神状態では、とても受け止めきれない」

「――」


 極めて冷静な忠告に、奏は口を噤む。

 確かに今は、朧の命を救う方が先だ。


「朧さんが致死性の猛毒に侵されて――早くヒトデ婆に診て貰わないと」


 許婚に向き直り、必死に現状を訴える。

 何も言わずに眼を開き、血曇り一つない野太刀を構えていた。黄金に輝く双眸が、奏の視線を圧倒する。


「マリア姉……?」


 奇妙な雰囲気に気づき、奏は怖々と尋ねた。


「動かないで。その状態を維持していなさい。その女の首だけ落とすから」


 許婚の言葉を理解するのに、暫くの時を要した。


「何を言って……戯れを言う暇はないんだ! 早く手当てをしないと――」

「戯れではないわ。因果を見誤り、奏に歪んだ知識を植えつける惰弱。捨て置いた処で助かる見込みはなさそうだけれど……私の手で決着をつけなければならない」

「歪んだ知識というのは、今まで僕に隠してきた事?」

「……」

帑亞翅碼璃万崇ドアシマリマスさんから聞いたよ。薙原家の事も、僕の父親の事も、人身売買の事も二年前の謀叛もアンラの予言も……僕の記憶を改竄していた事も! それでも今は朧さんを助けたいんだ! これ以上、犠牲者を出したくないんだ!」

「奏は大切な事を知らない」

「……?」

帑亞翅碼璃万崇ドアシマリマスも符条もおゆらも……渡辺朧も知らない事実。因果の宿縁は、それほど単純なものではない。祝言を行うまで、奏には伏せておくつもりでいたけれど……これも運命の分岐点。この場で真実を打ち明けるわ」

「……」


 奏は、目を見開いて立ち尽くした。

 薙原家の者共が、人喰いの妖怪。本当の父親は、三年前に薨去した秀吉公。奏は人の子孫を増やす為の道具。許婚は謀叛を起こし、実の母親を殺害。二年前の火災も謀叛を隠す隠蔽工作。奏は記憶を書き換えられて、偽りの日常を過ごしてきた。

 これ以上に、衝撃的な事実があるというのか?

 もう無理だ……何もかもが壊れてしまう。

 許婚の動揺を意に介さず、マリアは冷静に告げた。


「奏ふうに宣言するわ。現世うつしよはラブコメハーレムなのよ」

「――は?」


 一瞬で奏の涙が止まった。


「私と奏は運命で結ばれている。何人なんぴとにも引き裂く事はできない。私は奏を視認した時、己の宿命を理解した。でも同時に疑問も抱いた。ならば、私以外の女共は、なんの為に存在しているのか? 幽玄オサレかいを彷徨い続けた結果、私は一つの答えを得た。奏の側に女ばかり集まるのは――――奏をたぶらかす為よ」

「ええええッ!?」

「脈絡もなく奏に好意を抱き、着物を脱いで寝込みを襲う。これをラブコメハーレムと言わずして、なんと言えばいいのかしら? 薙原家が女ばかりなのも、本家が女中ばかりなのも、蛇孕神社が巫女ばかりなのも、全ては因果律で定められた設定。彼女達は、痴女になる為に生まれてきたのよ」

「そんな特殊な変態は、おゆらさんだけだよ。それに薙原家は女系一族で、おゆらさんは女性の奉公人ばかり召し抱えるし。蛇孕神社も男子禁制だから、自然と巫女さんばかりになるわけで……」


 奏なりに反論してみたが、マリアは聞く耳を持たない。


現世うつしよがラブコメハーレムなら、必ずや試練イベントが訪れる。発情した雌豚サブヒロインが、死に物狂いで奏を誘惑するの。浴場で鉢合わせたり、曲がり角で衝突して胸を揉まされたり、他の女の着替えを覗かされたり……可哀想な奏。私を一途に想いながらも、運命は過酷な試練を与え続ける。愛し合う二人の絆を証明する為には、雌豚共サブヒロインどもと戯れるしかないわ。だから思う存分、雌豚サブヒロインを犯してやりなさい。私に遠慮は無用よ」

「……マジっすか?」

「マジっすよ。殿方の浮気で取り乱していたら、ラブコメハーレムの正室メインヒロインなんて務まらないわ。だから奏は、その場の勢いで雌豚サブヒロインを陵辱すればいいのよ。私は想い人の火遊びを堪え忍ぶ正室メインヒロインだから」


 祈るような気持ちで確認したが、許婚は堂々と肯定した。


「でも残念な事に、現世うつしよは因果律すら解さない惰弱で満ち溢れている。今回の場合、昨晩が運命ルートの分岐点。本家屋敷で試練イベントが発生するかと思いきや、その女は夜這いを仕掛けなかった。夜這いどころか、趣味の悪い人間案山子を見せられたのよ。しかも『泥棒猫』なんて巫女の屍に刻み込むから、新手の雌豚サブヒロインが登場するのかと思いきや、田中たなか帑亞翅碼璃万崇ドアシマリマス……名を聞いただけで、出オチみたいなアラサーと駆け落ちなんて、そんな試練イベントは有り得ないわ。一体、誰徳ダレトクの展開なの? 私はいつデレたらいいのかしら?」

「好きな時にデレたらいいと思うよ」


 奏は掠れた声で呻いた。

 確かに衝撃的な事実である。

 寧ろ永遠に知りたくなかった。

 マリアと十年も交際してきたのだ。奏も薄々は気づいていた。もしやもしやと思いながらも、その都度否定してきたのだ。そんな筈がないと――だが、もう目の前の現実を受け入れるしかない。

 ナントカと天才は紙一重と言うが――


 僕の許婚は、ガチでナントカの方だった!


 果たしてナントカに言葉が通じるのだろうか?


「……朧さんは、僕の命の恩人なんだ。恩義に報いるのは、仁に適う行いだと思う。仁という漢字は、人に二と書きます。人が歩く姿を横から見た形が『イ』で、二つは同じという意味。つまり人間同士が通じ合う情けの気持ちなんだ。さあ、深呼吸をしてみよう。マリア姉も冷静になれば、仁を見つけられると――」

「やはりその女から歪んだ思想を植えつけられているようね。でも安心しなさい。その女を斬首すれば、全て元通りになるわ。昨日と同じ日常に戻るのよ」


 奏は丁寧な口調で説得を試みるが、全く会話が成立していない。

 それどころか、朧の首を刎ね飛ばした後、再び奏の記憶を書き換えて、偽りの日常に引き戻すつもりだ。

 マリアは、徐に夜刀やとを振り上げた。


 ――どうする!? 

 どうすればいい!?


 奏の頭脳は、嘗てないほど高速に回転する。

 中二病のように、都合良く起死回生の策など思いつかない。


 それでも僕にできる事は……鹿狩り。真剣勝負。アンラの予言。豊臣秀吉の隠し子。太刀を太刀で受けてはならぬ。渡辺朧。漫画マンガ板芝居アニメ遊戯箱ゲーム田中たなか帑亞翅碼璃万崇ドアシマリマス。記憶の改竄。空気中を漂う微弱な稲妻。がらああああッ!! 曲がり刃。人喰いの妖怪。中二病。黒田如水。本多正信。二年前の謀叛。義元左文字。必勝蹴鞠玉。人身売買。仕物専門の透波。狒々祭り。先代の本家当主。世の中は起きて稼いで寝て食って、後は死ぬのを待つばかりなり――いやいや、死んだらダメだ!


 過去の風景や単語が、走馬燈の如く脳内を駆け巡り、最後に思い浮かんだのは、唯一つの言葉。


 管を以て天を窺い、錐を以て地を指すなり。


「――朧さんが死んだら、マリア姉との婚約を解消します!」


 奏は目をつぶり、大声を張り上げた。

 彼の声は周囲に響き渡り、直後に静寂が訪れる。遠くから梟の声が聞こえてきた。夜風で枝葉が揺れている。

 身を竦ませながら、怖々と瞼を開いた。

 眼前にマリアの姿がない。

 驚いて周りを見回すと、マリアが左隣に佇んでおり、野太刀を振り下ろす直前――朧の頸部に届く寸前で停止していた。

 マリアは野太刀を引きながら、冷然と奏を見つめる。


「一刻も早く応急処置を施さなければならないわ。渡辺朧を其処に寝かせなさい」

「……え?」

「全身に複数の打撲と裂傷。これはヒトデ婆に任せましょう。体力の消耗は、渡辺朧の生命力次第。問題は血液に混入された毒物」

「――チョッ!? 師匠ッ!?」

山蛇やまかかし蟇蛙ひきがえる豹紋蛸ひょうもんだこ……樺黄小町蜘蛛かばちこまちぐも豆斑猫まめはんみょうなどの動物毒。それに曼珠沙華まんじゅしゃげ毒蔓茸どくつるたけ毒空木どくうつぎ毒芹どくせり芥子けしなどの植物毒。他にも数十種の毒を混合している。解毒剤は存在しないけれど、私なら毒の成分を解析する事も可能。空気中の微弱な稲妻を用いて、渡辺朧の体内に侵入した毒素を手早く分解。ついでに血清から抗体を製造し、新しく造り替えた血液と一緒に注入すれば……渡辺朧の生存率は、九割きゅうわり九分きゅうぶ二厘にりん五毛ごもう八糸はちし三忽さんこつ三微さんび六繊ろくせん二沙にしゃ九塵きゅうじん一埃いちあく四渺よんびょう二漠にばく三模糊さんもこ二逡巡にしゅんじゅん八須臾はちしゅゆ九弾指きゅうだんし六刹那ろくせつな五六徳ごりっとく九虚空きゅうこくう二清浄にせんじょう四阿摩耶よんあらや九阿摩羅きゅうあまら六涅槃寂聴ろくねはんじゃくちょうまで上昇する」

「つまり朧さんを助けくれるの?」

「奏の命の恩人なのよ。許婚の私が助けないで、誰が渡辺朧を救うと言うの。これは私に課せられた試練。天から与えられた試練を克服しなければ、真実の愛を証明する事はできないわ(キリッ」


 ――すげえ! 

 今までの遣り取りを全部、無かった事にしやがった!


 これぞ天下無双の真骨頂――

 あましたの誰よりも、自分に優しい性格の持ち主である。


 ……ていうか、微弱な稲妻で解毒剤とか造れるんだ。

 凄い。


 奏は、改めて超越者チートの偉大さを思い知らされた。


「早く渡辺朧を寝かせなさい。応急処置を施せないわ」

「あ……ああ、うん。そうだね」


 何やら釈然としない気もするが、朧が助かるなら何でも構わない。マリアの指示通り、朧を地面に寝かせようとする。


「丁度良い処に、おゆらも到着したわ」


 奏が振り返ると、武装した六名の女中衆が、猿頭山の曲輪に駆けつけた処だった。

 先頭はおゆらである。


「女中衆を代表して、遅参の非礼をお詫び申しあげます。御二人とも御無事なようで安堵致しました。それで……符条様は何処いずこにおられましょう?」

「渡辺朧に応急処置を施すわ。彼女を地面に横たえなさい」

「――は?」


 状況は呑み込めず、おゆらは瞬きをした。


「渡辺朧は、奏の命の恩人よ。確実に救命処置を施すわ。お前達は呂宋壺を扱うように、渡辺朧を地面に横たえなさい」

「……」

「私は同じ言葉を二度も繰り返している。三度目はないわ」

「御意のままに」


 おゆらは朧の身体を横たえて、その周りを女中衆が囲む。奏は朧の側から離されたが、超越者チートが救うと断言した以上、絶対に助けてくれるだろう。


 絶望の暗闇に、希望という一条の光が差し込んできた。

 緊張から解放された所為だろうか。急に足腰の力が抜けた。奏は地面に座り込み、苦悶の表情を浮かべる朧と、全く表情を変えないマリアを見比べた。


「……マリア姉」

「何かしら?」

「中二病って大変なんだね」


 奏の素朴な感想に、


「中二病は最高よ。そこには愛があるもの」


 マリアは冷然とした口調で答えた。




 九割九分二厘五毛八糸三忽三微六繊二沙九塵一埃四渺二漠三模糊二逡巡八須臾九弾指六刹那五六徳九虚空二清浄四阿摩耶九阿摩羅六涅槃寂聴……99.2583362914238246492496%

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