第7話 来訪者

 次第に西の空が茜色に染まり、群青色が薄らいできた。

 旅装束の武芸者が、鼻歌交じりに馬喰峠の山道を歩いている。

 頭の上に網代笠あじろがさを載せて、陣羽織に似た袖無し羽織を着ていた。どこかの大名家に仕えているのだろう。身形や刀の拵えから、身分の高い武士と分かる。

 武芸者は、笹の葉に挟まれた斜面を登る。途中で景色が一変した。崖の上から蛇孕村が一望できる。

 山奥の盆地と思えないほど、田地の拡張が進んでいた。

 蛇孕村の河にせきを設けて、水車で用水を掲げる。河川の水が用水路に流れ込み、乾田かんでんに必要な水を確保しているのだ。

 北側に大きな屋敷が建ち並び、南側に民家が点在している。民家から飯炊きの煙が立ち上り、住民が衣食住に困る様子もない。透波の隠れ里と聞いていたが、想像以上に栄えている。

 薙原家の屋敷は、北の山の麓に建つ豪邸か。

 暗殺という汚れ仕事を請け負いながら、土倉どそう唐物屋からものやを手掛ける一族。ひなの土倉と侮る事はできない。


「やはり岩倉殿に先を越されたでござるなあ」


 平穏な村の景色を眺めながら、武芸者は陽気に独白した。


『彼が九州を出立しゅったつしたのは、ボクたちより五日も早いんだ。馬でもなければ追いつけないよ』


 独り言ではなかった。

 不思議な事に、頭の中に他人の声が響く。


「田中殿が馬に乗れたら追いつけたのでござるぞ」

『ボクが馬に乗ると目立つからねえ。抑も順番を競い合う理由がない。獲物を横取りすればいいだけさ』

「――」

『ボクたちの旅は、概ね順調だよ。彼女の事を除けばね』

「覇天流の朧……噂通りの御仁でござるなあ。拙者も立ち合うてみたいでござる」

『自分の役目を忘れたのかい? 君の相手は超越者チートだ』

超越者チートと立ち合う前に、なんとかこう……御膳立てしてくださらぬか」

『二兎を追う者は一兎をも得ず。欲を出してはいけないよ』

「肩慣らしに丁度良いと思うたのでござるが……」


 武芸者は、大袈裟に溜息をついた。

 仮に擦れ違う者がいれば、さぞかし訝しむ事だろう。誰もいない虚空に話し掛け、勝手に落胆しているのだ。

 武芸者が、おもむろに振り返った。


「致し方ない。貴殿らで我慢するでござる」


 穏やかな口調で言うと、異変が起こった。

 複数の人影が、竹林の中から跳び出す。物音一つ立てずに、地を這うように動き、四つの人影が迫り来る。

 白い面が顔を隠す巫女衆だ。

 堅木かたぎの八角棒を携えて、四人同時に突きを打ち込む。

 武芸者は、正確に攻め手の間合いを見切り、後ろに軽く跳んで躱す。崖っぷちに立たされるが、巫女は追撃してこない。八角棒を中段に携えて、武芸者と間合いを取る。

 蛇孕神社の巫女衆は、蛇孕村の治安を守る検断人。幼少期より戦闘訓練を受けている。侵略者の力量を見定めない限り、深追いは禁物と心得ていた。


「屈強な武士もののふを期待していたのでござるが……」

『華奢な巫女衆で我慢してくれ』


 武芸者の頭の中に響く声は、巫女衆の耳に届いていない。


「招かれざる旅の者。く立ち去りなさい。是より先は、蛇神様が住まう領域。踵を返すのであれば、蛇神様も寛容の意を示すでしょう」


 巫女の一人が、感情を込めずに言う。


「先の二人は見過ごしたくせに、拙者は通せんぼでござるか。それは理不尽というものでござる」


 武芸者は、童の如き口振りで不満を漏らした。


「拙者はさむらい。理不尽には、太刀を以て抗うより他に術を知らぬでござる」


 呑気な口調で言いながら、迅速に間合いを潰す。

 巫女の一人が、咄嗟に八角棒を繰り出した。

 武芸者は、太刀の柄尻で打突を受け止める。


「――ッ!?」


 腰間ようかんで白刃を閃かせ、抜き付け一閃。巫女の胴体を大根でも斬るように断裁。流麗な所作で刀身を返すと、二之太刀で首を斬り落とした。

 巫女の頭部が鞠の如く飛び、上半身と下半身が分断されて、ぱらぱらと三つの肉塊が地面に落ちた。

 生き試しの三段斬り。

 本来なら拘束した罪人を相手に使う技だが、武芸者は実戦で難なく使いこなす。彼我の実力差を把握していなければ、容易に実現できない高等技術だ。

 即ち三人掛かりでも敵わない。

 巫女衆の決断は早かった。

 一名は蛇孕神社に生きて帰り、他の二名は時間稼ぎの死兵と化す。

 巫女衆の覚悟をよそに、武芸者は顔をしかめた。


「やはり脆弱な女子おなごを斬り捨てても、拙者の逸物はぴくりともしないでござる。後は田中殿に任せてもよいでござるか?」

『此処は君に任せよう』

「股間に響かぬ人斬りは、極力控えているのでござるが……」

『君の性癖はともかく……ボクの御役目に関わるんだよ。一人残らず斬り殺してくれ』

「左様でござるか。ならば是非もなし。貸し一つでござるぞ」


 恩着せがましく言い捨てた後、瞬時に間合いを詰めて笑う。


「ぬひ。逃がさないでござる~」


 独特な口調で言いながら、後退した巫女の胴体を斬り払う。黄昏時の山中に、血飛沫と臓物が飛び散る。

 もはや尋常な立ち合いではない。

 武芸者の起こす惨劇は、巫女衆が全滅するまで続いた。




 網代笠……竹を網代に編んだ被り笠


 乾田……水捌けの具合が良い田。水を入れていない時は、乾いて畑になる。


 土倉……鎌倉時代後期に発展した金融業者。土地や物品を担保に、高い利率で銭を貸し出した。本主もとぬし(資金提供者)から集めた銭を燃えにくい土の蔵に収めた為、土倉と呼ばれるようになった。土倉の貸し手は、武家公家に寺社仏閣、地方の村落に及んだ。


 唐物屋……室町時代に発達した貿易商。日明貿易で輸入した物を国内の富裕層に売りつけた。日明貿易が衰退した後、南蛮諸国の貿易商と手を結び、東南アジアやヨーロッパから輸入した物を国内で売り捌いた。

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