第17話 異常な再会
奏と常盤は、猿頭山の山中を歩いていた。
猿頭山に道はない。敢えて道を拓かず、猿頭山の中腹に曲輪を設けて、その地点から山頂を目指す。何も考えずに山頂へ向かおうとすれば、同じような景色が延々と続く為、遭難の危険を伴う。追跡者を欺く為の工夫だ。
二人は土地鑑を頼りに進む。
松明を掲げた奏が振り返ると、常盤が青白い顔で息を切らしていた。
奏と常盤では、体力に差が有り過ぎる。抑も
然し休息を取るわけにもいかない。
夜の山は危険が多い。
追跡者を出し抜く事はできても、野生の獣に襲われるかもしれない。奏の実力では、猪や鹿にも勝てないだろう。
奏が周囲を警戒しながら進むと、急に前方の視界が開いた。
周囲を取り巻く黒松が、楕円形を描くように伐採された空間である。縦十間、横二十間という処か。近くに祠が建てられており、雑草を抜いて地面を
曲輪と言うが、土塁も
「常盤は此処で待って」
松明の灯りで地面を照らしながら、楕円形の空き地を歩き回る。
薙原家の
まだ女中衆が来ていないのか。
常盤も疲労の際に達している。
事態が収束するまで、この場所で味方が来るのを待とう。
「……此処が曲輪?」
一周して戻ると、常盤が掠れた声で尋ねてきた。
「ああ、此処まで来れば、大丈夫だと思う。無理に山頂まで登る必要はないからね。女中衆が捜しに来るまで待とうか」
常盤を安堵させる為、穏やかな口調で答えたが、彼女の表情から焦りの色が消えない。
「
「そこまでは分からないよ。もしかしたら、明日の朝まで掛かるかも……ああ、でもおゆらさんは、アレで意外に優秀だから。すぐに助けが来ると――」
「良かった。これで蛇孕村から出られる」
常盤が安堵の息を漏らすが、奏は首を傾げた。
蛇孕村を出る?
一体、何の話をしているんだ?
ぽかんとしていると、急に女の声が響いた。
『凄いなあ。本当に奏様を連れてきてくれたんだね』
「――誰だッ!?」
打刀の柄に右手を添えて、奏は周囲を見回した。
『落ち着いてくれ。ボクは刺客じゃないよ』
「なんだ、これは……?」
奏は目眩を起こしたようにふらつく。
「女の人の声? 頭の中で響いてる――」
『流石は奏様。理解が早くて助かる』
松明と打刀を捨て去り、両手で耳を塞いでも、頭の中に響いてくる。自分の意志と関係なく、女性の声が脳内で反響しているのだ。狼狽するなという方が無理だ。
「何者だ!? 姿を現せ!」
「勿論、ボクは姿を見せるけど。あまり驚かないでほしいなあ。奏様も承知の通り、ボクは繊細なんだ」
今度は鼓膜を通して、同じ女性の声が聞こえてきた。
しかも懐かしい。
聞き覚えのある声ではないか。
「
奏は瞠目して呟いた。
有り得ない。
木立の間から現れた人影を見つめ、呆然と頭を振るう。
女にしては、かなり背が高い。並の男よりも、遙かに上背がある。黒い陣羽織に黒い小袖。黒い
何より眼を惹くが、袖口から伸びた両腕だ。
表面が龍の如く鱗で覆われ、鷹の爪が生えていた。無論、本物の腕ではないだろう。おそらく義手の類か。作り物の義手を袖の中で握り締めているのだ。
弓手の
一目で屍と確認できたのは、全身に無数の裂傷が刻まれて、頭部が半回転していたからだ。出血多量と頸椎破壊。これで生きているわけがない。
「久しぶりだねえ。かれこれ二年ぶりになるか。元気そうで何よりだ」
男装の麗人が、右腕の龍腕を掲げて再会を喜ぶ。
中二病らしい奇抜な衣装に、慇懃無礼な喋り方。昔と装束こそ違うが、奏の知る人物に間違いない。
だからこそ有り得なかった。
田中帑亞翅碼璃万崇が、目の前にいるなんて――
「そんなまさか……貴女は死んだ。死んだ筈なのに……」
「常盤様から聞いたよ。なんでも火災に巻き込まれたとか。でもボクは生きてる。これは紛れもない事実だ」
「……」
奏は松明を拾うのも忘れて、呆然と立ち竦んだ。
「これで村から出られるの?」
「ああ。常盤様のお陰で、おゆらさんを出し抜く事ができたよ。流石は常盤様。ボクが見込んだ通りだ」
「これくらい当然。でも来るのが遅い」
「いやいや申し訳ない。警備の女中を始末するのに、少しばかり時間を取られた。ボクがいない間に、薙原家も随分と戦力を増強していたんだね。危うく殺される処だったよ」
知人と瓜二つの中二病が、大袈裟に安堵の息を漏らす。
常盤は、この異常事態を平然と受け入れており、不審者と普通に話している。まるで事前に知らされていたかのように――
「……貴女は誰だ?」
「不思議な事を訊くなあ。ボクの顔を忘れたのかい? ていうか、ボクの名を呟いていたじゃないか」
「――違う! 貴女は死んだ! 間違いなく死んだ! 貴女の遺体を確認している! 貴女の葬儀にも参列したんだ!」
奏は声を張り上げた。
彼女の存在は、死者を冒涜している。
邪悪な妖怪が故人に化けて、奏や常盤を騙そうとしているのだ。それ以外に、この現実をどう受け止めろというのか。
「それはおゆらさんに改竄された思い出! 偽りの記憶なの!」
「偽りの記憶……ッ!?」
「言葉通りの意味さ。薙原家に法螺話を吹き込まれ。おゆらさんの虚言に誑かされ。本当の記憶を書き換えられ。疑念を抱かないように、精神に楔まで打ち込まれた。奏様は、可哀想な被害者なんだよ」
「――」
「奏様にも理解して貰えるように、ボクが真実を説明しよう」
「――」
「薙原家の者共は人じゃない。人を喰らう妖怪だ」
「妖怪……」
奏は吐き気を覚えた。
これは夢だ。
なんて酷い悪夢……
縦十間……約18m
横二十間……約36m
十町……約1.08㎞
合印……敵と味方を識別する為の目印
亥の刻……午後十時
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