第6話 終わる日常

 蛇孕神社の石段をけ降りる。

 奏の頭の中は、常盤と仲直りする手立てより、マリアの事で埋め尽くされていた。

 急に自分の隣で漫画マンガを読めとか。すぐに常盤と仲直りしろとか。いつも振り回されてばかりいるが、それでもマリアを慕う気持ちは変わらない。

 今から十年前――

 奏は母親と共に、遠方から蛇孕村に移住してきた。母親の故郷が蛇孕村である為、帰郷と言うべきか。

 母親は帰郷して早々に病で亡くなり、奏は見知らぬ土地に一人で取り残された。母親を失い、悲嘆に暮れる奏を慰めたのは、従姉のマリアだった。


「私の名は薙原マリア。蛇孕神社の无巫女アンラみこにして蛇神の転生者。現世うつしよの惰弱共は、私の事を超越者チートと呼ぶ」

「?」

現世うつしよで二人が巡り会えたのは、因果律で定められた運命。天は愛し合う二人に試練を与えるけれど、何も心配する必要はないわ。私達なら天から与えられた試練を克服できる。私と奏で大団円ハッピーエンドを迎えるのよ」

「はあ……」


 これが幼い二人の出逢いである。

 二人の婚約を認めたのは、超越者チートでも運命でもない。

 先代当主と分家筋だ。

 男嫌いの先代当主は、妹の忘れ形見にすら冷たかった。奏に住居と世話役を与えると、自主的な外出を控えるように命じた。

 事実上の自宅軟禁である。

 本当は自分の近くから遠ざけたいが、理由もなく甥を追放する事もできない。然りとて放置しておけば、本家の権益を狙う分家衆に利用される。最悪、薙原家を分断する事態になりかねない。

 无巫女アンラみこの許婚という肩書きを与えて、本家屋敷に閉じ込めておく。それが先代当主と分家衆の妥協案だった。

 尤も幼い二人に、大人の事情など関係ない。

 二人で裏山を散策し。

 杉の木を利用して物見櫓を造り。

 マリアから雅楽や武芸を学び。

 巫女神楽の稽古を見物させて貰った。

 一緒に猿頭山で遭難したのも、今では良い思い出だ。

 母親の意向や蛇孕神社の戒律など気に留めず、マリアは奏を屋敷の外に連れ出した。幼い奏は、年上の許婚から『他人を信頼する事』を教わり、傅役の符条や世話役のおゆらとも親しくなれた。

 先代当主が遠行えんこうしてからも、二人の仲は変わらない。二年前と違う事は、奏が蛇孕神社に呼び出される事くらいか。

 マリアは憧れの対象であり、最も信頼する姉のような存在だ。

 勿論、身分はおろか、武芸も学識も遠く及ばない。

 マリアは薙原家に伝わる武術――雅東流兵法の極意を独学で会得し、雅東流三代目宗家の名跡を継承した。奏が四則演算で四苦八苦していた頃、マリアは「奏が風邪で苦しむなんて許せないわ」と言い出し、風邪の元凶を分解する極小の機械からくりを発明した。

 奏自身、マリアと釣り合わないと思う。だが、不思議と劣等感を抱いた事はない。ただ側にいるだけで、マリアは奏の心を癒やしてくれる。

 争い事を好まない奏は、おそらく中二病に向いていない。ましてや超越者チートなど望むべくもない。それでもマリアを想うと、心の底から勇気が湧いてくる。決して追いつけないと痛感しながらも、許婚に相応しい男になりたいと奮い立つ。


 いつかマリア姉の力になりたい。


 本家当主と无巫女アンラみこの兼任は、薙原家の歴史の中で稀に起こるが、健全な状態とは言い難い。政治と宗教の区別が曖昧となり、集落の統治に悪影響を齎す。最も望ましいのは、マリアと奏の間に産まれた娘が、次代の无巫女アンラみこに就任する事だ。本家当主のマリアは政に専念し、入り婿が補佐する。

 ただ蛇神崇拝の戒律により、无巫女アンラみこは二十歳(数え年)を迎えるまで還俗できない。つまり再来年の元日にならないと、二人は祝言を挙げられない。


 それまでには、僕も立派な男に……という考え方がいけないのか。


 先程、マリアに諭されたばかりではないか。許婚以外、眼中にないと明言すれば、常盤も見直してくれるだろう。

 急いで石段を下ると、途中の踊り場で人影を見つけた。

 銀髪の少女が鳥居に寄り掛かり、苦しそうに息を切らしている。


「常盤……どうしてここに?」


 身体の弱い常盤が、石段を半分近くも登り続けたのだ。疲労は相当なものだろう。呼吸を整えながら、両手で抱えた弓を取り出す。


「……これ」

「僕の弓?」

「あとこれも」


 素っ気なく言いながら、空穂うつぼを強引に手渡す。空穂の中には、十二本の矢が収められていた。

 狩猟道具一式を抱えて、奏が目をぱちくりさせる。


「鹿狩り。今からでも間に合う」


 常盤が俯きながら、ぽつぽつと呟いた。

 ようやく奏も得心がいった。

 奏と仲直りする為に、自分から蛇孕神社まで足を運んでくれたのだ。常盤の心遣いに感謝して、奏は穏やかに微笑む。


「そうだね。日が暮れるまで楽しもうか」


 奏は空穂を担ぎ、右手に弓を持つと、空いた左手で常盤の手を引いた。


「あ……」

「石段は危ないから。僕が前を歩くよ」

「……うん」


 常盤は天井越しに陽光が射し込み、爽やかな森の香りが二人を包み込む。原色の光と小鳥のさえずりに囲まれて、桃源郷に入り込んだ心地だ。

 やがて見覚えのない人影を見つけた。

 鳥居の側に、大柄な牢人が佇んでいた。

 身の丈は、六尺を超えているだろうか。桧皮色ひわだいろの小袖に藍色の野袴のばかま茶筅髷ちゃせんまげ豪傑面ごうけつづらを無精髭で覆い、炯々けいけいと眼光を輝かせていた。

 刃渡り三尺八寸と二尺五寸の二本差し。大柄な体格に併せて、左腰に太刀を二振りもいている。


「奏……」


 常盤も牢人の存在に気づいて、不安そうに奏の後ろに隠れた。

 前年の関ヶ原合戦で、西軍について処断された大名は数知れず。禄を奪われた武士は、足軽や奉公人を含めると、二十万人に達するという。

 この牢人も関ヶ原合戦に敗れて、故郷から追い出されたのだろう。

 然し田舎の神社に、何の用があるというのか?

 よもや仕官が叶いますように……と祈願に訪れたわけではあるまい。

 一先ひとまず奏は鳥居に入ると、巨躯の牢人から三間ほど距離を置き、当たり障りのない口調で話し掛ける。


「参拝に来たんですか? 蛇孕神社は身内以外、参拝できない仕来りで――」

渡辺わたなべ伽耶かや殿が一子、奏殿で相違ないな?」


 逆に巨漢から問い返された。


「……薙原伽耶は、僕の母ですけど。渡辺という家名に覚えがありません。人違いではありませんか?」

「否、伽耶殿の御子息に相違なし。誠に母君と瓜二つ。一目で確信致した」


 巨漢は勝手に話を進め、太刀の柄に右手を添えた。


それがし作州牢人さくしゅうろうにん――岩倉いわくら左門さもんと申す。貴殿に立ち合いを申し込む」


 堂々と名乗りを挙げて、奏に立ち合いを申し込む。


「……は?」


 話の流れについていけず、奏は唖然とする。


 立ち合い? 

 この牢人と? 

 なんで?


 まるで意味が分からない。


「某と貴殿が斬り合うのだ」


 ぽかんとする奏に、岩倉と名乗る牢人が告げた。


「真剣勝負ですか?」

「左様」

「僕は武士でも武芸者でもないんですけど……」

「貴殿の境遇に同情致す。然れど子細を語るわけにも参らぬ。覚悟を決められよ」


 急かされた処で、急に覚悟など決まるものではない。


「ちょっと待ってください! 僕には立ち合う理由がありません!」


 奏の言葉に耳を貸さず、岩倉は三尺八寸の太刀を抜き放つ。左半身ひだりはんみの姿勢を取り、両手で握る柄を高く上げた。

 八相はっそうの構え。

 それもタイしゃ流――右甲弾の構えだ。

 兵法へいほう数寄者オタクの傅役から聞いた事である。

 タイ捨流は、合戦で勝つ為に編み出された武術だ。戦場で甲冑を着ていれば、刀を上段に構えにくい。兜のしころや袖が邪魔になるからだ。その為、タイ捨流では右横の上段の構え――即ち右甲弾という八相の構えを取る。

 いわおの如き構えに怯えながらも、奏は衝撃の事実に気づいた。

 馬を預けた巫女が出てこない。

 常盤も一人で来たわけではないだろう。乗物を使用した筈だ。然し乗物の担ぎ手も見当たらない。

 巫女も担ぎ手も、この牢人に斬られたのだ。

 神域を守る巫女と一悶着起こしたのだろう。巫女や担ぎ手を斬り捨て、乗物と屍を茂みに隠したのだ。

 奏と岩倉の間合いは、二間まで詰められている。この間合いで飛び道具は使えない。奏が矢を掴む前に、太刀で斬り捨てられてしまう。

 真剣勝負を受けるしかない。

 奏は渋面を浮かべながら、弓と空穂を捨てると、静かに刀を抜いた。

 奏の刀は、打刀うちがたなである。地金じがねは青白く輝き、刃文はもんは華麗なのたれ。大きな波を打つような紋様だ。玉追龍たまおいりゅうの彫り物が彫られており、優美な刀身を晒す。

 許婚より名刀の御墨付きを頂いているが、実戦で使われた事はない。

 抑も真剣勝負自体、奏も初めての経験だ。


「私はどうしたら……?」


 常盤が震える声で尋ねた。


「異人の子よ。其方そのほうに用はない。巻き込まれたくなければ、この場より立ち去れ」


 奏が答える前に、岩倉が堂間声を張り上げた。


「私は異人じゃない!」


 無礼な物言いに激昂した常盤が、右太腿に固定された鉄砲嚢ホルスターから短筒を取り出し、岩倉に巣口すぐちを向けた。


「常盤! 短筒を下げるんだ!」


 奏は鋭い声で常盤を制する。

 常盤の使う短筒は、日本に普及する火縄銃ではない。

 火打ち式の燧石銃すいせきじゅうだ。

 引き金を引くと、火鋏ひばさみに挟んだ燧石が落ちて、金属のたりがねこする。火打ち石と同じ原理で火花が発生し、筒内の玉薬たまぐすりに点火。玉薬が爆発する衝撃で、巣口から鉛玉が飛び出す。

 火縄いらずという画期的な道具だが、あくまでも試作の段階。湿気の多い日本では、火花が散らずに不発しやすい。加えて銃身の短さゆえ、発砲した時の反動も大きい。非力な常盤が使うと、命中精度が低くなる。

 相手の脚を撃ち抜くつもりが、眉間を貫きかねない。

 鹿狩りと人狩りでは、心に掛かる負担が違う。

 常盤に人を殺めてほしくない。

 興奮する常盤を宥めるように、奏は努めて平静を装う。


「常盤……石段を登って、マリア姉を呼んでくるんだ。神社の巫女衆では対処できない。死人が増えるだけだ」

「……奏はどうするの?」


 幾分平静を取り戻したようで、常盤の声は不安で溢れていた。


「心配ないよ。毎日、剣の稽古もしてるからね。マリア姉が来るまで、時間を稼ぐ事ならできる」

「奏――」

「いいね、マリア姉に来て貰うんだ」

「……うん」


 やや間を置いて、常盤は石段を駆け上がる。

 迷いのない後ろ姿を確認してから、奏は岩倉に向き合った。

 覚悟は決まった――

 奏の言葉は、常盤を逃す為の方便である。彼女の体力を考えれば、石段を登り切る事も難しいだろう。

 都合良くマリアが来るまで、時間を稼げるとも思えない。


 僕一人でなんとかしないと――


 奏は心の中で呟きながら、右半身みぎはんみの姿勢で切先を後ろに下げた。後の先を狙いつつ、対手に刃物の長さを測らせない。

 左脇構ひだりわきがまえ。

 古来より日本の剣術は、陰陽道や修験道と関係が深い。

 平安末期の陰陽師――鬼一きいち法眼ほうがんが源義経に兵法を相伝する以前から、陰陽五行と剣術の構えの関連性は、平安期の武士や僧兵の間で盛んに研究されてきた。

 正眼(水)には下段(土)で対応し、下段(土)には八相(木)で対応する。八相(木)には脇構え(金)で待ち構え、脇構え(金)には上段(火)で抗う。上段(火)には正眼(水)で相対し……と相克を繰り返す。

 雅東流兵法も例外ではない。


「ふみゃあ!」

「……気合いの掛け声か?」

「ふみゃ?」

「……」

「ふみゃーっ!」

「よく分からぬが……参る」


 珍妙な気魄きはくに惑わされる事もなく、岩倉が正面から跳び込んできた。

 剣術の試合は『起こり』の読み合いである。

 起こりとは、行動を起こす前の予備動作。重心の変化や筋肉の動き。対手の狙いや心の動きを指す。剣術の試合は、一弾指いちだんしの競い合い。対手の起こりを見逃さず、迅速に対応しなければならない。

 だが、奏は剣術の試合に慣れていない。

 起こりを見極めようにも、対手の動きや狙いを読み取る自信がない。それゆえ、右甲弾の構えから袈裟懸けに振り下ろす……とヤマを張った。

 対手の太刀をしのぎで受け流し、返し技を使う。

 素速く柄を上段に掲げ、刀身で右半身を守る。

 岩倉の打突は――

 曲線を描くように、袈裟懸けから変化した。


 横薙ぎッ!?


 勘が外れた……と言うより、奏の無知が招いた結果だ。

 タイ捨流の開祖――丸目まるめ長恵ながよし上泉かみいずみ信綱のぶつなの高弟だった。丸目は新陰しんかげ流から分派し、タイ捨流を興した。

 新陰流の八相は、八発八止はっぱつはっし――変幻自在な攻防を意味する。

 馬鹿正直に、右甲弾の構えから袈裟に振り抜く必要はない。左脇構えを見て、袈裟から横薙ぎに変えたのだ。

 かつ、と金属音が響いた。

 太刀の刃が鎬を滑り、打刀の鍔にぶつかる。

 奏の予想を遙かに超える膂力。

 返し技を使う余裕はない。


「うわっ!」


 力比べでし負けて、奏は馬手めてに弾き飛ばされた。

 鳥居の柱に背中を打ちつけ、地面に尻餅をついた。

 慌てて刀を見ると、刀身が折れていた。鍔と接する鎺金はばきがね。鍔の押さえとなるふち。それに鍔自体が、粉々に砕けていた。折れた刀身は、岩倉の足下に落ちている。


「太刀を受けるとは……愚かな事を」


 岩倉が低い声で吐き捨てた。

 彼の太刀も刃毀はこぼれを起こしていた。何度も素振りを行い、太刀の殺傷力を確かめる。使用に耐え得ると判断し、再び右甲弾の構えで間合いを詰めてきた。


「一太刀で腕や胴を断てず、某の力で弾き飛ばされた……鎖を着込んでおるのか。無駄な事を……」

「名刀じゃなかったのかよ!」


 奏は折れた刀を投げ捨て、弓と矢を拾おうとするが……立ち上がる事ができない。


 なんだよ……なんだよ、これ?


 冷たい汗が背中を伝う。

 両脚に力が入らない。

 身体の震えが止まらない。

 ガチガチと歯を打ち鳴らし、巨躯の牢人を見上げる。

 この時、ようやく奏は自覚した。

 自分が怯えている事に――

 覚悟を決めたつもりでいた。

 然しそれは、剣技をくらべ合う覚悟だ。

 命の遣り取りではない。

 自分の命を指し出す覚悟もなければ、対手を殺す覚悟もできず、試し合いの心構えで殺し合いに応じてしまった。

 惨めに怯える奏を見下ろし、岩倉は嘆息を漏らす。


「恨みはないが……これも因縁。その首級みしるし、頂戴仕る」


「御曹司を討たれては適わぬ」


 突如、予期せぬ声が届いた。

 天竺の孔雀の如く優雅で、暹羅しゃむの猛虎の如き威容を誇る美女だ。

 長い茶色の髪を高く結い上げ、目尻は高く釣り上がり、大きな瞳が爛々と輝いている。よく通った鼻筋に、艶やかで厚めの唇。妖艶な色香は匂い立つほどで、奏も恐怖を忘れかけたくらいだ。

 抜群に均整の取れた身体を黒い肌着で覆い隠し、その上に猩々緋の小袖を羽織る。襟元を黒い羽毛で飾り、法衣ほうえのように丈袖が長い。さながら遊女の如き装いだ。左腰に大小を落とし差しにしていた。無骨な拵えの大刀は、刃渡り二尺八寸。小刀は一尺四寸。抜き方を誤ると、自分で豊満な乳房を斬り落としてしまいそうだ。

 あまつさ木履ぼくりを履いている。

 地面を咬む歯がない為、走りにくくて跳びにくい。履き慣れない者であれば、歩くだけで足下が覚束なくなる。奏の知る限り、最も立ち合いに向かない履き物だ。

 紛う事なき中二病――

 実用や効率を度外視し、命懸けで自己陶酔に浸る者の姿だ。

 上体を大きく反らし、腰を捻りながら大刀を抜く。豊かな胸を張らなければ、満足に刀も抜けない。全く無駄な動作だが、刀の抜き方にも拘りがあるのだろう。妖艶な美貌の左半分を刀身で隠し、柄を握る人差し指を立てていた。

 奏は心から感服する。


 これがマリア姉や帑亞翅碼璃万崇ドアシマリマスさん以外の中二病――


何故なにゆえうぬ此処ここにおる?」


 女武芸者の顔を見て、岩倉の表情が曇る。


「儂は御曹司を守る太刀じゃ。太刀とは、立ち合いにて振るう物ぞ」

「答える気はないと」

「クククッ、御曹司に刃を向ける者は、誰であろうと斬る!」


 女武芸者は嗤いながら、鳥居の中に入り込んだ。

 岩倉も右甲弾の構えを解いて、改めて正眼に構え直した。さらに着物の衣紋えもんを沿うように、左右交互に太刀を振り下ろす。

 タイ捨流の衣紋振えもんぶり。

 袈裟斬りと見せかけて逆袈裟。逆袈裟と見せかけて袈裟斬り。絶え間なく切先を動かす事で、対手に太刀筋を読ませない技だ。

 然して岩倉の狙いは、袈裟でも逆袈裟でもない。

 刺突つきだ。

 予想外の形で先手を取られたうえに、一流の武芸者と刃の欠けた太刀で斬り合うなど、愚の骨頂と言う他ない。

 岩倉の太刀は、女武芸者の太刀より一尺も長い。腕の長さを含めれば、一尺半以上の違いがある。渾身の諸手突きで牽制し、一度距離を置いてから小刀に持ち替える。


「キェ――ッ!!」


 裂帛の気合いを込めた諸手突き。

 女武芸者は右半身となり、躊躇なく間合いを詰める。

 読まれた――

 驚愕を覚えた時には、女武芸者が下段から大刀を振り上げていた。

 ぶんと真下から左腕を斬り上げられ、岩倉の両腕が衝撃で跳ね上がる。


「うほっ!」


 左手がない。

 左手首の切断面から、一拍子遅れて鮮血がほとばしる。鳥居の上部――笠木かさぎに太刀を握る左手が叩きつけられ、ぼとりと地面に落ちた。

 刀の抜き方に拘りがあるように、人の斬り方にも拘りがあるのだろう。岩倉の手首を斬り飛ばす。持ち手の人差し指を立てていた。無論、術理も道理もない。強いて言うなら、普通に斬るより幽玄オサレだからだ。


「ぬう!」


 片手をなくしても、岩倉の闘志は衰えていない。

 止血する時間を稼ぐ為に、岩倉は鳥居の陰に隠れた。左脇を強く握り締めて、手首のない左腕を上げる。

 朱色の柱を挟んで、女武芸者と岩倉が対峙する。


「死ね――」


 女武芸者が酷薄に言い放ち、鳥居の柱を横一文字に斬り裂く。


「ぴぎゅっ!」


 女武芸者の大刀は、岩倉の胴体を柱ごと斬り裂いた。

 ごとっ、と切断された鳥居の柱がズレる。

 血飛沫と共に、臓物が溢れ出る。

 無限に増殖するかのように、飛び出す腸が止まらない。腸の一部が太刀に絡んで、体内から引き摺り出されているのだ。

 女武芸者が血振りをすると、腸が地面に叩きつけられた。


「無念……」


 岩倉は呟きながら、血と臓物の上に倒れ伏す。

 女武芸者が大刀を鞘に納めた。

 神聖な筈の鳥居が、凄惨な地獄絵図と化した。腸から溢れ出た人糞のなり損ないが、激しい臭気を放つ。奏は激臭に耐えきれず、胃袋に収まる物を吐き出した。


「カカカカッ、存分に吐くがよい。堪えると身体にようない」


 嘔吐する奏に近づき、気安い口調で話し掛けてくる。


「貴方は……?」


 奏は青白い顔で誰何すいかした。


「覇天流の朧じゃ。これより主命に従い、儂が御曹司を守る」


 牢人の屍を跨ぎながら、女武芸者が妖艶に微笑んだ。




 遠行……死亡


 風邪の元凶……ウイルス


 極小の機械……ナノマシン


 空穂……動物の皮で造られた矢入れ具

 

 身の丈……身長


 六尺……約1.8m


 桧皮色……深い黒っぽい赤褐色


 野袴……旅行用の袴


 三尺八寸……約114㎝


 二尺五寸……約75㎝


 太刀……室町時代以前に主流を占めた刀。携帯する際は、帯を通した紐を吊るし、刃が下向きになり、「く」と表現される。


 禄……仕官している者に対して給付される金銀や物資


 三間……約5.4m


 作州……美作国


 家名……苗字


 錣……兜の一部。鉢の下の部分につけて、鉄や鎖や革で首回りを覆い隠す物。


 乗物……高級な駕籠


 二間……約3.6m


 打刀……戦国時代に主流を占めた刀。太刀より刀身が短い。主に徒戦かちいくさ(歩兵の戦闘)向けに鍛えられた物。太刀とは逆に、刃を上に向けて帯刀する。


 玉薬……黒色火薬


 後の先……対手の攻撃を防御、回避してから打つ。対手より後に打ち、制する心構え。


 鬼一法眼……平安時代の陰陽師兼修験者兼兵法者。京八流の開祖。


 一弾指……刹那の十倍。0.13秒。


 鎬……刃と峯の間に、刀身を貫いて走る稜線


 返し技……対手の攻め手を鎬で摺り上げ、対手の反対側を打つ技


 鎺金……刀身が鍔と接する部分に嵌まる金具


 縁……柄を補強する為に取りつけた金具


 鎖……鎖帷子


 天竺……インド


 暹羅……タイ王国


 大小……大刀と小刀


 二尺八寸……約84㎝


 一尺四寸……約42㎝


 一尺……約30㎝


 一尺半……約45㎝

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