第4話 日常(二)

 白い紐で背中に届く髪を縛り、麹塵きくじん狩衣かりぎぬに着替えた奏は、緊張しながら居間に入る。

 常盤は囲炉裏の下座に座り、一人で食事を始めていた。

 腰まで伸びた銀色の髪に瑠璃色の双眸。高い鼻梁びりょうと瑞々しい唇。小枝の如く細い手足。一見、儚げな風情だが――


「ふん――」


 奏と目が合うと、つんと顔を背けた。

 やはり御機嫌斜めのようだ。

 奏は上座に腰を下ろし、誤解を解く方法を考える。

 神妙に弁解の言葉を並べても、常盤は姑息な言い訳と受け取り、余計に機嫌を悪くするだろう。流石に朝から口論はしたくない。


「……今日の着物、凄く似合うね」


 奏は熟考の末、無難に着物を褒めた。

 長い銀髪が映える紫色の装束で、紐織物リボン布折目フリルなどの装飾が多い。南蛮なんばん数寄者オタクが好む南蛮幼姫ゴスロリという嬢衣ドレスである。京都の有名な『科学者』が、舶来の生糸で仕立てた特注品。南蛮人の血を引く常盤が着ると、遠い異国の姫君のようだ。


「もっと具体的に褒めて」

「具体的に!?」


 姫君から難題を課せられた。

 唐突に風変わりな衣装を褒めろと言われても、女性の着物に疎い奏は、返答に窮してしまう。それ以前に、頭の中は一つの単語で埋め尽くされていた。


「ええと……中二病! 物凄く中二臭いね!」

「馬鹿にしてる?」

「違うよ! なんでそういうふうに受け取るのさ!」

「それは褒め言葉ではないからです」


 奏の弓手に端座したおゆらが、穏やかな口調でたしなめる。


「中二病とは、虚氣うつけを揶揄する言葉。无巫女アンラみこ様は例外です」


 世間一般の認識は、おゆらの言い分で正しい。

 世界征服を目指した織田信長。

 百姓から天下人に上り詰めた豊臣秀吉とよとみのひでよし

 叔父の愛馬を盗んだ前田まえだ利益とします

 関守を殴り飛ばし、何事もなく関所を通り過ぎた島津しまづ家久いえひさ。金箔の磔柱はりつけばしらを掲げ、死に装束で上洛した伊達いだて政宗まさむね。「早く俺から離れろ! 自分でも能力ちからを制御できない!」と叫びながら、茶釜と共に爆死した松永久秀。「雷神召喚!」と呪文を唱えたら、本当に落雷を浴びた立花道雪たちばなどうせつ兌換紙幣だかんしへいを発行した三好長慶。石山本願寺に報恩講ほうおんこうで二十万人の門徒を集めた本願寺ほんがんじ顕如光佐けんにょこうさ。『侘寂わびさび』に『萌え』を加えた挙句、弟子の古田ふるた織部おりべから『バブみが足りない』と指摘されて、絶望の果てに切腹した千利休。毘沙門天びしゃもんてん一筋で童貞を貫き通し、齢三十で魔法使いと成り果てた上杉謙信うえすぎけんしん。卓越した中二病になると、毛利もうり征伐の加勢に向かう途中、「敵は本能寺にいるんだからね!」と言い出し、万余の大軍で本能寺を包囲。愛する主君を自決に追い込んだヤンデレもいるという。

 純朴な奏は、「世の中には凄い人がいるなあ……」と憧れを抱いていた。然し全ての中二病が、歴史に名を残す偉人というわけではない。寧ろ中二病の大半は、斬り剥ぎも日常茶飯事という野伏のぶしばかりだ。流石に元服する頃には、奏も世情を理解し始めたが、それでも中二病に対する憧れを捨てきれない。

 勿論、野伏に憧憬の念を抱く事はないが、命懸けで己の意地を貫く生き方に、純粋な心は惹かれてしまう。

 加えて奏の側には、究極の中二病――超越者チートがいるのだ。

 変わり者ではあるが、奏の恩人と言うべき人物。マリアや帑亞翅碼璃万崇ドアシマリマス以外の中二病とも話をしてみたいものだ。

 おゆらが鍋蓋を開けて、奏のわんに汁物をよそう。


「どうぞ」

「あ……どうも」


 椀を受け取り、奏は礼を言った。


「……」


 これで会話が終了した。


 き……気まずい。


 奏の前には、豪華な朝餉が用意されている。

 山芋の煮物といわしの塩焼き。姫飯ひめいい煎子いりこ、大根、豆腐を煮込んだ汁物。香の物は、大根の味噌漬け。足打折敷あしうちおしきの上に、高価な食器と贅沢な旬の味覚が並ぶ。

 大名家に匹敵するほどの献立だが――

 雰囲気が悪くて、何を食べても味がしない。

 おゆらに救いの視線を向けるが、当人は呑気に囲炉裏の薪を集め、鍋の汁物を温め直していた。常盤に睨まれても、柔和な笑顔を崩さない。寧ろ自分の思い通りに事が運び、愉悦の笑みを隠しきれないほどだ。

 凄いムカつく。


「そう言えば、僕の着物が一枚、見当たらなくて……」

「そんなの知らない。おゆらさんに訊けば?」

「ですよねー」


 着物繋がりで話を膨らませようとしたが、的外れな話題を投げ掛けていた。


 どうしよう……取り付く島がないよ。


 二年前なら常盤の世話役に仲介を頼んで、常盤の機嫌を取る事もできた。然しこれからは、己の力で常盤を導かなければならない。

 抑も常盤が機嫌を損ねた理由は、朝から卑猥な光景を見せられたからだ。常盤もおゆらの悪癖を承知している。本当に二人の仲を誤解したわけではないだろう。

 然し将来を決めた相手がいながら、他の女と同衾するなど以ての外。年頃の娘が機嫌を損ねるのも当然だ。

 奏からすれば、常盤は硝子細工の如き存在だ。

 未だに心の傷も癒えていないのだろう。奏が側にいない時は、挙動不審な行動が目立つと聞く。二年前の忌まわしい出来事が、今でも常盤の心を蝕んでいるのだ。

 常盤を情緒不安定な状態で放置しておけない。


 こういう時、マリア姉ならどうするだろう?


 尊敬する従姉いとこを参考に、具体策を検討してみる。


「そうだ!」

「ぶっ――」

「ああんっ」


 突然、奏が大声を上げたので、常盤が汁物を吐き出しそうになった。おゆらも火箸で薪を強く突いて、飛び散る火花に悲鳴を上げた。

 呆然とする二人を尻目に、奏は笑みを浮かべていた。


「鹿狩りに行こう」

「……はあ?」

「久しぶりに外で遊ぼうよ。今日は天気も良いし。どちらが多く仕留めるか、懸物かけものを積んで競争だ」

「疲れるからイヤ」


 奏は明るい声で言うが、常盤の反応は冷ややかだった。


たまには外に出ないと……身体に悪いよ」

「外に出たら日焼けする。それに私の方が、奏より鹿狩り得意だもん。つまんない」

「今の僕なら、常盤と良い勝負ができる」

「なんで?」

「先生がいないからね。学問が進まない分、弓の稽古に打ち込んでいたんだ。今なら常盤の短筒にも負けないよ」


 奏は得意げな様子で、ビシッと常盤に箸を向けた。


「ふーん。どうだか」


 常盤は顔を背けて言う。

 奏に深い意図はない。おゆらがいない場所で鹿狩りでも行えば、常盤も機嫌を直すだろうという程度。

 暫く考え込んだ後、常盤は小さく溜息をついた。


「奏がどうしてもって言うなら――」

他人様ひとさまに箸を向けてはなりません!」


 急におゆらが叫びながら、奏の眼前に火箸を向けた。


「うわああああッ!! なんスか、いきなり!?」

「それに学問なら私が教えます! 古文経学こぶんけいがく! 算勘作事さんかんさくじ! 有職故実ゆうそくこじつ! 経世論けいせいろん! 他にも学ぶべき事はたくさんあります! 将来、本家当主の入り婿と成られる御方が、評定の裁許さいきょもできないようでは、分家の者共から侮られましょう!」

「学問ばかりだと、流石に気が滅入るよ。僕達には、息抜きが必要なんだ」


 驚愕しつつも反駁はんばくを試みるが、


「当家は蛇神様をたてまつる神官の家柄。御武家様の真似事など必要ありません」


 おゆらも正論で返してくる。


「立身出世を望むのであれば、学問を疎かにしてはなりません。関ヶ原合戦より九ヶ月……未だ天下てんか静謐せいひつとは申せませんが、暫く大きな合戦は起こらないでしょう。なればこそ知識が重宝されるのです。八王子の代官頭が、良い例ではありませんか。もはや刀槍で覇を競う時代ではありません」

「別に出世なんか望んでないし。今の暮らしで十分満足してるから。それよりそれ……本気で危ないんだけど」


 鼻先に突きつけられた火箸を指差し、奏は怖々と告げた。

 ハッと己の乱行に気づき、おゆらは深々と平伏した。


「申し訳ございません! 私とした事が……思わず取り乱してしまいました!」

「気にしなくていいよ。おゆらさんはいつも取り乱してるから」

「左様な事はありません! 本家の女中頭を務める者が、主君に火箸を向けるなど言語道断! どうか私に罰を加えてください!」


 主君に火箸を向けると有罪で、主君のしとねに全裸で潜り込むと無罪なのか。奏には、おゆらの価値観が理解できそうもない。


「僕はおゆらさんを処分したりしないよ。家中でもおゆらさんの忠義を疑う者はいない。早く顔を上げてくれ」

「いえ、どうか『この卑しい雌豚めすぶため。そんなに僕の如意棒を咥えたいなら、劣情を催すように懇願してみろ』と蔑んでください! 然る後、私の身体を荒縄で縛りつけ、容赦なく踏みつけるのです」

「よし、おゆらさんは蟄居ちっきょ。実家に帰れ」

「その冷たい眼差しが素敵です♪」


 おゆらは豊かな胸の前で両手を組み、被虐的な快楽に酔い痴れる。

 常盤は険しい顔つきで、二人の遣り取りを眺めていた。


「なんか楽しそう」

「代われるものなら代わってくれ! 僕も相手をするのが大変なんだ!」

「処で奏様には、御予定があります」

「どうしてその話を先にしなかった!」

「特に訊かれませんでしたので」


 おゆらは笑顔でとぼける。

 奏は一旦、心を落ち着かせた。

 これでは普段と何も変わらない。おゆらの戯れで日常会話を荒らされるだけだ。心を乱さず、冷静に話を進めよう。


「予定って何?」

「本日、うまの刻までに、蛇孕神社へ伺候しこうせよと……无巫女アンラみこ様の御下知です」

「マリア姉が? なんで?」

「私も仔細は存じません。然れど火急の用と聞いております」


 珍しくおゆらも言い淀む。

 奏も首を傾げた。

 これまで薙原家の家政に関わる事で、蛇孕神社に召喚された事がない。本家の直系でありながら、奏は無役の居候。家政に関わる機会を与えられず、无巫女アンラみこの許婚という肩書きだけ持たされている。


「おそらく祭祀に関わる事だな。神楽の稽古でも始めるのかな?」


 毎年、六月の村祭りの際に、无巫女アンラみこは蛇孕神社で神楽を奉納する。去年から奏も参加を認められており、神楽を舞うマリアの横で笛を吹いた。

 居候に与えられた唯一の役割である。

 きちんと務めを果たさなければ、許婚に恥を掻かせてしまう。


 去年は無難にこなせたけど、今年もうまくいくとは限らないかな。気を引き締めて、稽古に取り組まないと――


「で――鹿狩りは?」


 常盤が押し殺した声で問う。


「……」


 重苦しい沈黙が、朝餉時の居間を押し潰した。


「ごめん! 次はなんとかするから――」

「ごちそうさま!」


 常盤は耳土器みみからわけに箸を置いて退室した。


「常盤さーん……」


 奏の情けない声が、居間に響いた。

 機嫌を直して貰うどころか、火に油を注いでしまった。

 肩を落とす奏に、


「お代わりは如何ですか?」


 事の元凶が、如才ない笑顔を向けてきた。




 麹塵きくじん……灰色がかった黄緑色


 兌換紙幣……金や銀や米や銅銭と兌換が保障された法定紙幣。坂東より西の地域で流通する紙幣。伴天連衝撃ザビエルショックの後、三好長慶が非営利団体――『日本政府』を設立。内裏や寺社仏閣の修繕費用を賄う為、『日本政府』の支出という形で、畿内に兌換紙幣をばらまいた。長慶が確立した『租税貨幣論』に基づく領地経営は、織田信長や豊臣秀吉にも引き継がれた。


 報恩講……浄土真宗の行事。親鸞しんらん祥月命日しょうつきめいにち結願けつがんとして営む法要。僧侶が和讃わさんを称えるだけで、アイドルのコンサートではない。


 毘沙門天……上杉謙信の二次元の嫁


 ヤンデレ……明智光秀


 野伏……追い剥ぎや強盗を働く武装集団。特定の主を持たず、合戦が起きれば、戦国大名に雇われて、戦闘や略奪や放火、落ち武者狩りに明け暮れた。


 姫飯……釜で柔らかく炊いた飯


 足打折敷……足のついた食器を載せる台


 懸物……景品


 古文経学……大陸の書物に関する研究


 算勘作事……実用的な数学や建築学の研究


 有職故実……古来より伝わる法令、儀式、装飾等の知識


 経世論……経世済民の為に立案された緒論策。或いは、三好長慶が執筆した『三好経世論』の略。租税貨幣論や悪魔崇拝者等について解説している。


 八王子の代官……大久保長安


 午の刻……正午


 耳土器……耳の形をした箸置き

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