第7話 来訪者
次第に西の空が茜色に染まり、群青色が薄らいできた。
旅装束の武芸者が、鼻歌交じりに馬喰峠の山道を歩いている。
頭の上に
武芸者は、笹の葉に挟まれた斜面を登る。途中で景色が一変した。崖の上から蛇孕村が一望できる。
山奥の盆地と思えないほど、田地の拡張が進んでいた。
蛇孕村の河に
北側に大きな屋敷が建ち並び、南側に民家が点在している。民家から飯炊きの煙が立ち上り、住民が衣食住に困る様子もない。透波の隠れ里と聞いていたが、想像以上に栄えている。
薙原家の屋敷は、北の山の麓に建つ豪邸か。
暗殺という汚れ仕事を請け負いながら、
「やはり岩倉殿に先を越されたでござるなあ」
平穏な村の景色を眺めながら、武芸者は陽気に独白した。
『彼が九州を
独り言ではなかった。
不思議な事に、頭の中に他人の声が響く。
「田中殿が馬に乗れたら追いつけたのでござるぞ」
『ボクが馬に乗ると目立つからねえ。抑も順番を競い合う理由がない。獲物を横取りすればいいだけさ』
「――」
『ボクたちの旅は、概ね順調だよ。彼女の事を除けばね』
「覇天流の朧……噂通りの御仁でござるなあ。拙者も立ち合うてみたいでござる」
『自分の役目を忘れたのかい? 君の相手は
「
『二兎を追う者は一兎をも得ず。欲を出してはいけないよ』
「肩慣らしに丁度良いと思うたのでござるが……」
武芸者は、大袈裟に溜息をついた。
仮に擦れ違う者がいれば、さぞかし訝しむ事だろう。誰もいない虚空に話し掛け、勝手に落胆しているのだ。
武芸者が、
「致し方ない。貴殿らで我慢するでござる」
穏やかな口調で言うと、異変が起こった。
複数の人影が、竹林の中から跳び出す。物音一つ立てずに、地を這うように動き、四つの人影が迫り来る。
白い面が顔を隠す巫女衆だ。
武芸者は、正確に攻め手の間合いを見切り、後ろに軽く跳んで躱す。崖っぷちに立たされるが、巫女は追撃してこない。八角棒を中段に携えて、武芸者と間合いを取る。
蛇孕神社の巫女衆は、蛇孕村の治安を守る検断人。幼少期より戦闘訓練を受けている。侵略者の力量を見定めない限り、深追いは禁物と心得ていた。
「屈強な
『華奢な巫女衆で我慢してくれ』
武芸者の頭の中に響く声は、巫女衆の耳に届いていない。
「招かれざる旅の者。
巫女の一人が、感情を込めずに言う。
「先の二人は見過ごしたくせに、拙者は通せんぼでござるか。それは理不尽というものでござる」
武芸者は、童の如き口振りで不満を漏らした。
「拙者は
呑気な口調で言いながら、迅速に間合いを潰す。
巫女の一人が、咄嗟に八角棒を繰り出した。
武芸者は、太刀の柄尻で打突を受け止める。
「――ッ!?」
巫女の頭部が鞠の如く飛び、上半身と下半身が分断されて、ぱらぱらと三つの肉塊が地面に落ちた。
生き試しの三段斬り。
本来なら拘束した罪人を相手に使う技だが、武芸者は実戦で難なく使いこなす。彼我の実力差を把握していなければ、容易に実現できない高等技術だ。
即ち三人掛かりでも敵わない。
巫女衆の決断は早かった。
一名は蛇孕神社に生きて帰り、他の二名は時間稼ぎの死兵と化す。
巫女衆の覚悟をよそに、武芸者は顔を
「やはり脆弱な
『此処は君に任せよう』
「股間に響かぬ人斬りは、極力控えているのでござるが……」
『君の性癖はともかく……ボクの御役目に関わるんだよ。一人残らず斬り殺してくれ』
「左様でござるか。ならば是非もなし。貸し一つでござるぞ」
恩着せがましく言い捨てた後、瞬時に間合いを詰めて笑う。
「ぬひ。逃がさないでござる~」
独特な口調で言いながら、後退した巫女の胴体を斬り払う。黄昏時の山中に、血飛沫と臓物が飛び散る。
もはや尋常な立ち合いではない。
武芸者の起こす惨劇は、巫女衆が全滅するまで続いた。
網代笠……竹を網代に編んだ被り笠
乾田……水捌けの具合が良い田。水を入れていない時は、乾いて畑になる。
土倉……鎌倉時代後期に発展した金融業者。土地や物品を担保に、高い利率で銭を貸し出した。
唐物屋……室町時代に発達した貿易商。日明貿易で輸入した物を国内の富裕層に売りつけた。日明貿易が衰退した後、南蛮諸国の貿易商と手を結び、東南アジアやヨーロッパから輸入した物を国内で売り捌いた。
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